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つぶの法則の「つぶ」とはとても小さな極小のつぶのこと。このつぶが集まって段々目に見える大きさのつぶになってきます。雲も小さなつぶが集まっているように・・・・小さな物質が集まって地球が誕生したように・・・・つまり、人間には目に見える部分のつぶの集まりと目には見えない部分のつぶの集まりがあるのです。だから「気」や「オーラ」を含む人間も、無数のつぶが集まったもの。意識や心までもが小さなつぶの集まりなのです。つぶたちは、ある法則に従って様々な動きを繰り返しているのです。目に見えない世界の仕組みを知るにはつぶの動きの法則性を知ること!すると様々なことが理解できるようになります。「つぶの法則」を知ること、それはまさに生活の中の様々な疑問を全て知ること、壮大な宇宙の全てを知ることなのです。とてもわかりやすく書かれていて、読みやすい本ですよ。幸せを呼ぶ「つぶの法則」つぶの法則公式Hp http://tubutubutubu.com
2008.07.30
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虔十公園林ついに登場、宮沢賢治の童話です。でも、「銀河鉄道の夜」でも、「注文の多い料理店」でも、「セロ弾きのゴーシュ」でも、「グスコーブドリの伝記」でもなく、「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」をお届けします。宮沢賢治の童話の中では、あまり知られていませんが、隠れた名作で、多くの人が生きにくさを感じている現代だからこそ読んでみてもらいたいので紹介します。ほとんど紹介しちゃいましたので長いですが、最後までお付き合い下さい。「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」「虔十」というのは、この物語の主人公の名前です。虔十は「雨の中の青い薮を見たり、青空をどこまでも翔けて行く高を見つけたり、風がどうと吹いて、ぶなの葉がチラチラ光るのを見ると嬉しくて笑っていましたが、ちょっと知恵が足りない様子なので、それを見て子供らは馬鹿にして笑っていました。ある日、虔十はおっかさん、おとっつぁん、兄さんに「家の後ろの野原に杉を植えたいから、杉苗を700本買ってくろ」と、はじめてお願いを言います。兄はあそこは杉を植えても育たないと言いますが、『買ってやれ、買ってやれ。虔十ぁ、今まで何一つだて頼んだごたぁ無がったもの。買ってやれ。』と、両親は初めて願い事を口にした虔十に、杉苗を買ってやることにしたのです。虔十が兄さんの力を借りて野原に杉苗を植えると近所の人たちは、あんな所に杉を植えても底は硬い粘土だから育ちはしない。やっぱり馬鹿は馬鹿だと、と嘲笑しました。嘲笑されたとおり、七年目も八年目も丈が九尺(3m弱)ぐらいでした。ある朝、百姓が虔十に枝打ちはしないのかと冗談を言いうと、それを真にうけて虔十は片っぱしから下枝を払いました。払い終るとどの木も上の方の枝3、4本しか残らない寂しい状態になり、林の中はあかるくがらんとなってしまいました。虔十はなんだか気持ちが悪くて胸が痛いように思いましたが、通りかかった兄さんに、『枝集めべ、いい焚ぎものうんと出来た。林も立派になったな。』と言われ、やっと安心するのです。次の日、林から子供たちが大勢さわぐ声が聞こえ、虔十が行ってみると、下枝がなくなってがらんとして並木道のようになった林に学校帰りの子供らが五十人も集って、杉の木の間を喜んで行進しているのでした。それを見て虔十も喜んではあはあと笑いました。それからは毎日毎日、子供らが集りました。ある年の秋、虔十はチブスにかかって死んでしまいました。そんなことには一向かまわず、林ではずっと子供らが集りました。次の年、その村に鉄道が走り、あちこちが開発され、畑や田はずんずん潰れて家がたち、いつしかすっかり町になりましたが、虔十の林だけはそのまま残っていました。虔十が死んでから二十年近くたったある日、その村から出て、アメリカのある大学の教授になっている若い博士が15年ぶりに故郷に帰ってきてみると周囲の光景はすっかり変わっていました。でも、虔十の林は昔のままでかつてと同じように子供らが楽しそうに遊んでいました。『ああそうそう、ありました。ありました。その虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでも、はあはあ笑っている人でした。毎日、ちょうどこの辺に立っていて、私らの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ、全く、たれがかしこいかはわかりません。ただ、どこまでも十力の作用は不思議です。ここはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでしょう。ここは虔十公園林と名をつけて、いつまでもこの通り、保存するようにしては。』『これは全くお考えつきです。そうなれば、子供らもどんなにしあわせか知れません。』やがて、「虔十公園林」の碑が立ちました。『昔のその学校の生徒、今はもう立派な検事になったり将校になったり海の向うに小さいながら農園を有ったりしている人たちから沢山の手紙やお金が学校に集まって来ました。 虔十のうちの人たちはほんとうによろこんで泣きました。 全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さわやかな匂、夏のすずしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本統のさいわいが何だかを教えるか数えられませんでした。 そして林は虔十の居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさわやかにはき出すのでした。』と結ばれます。みずからをケンジュウと表記することもあった宮沢賢治の理想像を語っているような作品です。この作品では、虔十の愚直なまでの一途さが残したものが大きくとり上げられることが多いのですが、この作品に出てくる虔十の家族のあり方にも注意して欲しいと思います。世間から何を言われても親や兄弟が、虔十のすることを認め、見守り、ずっと支え続け、虔十はそれに応えるようにやり通すのです。人に認めらないから、人に注目して欲しいから、問題を起こせば家族の気を引けるからと、数々の事件が起きている現代。世間の目はどうしても気になる現代。ここに一つの道があると思います。人に認められるよりも前に、それぞれがやるべきことがあるのではないでしょか。「かしこいってどういうことか」今の世の中が立ち止まって考えてみるべき時ではないでしょうか。一度じっくりと読んで、人の幸せとは何か、「本当のさいわい」とは何か、家族でじっくりと見つめてもらいたいと思います。賢治の童話は過去のものではなく、時代を見通していたかのような作品が多く、たくさんの人にいろいろな作品を読んでもらいたいと思います。小さなお子さんには今はわからなくても、何か心の中に小さな炎となって残るものがきっとあると思います。ぜひ、夏休みに家族で読みあって下さい。ちなみに、私のハンドルネームのブドリはどこから取ったかおわかりかと思いますが、実は最終候補として「虔十」もあったんですよ。どちらも賢治の根底を成す童話で、悩んだのですが、変換しにくかったり、読みにくかったりするのもあって、「ブドリ」を選んだという経緯があるんです。それだけ思い入れのある作品です。是非一度読んでみてください。
2008.07.28
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おやすみなさいのほんマーガレット・ワイズ・ブラウン 文ジャン・シャロー 絵 いしい ももこ 訳見開きの左のページの優しい言葉は子供たちにゆったりとした眠気を誘い、右側の眠りを誘う絵は読み聞かせる大人の目を楽しませ、親子で眠りに誘われてしまいそうです。なかなか寝付かないお子さんに添い寝をしながら、静かにゆっくりと読んであげるのに最適な本だと思います。いっそのこと一緒に寝ちゃって下さい。なんと、初版(アメリカ)は1943年、日本語版初版は1962年と約半世紀も読み継がれ、親子2代に渡って安らぎを与え続けているまさに古典絵本です。
2008.07.20
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おまえうまそうだな宮西達也 作・絵 ポプラ社宮西達也ティラノサウルスシリーズの第1作です大きくて強いティラノサウルス。生まれたばかりのアンキロサウルスの勘違いからお父さんとして一緒に過ごすことになります。何も知らないアンキロサウルスの赤ちゃんにいろんなことを教え、見守るティラノサウルスの不器用な優しさとアンキロサウルスの無垢な心にほのぼのとさせられます。でも、やっぱり生きる世界は違い、別れの時が・・・最後はハッピーエンドなのに、ティラノサウルスのしっぽにちょっと切なさを感じます。強さだけではなく優しさも教えてくれる「ティラノサウル」シリーズは読み聞かせ用としてもお薦めです。
2008.07.13
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「じめんのうえとじめんのした改訂第26刷」アーマ E.ウェバー ぶん・え 藤枝澪子 やく地面の上と地面の下という単純に見える2つの世界ですが、身近な植物の形の違いなどを通して、太陽や空気や土、そして植物、動物までが一つにつながっていることを感じさせてくれる絵本です。見える地面の上の世界と見えない地面の下の世界がとても身近に感じられ、また、絵も言葉も優しく描かれているので、草花に興味を持ち始めたお子さんの興味を膨らませる入門書としてちょうどいいと思います。大人が見ても、植物の形の違いにふむふむと再認識させられますよ。さすが、日本版初版が1968年と40年も前に発行されて以来、いまだに読まれ続けている優しい科学の本です。
2008.07.06
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