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2006.06.08
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カテゴリ: かいそう系
あれは夾竹桃だろうか。


それはまるで夢の中のような光景だった。

私たちは3人で、そのうちのひとりはベージュのニットの帽子をかぶって、少し遅れてあらわれた。ひとしきり世間話をした後に、ねえねえ、見てくれる? これを見せたかったのよ、彼女はそういって帽子をとった。

それから私たちは癌の話をする。もっともほとんどは、その友人が話していた。私ともうひとりの友人は、もっぱら聞き役に回り、それからいくつかの質問をした。知識とも言えないいくつもの情報の断片が、徐々につながっていく。いま起きていることの輪郭がしだいにみえてくる。それにしてもこの癌という細胞は、いったいなんのために増殖を続けていくのだろうか。意味を求めること自体、なんの意味もないのかも知れないけれど。

ねえ、聞いてる? 「もうひとつ発見があったのはね」彼女は言う。「医者の話を聞いたり、患者の話を聞いたり、本を読んだり。癌もさまざまだけれど、それを受け止める人間のアプローチのしかたもいろいろだということなの」そしてとりわけ、癌を自分の内側で受け止めることになる患者には、その人の死生観のようなものが色濃くにじむことになる。「限られた時間ということがあるとしたら、それをどのように過ごすのか、その人の生き方が浮かび上がってくるように思えるの」。
「でもね、それは限られた、ということであれば、癌であろうがなかろうが、本当のところ誰のものでもあるということがわかる」

神楽坂は不思議な街だ。飯田橋から矢来町へ向けて、一本の通りがある。そこからいくつもの路地が枝分かれして、さほど大きくない店が並ぶ。花柳街の佇まいが残っている通りもあれば、すぐにも民家がひっそりと軒を並べていたりする。路地を歩けば、民家の合間に隠れ家のようにして、洒落た洋食屋やバーが現れる。
神楽坂の通りにはスーパーマーケットも何軒かある。どれも当然ながら、駐車場を大きくとったいまどきのマーケットではない。ここは遊興の街のようであり、しかし生活の匂いもする。この街に遊びに来た人たちの姿に混じって、子どもの手を引いてゆったりと犬を散歩させる若い夫婦の姿もあれば、連れだってジョギングをしている年配の人たちが通り過ぎていく。


3人は少しばかり重なることもある、けれどまったく違う仕事をしている。年に何回も会うこともあったけれど、会わずに数年が経つこともある。考えてみれば、こうして3人が集まったのも4年ぶりくらいにはなるかもしれない(そうだあれは日韓共催のワールドカップがあった年だ)。私たちは確実に歳をとっている。しかしなにかが変わっていない。まあ、それが友だちということかもしれないけれど。

もう一度、映像を巻き戻すようにして、私たちはいっせいに夾竹桃を見上げる。それが夾竹桃だったとして。
これがささやかな物語だとして、それはどこではじまって、どこで終わっていくのだろう。






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Last updated  2006.06.09 02:06:24
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★みゆきち★@ 性感エステってもったいないよね ムラムラってきたら性感エステに通ってた…
ウラガエル @ お久しぶりです。 suiさん どうされているのでしょう。 …
紫陽花ロック @ 鎧駅は 海に向かって断崖絶壁に駅のホームがあり…
ウラガエル @ そーですか? 育児・子育て きらりさん 「そーです…

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