モラルに体当たり記

モラルに体当たり記

March 15, 2005
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昨日の続き。

・・・・・(略)・・・・・
しかしながら、実際のジャーナリズムの取材・報道過程において、「事件の背後にあるものを有機的に結びつけ、知的・論理的に再構築する」作業が行われているだろうか。少なくとも100%行われているとはいえないだろう。

では、現実にこの理想を実現するにあたり、何が阻害要因となっているのだろうか。次の三つが考えられる。
A)客観報道の限界
B)組織的な圧迫―ジャーナリズム保護の欠如とコマーシャリズム
C)ジャーナリズムの役割をジャーナリスト個人に頼らざるを得ないという構造

以下、A)~C)につき、詳しく論述する。

======================================================


リップマンは、メディアが人間の自己決定に与える影響の大きさに注目し、そのためメディアは「個人の自己決定の判断材料を提供する」ようにならねばならないという。この論では、判断はメディアの先の個人にゆだねられるのだから、とすると提供される判断材料は、できるかぎり中立なものでなくてはならないはずである。しかし、「中立」「客観性」などというものが、実際の報道として成り立つだろうか。

リップマンも認めているように、ニュースとは、多量の現実環境の中で、事件として表面化した事実の報道であり、それは氷山の一角である。このニュースを手がかりに、リップマンは背後に存在する氷山を調べろというが、それでは事件(ニュース)にならない事実の存在はどう考えるのか。現実環境に存在する膨大な事実は、それが事件とならない限り、ジャーナリズムの素材となりようがない。現実の事実が存在いかんに関わらず、ジャーナリズムの範囲外となるのである。つまり、そもそものニュースの抽出に、客観性が存在しないといえる。

さらには、ニュースの扱いに関しても、客観性は存在しない。ニュースの扱いは、タイミングと担当者の趣味嗜好に大きく左右される。ニュースは一時に一つ出てくるわけではなく、複数存在する。あるニュースAが出たとき、より大きなニュースBがあれば、Aの扱いは小さくなるであろう。逆に、大きなニュースがなければ、一面トップとして扱われるかもしれない。また、同程度のニュースがあったときは、どのニュースを大きく扱うかは、担当者の趣味嗜好で、ニュースの扱いは決められる。

B)組織的な圧迫―ジャーナリズム保護の欠如とコマーシャリズム

新聞社などの各メディアは、リップマンの言うように、社会的に大きな影響力を持っている。しかし、現実の存在としては一民間企業であり、特に何らかの保護を受けているわけではない。私企業である以上は、利益を稼いでいくことが必須条件として求められる。

特にマスメディアは、人々に広くアクセス可能な媒体として、コマーシャリズムに組み込まれている。スポンサーや視聴者・読者という存在からの影響や介入を受けざるを得ない。「視聴率」「部数」を稼ぐため、ジャーナリズムは、組織的にセンセーショナリズムに走る傾向にある。これはますます競争的になっている資本主義環境の中においては特に顕著な傾向である。

ジャーナリズムが社会的影響力を持ち、それがゆえに社会的機能・使命も担うのだとすれば、ジャーナリズムは単なる私企業としての存在であってはいけない。スウェーデンでは、新聞社は社会的機能を果たすととらえられているために、経営の行き詰まり局面においては、公的資金援助の対象となるそうである。社会的保護が欠如した状態では、ジャーナリズムはコマーシャリズムの影響を排除できず、センセーショナリズムに走るため、個人の判断の材料となる冷静な材料の提供という機能を果たすことはできないといえる。

C)ジャーナリズムの役割をジャーナリスト個人に頼らざるを得ない構造

それでは、ジャーナリズムはどこに存在するのか。現在のところ、それはすべて、ジャーナリスト個々人の倫理観、モチベーション、責任にゆだねられている。つまり、ジャーナリスト個々人が、自分たちの社会的機能に自覚的であるか、社会的機能を果たそうという意思を持っているか、社会的機能を果たす手法に精通しているか、取材や報道過程で起きるリスクに責任をとる覚悟があるかということに左右されてしまうのである。

コマーシャリズムにひきずられて、ジャーナリズムの精神を持たないジャーナリストもいるだろう。表面に現れたセンセーショナルな事実のみを追いかけ、その裏に潜む事実には目もくれない報道は、典型的には、ワイドショーなどにみられる報道方法である。



さらに、たとえ、ジャーナリストがジャーナリズムの役割に自覚的でジャーナリズムに望まれる社会的機能を果たそうという意思を持っていたとしても、そこには常に個人的なリスクがつきまとう。取材や報道の過程で、何か問題が起きれば、訴えられるのは当ジャーナリスト個人である。自分の取材や報道に責任をとる覚悟が必要なのである。

以上、ジャーナリズムに望まれる社会的機能を阻害する要因について考察した。ジャーナリズムが個人に及ぼす影響の大きさをかんがみるに、ジャーナリズムが持つべき社会的機能は、民主主義の基本となるものである。よって、上記阻害要件が取り除き、ジャーナリズムが本来の役割を果たせるようになるシステム作りが今後の課題である。





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Last updated  March 16, 2005 02:20:48 AM
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最後のとこ  
まけ5302  さん
ジャーナリズムの"本来の役割"ってのは、リップマンがいう(1)~(4)ってことですか?

個人に及ぼす影響を小さくするジャーナリズムのあり方を考えるのもありかなぁとか考えました。 (March 16, 2005 09:51:34 PM)

Re:最後のとこ(03/15)  
bitteraska  さん
まけ5302さん

>
>個人に及ぼす影響を小さくするジャーナリズムのあり方を考えるのもありかなぁとか考えました。
-----
ありゃ、私の文筆力がないせいで、うまく伝わってなかったようですね。

リップマンの言う1~4とは、ジャーナリズムの世の中や個人に与える影響を分析したものです。

その分析によれば、メディアは個人の意思決定に重要な影響を与えるわけですから、ジャーナリズムはある意見に偏って報道したり、洗脳に乱用されてはならない。中立でなくてはならない。
(リップマンの論はWW2のナチスや日本の報道操作への危険意識と反省から生まれています)

そこで、リップマンが提唱しているのが、いわゆる“客観報道”というものです。

客観報道とは、できるかぎり中立の立場に立ち、個人に影響を及ぼす作用を最小限にすることを意図した報道です。

影響は最小に、けれども、材料ときっかけを与え、人が正しい選択をできるようにすることが、リップマンの言う(そしてまけさんが注目している)ジャーナリズムの本来の役割ですね。
(March 18, 2005 03:25:04 AM)

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