二代目館長日記

二代目館長日記

2020.07.30
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国の金の使用状況を中心にした90分のお話しを展開した時に、投影したスライドの
一コマの一部を切り出したものです。
 今回の問題は、古墳時代後期の最終末の頃のことです。弥生~古墳時代を下にひ
きだした年表の右端(いちばん新しい)の年代について「1千3百年前」としてい
ますが、1,300年前というと奈良の都(平城京)がすでにできていますので、古墳
時代の終末はその少し前・・・。ちなみに、この年表は考古学ベースで作成してい
ますので、歴史ベースとうまくかみ合わない部分、それは古墳時代後期の終わりで
歴史では「飛鳥時代」に相当してきます。


あらためて考え直した時間がありました。これはそれを受けてのメモです。



 ある古墳とは、大阪府の高槻市と茨木市の境にある史跡・阿武山古墳であります。
この古墳がどんなものであるのか、については、とても長くなります。ずいぶんと
前に(まだ駆け出しの頃)、何かの本でこの古墳のことを知り、深く感銘を受けた
ことがあり、いまでも胸の内で沸々とするものがあるので、自分の口で語ると七日
七夜かかるかも。なので、お時間があるとき、​ ウィキペディアの「阿武山古墳」 ​の
項を見ていただくのがいいかな、と思います。

 ここでは、その出土品の一つ、上の写真(出典:ウィキペディア。高槻市立今城
塚古代歴史館での展示状況を紹介するもの)で、左端にある復元された帽子(冠帽
といいます)に注目します。

の辺りに、細い金の糸が絡みつくように発見されていたのですが、千年以上の時を
経ても腐らない金、しなやかで細い糸状にも加工できる金ならではのことです(こ
の金の特徴は、当館の常設展示室でも紹介されていることですが・・・)。
 この金の糸は、冠帽の装飾として使われていたもので、有機質の冠帽の本体がな
くなって、装飾材料だけが頭の周りに遺っていた、そうした調査成果から、上の写

 時代は聖徳太子の活躍の少し後のことですが、聖徳太子の業績の1つに「冠位十
二階」というのを昔、習いましたね。出来上がったばかりのこの国の政府の役人た
ちに12の階級を整え、冠のスタイルで位がわかるように・・・、そんなことだった
かと思いますが、ともかくその頃のエライ方はりっぱな冠を付けて(ないしは所有
して)いたのです。
 阿武山古墳の出土遺物から復元された冠帽は、それにつながるものとの位置づけ
を与えられており、その最上位クラスと考えられています。こうしたことや、その
他の情報から、阿武山古墳に葬られた人物は、1つに「藤原鎌足(中臣鎌足)」と
考えられいるのです。

 こんなことを、急にアブが思い起こさせてくれました。





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Last updated  2020.07.30 09:18:57
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hero-AU@ Re:野に咲く花の向こうに・・・(07/05) お疲れさまです。今年も砂金掘り大会の季…
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