全81件 (81件中 1-50件目)
対人援助職です。よくあるご相談の一つに、「自分が何をしていいか、分からない」がある。10代、20代の若者からの就職相談だけでなくて、ご年配の方からも・・・。例えば、リストラにあった人の再就職。あるいは、就職氷河期の学卒。ひとまずアルバイトや派遣仕事を繰り返してきた人からも。さらには、今は勤め先があるが、自分に合っているかどうかに迷う人もいらっしゃる。相談でよく出会うのは、じっくり自分を振り返って考えるというよりも、ひとまずの回答を求めている人。行きつ戻りつ、の思考は省いて、キャリアコンサルタントに占いのようなご託宣を期待する向きもある。その指向はどうやって生まれるのだろう。答えがあるもの中心で、その答えを暗記するのが勉強と心得がち。先生や偉い人(オーソリティ)に従っておれば、ひとまずは安全という姿勢もある。資格をとれば一段賢くなった気にはなるが、現実世界はそうは甘くない生きているうちにしばしば遭遇するのは、そもそも明確な回答がない問題。職業選択もその一つだろう。それを例えば職業興味検査を使って回答を出して合理性があるような印象を受けたとしても、必ずしもうまくいかない。職業選択には、興味の問題以外にいろんな要素がある。いろんな要素を検討しながらの対話こそ、むしろ重要という気がする。迅速に答えを得るのは価値の一つではあるが、しかし、その思考だけでは不十分。考えるのが面倒なので、ま、それでいいかとご託宣に添って行動してもうまくいかない。やっぱり自分のやりたいことじゃないと元に戻る人もいる。新規チャレンジには発酵の時間。悲しみには喪の時間も大切だ。それらを飛ばしてばかりいる人生は、「仮り(借り)もの人生」といったら言い過ぎだろうか。
2024年02月13日
コメント(0)
* { font-size: 13px; font-family: 'MS Pゴシック', sans-serif;}p, ul, ol, blockquote { margin: 0;}a { color: #0064c8; text-decoration: none;}a:hover { color: #0057af; text-decoration: underline;}a:active { color: #004c98;} 長い間楽天ブログ、休眠状態でした。このメールで発信できるのでしょうか。
2023年07月17日
コメント(0)
キャリアカウンセラー、精神保健福祉士となり、環境も日常も以前とだいぶん変わりましたが、以前と同じく、日々の出来事や思いを綴りたいと思います。○否定的な思い込みにどんな対応を?スケ―リング技法は、キャリア支援養成講座ではあまり学んだ記憶がないのですが、ソリューションフォーカスを学んだときに、キャリア支援現場で使ってみたら、これは使いやすいと思ったものです。最近も、これを使って功を奏することがありました。○○だからそれはできない、無理という相談者からの声を聞くことがよくあります。例えば、「年齢が高いから」「経験がないから」。確かにハードルが高いかもしれませんが、可能性がゼロではないと思う場合、どんな話し合いをしたらいいのでしょう? すぐに説得したり、こうしたらできますよ、と方法論を提案しても、あれこれ理由をつけて却って反発されることが多い。そんなとき、いったん相手の方が無理と感じておられること、つらい思いをしておられることを肯定したうえで、まったく可能性がゼロとは思っておられないことを話のやり取りのなかで、相手の方が感じるれるようなやり取りができたら素晴らしいことではないでしょうか。そして、少しでも可能性のあるところ、できているものがあればそこを再確認して、あと数パーセントでも可能性を高めるにはどうしたらいいかを話し合う過程で、自己肯定感が高まるよう話し合いができればさらにいいですね。スケーリング技法の詳細はここでは省きますが、認知行動療法で言うところの「認知の歪み」を考えれる場合にも、この技法が役立つことを実感しています。人は、自分の思いを果たせないとき、果たせない理由を何か探してそれにすがろうとする癖があります。本で読んだちょっとした言葉や耳から入った言葉を前後の脈絡とは関係なく、自分流に解釈して、なんでもかんでもその言葉に結び付け、「○○だから、無理」と否定的な発言を繰り返す傾向にあります。スケーリング技法に限らず、いろんなやり方があると思います。思いこみ、こじつけ自体を基にして、どんな話に展開できるか、それもキャリア支援では大切なところと思っています。
2016年03月12日
コメント(0)
久しぶりの休養日。 冷蔵庫にあった野菜と味噌をリュックに入れて姫路の実家に帰る。 昼前に着いて、母と近所のスーパーへ。 母は88歳。脳血管性障害によって一時期、認知症に似た症状が出て、徘徊も始まった。 心臓にペースメーカーを入れる手術をした直後、 運動不足傾向になったことも災いしたようだ。それで軽い運動を勧めるとともに、 毎日定時に母と電話で10分ばかり話すようになった。ささいな日々の出来事、俳句の話、昔話が中心だが、おかげさまで症状は収まった。 秋から通っている精神科医院でいただく薬も合ったらしい。 近所の家の庭先からのぞく橙の実や、枯れ枝に僅かに残る柿の実を眺めながら手押し車を押す母に歩調を合わせてゆっくり歩く。スーパーで、厚揚げや豆、こんにゃく、そして果物、おやつなど母の好物を買い、また同じ道を戻る。 男料理なので繊細さに欠けるが、 野菜をたっぷり入れた味噌汁のごった煮を、母はおいしいと言って食べてくれる。どんぶり鉢一杯を平らげてくれた。 自分がつくった料理を食べてくれる人がいる、それも幸せの一つと深く感じた。
2013年12月16日
コメント(0)
久しぶりの休養日。 冷蔵庫にあった野菜と味噌をリュックに入れて姫路の実家に帰る。 昼前に着いて、母と近所のスーパーへ。 母は88歳。脳血管性障害によって一時期、認知症に似た症状が出て、徘徊も始まった。 心臓にペースメーカーを入れる手術をした直後、 運動不足傾向になったことも災いしたようだ。それで軽い運動を勧めるとともに、 毎日定時に母と電話で10分ばかり話すようになった。ささいな日々の出来事、俳句の話、昔話が中心だが、おかげさまで症状は収まった。 秋から通っている精神科医院でいただく薬も合ったらしい。 近所の家の庭先からのぞく橙の実や、枯れ枝に僅かに残る柿の実を眺めながら手押し車を押す母に歩調を合わせてゆっくり歩く。スーパーで、厚揚げや豆、こんにゃく、そして果物、おやつなど母の好物を買い、また同じ道を戻る。 男料理なので繊細さに欠けるが、 野菜をたっぷり入れた味噌汁のごった煮を、母はおいしいと言って食べてくれる。どんぶり鉢一杯を平らげてくれた。 自分がつくった料理を食べてくれる人がいる、それも幸せの一つと深く感じた。
2013年12月16日
コメント(0)
最近バナナを口にすることが多い。 一時期、バナナダイエットが流行ったので、いいかなと思うが、実際はどうなんだろう?・・・体重増が気になる僕としては、トライしてみる価値があるのかな。ネット http://muuum.com/calorie/1144.htmlで調べてみると、バナナのカロリーは?100g当たり 51カロリー(kcal)。重量で比較すると野菜よりはカロリーが少し高いそうだが、穀類・肉類・魚介類などよりはかなりカロリーが低くなっているそう。【バナナの中の糖質は、ブドウ糖・果糖・ショ糖・でんぷんなど多様なのでエネルギーが長時間持続できます。バナナには、ビタミンB1やB2、ナイアシンなどのビタミンB群が豊富に含まれている。またバナナに含まれるカリウムの含有量は果物の中でもトップクラスで、血中のナトリウム(塩分)を排泄する働きがあり、カリウムを十分に摂ると血圧を下げる効果が期待できます】【マグネシウムや食物繊維も他のフルーツに比べ豊富に含まれており、食物繊維は便秘を解消し、大腸がんなどの病気を予防します。低カロリーでビタミン、ミネラル、食物繊維たっぷり、抗がん作用もある優れたエネルギー源であるバナナを、毎日の食生活に取り入れたいですね】血圧を下げる効果、抗がん作用は魅力だ。すぐに黒くなるので、保存方法を調べてみると、http://www.sumifru.co.jp/enjoy/knowledge/03.html では・・・、【果肉の柔らかいバナナは、テーブルなどに置いておくと接触した部分が黒ずみ、傷みやすくなってしまいます。それを防ぐバナナ保存アイテム、「バナナスタンド」と呼ばれるグッズがあること、ご存知ですか?房の根元を引っ掛けて吊るして、風通しの良い場所に常温で保存することにより、バナナを傷みにくくします。またバナナは熱帯果物なので13℃以下の寒い場所は苦手で、最適保存温度は15~20℃です。寒い場所では保管せず、人が出入りするリビングなどに置いてください】【ご家庭にあるものを使って吊るしたい場合は代用品としてS字フックや紐で掛けておくのもgood! 量販店などでは見られませんが、バナナの生産地フィリピンや沖縄の路面店では、バナナを紐で吊るして販売をしたりもしているので吊るすのが一番いいようです。但し、吊るす場所が限定されてしまうのが難点ですが…。また吊るさずにご家庭で保存する時の置き方は、バナナを谷型に置くと接触面が多いので山型に置くのがいいでしょう】皆様のご体験はいかがでしょうか?
2010年06月09日
コメント(0)
ぼくは歯磨きが苦手。歯医者に行くと、磨いてみなさい、と一本の歯ブラシを渡されて、ごしごしと自分では綺麗に磨いたつもりでも、あとで、赤い溶液を歯と歯茎に塗られて歯をくちゅくちゅとうがいしても歯の根元に溶液が残って、「ほら、磨けてないでしょう?」と言われて、歯磨きの練習をしたことが何度か。最近は歯間ブラシの指導も加わった。前のほうはなんとか、磨けるようになったけれど、奥歯にどうしてもうまく歯間ブラシが入らない。
2006年11月08日
コメント(2)
ぼくが住んでいるところは、大阪市内の淀川べり。冬には鴨が群れ飛んだり、葦の林でくつろいだり、青鷺、川鵜もいる。季節を感じながら堤防を散策するのが好きである。ところが、最近少し川面に異変が起こっている。上流から水生レタスが次から次へと流れてくるのだ。この水生レタスは、もともとはアフリカの熱帯の植物だそうだが、生命力強く、淀川のワンドを覆いつくしている。この種の外来種は、冬は枯れてしまうそうだけれど、ごく一部は工場からの暖かい廃液が流れ出てくるところで越冬したのだという。そういえば、この間ニュースステーションで越前クラゲの越冬を指摘していた。温暖化の影響もあるらしい。地球の異変、環境の変容、不気味だ。
2006年11月06日
コメント(0)
友人の見舞いに精神病棟に行った。明るい日差しがはいってくるカフェテラスふうの食堂で話した。症状は安定しているようで、安心した。その友人と話していると、他の入院患者さんたちも近づいてこられていっしょに話した。不思議に居心地がよくて、なにかなつかしい感じがした。そのときはどうしてか分からなかったのだけれど、家に帰ってから、あ、そうだ、と思うことがあった。普通の社会生活では、人に対して何かの構えがある。その構えがあんまりなくても気持ちよく話せる空気があった。ずいぶん久しぶりの感覚だ。好奇心を持ってぼくに近づいて来られたとしても、それが自然で心地よかった。社会生活での、特に都市生活でのいろんな計算が癖になっている(普段、それはあまり意識しないのだけれど)面があることに気づいた。
2006年11月04日
コメント(2)
食に関しては、いろんなマイブームがあるのだけれど、ここ半年は、柿ピーがやめられなかった。きっかけは、缶入りナッツから。ナッツが体にいいと、何かで読んで、ディスカウントスーパーに行くと、たまたま缶入りのおいしいナッツがあって、しばらくそれをマイブームにしていたのだけれど、少々高い。だんだんいいものが欲しくなって、ドライフルーツ入りに凝ったこともある。それで、見つけたのかが亀田の柿ピー。コンビニだと、6袋入りの260円。(もっと安い店もある)これだと安価。それが、だんだんと一日3袋、4袋も食べるようになってほとんど中毒状態。やめられないカッパえびせんというコマーシャルが昔あったような気がするけれど、まさにやめられない。少し安い他のメーカーのものも試したけれど、亀田の柿ピーのピリッとした味でないと物足りないのだ。しかし、天罰が下って、体重がどんどん増えた。たいてい夜食がわりだから、そりゃ増えるよねえ・・・。しばらく前一大決心して、おやつ類を絶った。ようやく1キロほど減ったが、まだまだ油断ならない。
2006年11月02日
コメント(6)
週末、家族療法のセミナーに参加。主なテーマは、夫婦関係や父母の成育過程がこどもに与える影響についてだったけれど、その中で、教授はキンゼーレポートについて触れられた。1953年にアメリカで出版された本で、厖大な調査に基づき医学的に語られてそれまでタブー視されていた性の話が性の意識革命を促した。教授は、この本で指摘されている男性に本当に愛され、自分も男性を愛して行う性行為と、そうでない場合の女性の生殖器官の潤い、こころの充実の違いについて述べられたけれど、その本が出版されてから50年以上経ったいま、どうなんだろう?社会的な枠組みが大きく変わって、必ずしも夫婦の性行為でなくても、また生殖を伴う行為でなくても、充実した性愛はあるように思うのだけれど・・・。でも、今はちょっと「性」と「愛」の分離が進みすぎているような気配もあるなあ。「性」が一人歩きして、「愛」が停止していてたり、あいまいな位置にいる。逆に、性の面倒くささ、愛の重さを忌避する人もいるように感じている。
2006年10月29日
コメント(4)
ぽか~ん、としているとき、へんなことを考える癖がある。先日突然浮かんだのは、「踊り場」って不思議な言葉だな、という大発見(と自分では思ってる)。文字通り解釈すると、踊る場所。ダンスしていい場所なんだ。ところが、デパートの踊り場でダンスしている人を見たことがない。腰掛けがあったりすると、むしろ休む場所。(株の上がり下がりの激しい場面でも「踊り場」は使われる。こっちは、原義の踊るイメージに近いけど)ところで、ぼくは今どっちの踊り場にいるのだろう。人生の階段で、休んでいるのか、踊っているのか・・・。階段を上っているのでもなく、下がっているのでのないイメージでは休んでるふうでもある。何か、考えてけっこういろいろごそごそしているというイメージでは踊っているふうでもある。
2006年10月28日
コメント(2)
昨夜は夜中、変な時間に眼がさめて、TVをつけると、ペルーの民族音楽が聞こえてきて、画面を見ると、インカの人たちが、草木もあまり生えていないような高地で、家族連れで民族衣装を着て、畑作業をしている風景に出会った。ジャガイモ掘りを小さな子供もいっしょになって。休憩時には、なんか遠足にでもきたような感じで、笑顔、笑顔、笑顔。寒暖の差が激しく厳しい気候と思うのだけれど、人々がそこの大地に根をおろして、動物達もいっしょにつましい生活ながらも、幸せに満ちて生活している様子が見て取れた。ナレーションはなく、ただインカの音楽が流れてくるだけ。コンドルが高地の空を飛ぶ。それだけなのに、とても熱い気持ちになって、眼が潤んで、我ながらおかしかった。あそこに行ってみたい、・・・と考えると、いや、自分もあれに似た場所にいた、そんな感覚が心の中でよみがえってきた。その感覚だけはよみがえってくるのだけれど、その風景は思い出せない。あんな、時間を経験したことがあるのだろうな、たぶん。小さいときなのか、あるいは・・・前世なのか・・・、よくわからないけれど。ぼくにとっての楽園の時間。
2006年10月26日
コメント(4)
セクシーさは、年齢に関係ないと、やや強がりで思っている部分がある。昨日書いた、吉田拓郎さんも、若い頃とは違う、セクシーさがあるなあ、と思うし、有名人はもちろんのこと、街中を歩いていても、素敵な年配者を見かける。ところが、最近、自分自身はどうかと思う機会が2~3あって、駄目だな、と反省することしきり。おしゃれに気を向けていないし、気持ちの張りも今ひとつ。皺や白髪が増えるのは仕方がないにしても、体型や気持ちの持ちようは修正できるはず。自己改造に取り組まなくなくてはと思ったしだい。
2006年10月25日
コメント(10)
昨夜は、TVで吉田拓郎さんとかぐや姫のつま恋の2006年コンサートの模様を見た。75年のときは、ぼくの頭にまだ霞がかかっていたせいか、何があったのか忘れたけれど、僕自身はそんなに惹かれなかったのだけれど、昨日は見ているうち、なんだか熱い気持ちになって、いいなあ、と思った。平均年齢49歳のおじさん、おばさんたちがつま恋に3万5000人集まるだけのことはあるなあ、と素直に思った。たぶん、75年の頃は、ぼくはまだ世の中の大きな変革を夢見るところがあって、人、ひとりひとりの感情、自分の心をすなおに見る姿勢がなかったんだろうな。昨日、TV見て、すごく思ったのは、すごく正直に自分を見てるなあ、という点。ぼくら団塊世代は、若い頃は割りと肩肘張って生きていたけれど、その少しあとの世代の感性のほうが、今はひかれる。だけど、だんだんと、あの時代のあと、「面白くなければTVじゃない」とか「おいしい生活」とか、の享楽の時代があって、バブルがあって、モノ信仰がますます高まって、破綻があって不景気があって、・・・冷えて・・・、今はどんな時代なんだろう?熱いこころ持ってることをあらわすこと自体、なんだか格好悪いみたいな印象だ。でも、熱いものもいいなあ、と久しぶりにその感覚を思い出した昨夜のTVでした。
2006年10月24日
コメント(4)
テレビのバラエティ番組を何気なく見ていたら、思わず感動の場面に出会った。お姉さんを見返してやりたいと、小学生が空手の板割りに挑戦。初めは簡単にできると思って気楽な顔をしていた少年が、実際にやってみて、とても簡単に割れるものでないと分かって泣きながらも猛練習。そして猛練習の結果、正拳突き、肘突き、回し蹴りで板が割れるようになった。単純な番組の流れだけど、ぼくも見ていて目頭が熱くなった。「できる」と頭の中で思っているだけの状態と実際やるにはすごい努力がいるということが分かることにすごい落差がある。でも、それを体を使って実感できるようになるって、すばらしいことだ。「愛せる」と思うことと、愛を実行し、まっとうすることの落差があることに分かることに、ようやく気づいて、情けないけれど、板割り修行、緒についたばかりである。
2006年10月23日
コメント(6)
屠られるもの ~「牛の諸世紀」抄~●祈り(古代エジプト) 隔離期間は四〇昼夜 裸の女たちが練り歩いて刺激した乱舞が終わると黄金の船倉に入れられて 聖都メンフィスに向かったアピスという神の名で呼ばれるその牛は 都の神殿で豪華な寝床とごちそうがあたえられた隣室にはお相手の雌牛たち お祭りの日はきらびやかなガウンをまとって群集の中を行進した屠殺の儀式は一年の終わりの日に行われた 聖職者たちによるおごそかな時間 沈黙と咆哮――― 新しい生命と豊穣への祈りが凝縮された活力と生殖力を それぞれの身体に宿すために 肉が食されると また一年が始まった●肥育(二〇世紀)従順が好まれるがゆえに 陰嚢を切り裂かれ 傷つけあわないために 角は焼かれるそれでも子牛には束の間の執行猶予 六ヵ月ばかりは母のそばを走り回る肥育場は身動きもままならない 筋肉と脂肪をつけるために 薬品が毎日体内に注ぎ込まれる 飼料槽に頭を突っ込んで黙々と食べ続ける 除草剤の混じった混合飼料もある経費節減のために ボール紙、新聞紙、おがくずを与える給餌もあった第一胃から一〇キロ近いプラスチックを回収してそれを再生してまた使う試みもあった セメント粉末を与えると体重増加は三〇%加速されたいらだたせると 一日で体重が二〇〇グラム失われる ハエさえもいらだちの原因になるというので高圧ノズルで殺虫剤が散布された 規模の大きな畜舎では 農薬散布に使われる軽飛行機が 上空を旋回した ●解体(二〇世紀)五〇〇キロの目標体重にでっぷりと育つと 巨大なトレーラーに乗せられる ぎゅうぎゅう詰めの荷台は ジャンピング台になったり滑り台になる 足や骨盤を折れば引き摺りおろされる 死ねば焼却場の死骸の山に放り込まれるウシが一列縦隊で並んでいる 前へ 前へ 解体場では銃がお出迎え 崩れ落ちるとひずめにチェーンがかかる 体が引き上げられ 逆さに吊るされ 喉を掻き切られ血がドッと噴き出して 床はどろりとした海になる ラインのはじめは皮剥ぎ 腹の中央が切り開かれ 機械が一挙に全身の皮を剥く 頭を切り落とされ 舌を切り取られ 肝臓、心臓、腸が除去されると胴体の解体だ すでに脂肪をたっぷり吸った電動のこぎりは背骨に沿って縦に真っ二つに切断するチャック(肩肉)、リブ(背肉)、 ブリスケット(腹肉)と切り分けられベルトコンベアに投げ込まれていく 最終工程で肉はカットされ 上品に並べられてパックに入れられる スーパーマーケットの明るい照明が待っている●消滅重量一トンの金属歯を持った 三五トンの巨大キャタピラー・トラック 一時間に二・五キロのスピードで森林を根こそぎ掘り返すハイウェーがアマゾンの奥地へ進めばトラックも進む切り開き 焼き払い 放牧し 見捨てて 移動する化学肥料を投入するよりもはるかに安あがりだここでは一エーカー がビール二本ぐらいの値段で土地が買える一九六〇年以降 中央アメリカの森林の四分の一以上が消滅した土地の所有者はたいていが大地主か多国籍企業であるコスタリカでは二〇年のあいだに 熱帯林の八〇パーセントが消えたニカラグアでは放牧地の開拓で牛肉生産は三倍に輸出は五・五倍になったUSAの消費者は輸入肉のおかげで ハンバーガー一個につき約五セント節約できるようになった ただし五平方メートルのジャングルが伐採された二〇世紀宇宙飛行士たちはアマゾン上空にさしかかると何百もの火がきらめいているのを見たなお、今月10月23日までの締切りの仕事を抱えることになり、しばらくブログ更新は休ませていただきます。23日ごろ、再開の予定です。
2006年10月01日
コメント(4)
須磨浜指の隙間からこぼれて風に舞った砂はもうないハマヒルガオもコウボウムギもツルナも稀少種ではないという理由で 埋めれられようとしている 潮をかぶっても台風にあっても生きる能力は誰に教えられたわけでもない生きる場所を授かって自分のかたちで生きてきただけ海の底に揺れていたアオサは砂利に圧殺されてしまったメバルもテンコチもタイのたまごも船溜まりのコンクリートが墓石になった夏遠くの海の底から運ばれてきた大粒の砂の上を歩く敦盛が命を散らした浜は素足を刺す人工のリゾートになった
2006年09月29日
コメント(2)
ドン・カルロスドン・カルロスは橋を架けるのが仕事である。きのうは人間の脳の中に入って神経をつないだ。おとといも同じ仕事をした。ずっと同じようなことをやってきた。しかし、ドン・カルロスは近頃あんまり自分の技術に自信がない。せっかくつないだと思ったのにすぐに壊れる。あるいは役に立たない。一週間前に修理した女性から、けさ電話がかかってきて、「あの橋を使ったけれど、彼、私のこと全然理解してくれない」とクレームがついた。「ほう、それはまたどうして、それが分かるんでしょう」と聞き返すと、その女性は、「だって、私の方が素晴らしいのに決まってるのに、あの女とずっといっしょなのよ、彼」と高い声で興奮して答えて、「あの女とアンタを訴えてやる」と凄い剣幕で、そのまま電話を切った。やっぱり、愛の架け橋は壊れたんだ、と思ったが、ドン・カルロスは黙っていた。こんな風に文句をいう奴もいる。「カルロスさんの修理の仕方、古いんじゃありません?」。「ほう、そらまたどうして?」(近頃の口癖である)。「みんな同じ色に染まらない」と、男はそう言って、さんざん悪態をついて、他の橋屋に行く、と言って帰った。この男の虹の橋は壊れていないと見たが、ドン・カルロスは黙っていた。ドン・カルロスは橋を架けるのが仕事である。ずっとこの仕事が好きだった。しかし、このごろ不安になっている。ドン・カルロスは首尾一貫工法と呼ばれる形式で橋を架けてきた。情報はプログラムにそって一定方向に流れる。予測外の因子はポイと自動的に捨てるようになっている。それで済んできた。ところが、近頃は予測外の重い因子がどんどん入ってきて、橋はしばしば凍ってしまう。最近、アメーバ工法なるものが誕生した。入ってきた情報の重さを測らない。順に流すだけである。橋の形は変貌自在。だから、そのときどきで答えが違う。在来工法のような「主義因子」や「倫理因子」が入ってきても、それらは初めから削除されるので、流れはスムーズだ。しかし、ドン・カルロスはアメーバ工法がよく分からない。ドン・カルロスは橋を架けるのが仕事である。ずっとこの仕事が好きだった。自分は間違ったことをしてきたつもりはない。「あんな工法がこの国に根づくはずはない。やっぱり首尾一貫工法が人気だぜ」。「白は白、黒は黒だ!」。酒を飲んで荒い息で言うのだが、口ほどには自信がない。クレームが連発して強迫神経症に陥りそうだ。いや、もう陥っているかもしれない。ドン・カルロスはいっぺん自分の脳に在来工法でない橋屋を入れようと思い始めている。
2006年09月28日
コメント(4)
トイ族(一)東州 東トイ族の人たちは空気を食べるのがうまい。「ここはカレー空気だよ」と誰が言ったわけでもないのに、みんな当然のごとくカレー空気を食べている。うっかり「私、ピザ空気が食べたい」なんて地を出すと、みんなの優しい励ましが返ってくる。「あら、個性的な方、がんばってね」。翌日憲兵隊が捕えに来るほど野蛮な時代は去ったが、いつのまにかパーティの招待状もなくなる。あうんの呼吸法を学ぶために小学校へ通いなおす人もいる。 (二)西州 西トイ族の人たちはたとえ同じ空気を食べてもみんな違う匂いのおならを出すのだ。ここではヘソの曲がり具合が自慢の種。どうやら変な形のヘソほど個性的な(「立派な」と同義で使われる)おならの匂いになるらしい。学校で自分と同じ色模様の衣服を着ている人がいれば、大変。あわてて家へ帰って着替えないと…。去年ヘソ出しファッションがはやったとき、老人たちは「みんなおんなじヘソ出しになるとは世も末じゃ」と言って嘆いた。 (三)北州 北トイ族は数年前「変化は常態である」というキャッチフレーズがはやって、それまでの「変化は異常である」という旗が降ろされた。ありがたいキャッチフレーズのおかげで週代わりで大臣が変わるし、妻も夫も変わる。いま問題になっているのは交通ルールと教育問題である。日替わりで右側通行と左側通行になるので、きのうが好きな運転手は正面衝突を繰り返す。学校には教科書が配れない。堕胎解禁の日には産婦人科医院に列ができる。 (四)南州 南トイ族は家族ごとに言葉が違う。同じ家族なら言葉は通じる(子供が独自の言葉を作って親が分からないこともある)が、はや、おむかいさんとの朝の挨拶も大変。「ナイカホア」と片方がいうと「ομαεηκτψ」という調子で端からみているとまるで噛み合わっていない。それでも南トイ言語学大辞典のおかげで勉強すればまあまあ通じ合う。結婚のときはこの辞典を頼りに、新しい言語体系を作ってフィアンセに贈るのが習わしである。
2006年09月27日
コメント(2)
団地の日曜日娘は昨日はアムラーだったが今日はシノラー 妻は流行に反逆するのよ、と言って無印良品の店に入った ご近所の奥さんたちと中でしゃべっていたと思ったら同じ帽子を被って出てきた どうでもいいけど、などとぶつぶついいながらアンティークの店に入る 「鎧はない?」と聞いてみた「どんなのがいいですか」「なんか なつかしい感じの 安心できるやつ」「ほう、それじゃこんなのどうです?」 出されたのはポケットいっぱいのだぼだぼのデニム 携帯電話が入るモバイル系のパソコンも入るデジタルカメラも納まりがいい 「これ 鎧になりますか」「なりますとも」おやじは平然と答えた 買ったばかりのデニムを着て公園に出たデジタルカメラを忍ばせてバラを撮るつもり 花壇の向こうで大声がする前田さんだ耳に電話を押しあてているパーゴラの下では斎藤さんがパソコンを打っている やあ、こんにちはこんにちは 似た服装を互いに見ているがそのことには誰も触れない いい天気ですね ええ まったく どうも どうも
2006年09月26日
コメント(0)
剥けば何が出る?寺山修司の映画の中で子どもが聞く。「キャベツを剥くと芯が出る。じゃ、玉葱を剥くと何が出る?」。 ・・・・・・答えは涙。 わたしを剥けば何が出る? 芯? それとも涙?
2006年09月25日
コメント(4)
若い頃、シャンソン少しだけ興味ありました。自分流に訳すのも楽しみでした。古いものですが・・・。ラ・ボェーム 訳:カタリーズJe vous parle d'un temps あの頃のこと話してみようQue les moins de vingt ans まだ二十歳にもなっていなくてNe peuvent pas connaitre モンマルトルのことをMontmartre en ce temps-la まだ何も分からなかったAccrochait ces lilas ぼくたちの窓辺に Jusque sous nos fenetres リラの花を飾ったものだEt si l'humble garni ただの安宿だったけれどQui nous servait de nid ぼくらの愛の棲家Ne payait pas de mine あんまりぱっとしないときはC'est la qu'on s'est connu 二人はそこで抱き合ったMoi qui criait famine ぼくは貧しくて飢えEt toi qui posait nue 君はヌードのモデルをしていたLa boheme, la boheme ラ・ボェーム、ラ・ボェームCa voulait dire on est heureux それは幸せだっていうことLa boheme, la boheme ラ・ボェーム、ラ・ボェームNous ne mangions qu'un jour sur deux ぼくたちは一日おきにしか口に入れるものがなかったDans les cafes voisins あたりのカフェでNous etions quelques-uns 栄光を夢みていたのだ Qui attendions la gloire ぼくたち数人の仲間同士でEt bien que misereux 栄光の夢をみていたのだAvec le ventre creux お腹はぺこぺこだったが、Nous ne cessions d'y croire 栄光を信じて疑わなかったEt quand quelque bistrot そしてたまには居酒屋でContre un bon repas chaud 暖かい食事にありつけることもあったNous prenait une toile テーブルのナプキンをつかんでNous recitions des vers 詩を朗誦したGroupes autour du poele みんなでストーブを囲んでEn oubliant l'hiver 冬なんか忘れてLa boheme, la boheme ラ・ボェーム、ラ・ボェームCa voulait dire tu es jolie それは幸せだっていうことLa boheme, la boheme ラ・ボェーム、ラ・ボェームEt nous avions tous du genie ぼくたちは才能に満ちていたSouvent il m'arrivait しばしばDevant mon chevalet 画架の前でDe passer des nuits blanches 夜を明かしてしまうことがあったRetouchant le dessin 胸の線のデッサンやDe la ligne d'un sein 腰の輪郭をDu galbe d'une hanche 描きなおすためにEt ce n'est qu'au matin そして朝になってQu'on s'assayait enfin ようやく腰をおろしてDevant un cafe-creme ミルクコーヒーでくつろいだEpuises mais ravis それから有頂天になってFallait-il que l'on s'aime 抱き合わずにはいられなかったEt qu'on aime la vie そして生きるよろこびに満たされたLa boheme, la boheme ラ・ボェーム、ラ・ボェームCa voulait dire on a vingt ans それは二十歳だっていうことだLa boheme, la boheme ラ・ボェーム、ラ・ボェームEt nous vivions de l'air du temps ぼくたちは時代の空気につつまれていたQuand au hasard des jours ある日ふらりとJe m'en vais faire un tour あの場所に舞い戻ったA mon ancienne adresse かつて住んでいたあたりを見るためにJe ne reconnais plus だけどもうどこにもないNi les murs, ni les rues ぼくの青春をを知っているはずのQui ont vu ma jeunesse あの壁も、あの小道もEn haut d'un escalier 階段を上ってJe cherche l'atelier アトリエを探してみたがDont plus rien ne subsiste もうほんのかけらもないDans son nouveau decor 今風のよそおいを凝らしてはいてもMontmartre semble triste モンマルトルはさみしげだEt les lilas sont morts リラの花も枯れてしまったLa boheme, la boheme ラボェーム、ラボェームOn etait jeune, on etait fou みんな若かった、情熱に燃えていたLa boheme, la boheme ラボェーム、ラボェームCa ne veut plus rien dire du tout そのことばはもう何の意味もなくなってしまった
2006年09月25日
コメント(4)
少しずつ、過去書いたものをご紹介しています。クリスマスシーズンにはまだ早いですが、平成14年のクリスマス期に、過去を思い出して書いたものです。クリックして、ごらんください。メニークリスマス*メリークリスマスの誤りではありません。カタリーズのホームページ『まだまだ。』
2006年09月24日
コメント(8)
昨日は、秋風に吹かれながら法隆寺ー中宮寺ー法輪寺ー法起寺ー慈光院ー薬師寺ー唐招提寺およそ12キロの道をゆっくり歩く。法隆寺では境内の太い楠が印象に残った。平安以降の仏像は檜だそうだが、それ以前は楠だそうだ。グロテスクとも思える幹下の根の張りように、強い生命力を感じた。風景では、法輪寺裏手の池の上からみた眺めが一番良かった。斑鳩の里らしい、のんびりした風景。稲穂がちょうど黄金色に色づき、その向こうには奈良の民家の白い壁。その向こうに三重の塔。歩く道沿いにはさまざまな作物畑。里芋、胡瓜、茄子、唐辛子・・・ブドウ畑は収穫を終えて、枯れたぶどうの葉がひらひらと。山すその傾斜地には、柿林。まだ実は少し青かった。途中、大和郡山城の広い堀で鵜数匹、カイツブリを見て癒された。水にもぐって少し離れた場所で浮き上がってくる。薬師寺には大勢の修学旅行生。唐招提寺金堂は工事中で、残念。前の茶店で完歩を祝して、いっしょに歩いた友人とビールを飲む。大阪に戻ろうとしたとき、京都の歌人から電話。いっしょに飲もうという話になって、河原町、木屋町の居酒屋、飲み屋をはしご。最終の急行で大阪に戻った。カタリーズのホームページ『まだまだ。』
2006年09月24日
コメント(0)
フレンチ・パフュームカタリーズのホームページ『まだまだ。』
2006年09月22日
コメント(8)
昔、フランス一周貧乏旅行したことがあります。そのときの思い出話です。↓『旅の部屋』カタリーズのホームページ『まだまだ。』
2006年09月21日
コメント(4)
湾岸の風あじさいカタリーズの創作集『まだまだ。』
2006年09月20日
コメント(2)
過去に書いた創作、少しずつホームページに増やしています。本日の追加分は下記の短詩です。花へ。 メリーゴーランド おっちゃん あれは17のときカタリーズのホームページ「まだまだ。」よりご覧ください。
2006年09月19日
コメント(0)
ホームページ『まだまだ。』をつくってみました。このブログ、8月15日~9月16日の間の記述を抜粋した交歓セミナー『たゆたい。』のほか、カタリーズがこれまで書いた小説、短詩、詩、エッセイを掲載しています。(徐々に増やしていくつもりです)。このブログのコメント欄、掲示板あるいは、左のメッセージ欄より、ご感想をいただくと大変ありがたいです。
2006年09月18日
コメント(0)
ここしばらく、ブログはこちらの「創作日記」に重点を置いてまいりましたが、涼しくなったせいか、少しこころの向きが変わってきました。中断していたぼくのもう一つのブログ『キャリアとこころ』(こちらではキャリアCCと名乗っています)を復活させます。もしよろしければ、そっちのほうもご覧ください。主に、キャリアカウンセリング、カウンセリングのことを中心に書いているサイトです。こちらには、今までのように、私生活上のことに、創作を加えて書いていくつもりです。飛び飛びになるかもしれませんが、お許しください。
2006年09月18日
コメント(2)
蘭子の世代、つまりぼくと同じ団塊世代の女性が実は、ぼくは苦手である。蘭子を例に取ると、聡明で事業意欲があるのだけれど、根本のところでは、頑固で人を受け付けない。<これが正しい>と思う信念のようなものがあって、堅くて、なかなかそこを変えることはない。それでも、その上の世代とは違って、一応は人の話に耳を傾ける様子はみせる。しかし、話を聞いたあとの、論理展開は、・・・でもね、で始まり、そこから自分の論理へと引き寄せ、結局自分が正しくて、相手が間違っていることを証明しようとする態度。論理療法で言う<間違った信念>の存在をなかなか認めない。それで、だんだんと共感者がいなくなる傾向にある。(これは女性に限らず、団塊男性もそうかもしれないけれど)先だって、カウンセリングでであった団塊女性がそんなタイプで、主人と別れて独立はしたのはいいけれど、離婚前に描いていた<理想>と実際に経験してみての<独身生活>のギャップを感じておられるようすだった。その方の<正しいと思うこと>が機能しないのだ。初めは資金もあって余裕はあったようすだが、次第に厳しさと直面して、相談にいらっしゃった。話していて、気づくのは、しきりに同意を求めてこられること。自分がいかに深く考え、物事が見えているかを暗示する語り口。(ご本人はそれが長年染み付いておられるので、そのことの不自然さに気づかれない)。もっと、若い世代なら、そんなにいつも自分を軸にして考えるよりも、現実適応のほうに自然に心を向けられのかもしれないけれど、わが団塊世代は、自己の変節をよしとしない傾向がある。もちろん人によってさまざまであることは分かっているのだけれど、傾向としてそんな感じをぼくは受けている。ヨーコの世代(バブル期に20歳前後であった世代)は、いろいろ批判する人があるかもしれないけれど、ぼくは話していて、同世代よりもはるかに気分的に楽である。いろんな世代の方が、このブログをお読みなっていると思うけれど、皆さんは世代の違いをどういうふうに感じておられるのだろうか。
2006年09月17日
コメント(9)
交歓セミナーが終わって、そろそろ一ヶ月近くになる。ぼくにしては、割と大きな出来事だったけれど、それでも、日々起こることの対応に追われて、過去を思い出しながら、その細部を書く作業は少し負担に感じる。おいおいに、あの日々のことを書くこともあるだろうけれど、ひとまず、現実の日々に戻りたい。ただ、あの最後の日の朝に、皆の前で恵子と抱き合ったあとのことを少しかいつまんで書いておきたい。抱き終わったあと、恵子は気持ちが少し落ち着いたように思う。エヴァさんから罰の提案があったが、恵子は、もうそんなこいいです、と言った。別れを決意して、あたかも僕ともう距離を置くことを始めたみたいな印象で少し淋しくもあった。エヴァさんもいいでしょう、と同意した。エヴァさんがどんな罰を考えていたのか……。僕に下される罰としたらどんなことが痛手になるのか……。大阪に戻って一番に変わったことは、ヨーコが近郊にある実家に戻ったことだ。おばあさんが病院から戻り、そのおばあさんを介護するお母さんも疲労し、ヨーコが今度はおばあさんの面倒をみなくてはならなくなったからだ。それでも、ヨーコとは時々合っている。合っているけれど、二人とも自分の深い部分をさらけだしていない。コメントで、たらさんから指摘があったように、ヨーコの変化を期待している自分もある。ヨーコはヨーコで、きっと何かぼくの分からない思いや事情があるのだろう。「好きだ」が、即「結婚」に結びつかない。セックスに結びつかない。恵子とは、メールもこなくなった状態で意思疎通がない。元気しているだろうか。ローラさんとバルバラさんは、カナダへ帰った。また日本へ来たときは、逢いたい。お地蔵さんとは、日記に書いたけれど8月27日に、鈴鹿山系で沢登りをいっしょに楽しんだ。紅葉のころ、またどこか山歩きしようと約束した。そうそう、エヴァさんからメールが来た。カバラの数秘術というのがあるそうで、ここを見なさいと紹介してくれた。「性格を占う」というところで、誕生日と本名を入れて調べてみた。すると、びっくり。ちょっとよく書きすぎている面もあるけれど、ぼくそのものがそこに描かれている気がした。ぼくの知らないぼくも描かれている気がした。ペルソナ(世間に見せる外づら)のところの指摘は、まったくそのとおりだ。しかし、深層の自分は別にいる。◆━━━━━━━━ あなたのペルソナ(外的印象)━━━━━━━━◆ペルソナについて 本心を隠している時の性格です━━━━━━━━ペルソナ 6 の性格━━━━━━━━温厚で物静かな雰囲気があります。落ち着いた大人の雰囲気か可憐な雰囲気を漂わせるおっとり型です。忍耐強く、真面目で勤勉で、周囲に流されず常にマイペースです。淡々としていて、自分の意見をはっきり主張するところもありますが、滅多に怒らず謙虚で寛大で楽しい人です。周囲に安心感を与える独特の雰囲気もあり、包容力があり面倒見もよく過保護なほど優しいです。困っている人がいると助けてあげるとても親切な人で、特に弱い者には優しく、信頼し頼ってくる人は多いでしょう。でも、人として間違っていると感じると厳しくなり、説教好きで頑固なところもあります。誕生数 7 の性格━━━━━━━━楽天的で鋭い知性を持った戦略家です。科学的思考の持ち主で、感も鋭く人や物事の本質を見抜きます。理想が高く細かいことに神経質で、実行力があり、やると決めたらどんなことをしても達成させます。でも心の内側には深遠な精神世界が広がっていて、傷つきやすくデリケート。感性の世界に生き独創性が高く、神秘的な能力を持つ人もいます。様々な価値観が渦巻き混沌としていますが、心に壁を作り人には見せません。行動は大胆ですが、いつもクールで落ち着いています。知性・感性ともに鋭いためあらゆる矛盾に敏感で、空しさを抱え反抗的な面が目立つ人もいます。自立心が強く人に振り回されるのを嫌い我が道を行くタイプです。感情を殺し冷徹に徹することもあり、その気になれば有能な戦略家として大きな成功を掴める強運の持ち主です。◆━━━━━ あなたのもう一つの深層意識(生まれ日) ━━━━━◆生まれ日について ━━━━━━━━生まれ日 5 の性格━━━━━━━━知的好奇心が強く情報収集能力に長けています。マニア的奥の深さの物知り博士も多く、様々な分野に興味を抱き一通り何でもこなせる器用な人です。頭の回転も速く冷静沈着であまり物事に動じません。執着心がなく淡白ですが、一度決めたら譲らない意志の強さもあります。観察力に優れ臨機応変に物事を処理する才能もあります。話術が得意でユーモアのセンスがあり、ムードメーカーとして人気者になる人もいるでしょう。豊富な話題で人を飽きさせず、楽しい雰囲気作りに励みます。神経質で消極的な内面を持つため孤独になる人もいますが、心を許せる存在が現れると優柔不断さも消え、頑固なまでに強くなり積極的になるようです。不運を幸運に変える才能があり、柔軟性を生かして発展して行く強運の持ち主です。
2006年09月16日
コメント(7)
僕の頭の中はだいぶん混乱してきた。自分が本当は何を欲しているのかさえ、よく分からない。恵子が去ると言えば、追わない自分も知っているが、ではヨーコに何を求めているのか、それが分からないまま、僕の口から言葉が出てしまった。皆の視線がぼくを刺す。「恵子にまず謝らなきゃいけないね」いい子ぶった口調だ。「恵子が求めているものは、安定だね。男と女がいっしょに暮らして、落ち着いた暮らしをするのが願いだよね。それを分かっていながら、また、それに応えられないと分かっていながら、恵子をまた誘ってしまった。ごめん。もう、あんまり無理を言わないようにしなきゃあね。考えてみれば、最近は僕達あんまり話し合っていないなあ。出逢った頃は、雪降る温泉町のことや、荒れ狂う冬の海の話や、海の幸の話をいっぱい話したのにね、ぼくは好奇心いっぱいで、北の国の話を聞いのにね、・・・」僕は何を言っているのだろう。何が言いたいのだろう。恵子に向かって話しながら、僕はヨーコのことを気にしている。ヨーコに<好きだ>をなんとか伝えられないか、とややこしいことを考えている。しかし、両方にいい顔はできない。今、決断すべきだ。<さあ、どうする!>「恵子、いっぱい楽しい思い出をありがとう。でも、僕は君が望んでいるような人間じゃない。じっと一つ所に落ち着けるタイプでもない。僕のすごく勝手な言い分だけど、僕たち終わりにしよう。別れて欲しい」……恵子が近づいてきた。そして言った。「歯を食いしばって」というや、目の正面に拳骨が飛んできた。……あのとき、そのまま殴られていたら良かったのか。しかし、咄嗟にぼくはよけていた。「殴らせて」と、なおも恵子は言う。すると、ぼくは何と言ったか?「暴力はいけない」と言ったのだ。我ながら滑稽な言葉だと思う。そんな修羅場でも僕は自分勝手な理屈を言っている。<人を殴ることで、すっきりするという、そんな青春映画の一シーンみたいなこと、しらけるよ。殴って本当にすっきりするのか? 恵子>恵子はなおも挑んでくる。顔をはつろうとする。蹴りも加わる。蹴りには僕は尻を向けてわざと打たせる。あんまり痛くない。「恵子さん」と声をかけたのは、エヴァさんだった。「分かったわ。あなたの気持ち。私に任せて。いい?」と恵子に聞く。恵子は、肩で息をしながら、小さくうなづく。「野間さんに罰を与えましょうね。野間さん、あなた恵子さんの気持ち分かってるの?」「……」「恵子さんは、あなたに抱いて欲しいのよ」エヴァさんは、また意外なことを言う。恵子は黙っている。「さあ、野間さん、恵子さんをここでしっかりと抱いてあげなさい」皆の前で、格好悪いと思うが、エヴァさんの気迫に押される。さっきまでの頭の中の思考が吹っ飛んで、エヴァさんに促されるまま、皆の前で恵子を抱いた。「しっかりとよ」エヴァさんの声が聞こえる。ぼくは催眠術にかかったみたいに、言われるまま、恵子を抱きしめる。恵子の心臓が動いている。体温もある。ぼくの二の腕が恵子の涙で濡れる。(つづく)
2006年09月15日
コメント(4)
恵子がゆっくり立ち上がる。「皆さん、ここに来てから、私にとっては、常識外のことをいっぱい経験しました。皆さんは、何か変わろうとか、新しいものを発見しようということがあるみたいですけど、私はそんな特別なこと望んでなくて、これまでの心と連続した平凡な日がいい。人生、晴れの日も雨の日もある、そんなことみんな分かってるはずじゃない? 周りに振り回されるのじゃなくて、私は、淡々と日々を繋いでいくだけ。ただ、できれば好きな人といっしょに暮らせたらという思いはある。野間さんといっしょに暮らしたいと思ったこともある。……そんな話をしたから、ヨーコさんはきっと私が野間さんと暮らせるように、野間さんの本当の気持ちを引き出そうとしてくれたのよね」恵子はヨーコのほうをちらっと向く。ヨーコはあいまいにうなづく。「こちらに来て、私が一番感動したのは、昨日行った、あのガラス工房だわ。美しい吹きガラスをつくるために、無駄のないぴったり息の合ったやりとり。相手の動きの先に自分が動いて準備して、受ける。そして手渡す。また受ける。その作業の繰り返しのなかで、最終的には透明な美しいガラスができる。私ら素人には、どのガラスもいい出来栄えに見えるけれど、めったに思うようにはできないとご主人は言っていた。それでも、夫婦が理想の形をつくるために息を合わせている姿は美しいと思った。何十年とかかって自然にできた夫婦のかたちよね。自分もあんなパートナーがいたら、いいなあ、と思った。でもね、野間さんと私とでは違いすぎる。何十年かかっても、あんなふうにはなれないと思う。野間さんは一つのものに執着するタイプじゃない。さっき、自分でも言ってたと思うけれど、<変わる>ことが好き。私は逆で、静かにひとところで落ちきたい。それが分かったから、しばらく距離を置いていた。距離を置くと、駄々っ子のように今度は自分の方へ引っ張る。逢ってて退屈な人じゃない。私も、淋しいところあるから、つい情にほだされてしまうからいけない。それは分かっているつもり。でも、ついつい逢ってしまう。野間さんは、心にいっぱい<記念品>を持っているといったわ。そう言うのは野間さんの勝手だからしかたない。でもね、その<記念品>は、私と共有できない。誰とも共有できない。きっと、共感する人もいないと思うわ。ここへ来るとき、伊賀上野の松尾芭蕉の生誕の家に野間さんと寄りました。あそこへ行くまで、芭蕉さんはなんだか偉い人で、私たちとずいぶん違うところにいると思っていたけれど、そうじゃないのね。お母さんが亡くなったあと、故郷に帰ってお兄さんから、大切に保存されていた臍(へそ)の緒をもらうの。そのときの句が、たしか・・・」恵子はそういって。傍らのバッグから自分の手帳を取り出した。「古里や 臍のをに泣く としのくれ……死んだ母親を思って悲しんだ句というふうに、案内の方は説明したけれど、もっといろんな事情がありそうな句だわ。私は俳句の専門家ではないので、よくわからないけれど、なんとなくすごく淋しそうな芭蕉が浮かぶ。その淋しい芭蕉が、唯一、ほっとできる空間が故郷の家なのね。こんな句もあるわ。冬籠もり またよりそはん 此はしら寒い冬、江戸から久しぶりに帰って、庵の柱一本に温かみを感じている芭蕉。こちらの句も、心細そうな芭蕉がそこにいる感じね。芭蕉はあんなにあっちこっち旅しながら、いつも心に故郷の家があったのね。でもね、野間さんから故郷の話を聞いたことがない。子供時代どんな子供でお母さんはどんな人かも。まるで、宇宙から飛び降りてきた人に、私には見える。野間さんは、車も家も妻も子もない。自分で意図したことかどうか分からないけれど、野間さんは形のあるモノをいっぱい持つことを嫌う。身を軽くして、あっちこっち動き回っている。そんな野間さんは、家庭人としては失格ね。永遠の子供と言ってもいいかもしれない。そんなわがままには、やっぱり付き合いきれない。自分の居場所を探さなやね。定着できる場所を」恵子の話は終わった。皆の視線が僕に集まってくる。何かを言え、といわんばかりだ。(つづく)
2006年09月14日
コメント(8)
「野間さんは、嘘つき!」「えっ、何で嘘つき? どういうことだ」ぼくは、思わず口にしていた。「嘘つき、と言ってぴんとこないなら、小心者と言ってあげると、分かるかしら?」ヨーコの口調がとげとげとしい。ヨーコもいつの間にかワインをあけている。「エヴァさん、ヨーコと話していいですか?」エヴァさんは、うなづいた。そして「ここで、みんなの前でね」と付け加えた。「嘘つきのわけを聞かしてもらおうか。ぼくのどこが嘘つきなんだ」「全部よ、全部といっていいくらい。それが、セミナーに参加して分かってきたこと。ほんとうは、その話を言いたかったんだけど、やっぱり抑えておこうと辛抱してたのよ」「ゆっくり聞かせてもらえないか」ぼくは、ヨーコの高ぶる気持ちを抑えようと、できるだけ静かに感情を抑えていった。すると、「その口調が気に入らない」とヨーコは挑んできた。「……」「だいたい、野間さんは人のことを書いたり、相談にのったりするくせに、自分のことは分からないのね」「分かっているつもりだが……」「じゃ、聞くわ。野間さんは誰が好き?」意表をつく質問だった。頭の中で、瞬間的に出てきたのが<ヨーコ、お前だ!>という言葉。意外だった。・・・しかし、それを口にできない自分がいる。「恵子さんでしょう? 恵子さんといったん付き合いながら、長いあいだほうったらかしにした。恵子さんは、自分から積極的になれるタイプじゃないから、黙って耐えていただけなのに、なんか、心が通わないとかなんとか、勝手な理屈をつけて、恵子さんに淋しい思いをさせていた。私は、二人からいろんな話が聞ける立場だから、それが分かる」ぼくは恵子の顔を見る。ぼくはこの女性が好きなのか? 嫌いじゃない。セックスの相性もいい。何か無理を頼んでも、初めは拒否しても、最後は僕についてくれる。「その恵子さんが、野間さんのどんな言葉を待っているか分からないの?さっきの野間さんの話は何なの? どうでもいい話よ。壬生さんが<人生こんなもの>と思うことに対して、自分はどれだけまだまだ変わるか、発見があるなんて、話をしていたけれど、そんなの自分勝手の世界じゃない。変わるだけで、残すものはないの?溜めるものはないの? 大切にするものはないの?」他の参加者が耳をそばだてて聞いている。背中に汗が流れ出す。「野間さんが歩いたあとには、踏み荒らされて萎んだ花が散っている。野間さんと知り合ったころ、野間さんは過去付き合った女性達のことを話してくれたことがあった。そのときは、深く考えなかったけれど、セミナーでだんだん分かってきたの。岐阜のときの実感セミナー、今度の交換セミナーで、私ようやく気がついたの。野間さんは女性達の敵よ」「敵?」「そう、敵よ」「どうして?」「嘘つきだから」「だから、どうして嘘つきと言うんだ?!」「野間さんは、本心は言わない。嘘ばかり言ってるのだわ。恵子さんを好きなら好きとどうして言ってあげないの?」「……」「好きな人に好きだと言わない」<違う! 違うんだ、ヨーコ>と言おうとするが、言葉にならない。「お願い、恵子さんのこと好き、と芯から言ってあげて」「……」「私、小さいときから体の回りに透明な膜のようなものがあって、それが息苦しかった。でも、2つのセミナーに参加して思ったの。その膜は結局、自分を守るために必要だった。でも、その膜があるおかげで、私は2重の私を生きることになった。傷つきやすい心は守れたけれど、私は本心を隠していたのだわ。でも、いま私は私の本心を生きなきゃだめと思えるようになった。バードさんのこと、私は今でもシホさんの何倍か愛してるつもりよ。シホさんに奪われるのは悲しい。もっともっとバードさんにくっついて世話を焼きたい。でも、そうしてることで、奥の方の私が表面の私に嘘つきと言うのよ。嘘つきと言ってるのが聞こえるの。でも、それがどんな嘘なのか、教えてくれない。それは私のこれからの宿題ね。野間さんの嘘が見えるのに、私は私の嘘が説明できない……」ヨーコの声がだんだんとトーンダウンした。エヴァさんが言った。「ヨーコさん、今日はそれぐらいにしては? 家に帰ってからでも、じっくりと自分を振り返る時間があるでしょう。じゃ、最後ですね、お待たせしました。恵子さん、ご感想を聞かせてください」(つづく)
2006年09月13日
コメント(16)
エヴァさんがぼくを指名した。皆の視線が集まる。何をしゃべるか、決めてはいない。目をつぶる。すると、学生時代、髪の毛が長かった自分の顔が浮かんだ。フーッと息を吐いて、自分でも思いもかけなかったことをしゃべりだした。「<いちご白書をもう一度>という歌をご存知の方があると思いますが、ぼくは共感できない。カラオケ店に行ったとき、年下の人からこの歌をリクエストされた。きっと、ぼくが70年当時の学生だから、よく歌ったのだろうと思ってのことだろうけれど、それは違う。映画の<いちご白書>は確かに70年公開だけれど、この歌は、荒井由美時代のユーミンが75年に作詞・作曲して、バンバンが歌ってヒットした。わずか5年だけど時代の空気に微妙なずれがある。70年は嵐の中にいる感覚、75年は嵐のあと。妙に懐かしんでる雰囲気があるけれど、僕は70年をけっしてなつかしんだりなんかしない。貧乏のどん底で、6畳一間どころか、3畳1間の部屋で女性と身を摺り寄せて暮らしていた。昼間は働いて夜大学に通う生活で、学生運動に深く関わるよりも日々の生活を支えるために働く時間を優先せざるをえなかった。あっちこっちへデモに出かけるお金も余裕もなかった。でも、心の中では、それまでなんとなく息苦しかった体制を、左翼、右翼問わず、問い直そうという空気には異論はなかった。別に反体制を気取るわけでもなかったけれど、ぼくもご多聞にもれず、長髪で汚いジーンズをはいて毎日を過ごした。大学を卒業するからと、就職するからと髪の毛は切らなかった。ついでにいうとまともな就職活動もしていない。学生時代からのアルバイト先の雑誌社にそのまま社員に加えてもらっただけ。だから、 僕は不精ヒゲと髪をのばして 学生集会へも時々出かけた 就職が決まって 髪を切ってきた時 もう若くないさと 君に言い訳したねという歌詞には違和感がある。就職するからと、昨日までの思いをそんなに簡単に捨てられるのか、それじゃ、あの激しいデモの嵐はなんだったんだ? ぼくはわけがわからなかった。ぼくは、結局放浪者のように、自分が定住する場所を定められず、いろんな職業について、最後は結局自由業を選択した。上司に会社に拘束されずに自由に生きたかった。その末路が、学生時代からいっしょに住んでいた人とも別れ、家もなく、子もなく、たいした財産もない今の自分。しかし、さっきの壬生さんの話と逆で、ぼくはいろんな人と接してきた。神戸の震災前後に街づくりに加わった。野宿者支援にも加わった。アジア、アフリカの人を含め、外国人との交流活動にも加わった。モノとして、ほとんど何も持たないぼくだけれど、心の中には、いろんな記念品がつまっている。それでいいと思っている。ヨーコがこのセミナーに誘ってくれたとき思ったのは、そんな記念品の飾り棚にまた一つ、いいものが残りそうだ、そんな思いがあったのが正直なところ。ぼくは、人生は<こんなもの>と思うタイプではない。なにか新しいことがあると飛びついてきた。そして自分が何かに気づき、発見し、変わっていくことを感じて、内心喜んでいる。発見は、飛躍から生まれる。このセミナーが、一般のセミナーと違って、レンタルパートナーとして男女が出会うというコンセプトがあることを知って、ぼくは心の飛躍になることを期待した。このセミナーで、何が変わったのか、今は分からない。でも、また何か発見しているのだと思う……」そこまで、言い終わったとき、ヨーコが急に立ち上がって、叫んだ。「やめて、そんな話どうでもいい。野間さん、何を考えてるのォ!」「話は最後まで聞いてください」木瀬さんが発言を制止しようとすると、ヨーコは「言わせてッ!」と、皿を持って、豆を部屋中にばらまいた。その豆がぼくの顔にもあたった。ヨーコの怒りの理由が分からない。(つづく)
2006年09月12日
コメント(6)
「節子と結婚して30年になりますかなあ。初めはいろいろ諍いもありましたが、子供ができてだんだん落ち着いたと思っておりました。しかし、さっきの節子の話を聞くと、定年後は追い出されるかもしれないとうことになりますと、何でだ! という怒りを覚えます。確かに会社は変わりましたが、それでも家族のためとしんどい仕事も辛抱してやってきたんです。たまに、マージャン、釣りとかで外出してなんで咎められないかんのか……。そんな思いもあります。一方で、ここで皆さんと過ごすうち、自分の人生で足りなかったものもあるのでは、と思うようにもなりました。それは、単純なことですが、人と接するということです。節子と毎日顔を合わせてきましたが、しかし、顔を合わせているだけで、なんか接するということをしてこなかった気がします。節子が何を考えているか、考えることもなく、ただ、夫婦はこんなもんだ、という気持ちで日々をやり過ごしてきました。しかし、ここへ来て、レンタルパートナーの3人の女性と接してみますと、ぼくのこころは相手が何を考えているか、たとえ黙っていても感じようとしている。そんなふうでした。シホさんとは30歳も年齢が違う。ヨーコさんとは20歳ぐらい。恵子さんと15歳位の差です。今まで、会社の周りのごく限られた人間しか接してきましたし、家へ帰っても近所づきあいは節子にほとんど任せていたので、節子以外の人間とほとんど接してこなかった。その枠のなかで、社会はこんなもんだ、人生はこんなものと達観してしたつもりになっていましたが、その自信がなくってきました。女性に限らず、バード君や船場さんとも年齢が違う。そんな皆さんとのふれあいのなかで、今まで<こんなもんだ>と思っていた枠組みじゃないものがあるのだなあ、と感じ始めました。私らの世代は、<主義>やら<信念>やら、あるいは<存在理由>とかいう言葉も流行りましたが、頭でっかちの観念世界に左右される部分がありました。それは、前からうすうすそう思うところがあったんですが、今回ここに来てだんだんはっきりしてきた。エヴァさんの講義のなかで、岐阜のときのセミナーの要点を話してくださったとき、もっと実感を大切にするようにといわれましたが、痛いところ突かれたなあと思いました。私たちの世代、いや世代全般を言うことはできませんね、いろんな人がいるわけですから、・・・少なくとも私は、自分が合理的なものと思う理屈に左右されていたんではないか、という気がします。感じることを抜きにして、理屈だけで相手をやり込めたり、やり込められたりしてきましたなあ。節子との諍いのときも、心に感じていることを吐露するというよりも、なんか理屈ばかりで・・・。いま、思いつくのはこれくらいですが、家に帰ったらまた違うことを発見するかもしれません。そうそう、このセミナーは<交歓セミナー>といいましたなあ。その意味を、最初の日にエヴァさんが、<よろこびを分かち合うこと>とか、何とか言って説明してくださいましたなあ。そこのところ、自分はまだよく分かっていない。ケチをつけることは得意だけれど、いっしょに喜ぶって、それがまだピンと来ていない。同情はわかる。しかし、エヴァさんが講義のなかでおっしゃった<照応>だとか<共感>というのが、まだどうも・・・。ま、いい勉強させてさせてもらった。エヴァさん、皆さん、どうもありがとう」壬生の言うことは年代が近いから大体分かる。それでも、ずっとサラリーマンを続けてきた彼と、基本的には自由業で通したぼくの感じ方とはずれがある。(つづく)
2006年09月11日
コメント(4)
シホさんは座ったまま話し出した。今朝もワインを飲んでいる。最初の言葉は、「私は、一つじゃない」だった。一人じゃない、の間違いかと最初思ったが、話を聞いているうち、一つじゃない、で辻褄が合うことに気がついた。人を数える単位を、個数で数えるのは彼女の自然な感覚なのだ。「野間さんは、ワインの長い話をしたけど、違うと思う。私はそんな暗いところで、長い間待った覚えもないし、飲まれてうれしいこともない。それに、私はぶどうかもしれないけれど、麦かもしれない。とうもろこしだっていいはず。もし、私が人を酔わせてあげること願っていたらね。でも、私はそんなことを願っているわけじゃない。私の一つが、ときどき親切にしてあげることがあるかもしれないけれど、別の私はそんなことどうでもいいと思う。何をしたいか、何になりたいか、と年上の人は訊くけれど、なぜそれを訊くのか分からない。そのときどきに、私は変わる。本当は、自分が変わっている自覚はないのだけど、周りの人がそういうので、そうかなあ、と思うだけ。きっと何個も私があるんだね。バード君を好きかどうかもほんとうは、わからない。私の中の一個が、きっとバード君の求めるものに合わせて動いているだけ。それをバード君が気に入ってくれるなら、それでいいと思う。ただ、皆さんとバード君が違うことはあるわ。誰でも、こころのなかにコンプレックスや恨みや憤りがあると思うけれど、かれは言葉じゃない、言葉じゃないもので、気持ちを伝えてくる人だわ。本当言うと、こうしてしゃべるのも面倒くさい。私の言った私の言葉を、別の私があざ笑う。言葉はうそつき。だから、私は酔って、黙ってただ寝たい。それだけ」シホさんは、そう言ってまたワインを一気に飲んだ。ぼくは、なんだかシホさんに同情した。きっと頭のいい子なんだ。感性も鋭いと思う。だけど、いくつもの自分をかかえて、もてあましている、そんなふうに思った。自分を抑えるために、眠ることを求めている。あるいは、永遠の安逸を……。彼女が巫女になればいいのに、という連想が急に働いた。平安時代の巫女になって、憑依して男を狂わす。いろんな姿に身を変えて、男を素っ裸にして、打擲(ちょうちゃく)する。嘘を暴きたてる巫女。「許してくださりゃ」と懇願する色男。尻を丸出しにして。滑稽な姿だが、甘美な悦びもあるだろうーー。周りを見ると、ヨーコだけがなんだかうなづいている。バード君は豆を齧った。他の年配者たちは、あまり理解できないふうで、首をかしげている者もいる。「はい、結構です。それでは壬生さん」エヴァさんは、ポカーンとしている壬生さんを指名した。(つづく)
2006年09月10日
コメント(4)
「では、船場さん、お願いします」エヴァさんが船場さんを指名した。「恋人の譲り渡しでっか。ええ話のような悲しいような…。よう考えたら、わてかて、被害者だっせ。わてにかて同情して欲しいなあ」船場さんは、そういうが余り悲しそうではない。「わてかて、シホというコイビトをバード君にとられてしもうたんやで。ハハハハハ。・・・というのは、嘘だんねん。シホさんとは、ワテもただの友達。セックスレスでっせ。というてもなあ、ワテが迫っても、ずっと振られてただけですけどなあ。出おうたんは、つい一ヶ月ほど前。ホテルのプールで偶然出おうて知りおうただけだす。ほんまやったら、こんな40半ばのおっさんに、シホさんみたいな、若い子オが、それもべっぴんさんが親しくしてくれるなんてないんやろけど、ちょっとしたわけがおましてなあ、それで、ま、付き合いの真似事しとっただけだァ。詳しいわけは控えま。ワテは、ま言うたらシホさんのスポンサー、タニマチ、応援団長というところでっしゃろか。あんまり元気なかったシホさんに、いっぺん元気にしたろう思うて、ここへ誘いましたんや。あ、これも嘘やなあ。ワテのスケベ心につきおうてもろうただけかもしれまへんしなあ。初めはいやや言うてはってんけどな…、なんじゃかんじゃ言うて強引に連れてきましてん。こころの優しいええ子オでっせ。アハハハハ」船場さんは笑いながら、話を切った。次は節子さんだった。「船場さんこそ、見かけによらず優しいいい人ですね。冗談ばっかり言う人ですが。でも、その冗談がうれしいんです。私が、フクロノリをひろったときも、竜の卵の話をつくってくださった。プカプカ、プカプカア、も面白かったですわ。でも、冗談のようで、あの話、私のこと言い当ててくださったように思っています。私に殻があるとしたら、なんというか、こうしなきゃいけない、とか、絶対こうよ、と思い込むところかしらん。自分の思うとおりでないと、我慢できない。他の人を許せない」壬生が豆を握る音がする。「自分で言うのもへんですが、学校時代はわりと成績もよくて、まじめで人にほめられもした。でも、その間にわがままになっていったんです。OLしてるときは、そのせいで周りとよく衝突した。いい加減なところを見ると、許せなくて。壬生と結婚してからも、初めはよく衝突しましたわ。壬生は、あのとおり、勝手きまま。好きなときに一人で旅に出るし、釣りやマージャンと言って帰ってこない日もありました。それにサラリーマンとしては落第。2度3度、仕事を変わって。そのたびにヒヤヒアしましたたわ。でも、さすがに年をとると、面と向かって衝突してもしようがない、と悟りました。夫が定年になるまで、なんとか辛抱して、定年になったら、別れようと思ったりもしました。今も、それがなくなったとは言えません。ただ、船場さんの話のおかげで、私も反省すべきところがあるのじゃないかと、思いだした。自分の硬い殻があるなら、それを取り去れなくても、せめて柔らかくして空気穴ぐらいはつくっったらいい、そんな予感がしてきたんです。これから私達どうなるか分かりませんけれど、何かが変わるかもしれない。夫の気持ち、じっくり聞いてみようと思っています」パラパラと拍手があった。壬生は思うところあるのか、うんうんといわんばかり、首を2度ばかり縦に振った。そして、握っていた豆を皿に戻した。次は壬生さんか…。いや、エヴァさんはシホさんを指名した。(つづく)
2006年09月10日
コメント(2)
「それでは、みなさん今朝はセミナーの締めくくりです。いかがでしょうか。何か発見があったでしょうか。ご満足いただけましたでしょうか?」最初の日のように、テーブルの周りにエヴァさんが一番奥の席に座った。「今朝は、今回このセミナーに参加しての感想を語り合って、お別れすることにしましょう。自分の中で、もし何か変わったものがあれば、言ってください。新たな発見でもいいです。それから一つだけ特別ルールをつくります……」そのとき、木瀬が立ち上がって各パートナーの前に小さな皿を置いた。そして、中に節分のときの豆のようなものをパラパラと入れていった。「今配ったのは、ただの乾燥した大豆です。別に何もなければ口にする必要はありませんが、発言者のことばを聞いていて、自分が何か喋りたくなったらその豆を口に入れてください。しゃべりたい心を抑えてください。そして最後まで話を聞いてあげてください。豆は硬いですが、じっくり噛めば柔らかくなるはずです。噛むうち、その人の心を感じることができるかもしれません。・・・・・・いいですか。私が終わりというまで、指名された人以外は発言を謹んでくださいね」奇妙なゲーム説明を聞いて、皆神妙な面持ち。最初にバード君が指名された。バード君は一瞬言いよどんで、そして意を決したようにしゃべり始めた。「実は、ヨーコと別れようと思っています」と切り出した。「オオッ!」と驚きの声を上げたのは船場さんだ。何かしゃべろうとしたところを、エヴァさんに睨まれて、船場さんは慌てて豆をつまんだ。「ヨーコは嫌いではないけれど、恋人というより、いい飲み友達みたいな関係で・・・。そのままでも良かったのですが、ここでシホさんと出会いました。シホさんと出合ったことで、ぼくの中で何かが変わりました。初日の夜、外で煙草を吸っているとき、シホさんと話しました。それがとても自然で…。いっしょにいるとうれしい気持ちになった。それから2日目の夜も、3日目の夜も、皆さんがそれぞれの部屋でお休みになっているあいだ、ぼくたちは会っていました」ヨーコが、豆をつまみ、気持ちを抑えているふう。「僕は異性がずっと恐かったのです。普段話しているときは分からないのですが、いざベッドに入ると凄く恐くなって僕のものは役に立たないのです」「ちょ、ちょっと待って。それ以上は言わないで」ヨーコはたまらず、声を出した。「ヨーコさん、黙って聞いてあげてください」エヴァさんがいましめる。「実は、ヨーコはなんとかぼくの機能が回復するようにといろんな情報を集めてくれて、病院やカウンセラーの情報を集めてくれました。この会にぼくがきた理由は本当言うとそのためなんです。何かのきっかけになれば、と思ってヨーコは藁をもすがるつもりでぼくを誘ったのです」そこでいったん、間をあけるようにバード君はテーブルの上のオレンジジュースを飲んだ。「ぼくはここに来てとてもよかったと思います。節子さんや恵子さんにはレンタルパートナーとしてお付き合いいただいたのに申し訳ありませんが、シホさんといるときだけが気が落ち着いたんです。よかったんです。ぼくの男性としての機能も可能になった。あまり詳しくはシホさんの気持ちもありますので言いたくはありませんが、向かいの島に二人だけでこっそり行ったとき、それこそ予期しないで宇宙から流星がやってきたみたいにぼくの身体の力が蘇った。そしたら、シホさんのことがいっそう好きになって……。ヨーコ、ごめん。そしてありがとう」そう言って、バード君は席に座った。ヨーコの目は潤んでいる。シホさんはバード君の顔をじっと見たままだ。 ヨーコが指名された。しばらく考えてから立ち上がった。「エヴァさん、皆さん、ありがとうございます。私個人としては、こういう結果になったのはとても残念ですが、でも、バード君にはいい結果なのだろうと思います。私達は、恋人同士といっったって、セックスレスで、考えようによってはただの友達。バード君の民族音楽演奏の姿にひかれて、それがとても素敵で・・・、それに惹かれて私がバード君を追いかけていた。無理やりしばっていたのは私で、バード君はいつも別の何かを求めている気がしてた。それが何か分からず、ずるずると私達の関係は続いた。くやしいけれど、きっとシホさんには私にはない何かがあって、それがバード君に力を与えている。だとしたら、バード君にふさわしいのはシホさんです。シホさん、バード君をよろしく、と私からいうのもへんですが、二人、幸せになってください」ヨーコは、そう言ってシホさんに頭を下げた。マザコンとは言え、バード君を愛していたことは事実のはずなのに、そう言えるヨーコが不思議だった。ヨーコの意地なのだろうか。座は静まりかえっている。(つづく)
2006年09月09日
コメント(4)
胸の上の頭が動いた気配で目が覚めた。目を開けたが、ぼうっと天空に顔を向けたままだった。すると、こんな真夜中なのに小さな動物が動く気配を感じた。鳥の鳴き声もする。風が木々の梢を渡りながら、さざ波のように、サワーッと移動して近づいてくる。森の生き物たちが聞くような微細な音がそのとき突然耳の中に押し寄せてきた。「少し歩こう」恵子に提案した。「向こう側は何があるのかしら」と恵子が来た道と反対方向を指さした。「もうちょっと探検してみようか」二人でゆっくりと降りる。急なところは先に自分が下りて、彼女を抱えた。楽なところでは立ち止まって口づけした。崖下にどうにか降りるとそこからS字型にゆるやかな道がつづき、いったん海岸が見えるところに出た。海岸で手を洗い、足も洗った。遠くで漁火が見えた。また山すそに入って暫く歩くと、およそ2メートル四方の崩れかげんの石段があった。石段は2段になっていて上の段はおよそ1メートル半四方。一段は高さは40センチぐらいだ。上部は丸い石が重ねられ、あとは草が生えているばかりだった。「何だろう?」「・・・・・・」うす暗がりでじっと目を凝らす。あたりを眺める。よく見れば、石段の背後に太い幹の木が聳えている。人間二人で腕を回しても到底抱きかかえられそうにない。3人でも無理かもしれない。暗いので何の木かよく分からないが、とにかく巨樹であるには違いない。高さはどのくらいあるのだろうか。上を見ても、夜空との境目があいまいだ。「分かった!」突然恵子はそういい、神妙に拍手を打って両手を合わせた。その動作で恵子が何を連想したか分かった。その石段は祭壇なのだ。ここは神社あとで、巨樹は御神木なのである。自分も真似して合掌礼拝し、そのあと改めてあたりをうかがうと、天まで伸びているかと錯覚しそうな巨樹があたりに屹立しているのだった。恵子は祭壇の横を抜けてご神木の方に進んだ。そして改めて拍手を打つと、今度は恵子はその巨樹に両手を広げてしがみついた。なおも身体を巨樹にぴったりと付け、頬を押しあてた。そしてしばらくジーッとして動かなかった。巨樹の霊気と交わろうしているみたいだった。恵子の顔はやすらいでいくふう。巨樹に嫉妬を覚えた。自分も巨樹に近づく。押してもみた。自分の力に自分が跳ね返されるだけで、巨樹はびくともしない。足元に根が張り出しているのを見つけてその上に座った。やがて恵子も横の根の上に座った。沈黙がつづいて、何かを喋ろうと思ったが言葉がなかなか思い浮かばない。そしてようやく、思いついたのは、「さっき、どうして涙を溜めていたの?」という質問だった。「・・・・・・」「あ、余計なこと聞いてしまったかな。べつに言わなくていいい」風が、森の葉をさわさわと揺らせている。「……言うわ。こんな夜いつかくるとずっと待っていたような気がする。」そう言って恵子が問わず語りに断続的に語り始めたーー。ーー私ね、ずっと昔、二〇歳ぐらいのときの話だけれど、とっても好きな人がいた。あなたに抱かれていて、その人の顔が急に浮かんで…。ずっと忘れることにしていたのに、急に浮かんで…。たぶん、それはあなたが崖のところで急にキスしてきたときから始まったのだけれど…、不意にデジャヴュに襲われて、これって昔あったと思い出したの……。あれは祭りの日だった。鉦(かね)や太鼓の音も響いてきた。浴衣を来た人たちがいっぱいいて…。好きだった人といっしょに夏祭りに行って、帰りさっきと同じような場所で結ばれた。私は内心有頂天だった。だって夢がかなったんだもん。櫓の周りで踊りの輪が二重三重になっっていた。踊りながら音頭を歌っている老若男女がいた。……だけど、よくある話で、結局は男は、ただの遊びで。暫くすると別の女性との付き合いが始まった。私と付き合いがあったときでも、別の女性と会っていたらしい。妊娠に気づいたのは男と別れてから。そのときはおろすにはもう遅すぎる時期で……、結局は産んだ。男に認知させて養育費をもらって自分で育てようと、どれだけ思ったかしれないけれど、現実の選択は赤ん坊をもらってくださる人を見つけて、育ててもらうしかなかった。お腹が膨らむ暫く前に村を出て、それから近くの町で子供を産んだ。ーー恵子の話が途絶えると風の音が聞こえてきた。そしてあたりが白みはじめた。(つづく)
2006年09月08日
コメント(0)
後ろを振り返ると、僅かに残った火でヨーコたちが海を見ているのが見えた。「いっしょに帰ろう」と言いかけたがやめた。考えればいっしょに帰る必要もなかった。二人をそこに残して浜を後にした。気が付けば恵子と二人だけになっていた。夜道だが、目が慣れてきたせいか、月明かりだけでも道は判別できる。崖の下まで来ると、恵子は組んでいた腕を離して「冒険よ!」と行って、いきなり歩調を速め一人で坂を登っていった。「危ないよ。気をつけろよォー」と後ろから叫んでもどんどん登っていく。慌てて追いかける。しかし、酔った身体には坂道はきつい。ようやく崖の上で追いついた。そこで、ハーハ―言いながら恵子を抱きかかえた。そしてそのままキスをした。さっきまでの焚き火のススの匂いが恵子の髪の毛から漂ってきたが、それが野性の感覚を蘇らせてくれた。獰猛に唇を吸った。木の枝と枝の間からさっきまでいた浜がぼんやりと見える。性急なこととは分かっていたが、恵子に「しよう」と耳元で囁いた。恵子は何も言わずにしがみついてきた。腕の中にある恵子の柔らかい身体から体温が伝わってくる。抱く手で背中をさすると恵子の身体はビクンと動いた。耳を齧る。肩を齧られる。髪をかく。髪をかかれる。背中の指が食い込む。抱き合ったまま崩れ、それから恵子の頭を自分の腕で支えた。そしてもう一方の手で髪を撫であげ額に口付けた。瞼にもキッスしたとき、恵子は静かに「脱いで」と言った。シャツを脱ぎ、恵子も脱がそうとすると「自分で脱ぐ」と言って、いったん半身を起こした。月の光の下で恵子の乳房のシルエットが浮かんだ。その間に自分の着ていたもので、即席の褥(しとね)をこしらえた。恵子をその上に寝かせた。・・・・・・長い交合だった。途中からあたりの風景は消えて恵子の声ばかりになった。その声を受けて自分のものは怒張し猛り狂った。いったん頂きに達したと思った声が、そこはまだほんの入口で次はさらに高い声になって、最後は嗚咽がつづき、そのあいだ膣の中も身体も痙攣した。自分のものは恵子の中に入ったままでなかなか小さくならなかった。恵子のものがキューッと締まってきて、逃すまいと何度も迫ってきた。結局射精は三度に及んだ。終わって恵子の瞼に口づけするとなぜか涙がたまっていた。その涙をすすると、恵子はしがみついてきた。しばらくそのまま眠ってしまった。(つづく)
2006年09月07日
コメント(2)
焚き火の炎がだんだん小さくなって、元のペアがそれぞれ、酔っておぼつかない足を引きずるようにしてどこかへ消えていった。最後に誰かが熾き火を消して闇が広がった。しかし、それはほんの一瞬のことで、天空からシャワーのように星の光が降り注いできた。都会にいれば、こんなに空に星が詰まっているとは想像もできない。英語で天の川をミルキーウェーというのを思い出す。ミルクの道とは、よく言ったものだ。本当に誰かがミルクをこぼしたみたいに流れて天空を流れている。北極星を探す。方角が分かると何となく安心する。星座を習い覚えたときの記憶をたどる。確か北極星の近くにはW字型のカシオペア座があるはずだ。そこを起点にして見つける方法を思い出した。あった! あれがあれが北極星だ。こぐま座の柄杓の端に輝いている星が北極星の星だ。するとあの大きな柄杓が北斗七星か…。じいっと星空を見ていると忘れていたはずの星座の名前が次々に蘇ってきた。ヘビ座、さそり座、いて座・・・・・・。そうだ、ぼくは小さい頃、星をよくみていた……。白鳥座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガ、三つの星が大きな三角を描く<夏の大三角>が頭上に見える。ベガは織り姫で、アルタイルは彦星・・・・・・。「ちょっと、起きて。ほら」酔って横になっている恵子を揺り起こした。恵子はびくっとして一瞬半身を起こそうとする。「ほら、星がいっぱい出てるよ」といったが、「えっ? 何? いい夢、見ていたところなのに……」恵子が少し不満そうにつぶやく。「どんな夢?」「うーん、・・・・・コイビト」「恋人? 誰?」「夢の中の恋人」「……。コイビトか、コイビトて何やろなあ」「・・・・・・」正面に広がる海を見る。ザザザーッと音が高くなって波が押し寄せる。そしてサーと引く。小石の跳ねる音も聞こえる。じっと聞く。目をつぶる。寄せては返す波。万、千万、億、兆、京・・・、どんな単位もこれまでの波の総数を数えることができないだろう。ここにいると、海は天空につながり時空にもひろがっていくような気がする。その海の中で人魚のように泳ぐことができればどんなに心地よいことか……。一枚の木の葉のように波穏やかな海の上で揺られている。胸の上を波がいったりきたりする。恵子から離れて、岩場から飛び込んだときに、怪我をしたようだ。傷がいたむ。血がまだにじみ出ているだろう。しかし、それも海が無限大に溶かしている。饗宴が終わり、火が消えてからまだ三〇分足らずのはずなのに、その記憶は小さくなってゆく。(つづく)
2006年09月06日
コメント(4)
持ってきた新聞紙は湿っていて、いったん火をつけてもなかなか燃え上がらなかった。それで、エヴァさんが棒切れで新聞紙を立てるようにした。木瀬さんも積み上げた石の一部を崩して風通しを良くする。すると、新聞紙はボーッと燃え出して、小さな木切れにも燃え移った。木切れは海岸で皆でひろい集めた。バード君とシホさんは、崖の下から朽ち果てた丸太のような木の残骸を二人で運んできた。そこに仲良くくっつくように座って火が燃え上がるのを見ている。ときどき、小さな木切れを火の中に放り投げている。焚き火の火が安定したところで、木瀬さんは横のバーベキューセットに点火する。メードインUSAのキャンプ用のバーベキューセットだ。鉄板のうえに油をひき、温まったところで、船場さんや壬生さんが肉を乗せ始めた。つづいて女性たちも椎茸や玉葱、人参、ピーマンなどを次々に乗せていく。「では乾杯と行きましょう。壬生さんお願いしますね」木瀬さんが最年長の壬生さんに乾杯の音頭を依頼する。めいめい缶のプルトップを開ける。「それでは、皆さん。このセミナーを主宰してくださったエヴァさんたちに感謝をこめて、そしてお互いの幸せを願ってカンパ~イ!」乾杯! と言ってビールをグイッと飲みほした。そして拍手した。皆も続いた。薄暮の空に拍手の音がこだました。自然に感想会が始まった。壬生さんがガラス工房で見たことをそれに相槌を打つ節子さん、船場さん、恵子。その話題がが終わると、バード君が昨日シュノーケルで見た海底の話をした。シホさんも泳ぎが割とうまくてずっといっしょに泳いだそうだ。「海の中に熱帯魚のようなきれいな魚がいた。グッピーみたいな形で色は神秘的な青紫。そうかと思えば薄い黄色と茶の縞模様のある・・・」シホさんも海底の生き物たちに感動したらしい。「カゴカキダイっていうんだ、あれ」バード君が助け舟を出す。二人とも今日は口はなめらかになっている。「シホさんは、色のついた魚が好きだけれど、ぼくはグレなんかも好きだよ。じっと見ればきれいな色してるよ」「釣り上げたときは確かに青みがかってきれいだね、でもすぐ変色してしまう」壬生さんが知識を披露する。「壬生さん、昨日はね、シホさんと島まで泳いでいった。東の崖から五〇〇メートルぐらいかなあ。壬生さんなら泳ぎが上手だからきっと行けるよ。誰もいない無人島だった」「ヨ、ヨッ! あっちでイイコトをしたんと違いまっか?」船場さんが口を挟む。バード君は何も言わなかったが、シホがさっきからバード君に身を寄せるように座っていることから推測して、船場さんの言うとおりだったのかもしれない。二人の気持ちがなんとなく通い出したように見える。話が盛り上がってきたところで、木瀬さんが席を離れ、後ろでキャンプ用のライトをつけた。さっき魚をさばくと言っていたことを思い出した。クーラーボックスの上にまな板を乗せた。いま、木瀬さんがさばいているのはガラス工房から帰りに釣ったの小アジだ。釣れたグレは小さいので、ぜんぶ海に返した。恵子が自分で釣ったグレのことを自慢している。「このぐらいのを釣ったよ」、と両手で少し大きめに示すと、節子さんも「私はこのぐらい」と、実際釣った魚の三倍位になるジェスチャーをした。「まあ、昔から逃した魚は大きいと言いますからね」と、壬生さんが皆を笑わせる。アルコールのせいでもあるのだろうか、和やかな雰囲気で居心地がいい。空に月が輝きだした。「はい、お待ちどう」木瀬さんが、大きなガラス皿に持ってきたのは、アジのにぎりだった。木瀬さんが下に置くのを待たずに、女性陣も混じってつまみ食いする。寿しご飯をにぎって、その上に開いた小アジを乗せたもので、けっこう上手い。「おいしいでしょう、皆さん。ショウガも擦っていますのでネギを刻んだのといっしょに乗せて、醤油をちょっと垂らしてみてください。」皆おいしそうに口に入れている。「じゃ、このへんで陽気にミュージックといきましょう」と、おどけて立ち上がったのは船場さんだった。何が始まるのかと思ったら、突然アニメソングのメドレーが始まった。「鉄腕アトム」や「宇宙戦艦ヤマト」ぐらいは分かるが、知らない歌も混じる。少しの年齢差で人気のアニメも違うらしい。つられてぼくが「ひょっこりひょうたん島」を歌い出すと、上の年代からも下の年代からも声がついてきた。なんでヨーコさんまでが知っているのか不思議だった。バード君が歌い出した歌は、もう知らない歌ばかりだ。アニメからはじまったアカペラ大会が次第に女性たち中心になっていく。それぞれが十代に歌った歌が一番歌いやすいらしい。歌がうまいのは、シャンソンに関心があると言っていたヨーコだ。シホさんの声は聞こえないが口は動いている。恵子は低音。少しかすれた声だが、思い入れをこめたふう。節子さんは高い声で、宝塚スターのような歌い方をする。歌の間に、肉がきれて、バード君が今度は魚を乗せだした。「魚焼きの網はありますよ」と木瀬さんが言ったが、バード君はかまわず自分が釣ったキスやベラを鉄板に乗せていく。木瀬さんはさらに昼間買ってきたイカやタコを乗せだした。珍しい魚も乗せた。うつぼとマンボウだった。両方とも焼くよりも、煮炊きして味をつけたほうがいい感じがしたが、どんどん網に乗せた。だいぶん、酔いが回ってきた。腹も膨れてきた。誰かが踊ろう、と言った。バード君が持ってきたCDを鳴らした。流れ出したのは自分が踊れるようなリズムではなかったが、その場で好きなように身体を動かした。恵子も立ち上がった。壬生さんも節子さんもみんな立ち上がった。バード君はシホさんと立って、自分達が座っていた太い木の枝を火の中に入れた。その横に、残った新聞紙や周りの木を皆が踊りながら拾って投げ入れた。だんだんと火は強くなり、太い枝も燃え始めた。やがて火は勢いを増して3m、4mの高さの炎になった。踊りは、いつのまにか輪になっていて、炎の周りを回りだした。どんな音楽でもよかった。どんな歌でもよかった。足を踏んで、身体を揺らして、声を出した。(つづく)
2006年09月05日
コメント(4)
「正式名称は<ソウダッカ教>。大阪では結構信者がいてるよ」「・・・・・・」何を言っているんだろう? 船場さん。「まだ、分かりまへんか? 大阪弁の<そうだっか>やがな。あはははは。標準語やったら、<そうですか>やけど、それでは味がない。やっぱり<そうだっか>」「何でそれが宗教なのかしら」節子さんが聞いた。「宗教ちゅうもんは、人の心を救うもんですやろ。大阪弁の<そうだっか>は人をぎょうさん助けるんや」「・・・・・・」「相手がなんか難しいこと言うたら<そうだっかァ>と驚いてみせたらいい。相手は自分のいいたいことが通じた思て喜んでくれる。金貸しくれ言うてきたら、声を落として<そうだっかァ…>と言うてあげるんや。相手は同情してくれたと思てくれるし、金がない、と言うてることも伝わるワナ。これが<駄目!>て言うたらケンが立つわなあ・・・・・・。ほかにもいろんなところで<そうだっか>の効用はありま。アンタも信者になりまへんか」「お布施はいるのですか」と、壬生さんが話しに乗る。「カワイイコォがいてたらええんや。女の子は存在そのものがお布施やがな。こっちから拝んだげまっせ。何でも言うこと聞きまっせ」「そしたら、一つお願い」シホが珍しく発言した。「はいはい、なんでっしゃろ?」「しばらく静かにしてくださらない?」「あ、そうダッカ。任しておくれなはれ」と、船場は口にチャックする仕草をして、かしこまったふりを装った。面白い男だ。いっぱい喋るが、相手が気に入らないことはしない。衝突をさけるよう腐心しているようにも思える。今夜は、木瀬さんだけでなく、参加者全員で料理支度。バーベキューのための材料を刻んだり、食器や道具を運んだ(つづく)。
2006年09月04日
コメント(2)
海を見ていて、やはり釣りをしたくなった。小さいとき、池でフナを釣ったぐらいの経験しかないがなんとかいけるだろうと思ったのだ。ベルを鳴らすと、ランニングとステテコ姿のおやじさんが奥から出てきた。「安いもんでいいのですが、釣り道具をそろえたいんです。」「何を釣る?」と聞かれる。何を釣るか考えていなかった。自分に何が釣れるのかもよく分からなかった。「初心者なんで何でもいいんですが……」というと、今度はおやじさんは「どこで釣るんだね?」ときた。それも考えていなかった。「この辺の海でと思っていたんですが…」「野間さん、サビキがいいんじゃないんですか?」様子を見にきた壬生がうしろから助け舟を出してくれた。「今のシーズン、アジが釣れますよね。おやじさん」それでサビキセットを買うことにした。壬生も買った。壬生は「グレも釣れるかもしれない」と言って、別の浮き釣り用のセットも買った。それを真似して自分も買った。どちらのセットも二千円までの安価なものだった。「誰でも釣れるいいところがありますから」と釣具屋のおやじが地図を書いて教えてくれた突堤に行った。コンクリートの突堤で、浜から見れば長い四角い羊羹が突き出ているような形だった。上は平らで足場もよい。先には小さな赤い灯台があった。その灯台の下で、木瀬や壬生に教えてもらいながら、女性陣もかわるがわる棹を持って糸を垂れた。突堤の下には小さな魚が群れて泳いでいた。それは「コッパグレ」だと壬生が説明した。小さなグレのことらしい。しかし、そんな手のひらにも満たない小さなグレでも、針に引っかかるとビッと引っ張る力があった。女性たちは、釣れるたびに棹を持ち上げて「早く取って取って」と叫ぶ。魚を取るのも餌を付けるのも男たちの役目だ。それでも、まき餌は女性たちが手伝った。おもちゃのようなプラスチック製の柄杓でサビキ用の餌をまく。初めは「こっぱグレ」ばかりがちかづいて来たが、帰り間際になってアジの群れがやってきた。まき餌に狂気乱舞するように食らいつき、一本の糸に二匹、三匹同時に上がってきて、四匹ついていることもあった。皆で釣りを楽しんで帰路についた。船場さんが車の中で「ワテは本当はある宗教の伝道者だ」と突然言うのでびっくりした。ええ? こんな人が? と思っていると、「宗教の名称は<ダッカ教>でんねん」と妙な名前を言い出す。(つづく)
2006年09月04日
コメント(0)
坂道を上がると、大きなプレハブの建物があり、さらにその一段上に茅葺の家があった。プレハブの方が工房で、茅葺の方は工房の主の住居のようだ。坂の下から見上げると、擁壁ごしに大きな柿の木が枝を伸ばしていた。道の反対側は谷のせせらぎが流れ、尾の長い黄色い鳥がスーッ、スーッと素早い動きで竹やぶの枝を払うようにして逃げていった。「黄セキレイですよ」と、例によって自然に詳しい壬生さん知識を披露する。「こんにちは」と言いながら、木瀬さんが工房に入る。そのあとを壬生さんが続く。工房は戸が開け放たれていている。無用心だが、暑いので風を通しているらしい。入ったところに小さな展示室があって、中にもう一つ板戸があった。そこも開いていて、木瀬さんが中を覗いた。主はようやく一行に気づいて出てきた。ぼくと同じ団塊の世代の感じだ。被ったタオルの間から、ごま塩頭が見える。「木瀬さんですか」「はい、どうもはじめまして」「さ、どうぞ、どうぞ」と主は言ったものの、展示室が狭いのであわてて「庭へ出ましょう」と一行を促した。柿の木の下で、ガラスの歴史やここでつくる吹きガラスの作り方をかいつまんでしてくれた。ガラスは、古代フェニキア人が発見したそうだ。シリアの河口で積荷のソーダ塊でかまどを作って夕食の支度をした。そのとき偶然できたのが発祥とか。それから、勾玉が生まれ世界各地に広がったという。意図しない偶然が未知のものをつくるきっかけになったことに心惹かれるものがあった。ガラスは、今でこそ珍しくはなくなったが、古代において、その輝きは宝石に匹敵する価値があったらしい。「じゃ、中へ。じっと見ていただければ分かりますから…」と主は一行を再び中へ入れた。男性達は工房の隅で立って見ることになった。女性達は、木の風呂椅子のようなものを出してもらって座った。主は、「女房です」と、同い年くらいの女性を紹介した。亭主と同じようにタオルを被って長い金属棒を持っている点では亭主と同じだが、女房は眼鏡をかけ、濃い緑色のレンズを眉の上で立てていた。棒はさっきの説明から察すれば、棹と呼ばれる中が空洞になったステンレス棹らしい。「じゃ」と短く主が言って二人の作業が始まった。女房がメガネのレンズを下ろす。そして、奥の左側の溶解炉に棹を突っ込み、棒の先にどろどろに溶けたガラスをくっつける。溶解炉の中は1200度の高温だ、と言っていた。棹を炉から出して二度三度フッフッと反対側から吹く。すると、先のガラス部分が少しずつ膨らんでいく。少し膨れたところでまた溶解炉に棹をつけガラスを足してまた吹く。適当な大きさになったところで、亭主に棹を渡す。亭主はその棹を持って手前の作業台の方に行く。作業台は左右に長い柄が突き出していて、その柄に棹を乗せて転がす。そうしてガラスをひっぱったり伸ばしたり、底の部分を平らにしようとする。冷えれば形を整えることができなくなるので、真ん中にある再加熱の炉に入れて頻繁に入れて再加熱して作業台に戻す。再加熱の炉は、説明では「達磨」と呼ばれるものだと言っていた。作業台で適度に成形し底も平たくなったところで、女房がいつのまにか前に来ていて今度は女房の持った棹をガラスの底にくっつける。女房はその前のほんのわずかな時間に新たな棹先に溶けたガラスをつけていたのだ。その溶けたガラスがちょうど接着剤の役割を果たし、すぐにくっつく。くっつくと亭主が持っていた元の棹を離す作業。作業台の柄の上で棹を転がしながら、元の棹先を金属でコンコンと叩くと、パカッと剥がれる。今度は女房がすばやく<達磨>へガラスを入れて、くるくる回しながら再加熱する。亭主は元の棒を部屋の隅に置いた缶の中に入れ、すばやく女房が棹を回している達磨の前に行き、女房と交代。ランニング姿の亭主の肩、背中から汗が噴き出している――。一行は息を飲んで見ている。喋るものはいない。あの、一秒、二秒を無駄にしない動きはどうだ。自分も主と女房の動きに圧倒されている。主の動きは特に無駄がなく、足捌きや姿勢を見ていると剣道の達人みたいだ。それに女房とのコンビネーションもぴったりだ。亭主の動きの先で女房が待ち受け、女房の動きの間に亭主は自分の仕事をこなしている。おそらくこれまで何千回、何万回と繰り返した動きに違いない。つくるものによって多少は変化はあるというものの基本的には同じ動きだろう。果たして、自分はあのように動きつづけることができるか。無理だ。変化を求めて一つのところに留まれない。繰り返すことは苦手だ。小一時間で休憩になった。いつもはもう少し長く続けるということだが、見学者に気を使ったらしい。庭の石の上や草の上に座った。直射日光を避けて建物や木の陰に座った。ときおり吹いてくる山からの風が涼しい。しかし、蝉の声がうるさく、涼しさはほんの一瞬だ。女房が冷たい麦茶とガラスコップを盆に載せて持ってきてくれた。皆、汗だくだくだったので、ゴクゴクと気持ちよさそうに麦茶を飲む。「いやあ、たいしたもんですな。ただのドロドロしたガラスがきれいな形に次から次へと変わっていく」壬生さんが口火を切る。「ほんとう、魔法みたいだわ」と節子さん。「それに息ぴったり」恵子がつづける。「ぴりっと緊張感があって、動きに無駄がない。どれくらいなさっているんですか」と聞いてみる。「そうですねえ、もう20年ぐらいでしょうか?」「どこで修業されたんですか?」と壬生。皆がインタビュアーになっていく。珍しいものを見た感動がそれぞれの胸のなかにあるようだ。たしかに、音楽を聴いたり、ドラマを見るのとは違う感激を感じる。物を形にしていくというのは、抽象世界と違ってリアルさがある。できあがったものを手に持つことができる、触ることができる。皆の<インタビュー>で、だんだん分かってきた。主はやはり自分と同じ団塊世代だった。1970年の学生運動の嵐のあとしばらくして、大学を中退して南の島で農業をやっていたということだが、仲間内で意見が割れて都会に戻ったということだ。しかし、すぐに飽きて、地方のガラス工場へ飛び込んだそうだ。彼の話で一番印象的だったのは、透明なガラス容器に魅せられた理由である。「透明ですから、どんな色も通過していきます。でも角度を変えて見ると回りの色を写しているんです」主は詩人のようなことを言う。帰り、展示室にあった作品を買った。皆は、ガラス皿やピッチャー、コップなど実用品を選んだが、ぼくは二つの球体がくっついたダルマ型のオブジェに目が行った。手のひらに乗るぐらいの大きさで、透明なガラスの中に赤い魚が見えた。よくみれば魚は薄い金属片だったが、シンプルで可愛いかたち。そのダルマを台の上でさわってみた。倒してもまた起き上がった。魚が前に後ろに泳ぐように見えた。それを包んでもらうよう頼んだ。ガラス工房からの帰り、国道沿いに釣り道具店があるのを見つけ、止めてもらった。(つづく)
2006年09月03日
コメント(0)
ダイニングで朝食ができ上がるのを待っているとバード君と壬生が坂を上がってきた。二人とも水色のクーラーボックスを肩にかけて釣り棹ケースを手に持っていた。「釣れましたかあッ?」ようやく芝のところまで上がってきた二人に声をかけると、まあ見てください、と言いたげに二人は急ぎ足でかけてきた。バード君がクーラーを開けて見せる。20センチ前後の白っぽい細長い魚が20匹ほど、そして鯰のような魚がやはり1〇匹余り、それに小さな鯛も少しまざっていた。「何という魚ですか」「キスはご存知でしょう、白いほう。きれいでしょう?」釣れたばかりのキスはまだ鱗を光らせていた。「こっちはガッチョです。もっともこれは方言ですけれど、正式にはメゴチです」バード君は釣りが好きなだけあって、魚には詳しいようだ。「ほう、大漁でよかったですね」「池の水が流れる水路のところにボラもいたのですが、今朝は投げ釣りの棹しか持っていかなかったもので…」「こっちも見てくださいよ」と壬生もクーラーを開けた。すると、こちらのクーラーには水が入っていて魚が泳いでいた。エラのところから左右に蝶の羽を広げたような魚が二匹。それに鯛の色に似た魚や縞の斑模様の魚がいた。「色がきれいなので皆さんに見ていただこうと思って海水に入れて持ってきました」「その紫色に光っているきれいな羽のあるのは?」後ろから、背中越しに恵子が聞いた。恵子も顔を洗って降りてきていた。「ホウボウですよ。おいしいのですが、綺麗なんで逃がしてやろうと思っているんですよ」「あら、美人はとくですね」いつの間にか節子も降りてきたようで皮肉っぽく言った。「オスかもしれないよ」壬生は軽く応戦する。壬生の説明によれば、コイを小さくしたような形の鯛色の魚は<ヒメジ>というのだそうだ。口の下に鯰のようなヒゲがあって、それで底に潜んでいる生物を探して食べるとか。斑点や縞模様のある赤や青の色鮮やかな魚は、ベラだと言った。南国のベラは色鮮やかになるらしいーー。今日のレンタルパートナーの組み合わせは、僕:野間(57歳)―ヨーコ(37歳)、壬生さん(59歳)―シホさん(28歳)、バード君(34歳)―恵子(44歳)、船場さんー節子さん(58歳)《元々のカップル 僕ー恵子、壬生さんー節子さん、バード君―ヨーコ、船場さんーシホさん》午前中は、今日のレンタルパートナー同士が並んで、エヴァさんの講義を受けた。<心の照応>がテーマで、面白い講義で、それもお伝えしたいのだけれど、先を急ぐ。レンタルパートナー同士で並んで食べた。ヨーコとは、普段ときどき一緒に食事をするけれども、<恋人>としての付き合うように言われると、なんだかぎこちなくなる。カンカン照りの暑い午後になった。木瀬のワンボックスカーは、起伏の多い海岸沿いの国道を走っている。運転しながら観光ガイドのように左右に見えるものを案内してくれる。「いま、通った村には温泉もあるんですよ。温泉と言っても町のお風呂屋さんみたいな感じですがね。真ん中に仕切りがあって…」「露天風呂はないのですか」温泉好きのヨーコが聞いた。「ハハハハハ、残念ながら…。あ、それから山側を見てください。これは蜜柑の木ですよ。初夏の頃にここに来ると蜜柑の花の香りがスーッと鼻に入ってくるんです。それが不思議で、匂いの濃いところと薄いところがあって、スーッと消えたと思ったら、またふわーっと漂ってくる」「み~か~んの花が咲あ~いている。思い出のみ~ち、丘のみ~ち…」低い声で静かに歌い出したのは、バード君の横に座っている恵子だ。男性陣では一番若いバード君と隣同士のせいか、いつもと違って心が弾んでいるみたいだ。恵子が歌い出すと壬生さんも節子さんも歌い出した。木瀬さんもつられた。「みかんの花が」が終わると、次は「海は広いな、大きいな」になって「夏の日の思い出」になった。皆、子供の頃の気分に戻ったみたいだ。ぼくも、大自然の身近に感じることで、都会生活での無意識の緊張感がゆるんでいる。今日は、これから吹きガラスの工房を見学する。 小さな造船所や漁港や役場のあるこの地方の中心のまちを通過して、車は川に沿って上りはじめた。大都会ではもう見ることができなくなった清流で、水面がキラキラと輝いている。「この川の河口では夏祭りのアトラクションで、花火大会があるそうですよ。海からは船も出て、夏の夜が船の電飾と花火で飾られ、近隣からこの町の人口の数以上に大勢の人が集まってくるそうです」木瀬は町の観光パンフレットを手にもって案内を続けたーー。ガラス工房は山懐にある村の、さらにその奥だった……。(つづく)
2006年09月03日
コメント(2)
「では、最後にバード君さんお願いします」とエヴァさんに促されたのに、バード君はなかなか喋りださない。「短くてもいいのですよ」そう言われても、バード君は黙ったままだ。「思いついたことをおっしゃって」と節子さんまで、催促するように言う。しかし、バード君は口を尖らせたり、天井を向いたりするだけで、話が切り出せない。「ぼ、ぼく駄目です」「分かりました。無理にはできないものです。でも気持ちが入ったら案外話せるものです。あとでも結構ですから話せそうになったら合図をください」エヴァさんが、助け舟を出した。そのあと複式呼吸を簡単に身につける方法や、ヨガのポーズの指導があった。そして瞑想の時間になったーー。瞑想のポーズをしているが、ぼくはヨーコから聞いたバード君とのセックスシーンを話を思い出している。我ながら不謹慎と思うけれど。ヨーコは、ぼくとセックス関係がないせいか、年が離れているせいか、気楽にかなりきわどい話まで淡々と平気で話してくる。ぼくは、それを聞くのがヨーコとの付き合いの中での楽しみの一つでもある。ヨーコが始めてバード君とホテルに入った夜のことだ。部屋に入って初めはウイスキーを飲んだりしながらのありきたりのセックス前の男女の時間だったけれど、いざベッドインするころあいになってバード君は変なことを言い出した。「じっと寝ているから、エステをしてもらえないか」と頼んできた。「いや、私は風俗のおネエさんじゃないからね。勘違いしないでよ」とヨーコは反発した。でも、ちょっと淋しそうな表情をしていたので、「どうすればいいの?」とヨーコは聞いたそうだ。「まず、これを塗って欲しいんだ」バード君は、クリームびんをバッグから取り出した。そして着ているものを全部脱いだでうつぶせになった。「本当はね、ローションがいいんだけど、面倒だから」組んだ腕に顎を乗せてモゴモゴとしゃべる。バード君は割りと筋肉質で、いい背中をしているそうだ。サーフィンも好きとかで、肩の肉もついている。その肩からヨーコはクリームを塗った。初めは指で塗っていたけれど、面倒くさいから手のひらで背中全体に円をかくように塗ってやった。「お尻のほうも」というのでそうしてやったそうだ。結局太腿までクリームをつけて、肩から太腿まで何度も上下してさすることを要求された。クリームをバスタオルで拭くように言われて、拭いてあげてそれからバード君は仰向けになった。彼のペニスは反りあがっていた。「しようか」とヨーコは誘ってみたが、彼は拒否した。そして「見ていてくれ」と言って自分のものを握ってマスターべーションを始めた。自分の目の前でオナニーをするなんて、何ていうやつだとヨーコは当然思った。手を激しく上下させて顎を宙に突き出したり、腹を波打たせたりした。腰を反らせて歯を食いしばるような表情になったと思うと、最後、ハァーと大きく息を吐きながらバード君はイってしまった。イクとき、ペニスを覆うものは何もなかったので、精液がベッドの上の方まで飛んだそうだ。ヨーコが腹を立てたのは、そのことよりもむしろその後のことだ。バード君はそのまま眠ってしまったのだ。<いったい私をなんだと思っているのか>と翌朝、彼をなじったそうだ。「夕べみたいなこと、いつもだれかの前でやっているんでしょう」まさか、と思ってヨーコは皮肉のつもりで言ったのに、「まあね、あれをやらないと、眠れないんだ」と言ったという。だとしたら、毎晩のこと? そんなことに毎晩付き合う女なんてどんな女なんだと思って、問い詰めると、バード君はあっさり白状した。その相手は、バード君の母だった。バード君とはこりごりで、その夜だけの関係に終わらせようとヨーコは思ったそうだが、そのあとも、ヨーコはバード君と会った。ヨーコが、バード君たちのグループの民族音楽が好きなこともあった。それに、ヨーコも酒好きで、いっしょに飲み歩くうち、深夜になって結局ホテルに泊まる関係が続いている。我が家にバード君を連れてきて、ぼくといっしょに飲んだこともある。バード君とのセックスはあっても、いつもあっという間という。性的に不満があるはずなのに、この頃はヨーコは諦めているふう。ヨーコも喘息の発作がときどき出るので、体力を使うことは控えている節もある。それにしても、ヨーコはなぜ海岸でただ普通の石をひろったのだろう。石を大切に思ってひろったのだろうか。それともどうでもいい、エヴァさんからの課題からだからと、投げやりにひろったのだろうか。それを考えたとき、ぼくは海に向かって石を投げたときのことを思い出した。2回、3回と海水の表面を叩いて石は沈んだ。あの石は、海底に沈んでそれからどうなる? 何百年、何千年とかかって砂になるのか、それとも、砂になる前に海岸にまた打ち上げられて元のように海岸に転がっているのだろうか。ただの石が丸くなって普通にそこにある。そんな小石をヨーコは拾ったのだ。滑らかな石。角がとれた石。それに惹かれるものがあったとしたら、逆に鋭い角のようなもの、棘のようなものとの違和感と無意識世界でヨーコは格闘しているではないか、とぼくは連想した。「では、これで瞑想は終わりです」というエヴァさんの声が聞こえて、3日目の夕食後のミーティングはやがて終わった。(つづく)
2006年09月02日
コメント(2)
全81件 (81件中 1-50件目)