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2024年12月22日
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テーマ: ニュース(96533)
カテゴリ: ニュース
若い頃、国鉄労働者だった村山良三氏は、給料増額のためにストライキを打って闘った昭和の時代を振り返って、6日の朝日新聞に次のように書いている;




 国鉄東京機関区の電気機関助士となったのが64年。寮生活をしていて、誘われて国鉄労働組合(国労)に入りました。寮の舎監は組合の動きに過敏になってはいましたが、さほど気にすることはありませんでした。

 その後、電車の運転士になりましたが、当時の職場は自由でした。自分たちの仕事をやっていれば、他の人からとやかく言われることもないし、お互いに干渉はしない。それが一番の魅力でした。

ところが、中曽根康弘首相(当時)が「国鉄改革」を断行し、状況は一変します。 後に雑誌のインタビューで彼は、分割・民営化の狙いを「総評(日本労働組合総評議会)を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやった」と語っています。 「戦後民主主義」へのクーデターでした。

 86年に人材活用センターが作られ、組合活動に積極的だった人が強制的に配置された。上半身裸で廃材を切る肉体労働を強いられる人も。 85年2月から86年11月までの自殺者は86人に上ったとされます。

 JRになった翌年、僕は新たに作られた「要員機動センター」に強制配転され、長テーブルと折りたたみ椅子以外ない部屋で、何もせず時間を過ごすことが仕事とされました。

戦後日本は多くの犠牲と引き換えに新憲法を手にし、思想・信条の自由も労働基本権も認められたはずなのに専制国家になってしまったと感じました。 JR発足からまもなく、昭和という時代は終わりました。

 今ではストライキがないことは当たり前で、若者たちは異議申し立てをすることをあきらめてしまっているかのようです。「昭和」は現代に何を引き継いだのでしょうか。
(聞き手 編集委員・豊秀一)

     *

<むらやま・りょうぞう> 元国労組合員 1939年生まれ。元国鉄労働組合員。近著に、国鉄分割民営化と現場で起きた人権侵害を描いた「JR冥界ドキュメント」(梨の木舎)。


2024年12月6日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ 「(リレーおぴにおん)100年目の昭和:5 戦後民主主義、覆した『国鉄改革』」から引用

 60年代、70年代は経済成長が著しく、大企業も中小企業も人材確保のために初任給を毎年増額する時代で、熟年労働者も組合活動を通して待遇改善の運動を公に実行するのが当たり前の時代でした。あんなに労働運動が正々堂々、活発に行われていたのに、政府が国鉄を民営化すると言い出した頃から何やら世の中がおかしくなり、国鉄の中に「人材活用センター」などというものを作って、組合活動に熱心な労働者から仕事を取り上げて、椅子とテーブルしかない部屋に一日中閉じ込めておくなど、これは明らかな「不当労働行為」であり、実際にそのような扱いに耐えきれずに自殺した労働者が86人もいたにも関わらず、労働組合はそのような政府のやり方に抵抗の声を上げることが出来ず、当時は共産党も「不当労働行為をやめろ」との声を上げるほどの力量はなく、なし崩しのように国鉄が複数の株式会社に分断されたあの時が、上の記事がいうように、官製クーデターが起きたのであり、あの日に日本の民主主義は実質的に終わったのだったわけです。それ以来、日本の労働運動は経営者にお伺いを立てるだけで、権利の要求はしないことになったため、その後の30年間、企業収益は上がっても労働者の賃金には反映されず、「失われた30年」を招来したというわけです。これからの若い人たちは、経営者の言いなりになって働いても、言うべきことはしっかり言わないと、私たちの生活は向上しないのだということを、是非理解して、労働運動の「再建」に立ち上がってほしいと思います。





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最終更新日  2024年12月22日 01時00分10秒
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