CAPTAINの航海日記

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CAPTAIN @ Re[1]:鎌倉パスタ、創業地は岡山県(09/01) >オウルさんへ サンマルクは今年京都に…
オウル@ Re:鎌倉パスタ、創業地は岡山県(09/01) サンマルクは数ヶ月前に京都市に本社機能…
CAPTAIN @ Re[1]:一旦書いたエントリを消す(07/21) >七詩さんへ 七詩さんも、そういうこと…
七詩 @ Re:一旦書いたエントリを消す(07/21) 同じようなことをいつも考えて書いていま…
CAPTAIN @ Re[1]:続・静岡市と船橋市(05/30) >佐々木さんへ その可能性はあるかもし…
2013.09.19
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明治時代のはじめ、現在の埼玉県は、概ね荒川を境として「埼玉県」と「入間県」に分かれていました。入間県は1873年に北隣の群馬県※と合併して熊谷県となるなど拡大の傾向すら見せていたものの、1876年に埼玉県に編入する形で消滅(ちなみに、その際ほぼ現在の形で群馬県が復活)するという経緯を有しています。
数日前の話になりますが、Wikipediaで 入間県の項目 を読んで、ちょっと驚きました。文章が、埼玉県、特に県庁所在地となる旧浦和市への恨み節に満ちているんですよね。私が住む福島県でもこの手の恨み節は特に会津地方から聞かれることがありますが、書き手の強い感情は伝わってくるものの結果的に他地域をこき下ろす論調になりがちで、読んでいてあまり良い気分にはなれません。入間県が面積・人口的に劣る埼玉県に編入された背景には、当時の政府が中山道を東京⇔京都間を結ぶメインルートの一つとして重視していた関係もあるのかな?と素人目には感じるのですが…
でも、これとは別に、入間県が現在も存続していたらどのように発展していたのか?と考えるのは、面白いですね。群馬県との関わりが深い地域性を考えると、上越新幹線も大宮経由ではなく川越⇒熊谷というルートで走っていたかもしれませんね。

※後に群馬県域となる新田、山田、邑楽の各郡は、当時は栃木県の管轄


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Last updated  2013.09.19 18:16:49
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