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売春防止法3条には「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」とある。つまり買春も禁じている。しかし、5条では「公衆の目に触れるような方法で、人を売春の相手方となるように勧誘すること」「勧誘するため、道路その他公共の場所で、人の身辺に立ちふさがり、又はつきまとうこと」「公衆の目に触れるような方法で客待ちをし、又は広告その他これに類似する方法により人を売春の相手方となるように誘引すること」とある。これらの文言を読むと、売春する方が一方的に悪い、とはっきり言っている。そして「相手方」である買春者には、何の罰則もない。高市早苗首相が心変わりしなければ、ようやく罰則の検討に入るはずである。
2024年に施行された女性支援新法は、さまざまな事情により困難な問題を抱える女性の支援を目的にした。しかし状況は変わっていない。未成年との「せい行為」は犯罪であるにもかかわらず、依然として放置されている。12歳のタイ人女性の性的労働は加害者側が逮捕されたが、日本人女性は補導される。
上野千鶴子氏は3月31日の朝日新聞紙上のインタビユーで、「援助交際」という言葉で、売春が女性自身の選択や自己決定とされ、男性が免責されてきたことと、それが「資本主義市場では何もかもが商品になる」という考えに由来することを指摘した。臓器売買や人身売買は犯罪である。しかし、性売買は「誘惑」という名で責任転嫁がなされ、買う側の犯罪と認定されない。圧倒的に買う側が男性だからである。
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この不均衡は至る所にある。強制的夫婦同姓制度のもとで約94%は女性が改姓する。不自然だ。「痴漢は犯罪です」は駅でよく見かけるようになったが、少し前までは犯罪だと思われていなかった。セクハラという言葉も存在せず、私の世代は多くの不快な思いをしながら、生きていくために口をつぐみ「自分に非がある」と思っていた。
性売買は、そういう女性の責任感や道徳観を利用して成り立ってきた。NHK大河ドラマ「べらぼう」に見えた公認遊郭の女性たちは、親兄弟、夫、子供の生活のために借金をし、返すために売春をした。ある戯作は「女は仁」、つまり人間性にあふれている、と書く。父母兄妹の貧を救うからである。おだてられ自らも信じ、しかし実際には多くの遊女が新たな借金を抱えて落ちてゆく。売春を仕事として認めるべきだという人々は、これを自ら望んだ選択だ、とでも言うのだろうか?
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今年1月、「Colabo攻撃-暴走するネット社会とミソジニー」(地平社)という本が出た。私も執筆者の一人だ。編著者の仁藤夢乃さんは、一貫して「買春は性搾取だ」と声を上げてきた。 「売る側と買う側を同じように罰すれば『平等』になるわけではない。買う側を罰すると同時に売る側は非処罰とし、性売買の権力構造を変える必要がある」 と指摘する。仁藤さんのような主張は攻撃の対象になる。その攻撃と闘いの日々を、事実に沿って書いたのが前掲書だ。一般社団法人「Co1abo」の次の目標は、市民による女性人権センターの設立である。
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