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2006.06.10
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テーマ: たわごと(27654)
カテゴリ: カテゴリ未分類
もう一度、映像を巻き戻すようにして、私たちはいっせいに夾竹桃を見上げる。

だがそれは実際には起きたことではない。私たちは道草をしながら(途中、閉店間際の喫茶店に入ったりしながら)、それでも駅に向かっていたのだから。
実際に起きたのは、例えば神楽坂通りと外堀通りの交差点付近で、いっせいに夾竹桃を見上げる、その映像を巻き戻すということだった。映像は画面一杯に白い花をつけた夾竹桃が広がっているものであり、自販機の照明に反射して白く浮かび上がる花そのものであり、それを見上げている私たちだ。
私が見たもののなかには、私はいるはずがない。しかし、その映像は私を含んでいるようにも感じる。あの日はベージュのジャケットを着ていた?

きみが、いい色だね、っていってくれたやつだ。

それが映画のフィルムだとして、夾竹桃を見上げるというそのシーンは、いったい何カットで構成されているか。それらは無数に存在する。再生されるたびに形が変わるのだから。
たとえば、カメラはクレーン車に乗っていて、夾竹桃を三人の背中をなめて捉えているとする。アングルは当然ながら仰角、レンズは広角だろう。やがてカメラを積んだクレーン車は、ななめ後ろから三人を追い越して上昇していく。カメラは夾竹桃を見上げる三人の表情をとらえながら、さらにゆっくりと高く離れていき、夾竹桃を俯瞰する。その向こうには三人の姿が見える。自販機から放たれている光が、立ちつくす三人の影を長くのばしている。なんてことはしない。そんなふうに(わざとらしく)盛り上げるシーンではないはずだから。それにそうなると、カメラの視点は誰の者だろうか。神の視点?

ではそこに流れた感情は、どのようなものだったろうか。それだって一定しない。私はそこにいる必要はない。私をのぞいた二人の感情の揺らぎのようなものを、それがあったと確信して、風を捉えるようにして定着させることができたなら。
つまり、そのように定着させたいと執着する自分はいる。そのことを疑っていない。それは手放すことはできない、ということなのだ。



飯田橋の駅はもう少し。私たちは交差点の信号が青にかわるのを待っている。そうして


もう一度、映像を巻き戻すようにして、私たちはいっせいに夾竹桃を見上げる。






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Last updated  2006.06.11 02:32:31
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★みゆきち★@ 性感エステってもったいないよね ムラムラってきたら性感エステに通ってた…
ウラガエル @ お久しぶりです。 suiさん どうされているのでしょう。 …
紫陽花ロック @ 鎧駅は 海に向かって断崖絶壁に駅のホームがあり…
ウラガエル @ そーですか? 育児・子育て きらりさん 「そーです…

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