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2018年08月14日
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テーマ: 本日の1冊(3757)
カテゴリ: 読書
一昨日、昨日と引用した中野敏男氏の「解説」はその終段で、現在の日本の精神状況について次のように述べている;


戦争態勢の整備を含みつつその底で「戦後日本」が続けてきた「『朝鮮』の消去」をさらに進めてしまうという、ひどく内向的な「曲がり角」であるとわかってきた。 それは、植民地支配の「影」を温存したままの「転換」なのであって、戦争法など表面に顕れたあれこれの制度上の改変より もっと深刻な意味で、日本の精神状況の退行を示すと言わねばならない。 そしてこれは、植民地主義をめぐって今日の世界が進んでいる趨勢から見ても、ひどく逆行的な事態だとわかる。

 思えば、冷戦体制が解体に向かった1990年代の世界は、それまで冷戦状況下に横行していた独裁政治や強権政治に対して抵抗が広がり、それが各地で社会体制の転換にまで発展して、旧社会にあったさまざまな人権抑圧や不正を告発し、歴史の真実、名誉の回復、責任者の処罰、被害の補償、社会の和解などを求める人びとの要求や行動が大規模に激発した時代であった(*8)。 アパルトヘイト体制に反対 してその転換を求めた南アフリカ共和国の事例が最も有名であるが、この時代にはそれに限らず、部族間対立が血みどろの内戦に発展した アフリカ諸国での虐殺被害、東ヨーロッパの社会主義政権がおこなった人権抑圧、 そしてアメリカに支援された 中南米の軍事独裁政権がおこなった人権侵害や虐殺被害、 そしてアメリカや日本も支援した東アジア・東南アジア・南アジアの開発独裁型政権の人権侵害や虐殺被害など、まさに世界のあらゆる場所で人間の生命と権利を侵害したさまざまな問題が問われるようになっている。1991年8月14日、韓国の金学順さんが初めて実名をもって被害を訴えたことで始まった 日本軍「慰安婦」問題の公論化 の過程も、この90年代に進んだ真実と正義を求める世界の流れと無縁ではないのである。

 このような90年代に世界各地に広がった真実と正義を求める運動をとりわけ意義深いものにしたのは、そのようなさまざまな運動のなかから、やがて同時代としての「近代」に猛威を振るった人種主義、排外主義、そして植民地主義が共通の克服すべき課題だという認識が生まれ、これに対する国際的な議論が進んだということである。そんな議論が発展して、2001年9月には南アフリカのダーバンで国連の主催により 「人種主義、人種差別、排外主義および関連する不寛容に反対する国際会議」 が開かれ、奴隷制や奴隷貿易についてはここで初めて公式に「人道に対する罪」と認定されることになった。また植民地主義についても、その責任や罪がこの会議で公式に議論され、イギリスやフランスなどの反対で「人道に対する罪」と認定されるまでには至らなかったが、これについても議論が避けられないという認識は国際社会で共有されるようになっている。

 そのような90年代を経て、人種主義や植民地主義に対する世界の認識は、世界史に果たしてきたその罪責を厳しく問う方向に急速に変化していると言えるわけだが、 この世界の変化に照らして見れば、ここで見てきた日本の現状はそれとは明らかに逆行していてやはり深刻な事態だ と言わねばなるまい。そこで、今また反復されている「植民地主義の歴史の消去」あるいは「『朝鮮』の消去」を、それの出発点である 「戦後」の始まりに立ち返ってその意味を問い直すという課題 が生まれている。

 本書『〈戦後〉の誕生』日本語版は、そんな課題を抱える現在の日本の言説空間に提供されることになったのだ。そして、 「日本の『戦後』は『朝鮮』の消去の上にある」 と「本書の問題意識」を明示するこれは、その課題の中心に必ず突き刺さる問題提起になるはずだと認められるだろう。本書は、ほぼ同時に刊行されている 権赫泰著『平和なき「平和主義」-戦後日本の思想と運動』(鄭栄桓訳、法政大学出版局) と問題関心を並行させる論集であり、これとあわせて読まれると議論の内容もより十全に理解していただけると思う。

 本書の主題に関わる戦後日本の植民地問題の認識については、「戦後思想」の中心人物と言える丸山眞男が1990年代になってその学問人生を回顧するインタヴューに応じ、次のように語っている。


 韓国との関係だけでなく、北朝鮮についても、すぐに当面することになるでしょうが、過去の歴史について、謝罪すべき問題と、そうでない問題があると思うのです。よく言われることだけど、帝国主義国で、謝罪した国があるかといえば、ありませんね。いつ一体イギリスはインドに謝罪したか。いつドイツは膠州湾について謝罪したか、いつソ連はツァール・ロシアのやったことに謝罪したか。こういうことと、たとえば、朝鮮人の強制連行など、植民地支配の下で行われた人権侵害とは基本的に違う。それは無条件にきちんと謝罪すべきことです。(*9)


 丸山はここで、日本をイギリス、ドイツ、ソ連と並列し、それら「帝国主義国」の立場から自らの考えを述べているのは明らかだろう。しかもその内容が植民地支配の責任に関わることであってみれば、これはあたかもダーバン会議において植民地主義の罪を否認するイギリスやフランスの立場と一致しており、その位置から旧植民地地域の代表者たちの追及に対決していると言えるわけだ。

 植民地主義に関わる丸山のこの発言が、丸山眞男という傑出した政治思想史家の全生涯を考えようとする際にどのような評価のポイントになるのか。それについては、いかなる点から丸山を見るかによって随分立場は分かれるだろう。最晩年の丸山が何を言おうとも、多岐にわたる丸山の全言説の中から示唆的な言葉を選んでは拾い出し、それに学び続けるということだってなお充分に可能だからである。とはいえ、 日本の戦後思想をまさに「戦後」という位置において、戦争と植民地主義の歴史に即してそれを考えようと企図し、その中心に丸山眞男を置く場合には、これは見過ごせない発言だ とわたしは思う。90年代の丸山がここに立っているのは、ほかならぬ「戦後思想」そのものの帰結だと理解しなければならないからである。

 そうだとすると、その「戦後思想」はどのようにして生成しているのか、というより、それと並行して日本の「戦後」そのものが<誕生>したのはいかにしてか。ここに浮かび上がるこの問題は、本書の行論本体において明らかにされるはずの事柄である。



(1)孫崎享『戦後史の正体』創元社、2012年。
(2)白井聡『永続敗戦論-戦後日本の核心』太田出版、2013年。
(3)加藤典洋『敗戦後論』講談社、1997年。
(4)原彬久『岸信介i権勢の政治家』岩波新書、1995年。
(5)ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』上・下、大窪悠二訳、TBSブリタニカ、1981年。
(6)韓洪九『韓洪九の韓国現代史 Ⅱ 負の歴史から何を学ぶのか』高崎宗司監訳、平凡社、2005年。
(7)和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年。
(8)1990年代のこのような状況については、金富子・中野敏男編『歴史と責任-慰安婦問題と1990年代』(青弓社、2008年)を参照されたい。
(9)丸山眞男『丸山眞男回顧談』下、松沢弘陽・植手通有編、岩波書店、2006年、177-178頁。


権赫泰、車承棋編「<戦後>の誕生」(新泉社刊) 「解説『<戦後>の誕生』日本語版に寄せて」から320~324ページを引用

 ここに引用した文章も大変教訓に富んでいると思います。90年代は世界のあちこちで独裁政治や人権蹂躙が告発され是正された時代で、韓国で金学順氏が従軍慰安婦の被害体験を告発したのもそういう世界の趨勢に添うものであったという解説は説得力があり、安倍政権の慰安婦問題に対する対応が如何に誤謬に満ちているかということもよく分かります。また、イギリスやフランスがかつての植民地支配を謝罪していないことを指して「だから謝罪は無用」というのは暴論であり、やがてはイギリスもフランスも謝罪させられる時代が来るだろうと私は思います。





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最終更新日  2018年08月14日 01時00分06秒


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