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本日の定期健診の結果・・・ついにとうとう●クレアチニン値が「5.11」 (5.0以上8.0未満で「障害3級」レベル)●eGFR 禁断の「1桁(9.9)」に!!! (「eGFR<15」で、既に「末期腎不全」で、 「eGFR<10」で「障害3級」レベル)厚生労働省の「じん機能障害認定基準」により「障がい者3級」の手続きを進めることになりました。 ↑ ↑ ↑「 厚生労働省」のパンフレット ↑ ↑ ↑ま、当初の見立てでは、「8月以降に基準値(クレアチニン:5.0)突破」との予測だったので2~3か月早まった・・・と思えば、なんて事は無い。・・・のですが、流石に、まだ「心の準備」が出来てません。現実的には、「少しでも腎臓の機能が残っている内に透析開始した方が良い!」との見解でしたので、予定より早くなることは決してマイナスではないのです。そもそも、「少しでも早い方が良い。」とは言うものの、「基準値」を突破して「障がい者認定」されなければとんでもない費用が発生するし、かと言って、「良くなる事は無い!後は悪くなる速度を緩めるのみ!」という治療方針では、「透析開始までの期間を長くする」=「しんどい日を長く過ごす」換言すれば、「基準値まで悪くなるのを待つ」わけです。「少しでも早く始めた方が良い。」という医学的見地とは矛盾する状況が本日まで続いてきました。が、そんな日々も本日限りで、ここからは、 ・行政の手続き ・腹膜透析の手術の準備 ・手術後の日々の「自宅内透析」の環境準備などにシフトチェンジです。透析患者の大半(約97%)を占める「血液透析」とは異なり、私が行う予定の透析は「腹膜透析」です。どちらも一長一短有りますが、決め手は①毎度毎度腕に針を刺さなくて良い。②自宅で(ただし毎日)透析ができる。 しかも、CAPD(連続携行式腹膜透析)では 1日に3~5回の透析液交換(1回30分程) を要するのですが、 APD(自動腹膜透析)は、寝ている間にできるので 可能であれば、この方法を選択する予定です。腹膜炎などのリスクや、腹膜自体の劣化などデメリットは有りますが、ライフスタイルを考慮し、なんとしてもAPDで・・・と考えております。まだまだやるべきことも沢山あるので何とか10年は腹膜を維持していきたいと思います。腹膜もいずれ劣化して、その後はいよいよ「血液透析」に移行しますが、その時はその時・・・何とか生きてりゃ、儲けもん!しかも、多少のリスクは有るものの少なくとも「今」よりはしんどさが緩和されるのであれば、尚良し!まだまだ、これからぢゃあ!
2023年05月31日

小学生の頃から、新聞の折り込みチラシを「マイ・ノート」として相棒には、「鉛筆」を愛用しておりました。(最近は、両面印刷で、紙質も良いので、 なかなかノートやメモ代わりにはなりませんな。)当時(昭和40年代)は、高度経済成長期とは言え日本製の物は今ほど「はい・くおりてぃ」ではありませんでした。鉛筆のせいなのか、消しゴムのせいなのかはたまた、紙のせいなのか・・・滑らかな書き味とは程遠く、ガリガリとした感じで文字を書いてました。一旦書いた文字は、なかなか奇麗には消えませんでしたし、鉛筆も、鉛筆削りが安物だったからか、削ってる最中に「ばきばき」折れました。高級電動鉛筆削りを所有している「お大尽」の子の鉛筆はそうではなかったような・・・止む無く、私は「小刀」(当時はまだ「カッターナイフ」は巷には出回っていない。)で、ショリショリと鉛筆を削ってました。中学生になると、「お大尽」の子から順に「しゃーぷ・ぺんしる」が主流になりつつありましたが、「日本人は、鉛筆ぢゃあ!」と声高に叫ぶ親父の主張により「しゃーぷ・ぺんしる」なるものが我が家に来るのはかなり先のことでした。(最初にやってきた「しゃーぷ・ぺんしる」は ノック式ではなく、回転式のヤツで、芯も少し太かったような・・・)鉛筆の感触が好きで、特に不便でもなかったので、私は、「鉛筆派」を貫いておりました。身の回りの進化に伴って、鉛筆を使うのは、「マークシートですと」の時ぐらいで、日常ではほとんど使わなくなりました。普段は、「Pilot」の「AcroBall 3+1」という3色ボールペン((0.7mm)+シャープペンシル(0.5mm)を愛用しております。(これに至るまで、様々なメーカーの色んなのを 試してきましたが、これに落ち着きました。)色違いを含めて、「3本」所有しております。(「無くした!」と言っては、1本買い、 その後、見つかり、次は「2本とも無くした!!」 で、更に1本買い、結局2本見つかった。)普段使いには何の不便も無いのですが、時折、ふと「鉛筆」の感覚が懐かしくなります。机の上には、 ・カステル ・ステッドラー ・みつびし ・カランダッシュ ・TOMBOWなどを常備していますが、胸ポケットに鉛筆を入れておくわけにもいきません。そこで、見つけたのが、これです。6角形の基本的フォルムに、「2mm」の芯(しかも、「B」)北星鉛筆は、小学生の頃にも使ってたような記憶があり、てっきり「廃業」(失礼!)したかと思ってましたが、それどころが、「かゆい所に手が届く」ような鉛筆削り ⇒ 【芯が折れない!?最強の鉛筆削り器 日本式鉛筆削り「634」二天一流削り器】なるものまで・・・日本のものづくり恐るべし!他にも・コーリン鉛筆・チキュウ鉛筆なども懐かしく思い出されます。えんぴつ・・・エエねぇ~。
2023年05月26日
「京セラ」「第二電電(現KDDI)」の創業者でもある稲盛和夫さんのオフィシャルサイト内に「思想」というページが有ります。その中の「すばらしい人生をおくるために」の「3:正しい判断をする」の最初に 利他の心を判断基準にするというのが有ります。 ⇒参照 「稲盛和夫OFFICIAL SITE」思想 「曹洞宗 梅宗寺」の公式HP 「浄土真宗大谷派桑名別院本統寺」HP 「真言宗智山派龍性院」HP 「東北福祉大学」HP今を去る事40数年前・・・❝ 1回目の ❞ 大学生だった頃、強めの勧誘や依頼には「NO!」と言えない性格故に街頭では怪しげなアンケートに誘われ「映画観賞券の割引チケット」をゲット!駅から大学への近道の大きな公園内では自転車の二人組の外国人のお兄さんに「モルモン教徒の集い」に連れていかれそうになり・・・名古屋駅前では、「ビアガーデンの年間パスポート」を買いそうになり(持ち金が少なく難を免れた)・・・とにかく大学の敷地内に入らねば大都会は危ない誘惑でいっぱい! 息を止めるように公園を突っ切って学内に入ったある日安全である学内で、安心である先輩から「さーくる」のお誘いを受けました。「たんにしょうけんきゅうかい」(歎異抄研究会)「安全な学内」での「安心な先輩」のお誘いを断ることもなくその場で入会をしました。その後に参加した活動の内容はほとんど覚えていませんが漠然と「モルモン教のお兄ちゃんの方が、な~んか優しかったような・・・」と感じていました。どれだけの期間そのサークルに居たのか全く記憶がないのですが唯一覚えていることがひとつ・・・それが、「自利利他」という言葉です。抹香臭い輩の善人もどきの自己満足と捉えていたものです。その後、大学を中退し、闇雲に社会に出て自力で商売を開始しますが、どんな時も「自利」の考えは有っても「利他」なんてことは微塵も考えずひたすら己の為に猪突猛進しておりました。ま、せいぜい悪いことをしてたんまり設けた輩がその後ろめたさを払うためにボランティアとかチャリティーとかのおためごかしで世間に「良い人」アピールをするぐらいが「利他」の正体なんぢゃねぇの!!!・・・としか考えていませんでした。(自分では気づいてないけど、長いこと負け犬根性だけは 一人前以上に大きくなってましたので・・・)自販機で飲み物などを買う時に何十回かに一度ぐらい、釣銭が多い時が有ります。機械の故障とかではなく、単に前の人がお釣りを取り忘れたのでしょうが、子どもの頃のように、これを意気揚々と交番に届けるようなことはなくかと言って、自分の正当なお釣り分だけを取って後は釣銭口に残す・・・わけでもなく結局は、「刑法第235条:窃盗罪」を犯すことに・・・※自販機の場合は、道に落ちている時と異なり 「254条:遺失物等横領」ではないようです。(諸説有り?)金額によって異なる訳では有りませんが、道端に落ちている場合も、「1円玉」「5円玉」「10円玉」は、「彼ら(硬貨)もこのままでは本来の使命が果たせないし かと言って、交番へ届けたところで ・私の時間と労力 ・交番の人の時間と労力と紙やペンの消耗 ・万が一落とし主が現れたところで その確認や受け取りまでの手間やら時間やら・・・などなどを総合的に判断して、これは私が使命を果たしてあげよう。(つまり、私が拾って使う)」という結論になります。「50円玉」「100円玉」あたりも少し時間をかけて自分を説得して「使命を果たす」ようにしています。私自身も、どこかで小銭を落としているだろうし、それが、ドブや川に落ちて世の中から抹殺されるよりは誰かが拾って「使命」を果たせれば、それで良いし多分、「ぷらまいゼロ」「いってこい」「ちゃら」なんじゃないか・・・と勝手に解釈しています。この何十年かは、「お札」を拾ったことが無いのでこの先拾ったときにどうするべきか?日々、油断せぬように頭の隅に置いています。子どもの頃は、「1円玉」であろうが「板垣退助」であろうが「大物:聖徳太子様」であろうが、すぐさま交番に出向いてまるで「表彰状」を頂いたかのような高揚感で「拾得物件預かり書」を常に複数枚所持していましたが、ここ数十年は、交番に届けるような大物拾得はありません。車に乗る時や小雨の時に下を向いて歩いている時時折「1円玉」をみつけて、使命を果たす・・・ぐらいです。(小銭を拾わなくなったのは、上を向いて歩く人生を送る努力を していることが大きな要因か??? そう言えば、借金返済に窮々していた頃は 「身も心も」常に下向きであったような・・・)ある時、コンビニで「コピー」をしたら釣銭口に小銭で「1060円」を発見!(500円玉×1、100円玉×4,50円玉×2,10円玉×6)私の使用分は「10円」で「100円」入れているのでお釣りは「90円」のはず。ということは、私の前のお客さんが「1000円札」で「30円分」コピーした、と思われます。お札ではないものの、数十年ぶりの「大物」がやってきたのです。小心者の私は、「この場合の最大多数の最大幸福」を考慮し (つまり「970円」を得るプラスよりも、この後 ビクビクしながら生きるマイナスの方がデカい!と判断した。)レジの方に、経緯を告げて「970円」を渡しました。(その後が「970円様」が使命を果たせたか否かは不知。)たったそれだけのことなのですが、いくらなら届けて、いくらなら「刑法235条」の基準が曖昧なことを痛感し、「小心者」かつ「統一されていない行動がイヤ!」な性格故今までの「小銭」の扱いが、自分なりの「理」に適っていたのか?もやもやだけが残ってしまいました。その翌週、銀行のATMで現金を引き出し、ついでに別の通帳に入金、更に、別の通帳から送金・・・完了して車に乗り込み、コンビニで買い物をしている時、 「さ っ き お ろ し た お か ね の ふ う と う が な い 」事に気づきました。「落としたお金は誰かが使えば、ちゃら」なんて嘯いていたのですが、封筒の中身は「130,000円」電気、ガス、水道、電話・・・の支払いが・・・嗚呼!これも、普段から「小銭」を「刑法第235条」してたからか・・・「1円」の「235条」は、「970円」を届ける、という当たり前の事では償いきれないのか・・・目の前真っ暗!!!嫌悪する「統一されていない行動」と自覚しつつも一縷の望みをかけて、さきほどの銀行へ・・・「やはり、かむ太郎さんでしたか・・・」取引先の支店でもあり、たまたま担当者が顔見知りで更に、防犯カメラの画像で「服装と言い、髪型(?)と言い、確信してました。」と言われました。なんでも、次のお客さんがATMで封筒を見つけ、行員に渡してくれたようで、すぐさま防犯カメラで確認、上からのカメラ画像にもかかわらず、すぐさま私、と満場一致で判明したそうです。銀行は(ルールなので)その足で近隣の交番へ届けてくれてました。銀行からその交番へ連絡を入れてもらい普通なら困難な確認作業もすんなりと突破。(なんせ財布とか鞄ではなく「封筒に現金」ですから・・・)結局、交番で受理された後だったので、既に「所轄署回し」の扱いになっていて「落とし主本人」と認定はされたもののその場で貰えるわけではなく(目の前に有るのだが)後日管轄の警察署へ取りに行くことに・・・手間はかかったものの、「現金」が戻ってきたことに感謝!「970円」届けた御利益が有ったか?というわけではないのでしょうが、銀行の中のATMとは言え、「名前も告げず」届けてくれた方には感謝しかありません。(届けてくれた「おば様」に幸あれ!と願うしかできませんでした。)これだけでなく、実はその2週間後にも、今度はコンビニでまたしても「現金30,000円入り封筒」をレジ前の「鞄置き台」に忘れて、数時間後に尋ねてみると「これですか?中身わかりますか?」と確認を要求されました。この時は、そのコンビニで買った「切手とレシート」を無造作に封筒内に入れていたのでこれまた無事に還ってきました。「あかんあかん、いろいろアカン!」これでは、「ちゃら」どころか「恩恵の負債」がたんまりと蓄積してしもうた。2回も現金を置き忘れること自体もアカンが、「ちゃら」が安定した状態である以上、この先そう考えても「負債」が残る。つまり、常に「マイナスエネルギー」に引っ張られるのでは・・・?その後、件のコンビニで支払いの直前に(ここはレジで金銭の受け渡しは無く現金もすべて機械投入)レジの釣銭口に「複数の小銭」を発見!「おお!ラッキー!」この「ラッキー」は、小銭をまんまと手にできることではなく「恩恵の負債」を少しでも返済できるチャンスに恵まれたことに対しての「ラッキー!」まるでホールドアップのように両手を上げ『ぼく、さわってませんよ』アピールしつつ釣銭口の小銭を指差し、「これ、前のお客さんの忘れ物とちゃう?」と店員に強く訴え、取り除いてもらいその後に、自分の買い物分を清算。おそらくは、「挙動不審」であったと、少し反省。自覚しているだけでも「恩恵の負債」が残っているのでこれからは、余分な拾い物をしないように、なるべく上を向いて歩き外に設置してあるATMや自販機はなるべく使わず、(置き忘れたらまず戻ってこないし 前の人の釣銭を発見しようものなら 交番まで届けねばならなくなる。)店内のATMや機械の釣銭口は、必ず事前に確認する!ことを最低限「負債を増やさぬ」ために実行しています。お金の「プラスマイナス」は、まだわかりやすいのですが(拾ってくれた人や交番の労力などは数値化できぬが)ことこれが、人とのつきあいになると「恩」とか「義理」とかは、なかなか量ることができません。自分では、十分恩返ししたであろう・・・と勝手に思っていても、先方は「まだまだ」という事もあるでしょうし、逆もあるかもしれません。そもそも、こちらははなから「恩」とも思ってなくとも先方は「きっちり貸し」と認識していたりその逆もあったりします。具体的な「先方」が存在しないこともあるでしょう。「自利利他」という言葉を反芻した時に冒頭の参照ページ(稲盛さんや各宗派のHPなど)に記載されているような高尚な考え方にはそれでも到達できません。とは言え、何となく「因果応報」的な思考回路は有ってしかも、・マイナスを施せばリターンは数倍~数十倍以上・プラスを施したところで、リターンなど見込んではダメ!ということは経験的に何となく身に染みています。それでも、今の自分は周りからの「先行投資=恩恵」を多分に受けてなりたっていると感じています。「自力」で何かを行った時は、ほとんど玉砕しています。周りの理解や助けが有ってようやく「今」何とか生きてます。もう少し素直な性格であれば、「自利利他」という言葉に頷くことが出来るのでしょうが、なかなか素直になれぬ身としてはせめて、「まずは、最低でもプラマイゼロ=ちゃら」に持っていけるよう「損得計算混じり」でも「形から」でもよいので、「利他」の心を育んでいこうと思います。(たとえ育めなくとも、表面だけでも同じことしてれば 少しは近づける、と思ってます。)自分に近しい周りの10人が揃いも揃って「不幸」であって、自分だけがそうでない、となると10人の人々との付き合いが無くなるか、あるいは、10人を自分1人で助けるか・・・どっちも厳しそう。足を引っ張るヤツや、やっかむヤツもいるかもしれない。では、逆に、周りの10人が揃いも揃って「幸福」であって、自分だけがそうでない、となると、どうだろ?10人から全て縁を切られれば、それっきりのことだけど、もし、10人がそれぞれ「100%」ずつとは言わない、「10%」ずつのパワーで自分を助けてくれたら・・・「10%×10=100%」何とかなりそう。ゴム状の円盤の中心が自分で円周上に10人いるとして真ん中の自分だけが上に「ギューン!」と飛び抜けようとしても周りのゴムに引っ張られて飛び抜けられない。よほど強い力で引っ張るか、周りを「絶って」飛び抜けるしか無い。逆に円周上の10人が上向きに「ギューン!」と飛び抜けようとしてたら真ん中の自分が、ある程度「下向き」で有っても10人力のパワーで少しは「上向き」になる。それでも、下向いてたら「絶たれる」だけ。でも、真ん中で上を向いてる自分が1人で下向きの10人を引っ張り上げる労力に比べれば周りの10人が上向いてるパワーに乗っかって下向いてる自分が上向きになるのは、まだ楽そうだ。PS:車を運転している時に、前方対面からの右左折車が有る時はバックミラーで後続車を確認し私の後ろに車が無ければ(私が最後尾ならば)そのまま突っ切りますが、私の後ろに車が続いている場合は前方対面の車を入れてあげるようにしています。逆に、私の車を入れてくれた時は「幸あれ!」と念を送っています。日々「恩恵の返済」を心がけております。
2023年05月20日
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