フリーページ
喜田村氏は、2004年に判決が確定した「週刊文春」へのジャニー喜多川氏からの名誉毀損訴訟の際の、文春側の弁護士だった。東京高裁で「記事の主要部分は真実性の要件を満たしている」という判決が出て、ジャニー喜多川氏の最高裁への上告は棄却された。つまり加害の事実が認められたのだ。もう20年近く前のことである。しかし報道機関が取り上げることがないまま事務所は何も対策せず、加害は続いた。
「台湾有事という言葉を知っていますか?」
「知りません」。
これは、沖縄県の宮古島に遊びにきていた若者にテレビの取材者が聞いた時のやりとりである。仰天した。軍拡費43兆円も、南西諸島への自衛隊配備も知らない。若者はテレビを見ず新聞を読まないからだ、と若者の責任に転嫁する気はない。本人だけの責任ではないように思う。主要報道機関が盛んに伝えることは、インターネットニュースも取り上げないわけにはいかないからだ。 集団的自衛権行使容認も敵基地攻撃能力の保有と予算決定も、その決定の是非を巡る議論も、テレビ放送や新聞で毎日のように報道すべきことだが、されてこなかったのではないか。
◇ ◆ ◇
現場でそれを体験した元経産省官僚の古賀茂明氏によると、 その傾向か極端になったのは第2次安倍政権の2015年ごろだった という。新聞や報道の企業トップから記者に至るまで政権に忖度(そんたく)し、ディレクターや出演者が降板した。その著書『分断と凋落の日本』(日刊現代)には、報道が伝えてこなかった日本の現実がデータとともに示されている。その中には、日本はあと3年ほどで経済破綻するだろう、と官僚が語る場面もある。
データをどう読むか、責任はどこにあるのかは諸説あって良い。しかし事実を知らなければ、議論も投票も軌道修正もできない。軌道修正しなければ、経済破綻も戦争への突入も、すぐ目の前に迫る可能性がある。知りたいのは政治家のお題目ではない。実際の行動や決定が公正か、閣議決定がどう作用するか、司法は国民の側に立っているか、日本経済のかじ取りは今のままで良いのか等々、報道によって判断しなければならないことが山とあるのだ。
◇ ◆ ◇
とりわけ「台湾有事」という名で政府が可能性を示している戦争については、国民が自ら考えなくてはならない事柄がある。自分たちの生命と生活についてだ。
最優先事項は戦争回避の努力だが、果たしてなされているのだろうか?
日本が戦場になった時の、あるいは原発施設が攻撃された時の避難方法と避難場所は、設計されているのか?
戦時の日常を想像できない人が戦争に容易に賛同する。報道機関は「人が生きる」その足元に立って、国民の想像力を喚起し、問題を提起してほしい。
9月16日から公開される『燃えあがる女性記者たち』の試写を見た。インドの最下層のカーストに属する女性たちがインターネットで報道し続けるドキュメンタリーだ。足で歩きスマホで取材して発信し続けるその独自ニュースは、瞬く間にインド中に広がった。報道こそ未来の可能性を開く。自らを差別から救う。その力をあらためて痛感した。
昭和100年記念式典(22日の日記) 2026年05月22日
9条が果たした役割(21日の日記) 2026年05月21日
立憲主義の蹂躙、今も(20日の日記) 2026年05月20日
PR
キーワードサーチ
コメント新着