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ベネズエラに続き、イランへの軍事行動、そして最高指導者の殺害と国際ルールを逸脱し、力による「現状変更」を続けるトランプ大統領の「独善」は、どうみても非難に値する。
トランプ大統領に衆院選勝利の祝意をもらい、訪日時には米空母で歓声を上げた高市首相だけに、イラン攻撃に対する批判的な見解は一切口にしていない。国会審議ではさすがに「肯定的評価」は避けたが、 日米首脳会談でトランプ氏自らに問われれば、「賛同」するほかあるまい。 そして「ディール」を外交の手段とする トランプ氏から「応分の負担」を求められるのは、もはや自明といえよう。 ではその負担とは何か。事実上のホルムズ海峡封鎖がなされる今、卜ランプ氏の考える 「船団護衛」の直接参加か、米海軍などからなる護衛部隊への補給か、機雷敷設が想定される同海峡における掃海作戦への従事などが想定される。 すでに防衛省は、参加を求められた場合の法的根拠の検討に入っていると伝えられる。 「できない理由」など言えるわけもない。
アメリカとイランは、事実上の交戦状態である。そこに自衛隊が派遣されれば、物的・人的犠牲も想定されよう。その時、一強を生み出した「民意」はもろ手を挙げて高市首相を支持することができるのか。2年前の東京都知事選で「石丸(伸二)現象」を生み出した若年有権者は「保守」的ではあっても「国家社会主義」的保守ではない。 身の回りの近しい人との生活を大事にし、周囲から突出した行動を嫌う。特別であるよりも「みな同じ」がいいと考える。他人の意見に異を唱え、「争い=議論」が起きるのは避ける。そして何より、周りを見まわし、力のありそうな人物の「顔色」をうかがってしまう。試しに私の周りにいる20歳代の女性に、この分析をぶつけてみたら、「そうそう」とうれしげにうなずいた。 こうした様態がいまや「当たり前」なのだ。そしてそれは、40歳代の有権者においても共有されていることは、本誌2月27日号の古谷経衡氏の論考に記されている。(引用者注;古谷氏の論考は、当ブログの3月24,25日の欄に引用)
考えてみればこの「保守」の姿、江戸期から今に続く、 日本の地域社会の「共同体」思考 そのままではないか。戦後、個人の可能性を求めて都市へと向かい、日本の成長を築いた世代は現役を退きつつある。代わって次の世代が今、都市部においても「マイクロ共同体」といわれる「保守」層を形成し、それが、この2年で政治選択の表舞台に立ちあがってきた。
「高市一強」を生み出した新しいようで古い「保守」思考の有権者は、自衛隊をも巻き込み、日本人の犠牲者がでるような事態になったとき、どこまで「一票の責任」に耐えられるのだろうか。最も嫌っているはずの「争いごと」に引きずり込まれる「高市一強」政治の選択を、どこまで想定しているだろうか。
ただ、彼らの身中にも、戦後日本が育んできた、いや、そもそも明治以前から日本人が培ってきた平和や情を尊ぶ遺伝子が組み込まれているはずだ。その発芽を促すのは政治か、それとも「高市一強」にも怯むことのない、オールドであるが故に微動だにしない言論か。
(さとう こういち・ジャーナリスト)
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