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2006.04.17
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カテゴリ: ほん系
カナダ大使館のサイトには、ハーバード・ノーマンについて、次のように記されている。

歴史家・外交官、E・ハーバート・ノーマンは、1909年9月1日、カナダ人宣教師の第3子として長野県の軽井沢で誕生。トロント大学、ケンブリッジ大学、コロンビア大学、ハーバード大学で学び、1939年カナダ外務省に入省。
第二次大戦後、米国の要請によりカナダ外務省からGHQ (連合国総司令部) に出向し、占領下の日本の民主化・改革に携わった。1946年8月、駐日カナダ代表部主席に就任。1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議のカナダ代表主席随員。1953年、駐ニュージーランド高等弁務官に就任。1956年、駐エジプト大使兼レバノン公使に就任。
1956年、スエズ動乱勃発に際し、平和維持と監視のための国際緊急軍導入に功績を残した。しかし、冷戦下の狂信的なマッカーシズムの嵐に巻き込まれ、1957年4月4日、任地カイロで自死を遂げる。
(引用終わり)



第二次世界大戦開戦時、カナダ公使館の三等書記官として、ノーマンは日本にいた。ノーマンはその後、日本からアメリカへの交換船に乗り込むことになる。交換船に乗った人々が交換される地、東アフリカのロレンソ・マルケスで、たがいの船を下りて、乗り換える際、ノーマンは旧知の都留重人と出会う。そこでの立ち話が、ノーマンへの査問の遠因ともなったと考えられている。

ノーマンは1944年「日本の将来」という文章の中で、バジル・ホール・チェンバレンが1912年に書いた『日本博物誌』の次の一節を引用している。



ノーマンは敗戦後の日本を見据えて、この時点で次のように警告している。
「天皇制の維持は、日本の優越性と帝国主義のシンボルがそのまま残された以上、日本は本当に敗北したのではない、という証拠として日本国民の前に掲げられるだろう。要するに、日本を非武装化しても天皇制が残されているかぎり、日本は世界全体にとって解決されない危険な難題として残ることだろう」






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Last updated  2006.04.18 22:48:32
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