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いずれにしても、安倍元首相は多くの人の記憶に深く刻まれただろう。同じく「国葬」された吉田茂のように、教科書に記されるようになるかもしれない。
一方で、同じ人間でありながら社会から忘れられようとしているか、忘れられてしまった死者たちが存在する。国策である戦争で殺された人たちだ。私は20年近く、彼ら彼女らのことを取材している。
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たとえば、東京大空襲の被害者たち。第二次世界大戦末期の1945年3月10日未明、300機以上の米爆撃機B29の無差別爆撃により、およそ10万人が虐殺された。教科書に記載されている。テレビドラマや映画、ノンフィクションなどで繰り返し描かれており、この空襲を知っている人は多いだろう。では、10万人の遺体がどうなったかを知っている人は、どれくらいいるだろうか。
東京都は軍部と相談した結果、空襲による死者を2万人程度とみていた。 欧州戦線における連合軍のドイツ爆撃の被害を参考にしてのことだ。1度の空襲ではなく、戦争全体の被害想定であった。 結果的に大甘な見込みだった (近年、政府は防衛力の強化など戦争への備えを進めているが、まともな被害想定をしているのだろうか。この問題は稿を改めて考えたい)。 また当時、都の火葬場で扱うことができる遺体は1日500体でしかなかった。 10万体に対応するのはおよそ不可能だった。
政府はそれでも戦争を続けるつもりで、膨大な遺体を放置するわけにはいかなかった。衛生上の問題があったし、市民の士気にもかかわる。 だから急いで埋葬した。軍人と警官、子どもや囚人まで動員された。学校や寺、墓地や公園、空き地や民有地など手当たり次第に埋められたのだ。死者の尊厳など二の次だった。
この仮埋葬は、3月10日以外の東京空襲でも行われた。 敗戦後の48年度~51年度、8万体余りが掘り起こされたとされる。 3年以上土中にあった遺体のうち身元が分かったのは1割にも満たなかった(「戦災横死者改葬事業始末記」東京都慰霊協会編・82年)。身元不明、引き取り手のない多くの遺骨が東京都慰霊堂(墨田区横網町)に納められた。 もともとは関東大震災の犠牲者の遺骨を安置する施設だが、空襲被害者のそれは専用施設がなく、いわば間借りすることになり、現在に至っている。
「東京都戦災誌」(都編さん、53年)によれば、仮埋葬地は「約150ヵ所」。ところが場所が明記されているのは、上野公園など70力所程度。 他の調査を含めても100ヵ所に届かない。他はどこか分からないのだ。「150ヵ所」とある以上、それぞれの場所を記した資料があるはず。そう考えた私は都の公文書館などで探したが確認できなかった。
極限状態で急いで埋められた遺体、遺骨のすべてが掘り起こされたとは考えにくい。 今も埋まっている可能性が高い。子どもたちが走り回る学校や公園に。あるいは大人が酒盛りする広場に。一家団らんの家の下に。 「国葬」どころかそこで眠っていることを誰も知らず、誰も手を合わせず、一輪の花も手向けられないままに。
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敗戦から77年。今も空襲で行方不明になった肉親の遺骨を捜す人がいる。河合節子さん(83)はその一人だ。両親、3歳と1歳3ヵ月の弟2人との5人家族で東京・深川で暮らしていた。東京大空襲の日、河合さんは茨城県に疎開していた。残っていた母親と弟たちが命を奪われ、父親は顔に大やけどを負った。3人の遺体、遺骨は見つかっていない。
河合さんは2020年8月、自宅のあった周辺を訪ねた。3人の手がかりが得られるのでは、との期待からだ。私は同行させてもらった。図書館で手に入れた古い地図などを頼りに、家の跡地や周辺を歩いた。何も分からなかった。
今回の「国葬」には16億6000万円の税金が投入されたとのこと。
私は「戦災誌」に掲載されていない仮埋葬地をいくつか知っている。 一新聞記者が調べて知ったことだ。行政が本気になれば、もっと多く判明するだろう。 たとえば地元の伝承や各自治体の記録などを掘り起こし精査すれば、「戦災誌」が伝えていない埋葬場所が分かるのではないか。
新たに遺骨を掘り起こせば、遺族とのDNA鑑定で身元が分かる可能性がある。それが難しくとも、碑を建てるなど慰霊の機会を増やすべきではないか。戦争という国策で亡くなった人たちをしっかりと追悼することにも、税金は使われなければならない。それこそが、安倍元首相が目指していた「美しい国」の在り方だと思う。
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