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2006年01月27日
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テーマ: ニュース(96849)
カテゴリ: ニュース
現在の憲法を変えようとする世の中の風潮に不安を感じる音楽評論家の湯川れい子氏は、19日の東京新聞コラム「言いたい放談」に次のように書いています;




 それぞれに国を思い、我が身を思って変えようとし、あるいは変えさせまいとしている訳ですから、その意見の違いは尊重するとして、困るのはもっと国民的な議論が起きてもいいのではないか・・・と思うのですが、あまり身近なところで「もっと憲法について勉強しましょう! キミは憲法を知っているか?」とか、「週末憲法講座。高校生にも良く分かるマンガによるおもしろ憲法セミナー」なんてポスターを見たことがないし、ニュートラルな立場で日常的に憲法を話題にするという土壌も、残念ながら育っていません。

 しかし、憲法というのは、辞書を引くと「国家の統治体制の基礎を定める法」「国家の根本法」とあり、これはその国が、どういう国であろうとするかの、根幹を成す約束事です。

 そして、その約束事を作る発案権は、マサチューセッツ憲法にならって、国民の手にあるとされており、我が日本国憲法は、国の主権は国民にあると定めている訳ですから、憲法というのは、国家が国民を縛るための法律ではなく、国民が国を規制し、自らが望む方向に国を運営していくための、とても大切な厳守事項なのです。

 だからこそ最終的には、国民投票の過半数で決めることができる訳ですけれど、過去60年間、一人の人間を殺すこともなく平和を築いてこられた現憲法の知恵と理念を、何とか守っていきたいものです。


2006年1月19日 東京新聞朝刊 14ページ「言いたい放談-現憲法の知恵と理念」から引用

湯川氏が指摘するように、私も、国民の間に憲法をどうするかという議論がほとんど存在しないことが大きな問題だと思います。世論調査では、それなりのパーセンテージで「変えるべきだ」「変えないほうがいい」という数字が示されますが、それは多分「聞かれたからそう答えた」というだけのことで、「今の憲法ではこういう不都合がある」とか「こういう行き詰まりが予測されるから」というような議論はほとんと皆無です。おそらく、無能で無責任な国会議員が「憲法を変えれば、世の中も変わるだろう」くらいの意識でいるのではないかと思います。その証拠に、何年間か続いた衆参両院の憲法調査会の議論は低調で、欠席は目立つし、出席していても議論をまともに聞こうとせずに私語をしたり、居眠りをしたり、とても国の根幹を決定する「憲法」を議論する場所とは言えない惨状でした。
その一方では、国民は国の主権者としての意識が乏しく、国会で憲法改正が論議されているというのに、それに対する反応が皆無で「政治家に任せておけばいいんだ」という姿勢ではないでしょうか。これでは戦前と同じです。私は戦前の愚を繰り返してはいけないと思います。湯川氏が言うように、私も現憲法を護っていきたいと思います。

それにしても、昔は高校生と言えば「伊豆の踊り子」に出てくるようなインテリの卵だったものですが、今ではマンガを見せないと話に乗ってこないというのでは、我が国の高校生も落ちたものです。(^^;)







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最終更新日  2006年01月27日 23時50分20秒


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