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2月15日しいちゃんのアトリエ舞踏707浜松餃子宇都宮に勝つ静岡駅アスティー 石松餃子昨日のニュースだ。今年は浜松餃子が宿敵宇都宮に勝った。毎年のデットヒートは結構楽しい。その浜松餃子が広くなり新装開店のJR静岡駅の食堂街アスティーにテイクアウトと食堂を出店した。最初見た時、広いがずいぶん地味な店だなと思って入って食べてみた。さっぱりと女性向けの味だ。三方ヶ原の白菜をふんだんに使うそうだ。次の週に用事で娘がきたので、夕食に間に合うようにマグロとたくさん生餃子と焼き餃子をもたせた。家族になかなか好評だったらしい。このアスティーは値ごろな料金の街中にない和食屋が何軒もあり、なかなか楽しみだ。広い通路に新装の店店・・気もちがいい。とんかつも蕎麦も洋食屋もそろい、街中の店を喰ってるなと感ずる。コロナで店屋さんは苦労してるから、いまここで差がつく。老舗より新店とは昔から言われた諺。老舗もうかうかしてると危ない。家は街の小売屋だったから、母のあの笑顔が店の資本金だったと今ならわかる。40年続けてわけって閉店した。今続いてれば75周年だったなあと・・思い出す。そう笑顔・・笑顔こそ人生の資本金かもしれない。
2021年02月15日
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2月11日しいちゃんのアトリエ舞踏706早春の駿府城跡鬼滅の刃早春の駿府城跡春は名のみの風の寒さや・・早春賦の歌の出だしだ。夏は6時30分、冬は7時、日の出に合わせて公園をひとまわり歩く。梅の香る道を過ぎて、標準木の桜の蕾の膨らみ具合を確かめる朝の駿府公園の散歩も、もう手袋がいらないほど十分暖かい。古い着古した厚手の純毛のジャンバーを着こめば、寒さは消えてしまう暖国静岡だ。犬の散歩の飼い主たちの集会も、人数というか犬数と言うかコロナの1月より少し増えてきた。アメリカでは前からネットで全米同じ犬種の集まりがあると聞く。飼い主の会議をよそに、犬たちは騒がず互いの友好を確かめあっている。息子と老婆の我々の散歩に、おおむね高齢の飼い主からオハヨウの声がかかる。犬はいくつかなあ? お髭が白いからおじいさんかな?元気だしなね・・と私。白いロン毛の雄と雌の兄妹のピジョンフリーとよく出会う。紅いリボンをつけたのが妹だ。妹が飛び上がって挨拶してくれる。「おお 妹よ元気だな・・」と人間と犬の会話だ。しばらく会わないでいたらご主人から息子さんに散歩担当が変わった。毎朝会わなくなって、あんなに遠くから飛び上がって喜んでいたのに離れてアレッと不思議そうにこちらを見ている。「妹よ元気か」と聞くとはじめて思い出すのか、私と挨拶を交わす。犬の記憶の海馬の数は、朝たまに出会う人間を記憶するほど多くはなさそうだな。しかし母をオートバイからかばい亡くなった愛犬プーのことは今でも忘れない。今はお寺に犬猫の共同の墓があるが、当時はなかった。娘のところではアラモと言う猫を葬儀をして寺に葬った。今いる二匹の猫もいずれそうするだろう。プーの最後の首輪と鑑札が家の仏壇の戸棚に入れてある。私には人格と犬格はなにも変わらない。ただ有難い。鬼滅の刃戦後最大のヒットらしい。私は老人になるまで長命の母に守られ子供のままに生き、人を恨んだことはなかった。母の死後いっきに始まる異変の連続・・いや前からそうだったのかもしれない。だた守られていたのだ。人間結局全部体験してから死ぬのかと、今ごろおバカな人生に苦笑する。しかしこのヒット作を生んだ若者の社会現象は、私が今頃わかった愚かな無防備の人生に、若者たちはとうに気づき戦っているということなのか。いつかこの映画を観てみようと思う。
2021年02月06日
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12月5日しいちやんのアトリエ舞踏705独居世帯がどんどん増える独居世帯がどんどん増える日本の独居世帯はどんどん増加している。都会はいずれ50%を超すだろうとまで言われている。地方に仕事がないから若者が都会に出ていくこともある。結婚しない人が増えた。若い夫婦が親と住まないこともある。長生きして連れ合いに死なれた独居老人も増加している。家余りの時代、これから金さえ払えば住む家には困らないだろうが。とにかく一人世帯は増加し、人口減で家余り現象は続きそうだ。たしかに夫婦でも親子でも、同居にはいい面もあれば面倒はある。人間はややこしい動物だ。顔に出ていることと腹のうちが違う。実は猫もその一面があって、昔、夜布団に誘うとしばらく入っているが人間が寝たとみるや出ていく猫がいた。一応つきあうのだろう。そのへんの呼吸が人間同士は面倒だから、離れて暮らすのが良いと思うのか。べつに家余りでバラバラに暮らしても、いいのだが・・逢いたい人とは外で会い、SNSの仲間もいて、家に帰れば家庭の人・・そうか多面体の人生を楽しんでいるのか。SNSで写真を公開する気持ちを・・ブロガー歴の長い私がやっと腑に落ちた。85歳の独り暮らしの老人は、やはり退屈し夜は寂しいらしい。人間同士の面倒くささと、同居のにぎやかさと比べて、どんなものだろう。私は相手と気さえ合えば、複数で暮らすのがよい気がする。SNSは退屈や寂しさを解消するのだろうが実際は同じ部屋にいないが、気の合うだれかと一緒にいる感覚がもてるのか・・私はブログを長く書いているが、誰にも話さないことを聞いてもらつているのかもしれない。書くことで、なにか心の整理がつく。若いメル友とは、不思議と本音の深い話をする。そうか。話す手段が沢山出来たのか。人間はいつも誰かと話をして、たがいにわかってほしい動物なのだろう。同居でも、会えなくても、メールかSNSで繋がっているのだろう。
2021年02月05日
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