大阪CA声楽コンセルヴァトワール

大阪CA声楽コンセルヴァトワール

PR

×

プロフィール

Chaki-t

Chaki-t

コメント新着

http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(12/16) le quotidien en ducation sp cialishow e…
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(10/18) vergelijk viagra cialis levitracialis e…
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(03/31) cialis 20 mg costo farmaciafree cialis …
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(10/29) cialis per paypabuy online pill cialis …
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(12/25) cost viagra cialiscialis in the ukuse o…

お気に入りブログ

まだ登録されていません

カテゴリ

バックナンバー

2026.10
2026.09
2026.08
2026.07
2026.06
2012.08.19
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
  ・8、19、日
「河童」という作品について、芥川氏が副題に「どうか kappaと発音して下さい」と書いているので、この小説をkappaと記すことにする。
もちろんこれは不可解な「どうか」である。
二度読み返してみて、僕なりの解釈を書いてみたい。

この作品の紹介には大概「当時の日本社会、あるいは人間社会を痛烈に風刺、批判した小説である」と添えられているが、そうだろうか?と僕は考える。
「kappa」と「或阿呆の一生」は照らし合わせて読むことが可能ではないだろうか。
この二つの作品は、彼の遺書と捉えて差し支えないと考える。
よって、精神的に追い詰められ、二年の間毎日自殺のことばかり考えていた芥川にと
って、社会の風刺などを考える余裕などないのではと思われた。


行く行くは精神病患者になる主人公が、結局kappaの世界にうんざりして「後悔しな
いように」と年老いたkappaに忠告されながらも人間社会に帰って来るその理由は、
皆家族や友人と関わりながら生きているにも関わらず、結局は自分個人の利益、名誉
、欲しか頭にないということに辟易したからであろう。
それはもちろん人間社会と何の違いもないのだ。
人の良いガラス会社を経営している資本家のゲールも、家の隣から火事が出たと聞い
た時に、家族の安全や不安よりも、家に掛けてある保険を思ってほくそ笑む場面が背筋を冷たくさせるし、学生のラップは、メスのkappaに抱きつかれて腐ってしまった
嘴を病んでその後悔しか頭にない。
これはあるいは自分の背負い込んだ病気や、障害を諦めきれない人生を現すものとも解釈できる。

また詩人のトックは、自殺した後も自分の名声を気に病んで成仏出来ずにいる。
霊感師の婦人の体を借りて心霊学協会の者と応答して、自分の死に対する批評や、自分の死後の全集の売れ行きを尋ねる。


作曲家のクラバックは、天才でありながらもライバルのロックの自分を超えた才能に日々恐れている。
そしてロックの才能を見抜けるのは自分だけだという自負もまた含んでいる。
トックの自殺現場に駆けつけ「自分もいつ自らの命を絶つかもしれない」と言いながらも、トックの書き残したゲーテの詩を読みながら「しめた!素晴らしい葬送曲ができるぞ!」と言って帰って行く場面などは、その場に居合わせた友人たちも含めて、誰一人トックの死を悼んでいる者などいない。
クラバックにしても、ロックに打ち勝つ名誉欲しか頭にないのだ。

メスkappaについても、そのやらせ主義と得になる方を常に計算している打算性を皮肉に描いている。


生活教なる大寺院を訪ね、年老いた信者に案内されて、生活教信者であった多くの文豪や哲学者の胸像を見て回り、ニーチェやドフトエスキーを含むその有名人たちがほとんど発狂して自殺していることを語る場面も印象的だ。

ここで興味深いことは、同時にこれらの登場人物の利己主義は、自分自身もオーバーラップさせて書いているようにも感じることができる。
要するに著者は友人や周りの人々の利己主義にどうしても我慢出来ず、また自分の中
にも存在する同様の利己主義もまた見逃すことが出来ずに、破滅への道を歩むものと
推察することもできる。
だが不思議にも人々の利己主事に辟易しながらも、恨みは少しもない。
ないどころか、なお人々への親愛さえ垣間見える。

最後人間社会で精神病院に入れられた主人公を、kappaの友人たちが代わる代わる見舞いに来る場面がある。
医者のチャックは「この病院の院長は、君の病気は早発性痴呆症と診断しているようだが、早発性痴呆症は君以外の正常とされている周りの人間だ」と診断を下す。
これは村上春樹の「ノルウェーの森」にも出て来る話だが、この世の歪みに同化出来
る人間が正常と言われるのだと。

調べてみると、驚いたことに「kappa」を書いたのは、自殺する同年である。
「或阿呆の一生」から推察すると、おそらくこの時期は発狂した後で、日にまと
もに物の考えられるのは、30分か一時間ぐらいという状態のはずだ。
そのような中で、この素晴らしい作品が生み出されたというのは俄かには信じられな
い。
だがやはり二つの作品中には、死に対しての憧れ、死ぬことの意義、死への恐怖、自
分と同じ境遇の者への哀悼がふんだんに盛り込まれている。

昭和二年、とうとう35歳の夏に自殺に成功した芥川氏の遺体に向かって彼の細君が語
りかけた言葉は「おとうさん、よかったわね」





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012.08.20 23:48:39
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: