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これは私の失敗談です。 このブログを訪れてくれるような方は、良くも悪くも宇宙の波とでもいうものを感じられている方が多いと思います。 地球規模のすべての人や物事にも覆(おお)い被っている波なのか、日本の地域限定の波なのか、それとも地域ではなく概(おおむ)ね似たような人達への波なのか、それらの複合なのかは計りしれませんが、次々と宇宙の波が来てその影響を受けている人が多いと感じています。 他のこういう感性の方のブログを訪れても、似たようなテーマや似たような向かい合うべき状況がやってきて、それに関した内容で書かれているのをよく目にします。 最近、その宇宙の波とでもいうものが、つとに激しくなっているように思います。 それでですね。来ている波は一緒でしょうが、受けている人としては色々なタイプの人がいるわけです。 その自分のタイプにあった波の乗り方・向かい合い方をしないと、ちょっとあとで困るかもという話をしたいと思います。 ある時、「過去を捨てる」とか「今まで築いたものを捨てる」とか「他の何かに頼らないで自分だけになってみる」とかそんな感じのエネルギーの波が強く来たことがありました。 実際、むしろこの時を境に時空間は新たな局面に入ったのでは?とも感じた大波でした。 ここらあたりで実生活も新たな局面に入った人も多かったような気がしています。 ちなみに私はベストな形では乗り損ね、随分、宿題を残してしまったりの部類に入った方だったと思います。 ところで、この波の時に、私は(正確には他の理由も3つくらい重なったので余計なのですが)もう衝動的に持っている書籍、コミック、各種資料、CD、DVDをほぼ根こそぎ、売り払ったり、捨てたりしてしまいました。 本当に裸一貫で引っ越しをするくらいの勢いで廃棄してしまいました。書籍だけで数千冊に及びました。 ある意味で流れには忠実に乗ったようなものです。そのくらいの衝動でした。 で、あとでしこたま後悔する事になります。 「しまった~! 私はむしろそういう参照できるデータ等を元に蛸足配線で色々と紬(つむぎ)出すのも私の本質にあった今回しようとしていた事の一部だった・・・」。 こう言うのは色々なタイプの方がいます。 本当にぬるぬるとつかみ所のない「うなぎ」のように来た流れに逆らわずに乗りすぎというくらい乗って、乗って、乗り切って最大の効果をあげるタイプの人とか(←実際に知っています)ちょっと違うタイプで「もう創ったあとは破棄、ゼロから次」ってタイプとか(←これも数人の方を知っています)。 しかし、私はそういうタイプじゃ無かったんです。 怒濤(どとう)の流れが終わってから、冷静に省(かえり)みれば、私の場合、ベストな捨て所は「半分」でした。 捨てるのは、ちょうど捨てた分の半分くらい。それくらい整理してちょうどよかったくらいなんです。 私の場合はですが、「やりすぎはやらないよりも実害がひどかった」という結果を招いてしまいました。今までの購入費用もバカにはなりません。何十年もかけて築いたものだったのですから、これから先、同じくらいのものが手にはいる可能性は低いと思います。絶版ふくめて貴重な書籍等もかなりありましたし。 ので、何が言いたいかというと「宇宙の流れには自分にあった乗り方をしましょう」という事なんです。 特に敏感なタイプや影響を強く受けるタイプで、先に述べたガンガンに乗っても大丈夫なタイプ以外の方は、お気をつけ下さい。 ただ宇宙の波に乗りゃあいいってもんでもないと思います。 これからも色々な波がひっきりなしに来ると思いますが、私と同じように自分に合わない乗り方をするのは止めた方がよいと思います。 結局、最終的には、例え宇宙の波が相手だろうが「自分が主体」という事になると思います。 それと・・・言い過ぎかもしれませんが、人生がとてもつらい状況にある方で、強力な「捨てる」部類の流れが来たとしても「自分を呪縛している思いこみ」を捨てるとかに利用して下さるならともかく、お願いですから、自分自身を何もかも否定して、「自分自身をこの世から捨てるような事」を早まって行わないで下さることを、お願いいたします。 もう気が付いたら、大事なこの世を生きる自分の人生も自分の身体(からだ)も無いでは、悲しすぎますから。 後悔する前に、踏みとどまって下さることをお願いいたします。 明けない夜はありませんから。大丈夫ですから。笑える日が必ず来ますから。 私や多くの方々がそうだったように・・・・・必ず。
2008年01月29日
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私より色々とスピリチュアルな意味でも色々な知覚感覚が鋭かったり、宇宙の組立方を理解しているような人というのは、いっぱいいますから、私が言うのも変なんですが・・・でも、私として表現できる人も私しかいないわけで・・・何か「?」な矛盾を感じながらも私なりに書いていきたいと思います。 私は今まで、 「宇宙」とは何なんだろう? とか 「宇宙」ってどんな風に出来たんだろう? とか 「宇宙」に「法則」があるのなら、その「宇宙の法則」とは何か? とか 「神様」と言うものが本当にいるのなら、その「神」とは何か? とか 「人間」って何だろう? とか 「人間」は何のために存在するのだろう? とか 「私」って何だろう? とか 「見えない世界」って何だろう? とか 「人」があまり感じないものを感じている「自分」とその「感じているもの」は何なんだろう? とか 色々疑問に思い、自分なりに実体験もふくめて色々答えを捜してきました。 もう原点に、何千年も前の使い古された、しかし答えの見つかっていないこういう言葉があります。 『我々は何者なのか? そしてどこに行こうとしているのか?』 で、私なりにたどった歴史と得たものも書いてみたいと思います。 宇宙を探れば探るほど実体験をふくめてわかってきたことがあります。 いきなり結論から言いますと・・・「宇宙」とは『なんでもありな場所』でした。 いかなる例外もなく『宇宙の本質』は、『なんでもあり』でした。 しかし、この世を肉体を持って生きる私達人間としては、疑問も抱きます。 「何でもありなのなら、なぜ私達はこんなにも不自由なのだろう?」 私がたどり着いたのは、その色々な不自由を創り出しているいくつもの制限に同意して、ある程度不自由な時空間で経験を重ねているのが私達人間なのだという事でした。 「その制限に同意したのは誰か?」 という疑問もわいてきますが、気が付いている部分も、気が付いていない部分も両方ありますが、基本的にはあなたや私。すなわち自分自身で何だかんだ同意してきたらしいということがわかってきました。 「では、その制限は外せるのか?」 それは『YESでもNOでもある』というのが私なりに実体験をふくめてたどり着いた答えです。 と、言うのはその「制限」。それは色々な名で呼ぶこともできるし、色々異なった角度から解釈することもできる代物(しろもの)ですが、それには種類も程度も本当に色々あるからです。実に多次元時空にまたがる時空間的に込み入った構造をしています。 ですので、気になる方のために少し私なりに説明をしてみたいと思います(でもこれも私なりの解釈に過ぎないという事もご了承下さい)。 次回からしばらくこのテーマで書くかもしれません(途中、他のものもはさむかもしれません)。 次の日記からは「なぜ宇宙の本質が何でもありだったのか」や「外せる制限とほとんど外せない制限の違い」や「実際の制限の外し方とその意味」に触れて書いてみたいと思います。 個人的にはとても残念だし、皆様にも申し訳無いと思う事があります。 それは、この一連の件の結果とでもいうべきものを私はまだ自分の実体験で、自分自身の経験でつかみ切り、経験して達成していないということです。まだ途中経過なのです。そこで書き始めてしまうのも何なのですが、いつまで立ってもこのままでは動きませんので走り始めて(歩み始めてかな?)みるつもりです。 それとですが、記述としては、割とシンプルな形を取ると思います(←私にしてはシンプルというべきかも?)どうも女性の友人連に私の何というかこういうことを述べる時、科学者的姿勢で?細部にわたって例外までふくめて、きちんと説明しようという姿勢は不評らしく「込み入りすぎ」「ゴチャゴチャ言い過ぎ」「難しすぎ」「剣の名前なんかどうでもいいだろうー」「詩のような感性で書いた文の方がいいぞ」等々、批評を喰らっていますので、確かに「ストレートに伝わらない方が問題かもね・・・」と思いましたので。 それとこういうのは本当にもっと細かく知覚できる人はたくさんいると思います。知っている人でも色々とそれぞれのタイプや特色の違いはありますが、そういうことが得意な人達がいます。なので細かい構造なんかは、はっきり言ってわかりません。いずれわかるものならわかりたいなとは思いますが、現時点でそんなところまで知覚できません。ですので私は述べるのはアウトライン、大まかな原則のようなところになると思います。 こんな事、今更、私が取り上げなきゃならないことは無いとも思いますが、強いてその価値をあげるなら、もうこれは多くの方に認証済みの他の人ならすっと通って行きそうなところを「にぶいやつ」「同じ所をぐるぐるとはやく気付けよ」等々とさんざん言われた飲み込みの悪い私が、じたばたじたばたして良くも悪くも実体験で色々経験して得た経緯と結論ですので、そんなところに価値があるかも?と思ったりもします。 それとくどいようですが、このテーマだけ取り上げる気もありませんし、こういう何かへの解説みたいな事だけに勤(いそ)しむ気もありません。 余談ですが、それを狙って書いているわけではまったくありませんが、おおむね女性の友人達には私の書いた日記の中でも「情緒あふれる詩のような文章の日記」が好評のようです。それらはあふれるままに書いているのですが、そんなものなのかな?と思ったりします。 なぜこんなにくどいように書いているかというと、私は過去世で高次元の都合で地獄の底に落とされたような人生を送って、以降、得られるはずだった幸せが何千万年も得られなかったという経験をしています(実際にはもっと複雑かつ奥深い話しなのですが・・・)この辺も参考までに後々書く可能性はありますが、ともかくそういうわけで今回は、色々見えない次元から一系統だけではない複数の立場からの押しを受けている状態のようですが、自分で決めた『自分の幸せ』を得る立場から一定基準を越えてずれるようならやらないという決心をしています。 今やろうとしていることと、来る未来がどうつながるかわからない面がありますので、自戒の念もふくめて、また読者の方々へのスタンスの表明もふくめてこう書かせていただいております。 なお、『そんな過去の経験を元にした固定概念を持っているから余計、そういった事態を引き寄せるのでは?』という宇宙の法則(の一つ)に詳しい、とても鋭い疑問を抱いた方には、私なりにそのことに触れて答えさせていただければ「半分そうだと思います」とお答えします。 なぜ半分なのかも、その意味も、これから先、書かせてもらうかもしれません。 そんな感じで、進めて行きたいと思います。よろしくお願いいたします。
2008年01月29日
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私が高校生の頃、家に遊びに来た友人が私の本棚を見て『なんじゃこりゃ? この関連性の無いバラバラなジャンルの本の山は?』てなことを言いました。 いや、確かに色んな分野の本が並べられていたと思います。 でも、私はその時、正直「へっ?」って奇妙に感じたのです。 なぜならそれらの本は一見、別々の分野かもしれませんが、私に取っては関連性があり、ある意味で一貫性があったからです。 『それは何だ?』と言われても説明は出来なかったでしょうが、でも私からすると関連性と一貫性がありました。 ちなみに良くも悪くも昔から本は読みます。 子供の頃から読書に興味を持ったのは、多分、「世界を知りたかったから」という理由も大きいと思います。 同時に「本なんかでは世界はわからない。絶対にわかるはずがない」ということも、わかっているつもりです。 そういう意味では実体験重視派な面もあります。実際に色々やってヤケドしている方だと思います。好奇心旺盛だし、「自分で体験していないことは基本的に人には提示できないだろう(しにくいだろう)」ということで、ほとんど自分を実験台にして色々と経験してきた面もあります。 余談ですが、ものの見事に私を裏切り続けてくれた分野の筆頭に「科学」があって、言い出したらとまらないくらい「科学」というのはいい加減なものです。 あー、もう、何度裏切られて色々と覚え直さなきゃならなかったことか・・・それがまたすぐに裏切られなきゃならないか。無限更新のデータベースみたいに(その内、一本これで日記を書こうかな・・・)。 余談ですが、スピリチュアルな世界もだいたい同じようなものだと個人的には感じています。 で・・・しばらくこのブログに日記を書くのなら一見、一貫性のない色々な立場からの見方?や分野?で書いていってみようかな? と思っています。 すくなくともごらんになる方からはそうにしか見えない可能性が高いと思います。 記述によっては「ある日記とある日記が正反対のことを言っているじゃないか?」とか「自分の立場がバラバラじゃないか?」という矛盾する日記が出てくる可能性もあります。 ただ、私としては、ある意味では自分を偽らずに(不完全だというなら不完全なことすらふくめて)そういう記述を通して、最終的には「私なりに私の場所」にたどり着く一助にしたいと思っていますし、(日記の全部じゃなく)誰かにとってどれかの日記の何かが一つでもお役に立っていてくれたら本当にうれしいと思っています。 逆に自分に取って、惑わされちゃったり、マイナスになったり、強い違和感を感じたり、関係ないと感じるようなら、その日記はもうばっさりと破棄しちゃって下さい。 このブログの全体、日記のほぼ全部からそれを感じられたら、もう全部切っちゃって下さい。 ちなみにこれから書くことは、本で読んだことでは無く、ほとんど実体験をしたことか、こう思いこう感じたということになると思います。 よろしくお願いいたします。
2008年01月27日
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これは個人的な体験談の範疇(はんちゅう)の事ですし、正直、例えが実にわかりにくいとも思いますが、感じた時にそういう風に感じたのは私に取って事実なので、他に表現のしようも無くそのまま書いておきます。 本当は「憑依状態からの抜け方No5」くらいに書くことなのかもしれませんが、本質的には重要な点を突いているかもしれませんので、No1で書いてみたいと思います。 数ヶ月前ですか、何でだか理由がよくわからないのですが、夜寝ている間、夢の状態もふくんでドンと落ち込んで、少年時代にどっぷりだった憑依状態と同じような状態になりました。 これは数十年ぶりのことです。 ですがその夢のような状態の中で(変成意識状態の中で)私は「えっ、今時こんなん。ここに落ち込むか・・・抜けれるか?・・・エイやっ!」って感じで、普通の波動状態の領域に戻ってきました。同時に憑依存在が存在する波動領域から離れて、憑いてきた存在達を追い払いました。 数日おきに3回くらいやられて、「もう、なんじゃコラ?」状態だったんですが、その3回とも抜けてきました。以降は一切こうなりませんでした。 変な話ですが自分で『ほーっ、今の私だと、あの当時「死ぬかもしれない」ってくらい超ディープだった憑依状態からは、ほぼ自力で抜けられるのね・・・知らんかった』って妙に感心してしまいました。 ちなみに子供の頃、何でこんな状態が始まったかは、(過去世等の理由をのぞく)この世に生まれてからの理由は「MYUさんのチャネリング・セラピスベイの助言」に書いた通りと思われます。 それでですね。その状態がどういう状態かというと、それは単に憑依存在が憑いているいって状態だけではないんですね(あくまでこの件ではですよ。ケースバイケースで色々だと思いますので、世の憑依問題が全部こういう状態だと思わないで下さいね)もう周りの波動状態が異常に落ち込んで別の異空間につながってその空間に囲まれてしまうんです。 それは単純に言ってしまえば、自分の周波数もその状態で共振してしまうからそうなってしまう部分もあります(そうでないケースもあると思います)。 それにこの囲まれた異空間も一種類ではなく、低い波動の世界でしょうが、その中にも色々あるわけです。 印象だけで言うと、私は一瞬にして、無理矢理その異空間に落とされ封印されて、「さあ、どうする?」って状態になったわけです。 そこは暗く冷たく重く、恐怖に満ち、苦痛に満ち、様々な憑依存在がうごめき、こっちの生命力を奪ってくる世界であり、張り付いてくる憑依存在達がいます。 久しぶりの夢の中、しかもそこに意識が落とされた後だったんで、もうまず子供がすごく怖がるような恐怖心と「いやだ」って強い感情しか無いわけです。 で、ここからがわかりにくい例えの部分なんですが、心情的には(あるいは状態的には)、あのコンクリートでできたU字構ってありますよね。道路脇の雨水を下水に流し込んだりするあのU字構です。あの中に身動きできない感じで押し込まれて、どばーっと冷たい泥水をすごい勢いで流し込まれているような感じなのです。 今にして思うと、これと同じような状態だった子供の頃は、「いやだー」ってすごい感情でその流れている水に両手をかざして押しとどめようとしているようなものだったんだなって思います・・・・。 でも抜けられなかった。 実際にコンクリートのU字構に落ちて挟まってそういうことをしていても抜けられませんよね? それと同じような状態だったんだな・・・と今にして思います。 で、今、その状態になった私がどうしたかというと、U字構の例えで言うと、その、「いやだー」って感情でその流れている水に両手をかざして防ごうとしている手を、同じような(でもちょっと違うかもしれない?)「いやだっ、冗談じゃない」って感情で、つまり「ここじゃない」というある意味、否定的な感情を使って、U字構の縁(へり)をつかむために使ったんです。 そして逆に「ここだ」という肯定的な感情で、その飛び出た先の道路(平地)を思い描いて、ここで「いやだ、ここじゃない」という力と「ここだ」という力を合わせて一緒にして、力点にぐっと力を込めて、自分の存在全体を動かして(シフトしてって感じでした)グワンって感じで本当に別の波動の世界に這い出てきたわけです。 そして実際に「ここだ」という肯定的な感情で、思い描いたのは、そのU字構の飛び出た先の道路(平地)とかじゃなくて、私の知っているその苦痛に満ちた世界よりはるかにましな世界、今の私の認識して住んでいるこの世の波動でした。 そこで目が覚めました。つまり抜けた先は、だいたいそれはこの世だろうが、あの世だろうが、ともかく私の知っているこの世の波動に近かったわけです。 つまり今の私はさすがに当時の私より、より幸福な?波動状態で生きていて知っているその状態の波動領域、それにフォーカスして抜けてきたわけです。 他のでもちゃんとした波動の世界なら抜けれたと思います。 じゃあ、何で子供の頃、私は抜けられなかったのか? そこよりましな波動の世界を基本的に知りませんでした。苦痛に満ちた状態が日常でした。 知らない、ほとんど経験したことない世界を実感を持って感情でつかんで(フォーカスして)そっちにグワンとシフトするなんて事は事実上、不可能に近かったのでは?と思います。 仮に知っていたとしても、現在が苦痛にまみれているのに、他の領域にそんなに簡単に感情の焦点を合わせて抜けきれるか? 場合によるでしょうが、それはハードルが高い事のような気もします。 取りあえず、子供の頃のあの恐怖と苦痛の領域は、どうやら今の私なら、コツをつかんで抜けられそうでした。 ちなみにこの抜け方だけではないと思います。色々な抜け方があると思うので、本当にこの場合は一例に過ぎないと考えて下さい。 原理的にすら、全然違う原理を応用しての抜け方がいくつもあると思います。 私自身の複数の経験からもそれは言えると思います。 もしどなたかの参考になるのであれば幸いです。 逆に惑ってしまうようならためらわずに捨てて下さい。 本当に個人的な経験の一例に過ぎませんので。 それで、皮肉なんですが・・・私の今の現状はある種の逆境なのですが、そこは抜けられていないわけです。多分、子供の頃無かったように抜ける先の波動領域を知りませんから。 いくつか高次元の波動は経験して知っていますが(中には変な高次元の波動領域もありますが?)、どれもここで要求されている注文の品とは違うようですし、実に困ったちゃんな状態にあります。 まあ、何というか、なんですかねぇ・・・最後の書く言葉にも困ってしまうこの状態は? もう、笑うしかないかも?
2008年01月24日
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宇宙飛行士達をライトスタッフと呼ぶそうです。 そしてこれはアポロ11号が初めて月面に着陸し、世界中にその模様が放送された時、アポロ11号を月に送り込んだ当の当事国のアメリカが喜び勇んでいる時に、当時(今もでしょうが)面白くもなかったライバル国のロシア(当時の呼称は「ソビエト連邦」ですが以下、ロシアと書かせていただきます)の隠れた片隅で本当にあった、もう一つのライトスタッフ(当時のロシア月面探査宇宙飛行士達)のお話です。 当時のロシアはアポロ計画に対して正式には「月有人飛行は無意味だ」というコメントを出しておりました。 しかし、東西陣営の両トップとして「冷戦(冷たい戦争)」という表面上戦争にならないものの(第三次世界大戦 → しこたま核兵器の撃ち合い → 人類滅亡ということになってしまいますから)軍事対立、政治対立、経済対立、お互いへの陣営への勧誘合戦、第三諸国による代理戦争等々の勢力圏争いのまっただ中で、実は密かにロシアは月着陸へのロケットと着陸船開発を進めておりました。 これは近年になって初めてロシアから明かされた話なのですが、その打ち上げロケットや月着陸船の実物まで作っていたのです。 ただ、月まで行く大型ロケットの開発がどうしてもうまくいかなくて最終的には断念したそうです。 4回打ち上げ実験を行ったそうですが、すべて爆発して終わりました。 その時のフィルムをテレビで見たことがあります。 それはもう壮大な大爆発でした。 宇宙技術、特にロケット開発技術は、元はと言えば第二次世界大戦で負けたドイツが先進国でした。ドイツに勝利した戦勝国であるアメリカとロシアの二大大国はこぞって、ドイツの研究成果や科学者を取り合い、以後、独自に開発を進めました。 宇宙技術とは言っていますが、元は軍事技術なのです。いわゆるミサイルや戦闘機の開発技術から来ています。むしろ軍事技術の転用が宇宙開発につながって行きました。 当時、人類が生みだした人類史上最大最悪の破壊力を持つ兵器「核兵器」を、ミサイルの弾頭にのせて相手国に打ち込むことは、大国にとって最重要課題でした。 そもそも宇宙開発に使われたロケットの大元は、すでに開発済みのICBM(大陸間弾道弾)つまり、アメリカからロシアに打ち込んだり、ロシアからアメリカに打ち込んだりする、地球を半周して相手国に打ち込む「核ミサイル」を改造したものだったのです。 そこから始まって専用の宇宙ロケットが開発されることになりました。 そういう理由が大きく手伝って実は当初ロシアは宇宙開発において技術的に最先進国でした。 世界初の人工衛星や、世界初の有人飛行(世界初の地球の衛星軌道を回る有人飛行に成功したロシアの宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という言葉をお聞きになったこともある方は多いと思います)に成功し、最初の内、アメリカよりも一歩も二歩もリードしていたのです。 その当時のアメリカ合衆国大統領、ケネディの発表の元で国家の威信の巻き返しを測った計画が、人類初の月面有人飛行アポロ計画でした。 そのアメリカよりリードしていたロシアがなぜ月面着陸で遅れを取ったかというと、すでに開発し、成熟していたロケット技術の限界が来ていたからでした。 実はアメリカは最初、どうしてロシアがパンパカパンパカ、地球の衛星軌道まで送れる優秀なロケットを打ち上げられるのか戸惑っていました。アメリカのロケットは失敗ばかりしていたのです。 俗にソユーズ(サユース)ロケットと呼ばれるこのロシアのロケットの秘密が、どうしてもわかりませんでした。 当時のロシアも当然のごとくに隠し続けます。ので、ソユーズロケットの打ち上げシーンは長い間、まったく公開すらされませんでした。 諜報戦(スパイ合戦)等もあったと思われますので、多分、アメリカも早い段階で気が付くことは気が付いたと思うのですが、正式な記録でどこで気が付いたとかは記録されていません(されていたとしても作られた偽の歴史の可能性もありますし)。 それは、ふたを開けてみればロシアのお家芸ともいえる実に簡単な仕掛けだったのですが・・・。 簡単に言ってしまえば、その正体は「いくつものロケットを束ねたようなロケット」(クラスターロケットと言うそうです)だったのです。 その大元になる一本のロケットは前に述べたロシア製ICBM(大陸間弾道弾)のミサイルのものでした。 それを五本とか束ねて一本のロケットにしていたのが、俗に言うソユーズロケットだったのです。 この方式だと、さらに大きなロケット開発が必要になった時も新たにロケットを開発する必要が無く、予算も開発コストも開発時間もほとんどかからずに出来る上に、新しい方式とか新型ロケットとかはどうしても開発当初は色々な問題が出て対処しなければならなくなりますが、すでに確立されて運用され、問題点は出尽くした信頼性の高いロケットを転用できますので、そういった意味でもいいことづくめの方式だったのです。。 それは実に高率のよいやり方だったのです。 ですが一つ欠陥もありました。 この方式だと、五本なら五本の同型のロケットを同時制御しなきゃならなくなります。 その内、一本でも他と噴射時間や噴射角度、噴射タイミングや噴射量が違うとあっと言う間に大アクシデント発生は避けられないのです。 さらに大型化して、束ねるロケット数を多くすると、その同時制御はさらに難しくなります。 ロシア版月ロケットはついに一段目のロケットで30本、ロケットを束ねばならなくなりました。 素人目には五本も30本も変わらないようにも見えるのですが、実はかなり大きな違いらしく、今日のコンピューター技術を持ってしても、この時の30本束ねのロケットの同時制御は難しいそうです。 まして当時のコンピューターやその他の制御技術では不可能だったようです。 要するに今までベストを誇った技術方式に頼り続け、その限界が来ても、その技術を捨てることも、新たな方式を開発することも、そのまま乗り越えることも出来なかったわけです。 何だか身につまされる部分もある話だと思われませんか? 何らかの形で個人の人生で起きても不思議ではないことです。 アメリカに月一番乗りをされて、大国、ロシアの誇りは砕け散りました。 ロシアの政治家も軍関係者も宇宙開発関係者も苦虫をかみつぶしたような表情になっていたと思います。 当時の、ベースにあるのが「相手の全面否定」→「殺し合い」に近いような殺伐とした東西陣営の対立意識の中、ロシア側や東陣営側では、失敗することを願っていた者が多かったのではないかとも思います(特に権力中枢がらみの人達は)。 当のロシア内部でも任務の失敗→即失脚なんか当たり前の体制でしたから(さらに前のスターリン時代なんか粛正(処刑)や強制収容所が日常茶飯事でした)なおさらで。 しかし、ここに一つの実話の話しがあります。 長々と当時の背景まで書いてきましたが、この出来事を紹介したくてわざと書かせていただきました。 これはその前述したこの「ロシアの月着陸ロケットと月着陸船」のことを述べたドキュメンタリー番組で見たものです。 当時、ロシアは月着陸船まで作っていました。それは二人乗りで、宇宙飛行士は立ったまま乗る、アポロの月着陸船とはだいぶ異なる形状のものだったのですが、それに乗る予定だった当時のロシアの宇宙飛行士(ライトスタッフ)へのインタビューだったと記憶しています。 その当時の宇宙飛行士(ライトスタッフ)は(もう白髪のかなりのお年の方でしたが・・・)こう答えていました。 思い出して書いているので一字一句この通りではないでしょうが、主旨はずれていないはずです。この宇宙飛行士が当時のことを美化して作って言った言葉とも思えなくはないですが、私はこの言葉を聞いたときは、これはその時、この人が本当に思った事だと感じました。これは作ることは出来ないだろうと感じた言葉でした。それほど重たい言葉でした。 その当時のロシアの月着陸宇宙飛行士(ライトスタッフ)はこう言いました。 『あの時、私は、あのアポロ計画の月着陸船の着陸の瞬間の成功を心から願った。その着陸を見届けた時、心の底からそれを喜んだ。なぜなら私達(ロシアの月着陸宇宙飛行士のメンバー達)だけが、月まで行って返ってくるということの本当の意味、それが世界が浮かれ騒いでいるようなものではない、死と隣り合わせのぎりぎりの成功なのを知っていたからだ』。 敵対陣営とされ、敵国とされた国で、威信をかけて競い合っていた当の現場で、最前線の当の月着陸のための宇宙飛行士(ライトスタッフ)同士だけは、お互いにだけにしかわからない、通じるものがあったのだと思います。 それはある意味で『すべてのしがらみを越えた理解と共感』だったのかもしれません。 実際にアポロ11号の月着陸も最近になってアメリカから明かされましたが、当時世界に放送されていたような安易(あんい)なものではなかったそうです。 実際には着陸予定の場所で月探査船を切り離すことが出来なかったそうです。ですので着陸予定地点が変わってしまって平地を選んだはずが、でこぼこだらけの場所の上を飛行する事になってしまって、アポロの月着陸船はそんな起伏地形に着陸するようには出来ていませんから、なんとか平らなところまでたどり着こうと月着陸船のジェット噴射で水平に飛ばし続け、もうあと数十秒で燃料が切れるというぎりぎりのところで、平らな場所に到達して着陸したそうです。 あともう少しで大惨事だったかもしれない。生きては帰れなかったかもしれないと。 しかもこの時の放送はリアルタイムでは世界に放映されなかったそうです。 何かアクシデントがあった時、アメリカの威信に傷が付きますから、この時の船長と地球の司令センターとの緊迫した無線のやり取りもすべてカット。世界の一般市民に放映されることはありませんでした。 今になってやっと表に出てきた始末です。 世界が思っていたのとは違う実体を、月着陸に成功した人の影で、心の底からその成功を願い無事を喜んでいた、地球の裏側のライトスタッフだけは知っていました。 私は思うのですが、アポロの乗組員達が月に降り立った時、この地球の裏側のライトスタッフ達も心で共に月に降りたっていたのかもしれません。 当時の(そして今もあるでしょう)どろどろしたすべての思惑を越えて、つながっていたものはあったと思います。 私は、そういう『人間の営み』が好きです。 追記。 余談になるのでしょうが、私がアメリカ側のそういう権限のある当事者なら、月から持って返った石のかけら(砂でもいいから)なんかを、当時の月着陸アメリカライトスタッフから当時の月着陸ロシアライトスタッフへ、当事者人数分(数個になるでしょうが)お渡しするのですが・・・・・その真摯な「祈り」へのお礼に。そういうわけにもいかないんですかね・・・・・ふさわしいと思うんだけどな。
2008年01月24日
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命が響くものならば、私はその命を響かしてみたい。 その命に呼応して響いてくる音色があるかもしれない。 私はここにいるよ。私はここに生きているよ。 ずっと前にした約束通りに。 もう約束すらどうでもいいよ。 私がいて、あなたがいて、あなた達がいる。 それだけで十分だ。 本当に十分だ。 だから会いに行くよ。 だから会いに来て欲しい。 みんなで命のオーケストラを奏でるために。 その響きがさらなる響きを生むだろう。 命があふれ出て来るだろう。 生きることに理由はいらない。 ただあることに理由はいらない。 宇宙はなんでもありだから、ただ自分の響きを奏でればいい。 ずっとずっと地球で好評?だった、恐怖の響きからはちょっと流行が変わって、恐怖はもうちょっぴりのスパイスや隠し味の旋律で十分で、喜びや楽しみの響きが今度は流行しそうだから。 ずっとずっと覆い隠されてきた事実。 最大の恐怖の扉の正体は「本当の自分自身であってはならない」という命令だった。 霊的な最大領域で「これが本当の自分だ」と思いこんだものですら「大嘘」の者もいっぱいいるという念の入ったブービー・トラップだった事。 宇宙そのものが冒険したくて始めた、冒険をしている宇宙そのものが、私やあなたというのが宇宙の真実。 事実上の潜在的可能性は無限大。 今度はどんな冒険がしたい? 今が変え時のチャンスだよ。 だってこんな一大イベントはなかなか無いから。 楽器そのものをゼロから作り直すチャンス。 今までにまったくなかった旋律も創れるよ。 だって宇宙のルールそのものを変えちゃおうよって時なんだから。 でも、今までの経験を全部無駄にする必要もないし。 それは意識をしなくても何だかんだ新しい形であふれ出てくるものだろうし。 あなたの目の前にある『自由』をつかんでみて欲しい。 あなたにはその価値がある。 「真実」の代価は「自由」だから。 「自由」になったら、あなたは「どんな宇宙を紡ぎ出す?」 だれも教えてくれなかったかもしれないその方法を教えるよ。 あなたの『感情』がある『臨界点』を超えて振動する時、しかもその振動の質と量が共に前もって宇宙に設定されたある種の条件をクリアし、『宇宙の共振』を招く時、別の言い方をすると『あなたが宇宙をも越えた時』、宇宙はその『感情』を『自分の感情』として受け入れて『奇跡』を起こす。 『感情』といっても、それはある時は「宇宙の果てまでほとばしるような感情」かもしれないし、ある時は「静かな静寂の果てにたどり着いた感情」かもしれないし、その人、その時、その内容は違うだろうけど、すべてが『宇宙をも動かすほどの何か』だったことに変わりはない。 その時、あなたはもう『新しい法則の宇宙にいる』。 あなたも私も『創造主』だから。 実は『冒険をしている宇宙そのもの』だから。 新しい法則のパラレルワールドにあなたはいる。 人生、がんばらずに、がんばってみればいい。 生きればいい。 本当にただそれだけでいいんだよ。 ただ存在しているだけで最初っからすべてが許されている。 それがあなたや私なのだから。 それが『人間』という『冒険をしている宇宙』が、最初から持っている『真実の価値』そのものだという事なのだから。
2008年01月23日
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最近、心の天気がそれなりに荒れ模様で、結構、ころころ変わります。 このブログにもアップしたかと思ったら速攻で削除した幻の日記が数件あったり(削除するくらいですから重要度も高くなく、むしろ問題をふくんでいる可能性あるかも?というものなのですが)。 すでに書いて残して置こうと思っているものも、まるで包丁で荒っぽく「切りゃあ、いいんでしょ、切って、出しゃいいんでしょ」ってな感じで、荒っぽく「ダン、ダン、ダン」って材料切って、そのまま皿に「デン、デン」って山積にして、ただ「ドン」と出したままのような・・・。 いや、「出しゃいいんでしょ」じゃなくて『お出しする』心が大切じゃない・・・って後で、自分で自分にツッコミ入れて。 将来持つ(心の中の)予定のセラピールームは「おもてなし」の精神で生きたいのにー。 でもまあ、書いている時は、もう出すだけで精一杯て時も多くて、あまりにものものは「後で再編集しようかな・・・」とちょっと考えてます。 今、普通にしているだけでも、前には一応出来ていた普通にハートでフィーリングできちんと感じては書きづらい、5~6件、ややこしいことが重なった非常にこんがらがった状態でして(「うぬれ~」って感じですが)自分らしいフィーリングで波動入れて書けてないんじゃとか思ったりしながらも、でもどうも今、私に一番必要なのは何でもいいから前向いて形にして実行して進む『推進力』や『実行力』のようなものらしいので・・・書きます。 どうか本当の意味でお役に立つ人にはお役に立つ文章になっていますように・・・祈るばかりです。 私もこの世を生きる人間なので・・・どうかご容赦下さい。
2008年01月23日
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多分、すべての『鍵』は『やすらぎ(平安)』なんだろう。 おそらく同じようなものだけれども『完全に全面的な自己受容』。 しばらくの間だけど、その感覚をかい間見たことがある。 見たことがあるというより、絶対的な体感だったけど・・・。 あれはあのまま放っておいたら、多分、この次元から消えていたと思う。 そのくらいの何かだった。 (前述の「すべてに感謝する境地」とは別の時にした体験です。『完全に全面的な自己受容』の時の方がすさまじい体験でした) もし、本人がそうしたかったらだけど、この次元を卒業したかったら、新たな次元へ冒険がしたかったら、これは私は一時でも実感した者として言えると思うけど『完全に全面的な自己受容』がその方法だと思う。 ただ、言葉では何とでも言えるけど、言葉なんかをはるかに越えたものだから、自分で実感していただかなければ無理だと思うし、個人によって実感内容も表現も違うと思うけど、あれは何というか私なりに表現するなら『完全に全面的な自己受容』としか言いようがない、そういうものだったなぁ。 なぜだかはわからないけれども、『完全に全面的な自己受容』とは、『宇宙』そのもの、『神』そのものの何かの本質なのだと思う。
2008年01月21日
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(何千万年前の昔にしたかわからない)遠い約束より、今得る幸せを選ぶ。 それに・・・遠い約束の結果も、今の今まで気が付かなかったけど、得るべく約束してたどり着いた受け取りの約束の地は「ここ」だった。 約束の時は来た。 自分自身への約束を今、果たそう。 今、私は最高の幸せを得る。 それが自分自身への約束だったから、私はその約束を今、果たす。 あの日、焦土(しょうど)と化した宇宙で、自分が存在している限り見る事はない遠い未来に希望を託して巻いた種が成長してなった大きな森に、自分自身が生まれかわって来ていた事に気が付かなかったよ。 だって結果がわかるはずもなく、あの日おぼろげに想像していた森とはだいぶ違う感じだったから・・・。 最初は違和感も抱いたけど、でもこのごろ思う。 『まあ、これでもいいのかもしれないね』 すっごい気の遠くなるような試行錯誤の果て、命がたどり着いたのが、この生命圏なんだろうから・・・。 この世界は美しいよ。 そこに生きている私は、何だかんだ幸せ者なんだろう。 それでも気にくわなければ、別のパラレルワールドの流れへ泳いで行くまでの話かもなのしれない・・・。 この辺の仕組みは、まだ実感してわかりきってはいないけれども。 でも一つだけ完全に決めている事がある。 『私はこの人生で自分に取って最高の幸せを生きる』。
2008年01月20日
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自分自身のすべてを請け負うと言うことは時と場合によっては本当に大変なことだけれども、でも、自分自身のすべてを請け負わなければすべてが回るということもまた無いのだろう。 私が私を受け取る。 他人や他の何かにあずけてしまった自分の力のすべてを取り戻す。 それでいいのだろう。 私は私だから。 あなたはあなただから。 ただ、それでいいのだろう。 命はめぐるものだから・・・。 でも、人は一人では生きてはいけないものだから。 だから(一見、矛盾して見えるかもしれない)この二つのことがきちんと噛み合った時、『真の命』が発動するのだろう。 私とあなたがいる。 ありがとうと言える私がいて、あなたがいる。 それがとても嬉しい・・・。
2008年01月20日
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すべてに感謝する境地。 それは本当に『境地』であって、一瞬でもその「境地」になってみなければわからないものだと思う。 「これこれこういうものだろう・・・」というものとは違うものだから・・・。 ほんの数分間だったけど、こういう境地に達していた。また、元に戻ってしまったけど、その領域をかい間見れたことは心の幅を広げたかもしれない。でも、これだけで生きてもいけないのかもしれないともちょっと思った。 今の状況の理屈も意味合いもわからないけれども、痛みも悲しみも不条理も狂気もネガティブなものも、ある意味でポジティブなものさえ乗り越えてたどり着く一瞬がある。 すべてがありのままであるということ。 そこに限りのない美と優しさを感じるということ。 あふれる命をかんじるということ。 静かな静かな境地。 『慈しむ』という言葉にもつながる境地。 ただ、あってある。 それでいいと実感して気が付いた瞬間。 すべてが完璧であるべきところにある。 湖面は万物を写しだし、あふれ出した流れは川となってとまらない。 愛がそこにある。 ありがとう。 ただただ、ありがとう。 すべてにありがとう。 もういいや。 私はすべてを許します。 許しきれないものはそれさえそのままでいることを許して、すべてを許します。 出会ったすべての人々に、出会うだろうすべての人々に、相対したすべての世界に、これから出会うだろう未知の世界のすべてにありがとう。 私はここにいるよ。 私はここに生きているよ。 愛しているよ。 世界は、ただただ美しく、そこにあることに気が付いたから。 そして私もまたその美しい世界そのものだと気が付いたから。 だから・・・私はここにある。 <追記> このページに関しては、できますればコメント欄もお読み下さいませ。それで私の書きたかったことが1セットになっている感じとなっております(コメントを下さったMikageさん、大変ありがとうございました)。
2008年01月19日
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あなたの存在の最も奥底からわき上がる暖かく優しく美しい波動。 無条件の愛。 無邪気で、でもこの世を生きるという意味ではとても無力な赤子が、泣き疲れて母親の乳を吸い、安心しきって全面的な安心とゆだねを持って母親の懐で眠る時に感じるような愛。 それは本当は誰でも自分の中に持っており、そして絶えず宇宙から降り注がれ続けてもいる愛。 心の奥底から受け取ることを望むだけで、自分にそれを許すだけで、文字通り無条件に与えられる愛。 愛の最も根元的な波動。 それを受けて発揮される自分の輝き。 流れ出す生命(せいめい)。 世界でたった一つだけの自分の輝き。 世界でたった一つだけの自分の命。 自分の命(いのち)を信じられる? 自分の生命(せいめい)を信じられる? 自分が『生きる』ということにゆだねられる? 『生ればいい』 妨げを踏み越えて『生きればいい』 条件はいらない。ただ、『生きればいい』 「無条件の愛」と「ただ存在する(生きる)」ということは、本当は同じ事だから。 だから生きれば『運命の輪』は回り始めるよ・・・・・。
2008年01月18日
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命に重さがあるのならその重さは何でできているのだろう? 命にきらめきがあるならそのきらめきは何でできているのだろう? その正体は私にはわからない。永遠にわからないかもしれない。 ただ、それはそこにあるだけで、そこにあってくれるだけで意味がある。そういうものかもしれないと思う。 人を、その人生を、その(特にクライアントの方がセラピー中に)見せてくれたきらめきを、まるで星のきらめきのようだと感じる。 夜空に星を見上げてみる。 一つとして同じ輝きはない。 大きい星もある。 小さい星もある。 近い星もある。 遠い星もある。 赤い星もある。 白い星もある。 青い星もある。 群れている星もある。 ぽつんとある星もある。 見事な星座を組んでいる星もある。 名も知らぬ星もある。 星雲とか銀河系とか星じゃない輝きもある。 でも、そのすべてが輝きであることに変わりはない。 人で成り立っている人の世では個人によって好きずきもあるだろう。 ある人は赤くて大きい星が好き。 ある人は青くて強く光る星が好き。 それでもすべてが宇宙で唯一の輝きだという意味では平等だ。 人の輝きを美しいと思う。人の人生のきらめきを美しいと思う。 ただ、ただ、そう思う あなたはあなたのままでいい。 あなたはそこにいていい。 誰がどのように否定しようが、あなたはこの世界に生きていていい。 あなたはただ存在してくれているだけですべての価値がある。 だから生きて欲しい。 この世界を生きて欲しい。 大丈夫だから。本当に大丈夫だから。 あなたに生きて欲しい。
2008年01月17日
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<セラピストにあるまじき言動を吐きますが・・・切れ模様です。あとで削除させてもらうかもしれません> わたしゃ、人様のセラピーをしたいんじゃー! そういう形できちんとお役に立ちたいんじゃー! でも今の自分の状況じゃ、自発的に職業倫理的に受付はできないんじゃー! 打開を求めてもわけのわからん元と同じ場所に戻されるだけで、まともな説明一つなく一向に配慮も進展もないんじゃー! 前に自分のハイアーセルフの方が明らかに間違っているという経験をした(正確に言うとちょっと違うけど・・・アレで魂の傷とか魂のトラウマの構造がだいぶわかったけど)私には今度も同じ事をやられている気もしてしょうがないんじゃー! 下手すりゃ、さらにその上の神意識レベルでそれをやられている気もしてしょうがないんじゃー! 堀に掘ったあげく、宇宙の構造の奥底にある一部分、全ての人も存在も事象も現象も出来事も、本人の内部感覚、身体感覚、夢に至るまで無意識にアクセスして影響を及ぼせる「ものごとを(悪意をもって)ずらす法則にして意志」なんてものにまで突き当たっちゃった私には、今回の導きらしきものも一見正しいようで自分の真のニーズからは、ずれている気がしてしょうがないんじゃー! なぜかって言うと「真実の涙」が流れないんじゃー! 今の私に取っては真実の涙の流れないセッションや体験は自分の解放につながってはいないんじゃー! 中途半端な涙でも意味はないんじゃー! 要所要所で、心を覆った氷の壁があるのは自覚があるんじゃー! その氷が涙で出来ているのもわかるんじゃー! その氷を溶かして涙を全て流しきらない限り、本当の自分の心には触れられないんじゃー! 真の解放はないんじゃー! 最終的に全てを手放す用意はあるけど、私の自覚する限り、涙を流しきらないでいくら手放したつもりでもそれは「ごっこ」に過ぎないんじゃー! 逆に必ず自分の中に(それも根本的なところに)大ずれが残るんじゃー! 意識の拡大がこの時点までくると、その状態で成し遂げた気でいるのは自分に取っても人にとってもむしろ危険なくらいなんじゃー! 少なくとも私自身に関してはそう感じるんじゃー! だいたい何でこの世に生まれてきているかと言うと、高次元も(自分のハイアーセルフ<魂>等をふくむ)この世の肉体を持った人生で得たものから学んだり、体験したり、理解したり、味わったりして、より豊かになり、より拡大された意識になるためでしょうが~。 私の経験とそこからしている主張から学べよ! おい! なにをやっとんじゃー! いい加減、私を人様をセラピーできる身体に状況に霊的状態にせーよ! おい! しっかりせーよ、高次元(魂やら神意識やら宇宙やら)!!!
2008年01月15日
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おやおや、新年早々、私らのチャネリングで始まりかい? それはどうだろうね。 自信がないか?。それとも意味がわからないと感じているか?。わけのわからなさに怒りもあるかね? さてさて、私達の立場からすると最後のカードと言ってもいいものを切るかね・・・。 これは、ある種の状態の人やある種の状況の人には言えないのだけれども・・・あのね、簡単に言うと「今のあなた」のみに関しては、今の状態は「どんな状態(状況)でも大丈夫」と知る目的もあるんだよ。 普通、人間は本当はもう一番奥底でそう確信仕切っていて、まともに来た流れにちゃんと乗っていればまず本当に大丈夫なのさ。 それが「人生の創造主」だということだ。 最も、そうとも言ってられないんじゃないかというややこしい状態も経験中だね。 あなたは光と闇の葛藤のからくりの真の奥底をあなたなりに覗いたとも言えるだろう。 それは想像を絶するものだったね。 あなたは『広大な領域』へ接続予定なのだよ。 だが、それをなんと表現してもいいけど『力』には『責任』もともなう。 だから暴走や過剰責任を負うとどうなるかとか、高次元酔いや他の存在の高次元モードだとどんな感じだとか、闇の真髄は何かとかとか、そういったものを一通り味わったのだよ。 ついでに言っておくけど、このラインからも「全て」は来ないよ。あなたの言葉に合わせて言うと「全ての答えは来ない」。 あなたは選択を仕切れていない状況だ。 選択肢も条件も可能性も、何より意味も何もわからないのに何を選択しろって? それに何かがおかしい。何かが・・・。 と思っているあなたの直感は正しいのかもね。しかしその件に関してはこのラインから今は確定的なことはこないよ。今、私達に言えることがあるなら「人にお会いなさい」と私達は言う。 って言ったって経済状態すらあまりに厳しいじゃないかと言われるならそれはその通りだろう。 セラピーの受付を止めている状態では事実上、収入が無いからね。 この矛盾だらけの状況は何なのだろう? さてさて、どうする。 あなたの言う最短距離というヤツだけで言うならスピリチュアルな世界を一切捨てて生きてみるのが一番の近道かもね。 自分の経験が役に立つ人もいるかも? そうかもしれない。 ならばブログに書くか? それは本当に役に立つ人には役に立つだろう。結構あなたは普通は経験しないようなことも経験しているから。もしかしたらそれはとても貴重な証言なのかもしれないしね。 あのね、あなたが今生、自分の人生に持ちこんだ能力は主に「自分がチャネリングする」ためのものではないのだよ。 かなり珍しい能力だと思う。あなたは他人に(クライアントさんに)基本的に安全な範囲で一時的に最大限、チャネリング状態になってもらう能力を有しているのだ。 なぜそうなのか? その人がその人らしい自分の輝きを輝かすためのお手伝いのためには今生それがよいとあなたは判断したのだ。 いくらヒプノセラピーを受けても自分のインナーチャイルドに会えなかったある方が言っていただろう「あれだけ無理だったのに、どうして顕在意識(表層意識)からあっさり自分のインナーチャイルドに会えるんだ?」って。 会いたかったメッセージのある亡くなった人に会えた方もいる。 個人差はあるし、ブロックの度合いもあるが、あなたはつなぐ必要のある人や存在達を多次元的につなぐ能力があるのだ。逆に切る能力も宿している。 いや、目に見えない領域だけではない。聖母マリア像をあげた方はなんと言っていた? レインスティックをあげた方は? 昔持っていたのとそっくりなコマをあげた方は? 真っ白なキャンパス集をあげた方は? どれだけ愛おしそうにそれらの品ものを受け取っていた? あなたは天から預けられただけだと思っていた。やがて渡すべき人に渡すために。 あれこれ道案内して「こんな場所があったのか!」と行くべき場所に案内してあげた数々の方は? 人と人とをつないだ方は? あなたは愛と愛とをつなぐ。本当に必要なものとものをつなぐ。 宇宙中から便利屋みたいに必要なものを引き合わすことができるのだ。 あなたの屋号「チャンネル・コスモス」は文字通りそうなのだよ。 最近、もう一つ屋号が加わったね。「フリーダム・フィッシュ」(自由な魚)。 いわゆる「引きよせの法則」をあなたは「引き寄せると言うより、数あるパラレルワールドの中からその選択した状態の方向に自分が泳いでそこに行く感覚に近い」と自分の実体験で感じた。 望む未来へのパラレルワールドの泳ぎ方、そして究極的にはあらゆる制限・制約からの脱出法をあなたはそう感じた。まだそこまで到達はしていないにしても、いけるかもしれない手応えの感触は得た。 なぜ? これらのことは何を意味している? そして最後の難関とでも言うべきものが大きく立ちはだかっているのはなぜか? あなたの「願い」は何だった? 思い出せるかな? そして全くの白紙からだったら、あなたはどんな人生を新たに紡ぎ出すね・・・。 今日はここまでにしよう。 そして明日からもしブログを書くなら・・・自分の言葉で書くことを私達は期待するよ。 ちなみにこれも言っておく。 私達の間でも意見は分かれている。あなたがブログを続けることもふくめて、スピリチュアルな世界にまだ関わり合いながら行くのか、それとも今は、あるいは今後一切、縁を切っていくのか。どっちがあなたにとって最善なのか、あなたとって幸せなのか。 ああ、でもわかっているね。最終的に答えを出すのはあなただ。私達ではない。 なぜ、あなたが遠隔がまったくダメなのか知っているだろうか? 最大でも電話じゃないとセラピーできないのか。 あなたは人に会う。人と関わり合って生きると決めてきたのだ。 遠隔能力が基本的に無い理由は、能力がないから、劣っているからではなくて、そんなことなのだよ。 それは何を意味している? 人を愛する。人から愛されると決めたのだろう。 世界を愛する。世界から愛されると決めたのだろう。 だから・・・愛を恐れるのをもうやめなさい。 もう我慢しなくていいんだよ。 誰かのためとか何かのためという責任を負わなくてもいいんだよ。 愛しなさい。愛されなさい。 それが私達があなたに送る最後の言葉だ。
2008年01月06日
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