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2020年10月29日
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テーマ: ニュース(96858)
カテゴリ: ニュース
NHKテレビの朝の連続ドラマについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏が14日の東京新聞コラムに、次のように書いている;




 主人公の古山裕一は作家の水野伸平(モデルは火野葦平)や洋画家の中井潤一(モデルは向井潤吉)とともに、インパール作戦が進行中の激戦地ビルマに慰問(史実では報道班員としての従軍取材)に来ている。朝ドラは戦時をたびたび舞台にしてきたものの、戦場をここまで真正面から描いたことは今までなかったんじゃないだろうか。

 作曲家の古関裕而が朝ドラの主人公に選ばれたのはオリンピックイヤーを意識してのことだったのだろう。ところが東京オリンピック・パラリンピックは延期になり、朝ドラも休止になって、 9月に再開してみたら別の意味で今の時代にぴったりな内容になってしまった。 裕一は多数の軍歌を作りながら、自分は戦争に協力しているのではないかと悩んでいる。

 いつから国策に巻きこまれてしまったのか、彼自身も視聴者もはっきりとはわからない。他人事では全然ないからね。日本学術会議の任命拒否問題は「あそこが分岐点だったのかも」となりかねない事態といえる。

 権力者は芸術も宗教も学問も国策の道具にしたがる。秦の始皇帝の焚書坑儒も、徳川時代の蛮社の獄も、戦前の日本の思想弾圧も、国策に逆らうとこうなるという見本だった。今日の古山裕一は明日の私たちかもしれない。
(文芸評論家)


2020年10月14日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-国策の道具」から引用

 この記事では、古関裕而がモデルの「裕一」が多数の軍歌を作りながら、自分は戦争に協力しているのではないかと悩むシーンがあるとのことですが、ドラマを見もしないで断定的なことは言えませんが、これはドラマ作家の脚色であろうと思います。戦争中に、永井荷風のような文化人は日記に「この戦争は間違っている」というようなことを書いたそうですが、実際に東南アジアの最前線まで従軍取材をしていながら「自分は戦争に協力しているのではないか」などと考えるものだろうかと、不思議に思います。戦争は間違ったもので、自分はそういうものに協力などしたくないと考える人間は、軍隊の慰問とか従軍取材などは、しようと思わないのではないかと考えます。春に読んだ古関裕而の伝記には、戦争が日本の敗北に終わった後で、古関は多数の軍歌を作曲したこと、その曲に送られて数多くの若者が戦地で命を落としたことを悔やんで、一時は作曲活動を断念したと書いてあり、戦争に負けて初めて目を覚ましたのが日本の民衆であったという「解釈」が、より自然なのではないかと思います。
 また、この記事では菅政権が日本学術会議の人事に不当に介入したことを「あそこが分岐点だったのかも」となりかねないと書いてますが、私は「分岐点」はもっと前にあったと思います。日本学術会議が発足して数年間は、政府は頻繁に諮問をしたのでしたが、政治的に中立であくまでも学問の立場からの「答申」というものは、必ずしも自民党が推し進めようとする政策を100%後押ししてくれるとは限らないことが明らかになると、もう学術会議そっちのけで、それぞれの省庁が勝手にそれぞれの大臣の下に御用学者ばかりを集めて「諮問会議」を発足させて、そこから「やらせ答申」を出させて思い通りの政策を実行していくというパターンになってしまった、その時点で私たちは「分岐点」を意識しなければならなかったのだと思います。そこに気づかずにここまで来てしまって、今では「日本学術会議は答申も少ないし、何をしているのか、存在意義が問われる」などと彼らをして言わせてしまっているのは、我々国民の落ち度であったと言うほかありません。





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最終更新日  2020年10月29日 01時00分05秒


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