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私はクライアントさんという存在に対して宇宙にアファメーション(この場合はリクエストでもあるでしょう)しています。 「私とクライアントの方とで、真の意味でお互いのシェアリング(分かち合い)になり、真の意味でお互いの癒しとなり、真の意味でお互いの成長になる方がいらして下さいますように。そしてそのセッションが、宇宙の全てのものと真の意味でシェアリング(分かち合い)になり、真の意味で癒しとなり、真の意味で成長になりますように・・・」 こんな感じに。 すると訪れて下さるクライアントさんの層が私から見ると特殊?な方が多かったように感じています。 一言で言うなら「今、新たな局面に羽ばたこうとしているライトワーカーの方々」が多かったような気がしています。 これは一つの角度からのみ見た見方で記述しますが(自分でもこの言い方や切り口はまずいと思いますが、適切な表現も難しいので)なんだかもうすでに「透視」ができるとか「チャネリング」ができるとか「ハイアーセルフの声が聞こえる」とか「天使と話が出きる」とかそんな方が多かったような気がしています(ここで私が言及している私なりのライトワーカーの定義ではヒーリング能力等「特殊な能力」を持っている方のみを指しているわけではありませんが、便宜上、そういう方を強調させてもらっています)。 こういうタイプの方だけではありませんが、そういう方々が(憑依のような存在も含んで)障害となっていることをはずし、癒されていない過去の傷を癒し、未来への展望を切り開こうと言うときに、お手伝いさせていただくことが多かった気がしています。 「私は、ヒーラーのセラピー、チャネラーのセラピー、リーダー(リーディングする人)のセラピーしていないか?」とちょっと青くなりました。 チャネリング存在「エクトン」をチャネリングするチャネラーのリチャード・ラビンさんが25年ほど前、初めてエクトンをチャネリングし始めたときにエクトンから「君はティーチャーのティーチャーになるんだよ」(教師の教師になるんだよ)とか言われたそうですが、実際にリチャードさんのワークに参加する方は、何かすでに一線で成されているか、成そうとしている方が(ちょっと私も通っている内にびっくりしてしまいましたが)多かった気がしています。 同じではありませんが、私は思わず「私はこれからライトワーカーとしてパイオニアになろうとしている方々のセラピストをやってるのかなぁ?」とか思ったものです。 ちょっと不遜な考えかも知れず、またこの人はライトワーカー、この人は違うなんて分類は無意味というか、百害あって一理無しの側面が大きいとも思いますので、思っただけで流しておきましたが、ちらっと感じてしまった事も事実です。 最近、クライアントさんの方々に変化が出始めてきた気がしています。 来て下さる方々の多くの特徴はそのままなのです。 すなわち、なんだかもうすでに「透視」ができるとか「チャネリング」ができるとか「ハイアーセルフの声が聞こえる」とか「天使と話が出きる」とかそんな方がやはり多いのですが、その同じ方々がそういうお持ちの能力をメインでは無しに「絵を描きたい」「音楽を作りたい」「踊ってみたい(舞ってみたい)」その他何かを作ってみたいとか表現してみたいとか・・・そう言われる方が多くなっていきました。 知り合いや友人レベルで同じような感覚を有した方も同じようなことを言われる方が多くなりました。 私はこれらの声を聞いていく内に「単なる癒しの時代は終わって、これはから創造性もまた癒しの時代に入ったのではないかな?」と思うようになりました。 例えて言うとこんな感じです。 事故か何かで重傷になってしまった方がいるとします。あるいは大病をなさって重病状態の方だとか。 もう、こういう方への(一般の)医療では「大手術」でしょう。手術後も「絶対安静状態」で点滴や薬物の投与等、ただひたすらに回復を待つ身となるでしょう。 これが今までのヒーリングやセラピーだった気がします。人類全体が多かれ少なかれこんな状態だった気がするのです。 それがもう周波数的に時空間構造的に人類の集合意識的に変化を迎えて、もっと先に進むようになってきたのではないかと。 重傷、重病の方が回復してくれば次にすることは何でしょう? リハビリじゃないかと思います。普通の日常生活をおくれるようにする。それが回復への方向性でしょうから。 私はこれらの方々の創造性への傾倒が人類規模でのリハビリ行為に見えてしょうがないのです。 やがて人類は「自らの内なる無限性」に気付き、どんな事でも出来る生命体になると言われています。意識で無から有を生じさせることもできるとか。その始まりの行為のような気がしてならないのです。 「創造性」多くは今で言う「アート(芸術)」という形を取っているようです。それは始まりにしか過ぎない感じが私にはします。やがて人類は「今まで無かった様々なもの」を作り出していくのではないでしょうか? チャネリング存在「エクトン」は人類を「神であることを忘れてしまった神」だとも言います。「神が神である事」を思い出した時、意識で宇宙すら作り出すことが出来るのかも知れません。 ある方は私から見ればすでに一級のヒーリングに使える能力を持たれているにも関わらず、カラーセラピー(色彩)とか音楽(音)とか踊り(身体の動き)とかで表現したいと言われました。 それで全くかまわないと思います。その方の人生なのですから、今、一番やりたいことを形にされていったら良いのだと思います。 それが周りがなんと言おうと「ベスト」なのだと思います。 また、色々と複数の事をやりたいという方も増えました。 ここで私の言う能力や芸術的表現の垣根を越えて、今、自分がしたい色々な事をやってみられたら良いと思います。 かまわないと思います。出来ると思います。多分、深い喜びがあると思います。 一人一人が「創造主」となる時代がやってきたのだと私は感じています。 そんな方がクライアントさんとして多く訪れてくれたくらいですから潜在的に感じている方は多いのではないかと思います。 もし迷っている方がいらっしゃれば、まずは「創造性」についても自分の趣味として始めるレベルでかまわないと思いますから小さな第一歩から「始めて」みられればどうでしょうか? 何か世界が違って感じられてくるかもしれません。
2006年01月31日
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お正月の挨拶から一ヶ月も経っているという結果に我ながら唖然としている自分がいたりするんですが、無理をせずにこの一ヶ月を過ごしたらこうなりました。 去年の終わりの1ヶ月~2ヶ月くらいの間にこれでもかと出来事が起きて、外部に自分の内面を写す形や様々な方のお世話になる形で主に「浄化」を進めていた気配があります。 特に今回の浄化は「本当の自分を現すために必要な事」を残したり、あるいは未知への恐怖と共に「新たな状況や人生や人とのつながり」を受け入れたりすることがメインのようでした。 逆にそのために必要な「今まで守り育ててきてくれてきたけれども、もう自分のサイズにも感性にも合わない事」を手放したり・・・という経緯が続きました。 はっきり言って色々とつらかったです。 時間も非常に長く感じました。1ヶ月が3ヶ月にも感じました。 お正月から今日までの1ヶ月は逆に外部の出来事と言うよりは「ひたすら内面に集中」「自分にフォーカス」みたいな流れになって、もんどり打っていました。 ほとんどの連絡も絶ち、自由な時間は黙って自分と向き合う事が多かったです。 静寂な瞑想とかではなくて、なんか本当に色々と心の中から吹き出てきて「浄化」しているようでした。 こちらは逆に1ヶ月が10日間くらいにしか感じませんでした。 改めて「うわー、こんなに深く傷ついている人間だったんだ・・・私」って感じもありました。 何と言いますか、巨大な氷山がいくつも浮かんでいる海を巨人サイズのサイフォンか何かに入れてぐつぐつ煮ているような心象風景でした。 氷山と氷山が沸騰する海の中で激しくぶつかり合い、小さなものは溶けていき、その間に何かを昇華していき、非常に大きな氷山がいくつかだけ残った感じです。 それらは結局、私が「手放したくない」と思っているもののようでした。 中には正体もわからずに、どちらかというと「恐怖」とか「苦痛」とか「トラウマ」に属していると思われ、別に大事に持っている必要がなさそうなものがまだ残ってはいるようです。 同時に「今を大事にしよう」「今までの人生含めて全部背負おう」「大人になろう」「真の意味で自立しよう」「自分を愛そう」等々の隠れテーマも見え隠れしてきました。 先にも書きましたが、今務めている会社・仕事を辞め、チャネリング・ヒプノセラピー等をクライアントさんに施術させていただく事を中心に生きていくことにいたしました。 どうやら人生のターニングポイントのようです。 ここ数ヶ月は事実上、ブログを全く書かなかったに等しかったです。 それはとてもではないけれども一々今起こっている事を記述できるような状況ではあまりなかった事と、起きている出来事に何の意味があるのか、相当後にならないとわからなかった事が多かった事によります。 でもこのブログの趣旨にそえば過去数ヶ月のことも書いておくべきかな?と感じますので、順番通りにはならない予定ですが(複数の理由で一貫性や時系列にはそって記述できないと思います)記述していこうと思っています。 また、今、感じていることや思った事等も記述していくつもりです。 ちょっとここから先も未来の流れを読めないので記述がどうなるのか保証は出来ないのですが、そんな風に考えています。 昨日、いきなりブログを訪れて下さる方の訪問者数が上がりました。月末だからと見に来て下さる方が多かったようです。 いつまでも「ひざを抱えてうずくまっているわけにもいかない」と感じました。 ともかくも帰ってきました。 「皆様、本当にありがとうございます」。
2006年01月30日
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皆様、明けましておめでとうございます。 いや、ジ・・・ジェットコースターに乗っているような1~2ヶ月でした。 ジェットコースターどころか、次々と絶叫マシン乗り継ぎ大会みたいな・・・。 インターバルはあるみたいなんですが、一息ついたと思ったら「はい! 次!」みたいな(笑)。 年末なんか身体も心も「強制浄化期間」だったみたいです。 とは言いつつも生きている方々にも、目に見えない方々にもとても助けていただいた貴重な時間でもありました。感謝しております。 先年一年は皆様にとってどういう一年だったでしょうか? 私に取りましては痛みをともなう事も自分の至らなさを痛感する事もありましたが、とても実り多き一年となりました。 この一年、関わって下さったすべての方にここにお礼を申し上げたいと思います。 「ありがとうございました」 これからも、旧知の方、新しく出会わさせていただく方、様々な方々と関わらさせていただくと思います。 人は、人や出来事と関わることで、自分の意識の深みを増していく生き物だと思っています。 できれば出会いを重ねる方々と、お互いに心を広げていく経験をできるような一年にしたいなと思っています。 「今年もどうぞよろしくお願いいたします」 なお、新年には変えようと思っていた、タイトルとハンドルネーム(楽天ネーム)ですが、まだこれというものが、降ってきていないというか心から浮かび上がってきていません。 前ならそれでも新年に間に合わせようとしてあせっていたかも知れませんが、今は静かに時を待ち、自分にふさわしいとしっくりくる名前が訪れてくれるのを待ちたいと思います。 おいおいこのブログも書いていく予定です。結局1ヶ月半ほどお待ちいただきましたか? 穴を埋めていきたいと思っています。 でも、あせらずゆっくりとさせていただけたらなと思います。引き続き自分に起こっている出来事も(あたふたと)現在進行形ですので(笑)。 なんかもう、とてつもなくわかりの悪いヤツをぎりぎりの終電車に乗せるために回りの連中が、色々とがんばってくれているみたいです。それは私の願いでもあるのでしょうが・・・ご苦労様です。 私、私のガイドとかやりたくないなぁ~、大変だよこの人のガイドは・・・(笑)。 閉まる電車の扉に挟まって「きゅ~」とか言ってそうだもんな・・・。
2006年01月01日
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