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この日(2016年10月3日)の午前11時過ぎ、短時間に強い雨がありました。館の前庭駐車場は雨に煙っていました。 沖縄に接近している強い台風18号が、本州に長く伸びる前線を刺激したものらしく、一時のことでしたが、このまま降り続けるとたいへんなことになると、心配されました。 少し引いてみた状況です。 この時間帯、1組のお客様が館内におられ、体験の時間を過ごされていましたが、30分間のそれが終わるころには、小やみになり、ホッとしました。
2016.10.03
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金山博物館の玄関入り口に置かれているウェルカムボードに添えられている「もうすぐ」は間もなく、今日(2016年9月30日)の閉館時までに消去されます。そう、明日から10月です。 10月からは、開館時間の冬モードにかわります。ご注目ください。具体的には、夕方の閉館時が18時から17時にかわり、最終の入館受付は16時30分となります。 天気の悪い日などには、17時というともう暗くなり、ライトが必要な頃となりました。17時近くのご来館の方の姿もほとんど見られなくなり、この衣替えに混乱はないとは存じますが何とぞご理解の上、ご協力をお願いいたします。
2016.09.30
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写真は、湯之奥金山博物館の展示室のジオラマです。中山金山での採金の様子を復元したものですが、今日、こうした金山から金を取り出す過程についてのTV取材がありました。 取材というかロケというか、時間の関係で、中山金山跡ではなく、茅小屋金山の跡と、それから博物館での粉成しからパンニングして自然金をとりだすまでの過程についてでした。 とっても教育的な番組になりそうですね。そう、あのイーテレだそうです。詳しいことは、いずれまた・・・。
2016.09.26
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前日(2016年9月22日)は、雨の中、中山金山遺跡の坑道調査でした。この日も天気さえ許せば久間先生はお山に入りたかったようですが、残念ながら天気は身方にならず、室内調査、すなわち現地で取得したデータの整理などとなりました。 こちらは以前に取得した鉱山臼の3Dデータを3Dプリンタで出力したもの。樹脂なので、本物より軽く、2分の1ないし4分の1ほどの大きさなので、手にとって観察が出来ます。新しい研究手法として、これからいろいろと見えてくるものがあるだろうと期待されました。 それから極秘ですが、なんと、も~ん父さんにも3Dスキャンのレーザーが・・・。こちらはどうなる? お楽しみに!!
2016.09.23
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中山金山遺跡の調査を終え、登山道口に待機していた車に乗り込む際に見た渓谷のようすです。みんな雨の中でした。 だいぶ消耗が激しく、はやく体を温めたい・・・。冷え切った体にしみるように雨が降り、ススキの穂に出来た大粒のしずくは、渓谷の光景を逆さまに写していました。 「この状況で調査が出来たのだから、もう雨で中止というのはなくなるなぁ・・・」「私の辞書には《中止》はない」とまで、久間先生の口から出た言葉が、雨の中に吸い込まれていくようにが感じられました。
2016.09.22
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秋分の日の早朝6時過ぎ、公用ワゴン車は金山博物館を出発し、湯之奥地区を過ぎて、林道を進み、毛無山登山道の入り口までやってきました。 それぞれに雨支度をして国史跡・中山金山遺跡の中に残る坑道の調査に向かおうとしています。 雨の中、いくつかの坑道跡が集中するエリアに到着し、早速に坑道内の調査が始まりました。画面の左手は、坑口から身をかがめて侵入される久間先生(松江高専)です。 3次元レーザースキャナをセットし、計測開始を確認して退避される久間先生の明かりが坑口に向かってきたところです。 16時少し前に登山道の入り口まで下山。無事調査終了につき久間先生を囲んでの記念撮影です。
2016.09.22
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9月3日に一度ご紹介がありましたが、そのときは地域面(峡南)での扱いでした。今回(9月17日)は文化欄で、一段の踏み込んだ取材記事となりました。 タイムリーな話題として、リオのオリンピック・パラリンピックがあり、そこでの日本選手の活躍がめざましく、テレビ等で紹介されたことは記憶に新しいと思います。選手のインタビューの中で、しばしば「一番いい色のメダル」というのがありました。ご承知のように金メダルのことなのですが、なぜ「金」が一番いい色なのかな・・・。古今東西、「金」が一番いい・・・ということは普遍的なことのようです。 今回の記事のための取材をうける中で、このことを枕にしながら、普遍的な金へのあこがれから金山博物館への注目度アップを抑えたかったのですが、果たしてそうなっていたでしょうか。 ともかく、こうした紹介記事で、湯之奥金山博物館へのご訪問が増え、甲斐の地で金を産んだ金山遺跡のことについてのご理解が広がりましたら幸いと考えております。
2016.09.19
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今日(2016年9月17日)、あらためて定礎石をじっくりみました。この写真の湯之奥金山博物館の「定礎」石は、館の正面玄関の左手の脇に設置されています。「平成9年3月吉日 / 下部町」とありました。今回はこれをちょっとほぐしてみます。 まず「下部町」についてですが、平成16年9月13日に合併により新「身延町」が誕生するまで存在した自治体であり、この湯之奥金山博物館が建設されたのは、旧下部町時代ということが理解されます。 この博物館は、博物館建設に先立ち、1988年(昭和63)の予備調査を経て、1989年6月から3年をかけて実施された湯之奥金山学術調査の成果を踏まえ、それを保存し、展示公開する役割を担うこととして誕生しました。 さて、「定礎」に戻りますが、昔は建物を建てる際、地ならしをして最初の礎石を置く、そのタイミングをとても大事にしてきました。「定礎」のもともとの意味も、こうした最初に「いしづえ」を定めることをいったものだそうです。 博物館の開館の日が、平成9年(1997)の4月24日ですので、定礎がなされた3月から一月ほどしか経っていません。いま見る博物館の建物が、たった一月で出来てしまうなんて考えられませんね。 では、どういうことか。現代の建築の世界では、建設工事の完成段階に「定礎石」を据えるのが一般的なのだそうです。 つまり、この湯之奥金山博物館の建物は、1997年3月に完成をみて、その翌4月に開館にこぎ着けたのです。博物館の建築からオープンまでちょっと期間が短いように思えますがいろいろな方々のご努力ご尽力で博物館はできあがったという歴史を、この定礎石は静かに語りかけてくれています。
2016.09.18
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この日(2016年9月16日)、2名の韓国からのお客様がありました。威徳大学の博物館館長の朴先生と、同行の千先生で、お二方とも古代韓国の金についてのご専門のようす、特に朴先生は谷口前館長と電話でやりとりをされておられたご関係で本日わざわざ湯之奥金山博物館にお越しいただいたとのことです。 谷口先生はもうおられないので、がっかりされていましたが、展示室をご覧になりながら素晴らしい展示だと、賞賛の言葉をいただきました。 ありがとうございました。またお越しください、と お昼の電車に間に合うようお見送りをしました。
2016.09.17
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地元の小学校のF先生。旧知の方でしたが、あらためてよろしくと、名刺交換をさせていただきました。 で、いただいた名刺の裏には、このような情報が・・・。 う~ん、いろいろとがんばっていらっしゃるんだ。なんか、博物館活動とうまくリンクできるといいなぁ・・・。
2016.09.15
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当館リーダーが朝から下部川に面したリバーサイドパークの目立つ部分を対象に除草作業を実施。とてもきれいになりました。写真は、途中のいっぷくの状況でのものです。館のスタッフは、館内のおもてなしの外、こうした除草作業や駐車スペースの白線の引き直しペイント作業など、さまざまに活動をしています。お疲れさま・・・。
2016.09.14
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実は、9月1日の辞令交付の折、地元紙の記者さんが別件取材で役場に見えており、成り行きで就任の取材を受けました。 地元紙は、当地においては、たいへん浸透力があるので、顔写真入りの記事にはとても気恥ずかしい思いが先立ったのでしたが、これも館のPR・・・。 どこの家でも朝刊に目が通されるくらいの時間からしばらくおいて、メールなどで反応が寄せられました。あらためて、よろしくお願い申し上げます、と。
2016.09.12
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今年6月に急逝された谷口一夫先生のご家族のみなさまが、湯之奥金山博物館にお見えになり、しばし思い出に浸られる時間がありました。 開館から19年目を迎えていますが、谷口先生の湯之奥金山遺跡との関わりは、当館開館の前段の金山遺跡の考古学を中心として総合調査の時から・・・。この地に、長い時間が流れてきたので、時々の思い出が数え切れないほどです。 写真は、館の中のショップの一角に掲示されている1万人ごとの節目に撮影された、記念写真をご家族の皆様が眺められている場面です。 先生は、鬼籍に入られてはおられるものの、いつも高いところから、館のにぎわいをご覧になっていることでしょう、と話しながらの心動く時間でありました。
2016.09.12
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