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・10、20、土
「吾輩はは猫である」を読み終えた。
一つ疑問が残る。
この本は一つの話として一環した思想、哲学、テーマがあるものなのだろうかと。
其々の項で様々な知人友人が苦沙弥を訪ねて、好き勝手なことを弁じて帰って行く。
最後には何か一つのところに集約されて「なるほどこういうテーマに繋がるのか」と納得させられるかもと根気良く読んでみたが、ただ駄弁の連鎖であった。
有名小説として、人に大きな感銘を与えるというものには考えにくい。
調べてみると、それもそのはず、これは元々漱石らが取り組んでいた俳句雑誌「ほととぎす」の小説分野での連載として、一項ずつ書き進められた娯楽のような、コラムのようなものだったらしい。
それを後に一つの小説として出版した。

なるほど徳川封建主義から一転資本主義、自己主義となった社会で、人の生き方や考え方がどう変わって行くか、また封建時代から伝わる悪い風習や、なくなって行く惜しまれる風習なども語られる。
これは「三四郎」「吾輩は猫である」通じての一環した内容でもある。
登場人物もなにやらよく似た人物像が用いられている。
迷亭は佐々木 与次郎
水島 寒月は野々宮 宗八
苦沙弥先生は広田先生
大体において漱石は自分の周りの書生をモデルに、彼らを小説内で好き勝手に駄弁らせているとも言える。
また、その社会の検分も、決して昔が良くて今が悪いとも、今が良くて昔が悪いとも語ってはいない。
明治の若者を「露悪家」と評するのも、何もそれが悪いと言っている訳ではなく、その人々の生き方の変化を公平に検分したものである。
吾輩は猫であるについて言えば、そこに計画された深い風刺や批判がある訳ではなく、ただ落語や誰かの面白い論文などをパロディ化した、まさにだらだらした茶飲み話を一冊の本にしたという風が強いものではないだろうか。
我々は古人の作品を珍重し過ぎる傾向がある。

ということは、中学生にこれを読ませて「作者の心情、狙いを書きなさい」などという国語の問題は、余りにもばかげているということになる。
それとは別に、やはり漱石の独特なひょうきんさ、じれったさのないテンポのある江戸人独特の言い回し、他に例のない視点からの描写。
そういったセンスはやはり一世を風靡した原因の一つであろう。





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最終更新日  2012.11.18 17:26:13
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