記憶の記録

2009.06.12
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カテゴリ: 住宅革命
奇妙な模様

田村京子の運転する白のプリウスは前橋駅を出ると北に向かった。
前方には雄大な赤城山が青い裾野を広げている。美女の運転する車に乗って有頂天になっている僕は仕事のことも忘れて快適なドライブに酔いしれていた。


杉山から受け取った走り書きにはクライアントの名が田村様と書かれていて、他には携帯電話の番号があるだけだった。
僕はクライアントをてっきり男性だと思い込んでいて、改札を出てすぐに電話を掛け、受話器から聞こえる声が若い女性で、5メートル前方の美女が携帯を耳にあてていて、そのひとの唇が受話器から聞こえる言葉とシンクロして動いているのを発見したときの驚きと幸福感は、夢の中にいたハニーとの幸せに満ちた生活よりもはるかに幸せな瞬間だったことは言うまでも無い。ちなみに、夢の中の僕は12匹の父親だったが、リアルな僕はれっきとした独身だ。恋人いない暦は、かなり永いが・・・
僕が彼女を発見したとき、同時に視線が合い、彼女も自分が迎えるはずの人物を確認し、かすかに微笑みながらお辞儀をした。
「シードさんですか、田村と申します。こんな田舎までお越しいただいてありがとうございます。」短い自己紹介だったが、ハッキリとした声とまっすぐに僕を見る目には彼女の意志の強さが表れていて、
「なんて気持ちの良い表情の人だろう」と見とれてしまった。

田村京子の運転は軽快だった。助手席に乗っていてもまるでストレスが無い。

調査を依頼することになった経緯や建築物の立地条件・家族構成・自然環境など、説明も的確だった。
彼女の家族が4人であること。父親は6年前に亡くなり、祖母と母親、2歳年下の弟がいること。家族4人とも花粉症であること、家は建築後7年であり、新築してまもなく父親が亡くなったことなど順を追って正確に話してくれた。
「6年前にお父様が亡くなられたんですか。それは大変だったでしょう。」
彼女の年齢は推定25歳、父親が亡くなった当時は19歳、弟は17歳の高校生か。突然一家の大黒柱が亡くなり、収入も減る。住宅ローンは父親の生命保険で何とかなるが、生活費や弟の学費は彼女と母親が働くことで賄ったのだろう。彼女の意志の強そうな目の力の意味が解ったような気がした。
一瞬、遠くを見ているような田村京子の目に、光るものがにじんだように見えたが、その時、プリウスは田村家に到着し、彼女は
「着きました。どうぞ」と言いながら顔を背けたまま車を降り、歩き始めた。涙を悟られないように急いでいるように見える。
門をくぐると左側に蔵があった。漆喰塗りの立派な蔵だが古いものであるらしく、ところどころ漆喰が落ちて、下地の荒壁が見えていた。
僕が立ち止まって蔵を見ていると、先に立って歩いていた彼女も振り返ったが、すでにその顔には笑みが戻っていて僕を少しホッとさせてくれた。
「宝物がたくさん入っていそうな蔵ですね」と聞いた僕に、クスッと笑いながら
「その蔵の中は味噌と醤油と梅干です。たしかに我が家の宝物ですけれど」と言ってまた笑った。
蔵の風情には不釣合いな洋風の母屋はそれほど大きくはなかった。45坪くらいだろうか、切妻の屋根はS型のテラコッタ色の洋瓦、外壁はスタッコの鏝仕上げ、サッシは樹脂サッシだった。壁の厚さやサッシの収まりから充填断熱らしかった。

「環境住宅研究所のシードと申します。このたびは調査のご依頼をいただきましてありがとうございました。」通り一遍の挨拶をしながら頭を下げたとき、一瞬かび臭い匂いがしたが、すぐに匂わなくなってしまった。(気のせいかな)と考えながらも手帳にメモる。

(わずかにカビ臭:玄関にて)
挨拶の途中でメモを始めた僕を怪訝そうに見ている母娘に
「早速ですが、奇妙な模様が現れたと聞きましたが、見せていただけますか?」と、僕の頭は、すでに仕事に取り掛かっていた。
案内されたのは裏庭だった。亡くなった父親が書斎として使っていた部屋の外壁に、それはあった。







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Last updated  2009.06.13 00:55:01
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