フリーページ
自国を守ろうとしない国を他国が守ってくれることは考えにくい。さらに昨今の国際情勢からして、防衛力の強化は必須なのかもしれない。ただし、戦前昭和史の視座から見ると懸念がある。それは安全保障にまつわる「情報操作」だ。
この点、 「日米開戦と人造石油」(朝日新書) が示唆に富む。筆者の元石油公団理事、岩間敏さん(76)は早稲田大卒業後、日本経済新聞社などを経て石油開発公団(後の石油公団)へ。旧通産省調査員や米ハーバード大客員研究員、同公団のパリ、ロンドン事務所長などを務めた。退職後は吉田裕一橋大教授(現名誉教授)に学び、エネルギーの視座から日本近現代史を研究している。
* *
82年前、大日本帝国は米国などと戦争を始めた。主戦場は太平洋で海軍の役割が大きい。しかし「勝てると思った人はいなかったでしょう。海軍は国家産業力そのもの」と岩間さん。 多数の艦船を造り維持する。港湾を整備し砲弾を造り続ける。そうした産業力が米国に及ばないことは当時も明らかだった。
避戦派の筆頭が連合艦隊司令長官、つまり現場の最高指揮官だった山本五十六だ。世界の海戦史に残る1941年の真珠湾奇襲を指揮したこの提督は、時の近衛文麿首相から対米戦の意見を聞かれ、述べた。「是非やれと言はれれば初め半歳か一年の間は随分暴れてご覧に入れる。然ながら2年3年となれば全く確信は持てぬ。(中略)日米戦争を回避するやう極力御努力願ひたい」(近衛「平和への努力」)。 「勝算なし。戦争は避けてほしい」という、軍人としては思い切った発言である。
実際は、米国が要求していた中国からの撤兵を陸軍が頑として拒否し、近衛内閣は総辞職。 昭和天皇は陸軍開戦派の急先鋒だった東条英機を首相に選び、戦争に突き進んだ。
日米戦回避を強く主張した山本は、戦後今日に至るまで高く評価されている。しかし、岩間さんの評価は辛い。「(山本が)『やれば絶対に負けます』と言っていれば開戦はできなかった」。「海軍はアメリカを仮想敵国として、膨大な国費を費やして営々と軍備を整えてきた。軍人が『戦えない』とは言えないのでは?」。そう私か尋ねると 「負けるものは負けると言わないと。国の存亡をかけるときに、メンツにこだわっていたら国を滅ぼしてしまう。実際にそうなってしまいました」。
* *
日本の為政者たちはどう戦争を終わらせるつもりだったのか。問題は重要な戦略物資である石油。日本は米国からの輸入に頼っていた。ところが41年夏、米国は対日経済制裁として禁輸した。日本は東南アジアの資源地帯を占領して石油などを確保し、不敗の態勢を整えることを目指した。「勝てないまでも負けない。きりのいいところで講和に持ち込む」という「戦略」だ。
それには海上輸送路の確保が必須となる。当然、連合国軍の妨害を受ける。どれだけの被害を受けるのか。海軍軍令部第4課が41年10月下旬、開戦2ヵ月前に急いで試算したところ、戦時下の1年当たりの船舶の沈没は最大で100万総トンであった。これくらいの消耗ならば新造船との兼ね合いで輸送力は確保できる-という見立てだった。
同課は、元になるデータとして第一次世界大戦(14~18年)のものを使用した。ドイツ軍潜水艦などによる連合国の船舶消耗量は1年平均で281万トン。第二次世界大戦が始まった39年9月から41年5月まで、イギリスなど連合国や中立国の消耗船舶は670万総トンで、直近の過去1年では510万総トンに及んでいた。1年当たりで第一次大戦の2倍近くに及んでいたのである。重要なことは、このデータを陸軍と日本郵船が把握していたことだ。
「海軍は把握していなかったのでしょうか」。そう聞くと、岩間さんは「当然知っていたでしょう」。だとすれば、 あえて古いデータを用いて被害想定を低く見積もり、政府に提出したことになる。国策を誤らせる詐術といえる。
軍事力は時として、それ自体が意志を持つかのように国家を誤った方向に引きずっていく。大日本帝国が残した教訓だろう。
近年、公文書を巡っては改ざんや隠蔽などの問題が相次いでいる。もともと軍事に関する情報は表に出にくいゆえ、軍事費が膨らむほど市民がうかがい知れない情報も膨らむ。政府は軍事力に関する情報を正しく発信しているか。隠蔽や操作をしていないか。 疑いの目をもってチェックし、安全保障に関する情報の民主主義を守ることが、メディアの責任である。
(専門記者)
王様とロックスター(26日の日記) 2025年11月26日
労働分配率の低下(25日の日記) 2025年11月25日
世界の真ん中(24日の日記) 2025年11月24日
PR
キーワードサーチ
コメント新着