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甲子園出場が決まっていたのに部の不祥事で出られなかった高校時代、ドラフト外で東映フライヤーズに入団した翌年に野村克也さん率いる南海ホークスにトレードされての才能開花、阪神で活躍したのち「ベンチがアホやから野球がでけへん」の名ゼリフ?での突然の引退。挫折の連続から、予想もしなかった人生を歩んできたことを聞き、記事にした。
連載中には取材先から「エモやんの記事、読んでるよ」と多数声をかけられたが、私の専門がファッションや芸能、放送なので、「なぜお前が江本さんの連載を?」と聞いてくる人もいた。
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初めて江本さんの取材をしたのは、参院議員を辞して立候補した2004年の大阪府知事選だった。当時私はスポーツ新聞の入社6年目の記者で、大阪を拠点に芸能と社会を担当していた。上司から選挙戦で江本さんに密着するよう命じられ、元サッカー選手のラモス瑠偉さんや吉本新喜劇の池乃めだかさんらが応援に駆けつけたことなどを含め、連日記事を書いた。
連載のなかで江本さんは「俺は政治思想としては少し右寄りを自覚している。でも、権力者は基本的に嫌い。常に反権力の思いを抱いてるんだよね」と語っている。まさにこの「反権力」の姿勢に共感して、「この人の半生を書きたい」と思ったのだ。
政治家としては常に野党で、大阪府知事選では現職に立ち向かった。最後の立候補だった10年の参院選は 「小泉郵政改革以降、政治は黒か白、ゼロか100で判断を迫る形に変わった。しかし、実際の世の中は単純ではなく、国民を二つに割る政治はおかしい」 と異を唱えた、落選覚悟の選挙だった。うまく立ち回ることよりも、言うべきことや思ったことを口にする(時に、してしまう)姿が、長く広く人に好かれる要因なのだと思う。
一方で江本さんは参院議員時代、「党内からも朝日新聞からも反対された」という1999年施行の国旗・国歌法、「税金じゃないからスポーツが嫌いな人からお金を取ることはなく、今も1千億円以上の売り上げがあって様々なスポーツ振興に役立っている」という98年のサッカーくじ法の成立に尽力したと胸を張った。「世の中のためになると思ったことについては、政策や法案を個別に考慮したうえで実現に務めたつもりなんだ」と振り返った。
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そんな言葉を思い出しながら、10月27日に投開票された衆院議員選挙の結果について考えた。自民党が公示前の247議席から191議席と大きく減らし、与党としても過半数割れに。逆に野党では、立憲民主党が98議席から148議席と1・5倍増、国民民主党は7議席から4倍増の28議席になった。政府予算案の審議を取り仕切る衆院予算委員長のポストを立憲民主党が得るなど、野党の存在感が大きくなりそうだ。
「政治が安定しない」という見方もある。だが、野党が議員時代の江本さんのように、権力と一定の距離をとる姿勢を保ちながら「個別の政策ごとに態度を決める」というスタンスを貫けば、政権が緊張感を持ち、日本の政治のあり方が変わるかもしれない。そう期待しつつ、目を凝らしていきたい。
(編集委員)
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