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午後6時すぎから3時間ほど停電した。 大地震による電力不足を理由に、電力会社が供給を止めたのである。輪番、と称して各地域を順次、停電させていくという。 やむなく闇のなかで酒を呑んでいたのだが、ベランダから光が射していることに気付いた。月光であった。本が読めるのでは(試したがさすがに読めず)と思うほどの明るさである。昼間の強風で大気が澄んだせいもあるのだろう。さっそくベランダのそばに席を移し、月見酒としゃれこむ。呑みながら、ある作家を思い出していた。 松下竜一。2004年6月17日未明に肺出血で死去。享年67歳。 豊前火力発電所の建設差し止めを求めた闘いのなかでかれは『暗闇の思想』を掲げた。朝日新聞社から同題の著書が刊行されている。だが、手元にないため、その続編ともいえる『明神の小さな海岸にて』(1985年社会思想社 教養文庫)から、引用する。(173頁~174頁) 『私たちが豊前火力阻止闘争の中で訴え続けてきた<暗闇の思想>は、そのいささか大げさな意匠をとり払えば、要するに限りなく貪欲な物質文化の抑制を説いているに過ぎない。このまま発電所増設を認め続けるならば、物質生産は限りなく、それは必然として資源を喰いつぶし自然環境を浄化不能なまでに破壊し人間性を脆弱にし、ついには自滅への道をころがっていくだろうことは眼にみえている ここらで踏みとどまって、発電所のこれ以上の新増設を停止し、今ある電力で可能な程度の生活を築こうと、私たちは主張し続けてきた。否、今ある電力をもっと抑制しても可能な生活に戻ろう、といい続けてきたのだ。誘惑されやすい私たちの欲望につけこんで次々と買い込まされてきた製品をそのような眼で点検するとき、多くの物は家庭から追放されることになろう。 ーーー そのことにより物質的繁栄から後退していくとも、やっとそのとき私たちは<非人間化されたもの>を取り返せるのであり、私たちを<疎外したもの>を問いつめうるのだと考える・・』(引用ここまで) 精確である。 だが、<我が家だけの安泰>をもとめて買いだめに狂奔する人たちや、不急のガソリンを求めて大渋滞をひきおこす人たちなど見ていると、この国ではムツカシイだろうな、と思う。わたしにしたところで、たとえば夏の盛りにエアコンを使わずにすますのは無理だろう。 ただ、いざとなれば暗闇を選びとる覚悟だけはもっていたい。いざとなれば。そう。たとえば電力会社が、原発をとるのか、輪番停電か、と居直るとき、わたしは暗闇を選びたいと思うのである。 いま、松下竜一が読まれるべきだろう。 以下は主要(とわたしが考え、未読も含んだ)著書の一覧である。『豆腐屋の四季』(講談社 1969)『風成の女たち』(朝日新聞社 1972)『5000匹のホタル』(理論社 1972)『暗闇の思想を』(朝日新聞社 1974)『檜の山のうたびと』(筑摩書房 1974)『明神の小さな海岸にて』(朝日新聞社 1975)『環境権ってなんだ』(ダイヤモンド社 1975)『五分の虫 一寸の魂』(筑摩書房 1977)『砦に拠る』(筑摩書房 1978)『あしたの海』(理論社 1979)『豊前環境権裁判』(日本評論社 1980)『海を守るたたかい』(筑摩書房 1981)『いのちきしてます』(三一書房 1981)『ルイズ 父に貰いし名は』(講談社 1983)『小さな手の哀しみ』(径書房 1985)『狼煙を見よ』(河出書房新社 1987)『母よ 生きるべし』(講談社 1990)『底ぬけビンボー暮らし』(筑摩書房 1996)『本日もビンボーなり』(筑摩書房 1998) 他 多数。
2011.03.22
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