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さて6です。誰にも言わずに沖縄へ。会いに行く予定のおばあちゃんにもまだ告げず。我ながらすごいことするな、と思いながら羽田に到着。変えたかった。前回の切迫流産、安静でよくならなかったのならば、逆の行動をとってはどうだろうか。そんな思いで旅立った。ガイドブックも何もないただ行き当たりばったりこの日からだに変化があった。私は乗り物酔いを一切しないままここまで育ってきた。何に乗っても、どんなに揺れても平気。昔インターハイが宮崎で開催されたときに、私の選手団は船で日向まで行った。ものすごく揺れ、顧問を含めた50人中酔わなかったの2人だけそう、私ともう一人。それ位乗り物酔いに強い。(みんながグロッキーになってる間、おなかがすいたのでミートソースパスタを食べて怒られた)でも、飛行機に乗った途端、強烈な吐き気とめまいに襲われた。あれ・・・まだ飛んでないのに??そして気がついたつわりがきたということ。私は娘を妊娠した時、つわりがなかった。流産2回の時は気持ち悪かったけど、ここまではっきりした感じではなく、ただ何となく気持ち悪いという程度だった。CAさんに事情を告げると、たくさんクッションを貸してくれたり、飴をくれたり、飲み物を運んでくれたりした。すごく助かった。気持ち悪いので寝てしまおうということで、目を閉じた。気が付いたら沖縄にいた。でも、飛行機から降りてもずっと気持が悪い早く宿に行きたい。。初日は宿にチェックインして1日寝ていた。朝起きて、窓の外を見たら海だったので、沖縄に来たんだということを再確認した。ただ、外に出る勇気がなく、ベランダに置かれたテーブルセットから沖縄を満喫した。暖かくいい気候。さすがに半そでは寒いけど、長そでシャツ一枚で十分。沖縄の鳥や花たちが奇麗だった。つわりも軽くなった気がする?ホテル前のビーチを散歩した。調子に乗って裸足で散歩した。お散歩気持ちがいい。ただ食事がとれない。よくつわり中「これだけはたべられる」というものが誰しもあるらしいけど、特にない。姉はキムチにはまってキムチしか食べられないということがあったらしいし、友人はマックのポテトやナゲットなら食べられるけど、ご飯が一切食べられないとか… 私には、そういうものが一切ない。 おなかはすかないけど、健康維持のために5大栄養素のものをちょっとずつ食べた。吐かないように、量をうんと減らして。あとは水分に気を付けた。さんぴんちゃをずっと飲んでいたけど、途中気になってネットで調べたら、ジャスミン茶と同じで緑茶に香りをつけたのがサンピン茶だと知り、カフェイン!!とびっくりしてやめた。その代わりにウコン茶を飲んだ。ウコン茶は賛否両論だけど、ノンカフェインだし飲めるから飲もうと飲んでいた。ウコン茶にすくわれた。おばあちゃんに会いに行くにはホテルからレンタカーで1時間弱くらい行かねばならない当初はつわりもなかったので行くつもりだったけど、安静に・・じゃなく、気持ち悪くて運転に自信がなかったので、結局行けなかった。 3泊とも、まいにち浜辺を散歩したり、貝を拾って過ごした。不思議と、飽きなかった。何にも考えずあるいていると、吐き気も落ち着いた。これを食べれば気持ち悪くないというものがなかった代わりに、砂浜の砂の感触が私のつわりをいやした。4日間、ホテルと砂浜の移動だけだったけど、部屋についていたCDデッキで沖縄民謡をかけながら、南国のフルーツをベランダで食べたり、浜辺散策したりしただけでも十分沖縄が満喫できた。結構あっという間に3泊4日は終了。帰路へ。東京に帰ってくるとまた強烈なつわりがぶり返してきた。ウコンを飲んでもきかず、沖縄では食べられたフルーツも、食べたら吐き。。つわりを抑えてくれていたのはほかの何でもない「沖縄」そのものだったとわかった。食事が取れないので一日おきに点滴をした。11週ごろ、ふと、いつも夫に作っている朝ごはんおにぎりを自分の分も作って食べてみたら、おなかに入った。吐き気もなし。12週には普通に食事が取れるようになった!つわりがパタンと終わった。いやな予感。前回、前々回の流産では、つわりというか、今回よりだいぶ軽い吐き気が続いたものの、ある日ピタッと止まって、しばらくすると基礎体温が36.3度くらいに落ちて、流産した。妊娠サインが消えたという合図だったようだった。まさか、そんな。気付いた途端、足が震えて涙が出た。また・・・・?取り乱して夫に電話夫は相対して病院へ連れて行ってくれた。もともと12週には受診するように言われていたのもあって、産婦人科に行った。7へにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.25
妊娠するたび切迫流産。切迫流産というのは、まだ妊娠終了ではない。かといって、順調な妊娠でもない。流産が切迫している状態。妊娠すると生理が止まり、出血はない。卵子が着床する際に、まれに出血することがあるが、それは切迫流産ではない。4でも書いたとおり、だれにも止められない。手の施しようがない。念のためセカンドオピニオンを受診した。言われたことは同じ。つまらない病休生活。家で一日中有線を流してゴロゴロしたり、インターネットしたり。日用品はネットでお買い物。ネットでのお買い物が唯一の楽しみ?お世話になったショップ↓↓安いし、我が家が使っているものがほとんど揃っているので、いつもここで買ってます。テレビなんて見る気もしなかったけど、たまたまつけたら沖縄特集。沖縄かあ。おばあちゃん元気かな。私の母親は沖縄出身で、沖縄には親せきがいる。何度もお行ったことがあるけど…結婚してからは1回しかいっていないな。ここは都内。(当時)2月は寒い。沖縄は暖か。・・・・・・・行こうとにかく家から出ずに安静にした前回、前々回の流産安静にしても縄跳びしても結果は変わらないという医者の言葉。だったら行こう。沖縄行こう。もちろんひとりで。こうして妊娠2カ月・切迫流産の私はひとり沖縄に向かうことにした。気を使ったり使われた李が苦手なので、妊娠したことは黙っていく。そしておばあちゃんを訪ねるけれど、宿はよそに借りる。前回と違う行動をとろう同じじゃ同じ結果になるかもしれない不思議とそんな気がして、思い立ったが吉日・・・早速宿の手配をした。楽天トラベルだと、ポイントがたまる。旅行代だとちょっとした額になるので、ちょっとしたものが買える。ふつうに宿泊予約をしたのではちょっとしたものは買えない。やっぱ楽天トラベルでしょ。ちなみに今回の旅行代でついたポイントにて、ごぼう茶が買えました◎豪華なホテルではないけれど、小ぢんまりとしたかわいい雰囲気の、小さなホテル。飛行機もお宿も2月だったせいかすぐに予約完了。この時点で夫には何も言っていない・・・・だって言ったら絶対反対されるし怒られる。娘にも言ってない誰にも言わないでいく。何かあったら?あったらあったで、言って行こうが言わずに行こうがそれは同じことだし。3泊も家を空けるけれど、安静といわれてる私は家事など何もしていないのでいなくなろうと支障がない旅立つ前夜、私は夫と娘にこう言った「ちょっと3~4日実家にいるね。」娘も夫も忙しい時期だったので、病人はいないほうがいいくらいな感じだというのも手伝い?ふたりとも「いってらっしゃい、ゆっくりやすんできてね」少し罪悪感があったけど、翌朝二人を見送った後出発した。6へにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.24
3からの続き。なんか引っかかった。そりゃ2回連続流産しているから。検査もしてないし、不妊治療もまだ。4週間後かあ。。その4週間の、なんと長いこと。相変わらず、毎日妊娠判定役を使う。陽性の線は日に日に濃くなる物の、体調に変化が無く1週間、2週間と過ぎてきた。3週間目に入ったところで、見たくない物を見てしまった。出血・・・・・。涙が出た。まただよ。4週間を待たずして産婦人科を受診。意外なことに、胎芽が見えていた。心拍は見えない。医者「切迫流産ですね。仕事はお休みして安静に。」私「安静にしていれば赤ちゃんは助かりますか?」医者「前回、前々回と切迫流産を経験していらっしゃいますし、そのときにもお伝えしましたが、初期の場合は治療のやりようもないし、薬も出しません。ただ目標としては、心拍を確認できて、大体12週を迎えるのを待つことでしょう。」医者「ちなみに、切迫流産だろうと、出血があろうと無かろうと、本当のところは安静にも意味がありません。安静にしても流産することもあるし、毎日縄跳びを跳んでいても大丈夫な人もいます。」医者「だってそんなので流産するなら、堕胎費用をかける人なんていないでしょう。流産だと4万円くらい、堕胎だと12万円くらいだからね。」つまり、受精卵の生命力だけが頼り。医者にも本人にも、何も手の施しようがない。最初は言い方って物があるでしょ、ともおもったけどしみじみ言われたり心情を察したりされた前回や前々回の方がきつかったかも。ばっさり言ってくれたし、本当このことだし、変な期待しなくてすむから・・・そう言えば2回流産したときも切迫流産で仕事休んで、安静にしていたけど流産したから。そっか。そして私は病休に入った。今回の病休は、いつもと違った。5へにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.23
たっぷり休養を取り、まだ産まれないので更新。妊活を続ける決断をした私。まず手始めに、何しようか。うーん。。うーん。。ネットを見ると沢山の体験談が。上手くいかない記事ばかり目につく。不妊治療の病院を探し、HPを見てみる。費用が・・・・・・・・・・・。不妊治療って、何でこんなに高いのだろう?少子化で、もっと子ども増やしたいんじゃないの?日本。これじゃあ増えないよ・・。もうすでに、二回の流産の治療や通院のために、結構な金額が掛かっている。そんなに余裕が。。不妊治療を続けた友だちがいて、話を聞いた。その子は10年掛かった。10年掛かったけども、治療10年目にして年子で2人授かった。かかったお金、10年で2000万強。。。2000万て。年が高くなるにつれ上がるんだそうだ。2000万でも出来たからそれで良いんだそうだ。あまり参考にならなかった。。妊活だけじゃ生活していけないまず私の仕事を軌道に戻すこと。しばらくは職場復帰のリハビリをがんばる。あれこれ、やることおおすぎるよね。職場では配置換えがされていた。かなり責任の重い職務に就いていたのが、若干軽めのポジションに。以前頑張って勝ち取ったポジションだったから、嬉しいのか悲しいのか分からないけど、結局身体のためにはありがたかったんだな。月を追うごとに仕事になれてくる。以前より責任が少ないポジションとはいえ、最初は大変だったけど、慣れてくるとやっぱり物足りないというか、楽だった。9月。。10月。。11月。。自己流のタイミング方を試みるも、妊娠検査薬はいつも真っ白。ため息ばかり。身体も徐々に戻っている感じがあった。年末になり、今度は正式に冬期休業日(全員もらえるお休み)になった。あれ?生理が遅れている?いつもフライングで妊娠検査をしていたけど、さすがに年末は忙しく、仕事に夢中だった。そういえば1日だけど、生理が遅れてる。高鳴る鼓動を押さえ、判定薬を試す・・・・・・・・・・真っ白。でも妊娠判定薬は、基本予定日1週間後から使用可能だよね。1週間後にでてるかな。そんな期待をしながら年末を過ごしていると・・・生理が来た。がっかり。40になっちゃう。40の壁。30代で産みたかった。自分のせいだけど、くやしい。また今月もダメ、そして2014年に入った。1月も自己流タイミング法。たぶん、これだからだめなんだろうなー2000万掛かった人がいるのに、この年でただで妊娠なんてむしがよすぎるんだよね、きっと。また仕事にいそしんだ。そしてまた惰性のように判定薬。この時点で妊娠判定薬に合計1万以上掛かってる。ばかだなー。。とおもいながら結果をまつ。またしろ。次の日もしろ。生理予定日も白。もう、やだゴミ箱にくるんで捨てる新しいトイレットペーパーをだそうとして、棚を開けると昨日捨てようと思ったスティックがティッシュにくるんだままおいてあった。なんでそこにおいたんだろう、すぐすてようとしたときにあれすごーーーーーーーーーーーーーーーく薄い線??これ、線?目の錯覚?心臓が止まりそうになり、夫に見せた。「何も反応出てないよ、白いよ。」いや、、これ、、、白じゃないかもあれー今日のスティックをゴミ箱からだし、よく見る。こちらは真っ白。また明日やってみようと決意*****翌日は友だちの披露宴があった。なんと金沢にお呼ばれしていた。羽田のトイレで判定役を使おうと、空港へ向かう。早めに到着し、落ち着いて、判定薬を試す。・・・・・・・薄い線、でてる。目の錯覚くらい薄い。でも白じゃないと思う。一昨日のスティックより、線が分かる気がする。半分ノイローゼ?みたいな感じなんだろうでも見える気がする。体調は何も悪くないので小松空港へ出発。披露宴に涙し、1泊して帰路。ついた羽田でまた妊娠判定薬もう、取り憑かれたように判定三昧だんだん、線が見えてきた凄く薄いけど、錯覚じゃないくらいになってきた。しかし流産でも反応は出る。化学流産と言って、普通の生理と同じような流産。生理の時に出る血の中に、着床し掛かった卵子も一緒に出るというそれで、普通は気づかないけど判定薬の制度によっては反応が出てしまうことがあるという。このとき生理予定日2日後だった。待てないな・・でもまとう仕事が手につかないほど緊張した。生理が来ませんように・・・・。毎日判定薬。日を追うごとに、線は濃くなっていった。これならわかるかもしれないそれくらい濃くなったときに夫に見せた夫は目を見開いた。喜んではいない。「すぐ横にならないと!安静にしないと!」それが第一声だった。ちょっとわらってしまった(笑)もちろん判定薬で反応が出たからって、いきなり横になって休む人なんかいない体調が悪ければ別だけど、全く体調は悪くないし。でもお言葉に甘えて家事をせず、横になった。産婦人科に行ったら妊娠4週くらいとのこと。胎嚢?点?よくわからない黒いポチが見えて、4週間後にまた受診するように言われる。4週間後には心拍まで見えるらしい。見えてないとダメらしい。とりあえず妊娠しているという診断だった。また苦悩の始まり。つづくにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.22

1の続き。妊活しなくちゃ・・・・・・。ものすごく気が重い。不妊治療しなくちゃ・・・・・。気が重すぎる。そんな中、大学時代の友だちから久しぶりにメールがあり、会うことに。久しぶりにあった友だちは、相変わらず綺麗でスタイルも良く、同級生には見えない。20代後半でいけるんじゃない?ってきいたら、本人もそのつもりでいるとのこと(笑)気持ちって大事ね!(´∀`)彼女は独身。彼女は数年前最後の恋愛をし、プロポーズを受けたものの、結婚を選ばなかった。そして私は今までの経緯を話した。友は言った「何でそんなに妊娠したいの?娘一人いるし、もうこの年だよ?仕事だって責任重大なんだから、そんなに必死になる必要ないじゃない。」・・・・・・。これが世間だろう。きっと職場の人も、他の友人達も、すべての人がそう思っているのだろう。私の親兄弟でさえも。夫とは再婚。娘は前の夫の子。その類の話を夫はものすごくいやがる。当たり前だけど、私には引け目がある。お金が掛かることとか、病気になるたびに「ごめんね。。」と私が言うとでも夫は思いを察して必ず言う「まぁは俺の娘だ。血のつながりなんて関係ない。俺達が育てている大事な娘だ。ごめんねとかないだろう。」保護者会にも授業参観にも欠かさず行ってくれる。娘もパパが大好き。こんなに娘や私を大事にしてくれる夫でも夫は子どもが大好きだし、自分の子どもの頃の話を楽しそう話すことがある。友だちの赤ちゃんの話も楽しそうに話す。妊娠していたときの嬉しそうな顔。俺と繭玉の子はどんな性格になるだろう、正反対だし、たのしみだなあ。」ずっとそう言ってた。でも2人目を流産したときに私は精神的にずたずたになり、もう妊娠はしたくないと考えた。泣いたり眠れなかったりふらふらしたり、流産後の体調不良だけでなく、精神的にも病んだ。そこで夫が「今回は残念だったけど、またつぎ頑張ろう。」といっていたら、私はもしかしたら、離婚を考えたかもしれない。でも夫はそう言わなかった。夫は私に「今いる3人家族で仲良く楽しく暮らそう。そんなにまで身体や心に傷を負ってまで頑張らなくても良いよ。」「俺は幸せだし、とても感謝しているし、初期流産は止められないのも分かってる。俺は男だから身体のつらさは代わってあげられないし、人間関係や精神的にもつらかったでしょう。ごめんね。。」と言った。その優しさが私に火をつけた北風と太陽じゃないけど、凍てつく強風で固く閉ざした重厚なコート(しがらみ)を、強烈な太陽が照らし、一気にコートを脱ぎ捨てた旅人な私。絶対にもう一人、頑張る。もう39になってしまった。時間がない。クールダウンなんて必要ない。前に進むしかない。やってやる!!!!!!!続く続くんだけど、一気に更新しすぎてつかれました(笑)ちょっと休みますその間に産まれそうになったり産まれたりしちゃったら更新は遅くなりますがごめんなさい。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.22

では、妊活について書こうと思います。これはあくまで、私の身体、私の条件であり、同じことをしても効果は人それぞれと言うことを念頭に置いてください。妊活は妊活をしている人のかずだけやり方があり、それぞれ違うこと。あくまで私の場合です。仕事。2度目の流産を経て職場へ復帰。もう、私を見るみんなの目が怯えているのが分かりました。哀れ無を通り越し、明らかに怯えていました。私はある専門職をしています。私の職場は事務移植の方をのぞいて全員それぞれの専門に就いています。その人じゃないと、その仕事が出来ない。代わりの人って、本当にいない。代員さんは期間をうめるだけで、同じ仕事は出来ません。でもチームを組んで仕事をします。毎年チームは組み替えがあります。そんな環境の中、同じフロアに40人弱+管理職という人々の中私が妊娠したわけです。「まさかその年で」誰も言わなかったけど、きっとそう思ってる人も沢山いたでしょう。被害妄想じゃなく、驚いた顔を見れば分かりました。。その上二度流産すれば、まわりは「またダメだったのか。」「年が年だしね・・・。」「もう諦めればいいのに。」そう思うのが普通です。決して言わないけど。だから、ねぎらいいもありません。「大丈夫?」とか「残念だったね。」とか。まるで流産の話題には触れません。これも当たり前だけど。決して誰も、言葉にしない。そんな職場の雰囲気。2度目の流産したのが去年の8月その後しばらくは子宮をお休みさせました。何がいけなかったんだろう。いよいよ不妊治療を開始しなければ・・。そんな思いで過ごしていました。2へ続くにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.22

久しぶりにブログを書き始めたので、重い妊娠話の前に今週のテーマをやってみます。投稿した後に気づいたんだけど、去年も書いていた!(笑)今年は若干変わりましたので、また投稿します(笑)【2014我が家の朝ご飯】私は子どもの頃、毎朝家族で食卓を囲みました。公務員の両親、朝からフルタイム勤務、残業あり。それなのにきちんとご飯を食べさせてくれていたと言うことが、すばらしいと今更ながら思いました。さて肝心の現在と言えば。。まず朝起きて、ご飯を炊くのは長女の役目。小学校5年生から毎朝欠かしません。(現在高校生)長女の登校時間は早い。炊けたと同時にごはんをよそい、納豆、たまご、ココまでは去年と一緒!今年はレベルアップ??して、昨夜私が用意した簡単なおかず(残り物じゃなく、朝用に取り分けて若干夜とは違うようにアレンジして冷蔵庫にしまっておきます。)それと牛乳を用意して食べて慌ただしく出かけていきます。朝の6:30には出かけていきます。我々夫婦は、まず夫がシャワーに入ってる間におにぎりを作ります。おにぎりの具は・・・・・・・・・・・・・そう、娘の朝ご飯にも登場した「おかず」が入っています。こないだはポークピカタ(前夜はショウガ焼き→卵の衣をつけてピカタ風に)あるときは根菜のカレー風味(前夜の筑前煮作るときに、野菜を切った段階で煮込む前に分けておき、炒めてカレー粉で味をつけた物)あるときは鮭フレークとインゲンのごまあえ(前夜はムニエル、ほぐして付け合わせのインゲンをごま和えに)ええ、もちろんインゲンもおにぎりにIN!!ご飯の中におかずの入った、携帯型お弁当?です(笑)時々娘のお弁当の玉子焼きもおにぎりの中に入っていたりして。汁気に気をつけながら具を考えます。そしてできあがったおにぎりをシャワーから出た夫に「いってらっしゃい」と言いながら渡し、シャワー交代。夫は仕事に行きます。私はシャワーから出て身支度を調え、おにぎりを持って仕事に行きます。私と夫はそれぞれ車通勤なので、それぞれの車の中でおにぎりを食べます。3人一緒にご飯を食べられないのは凄く負い目があります。私がちゃんとすればいいのに。。赤ちゃんが産まれたらちゃんとしなきゃと思う反面、長女はそういう朝ご飯で育ててきて次の子には手厚いのも差別?なのか、悩みます。娘が中学生の頃からこういう生活になりました。いろいろまた考えます。ちなみに夫婦げんかで険悪な朝、夫のおにぎりに「バナナ」を入れたところ、夫からメールで「俺も言い過ぎた。ケンカはもうやめよう。」と送られてきました(笑)反省。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.22

秋になりました。前回の更新から本当にいろいろあって。。。やっと書けるかな、という感じなので戻ってきました。ほぼ連続、2度の流産を経て、これまた連続3度目の妊娠をしました。妊娠が分かったと同時に切迫流産の診断。。病休を取り、配置換えをして貰い、復職。詳しい回想はまた更新します。3度目、今回の妊娠。なんと、今週出産を迎えます。長女が帝王切開だったので、予定帝王切開になります。ただ、「しあわせニンプ☆」とはいきません。すごく不安だらけです。不安だらけでこの10ヶ月を過ごしました。この年で出産すること。何が功を奏したのか。3度目の妊娠についてこれから詳しく書きたいな、と思っています。同じ思いをしている沢山の方々へ、少しでも参考になればいいな。そしてこれから妊娠を考える人にも、読んでで貰いたい。でも、お産ですから、予定帝王切開でも、いつ陣痛が来て入院になるか分かりません。もう正期産に入っています。では、また。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2014.09.22
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