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すべてのからくりがわかってしまえば、後に残るは選択のみ。 何を選ぶのか? 本質的には、ただそれだけ。 選ぶとはどういうことか? ただそのものになっているのかということ。 思念レベル・想念レベル・思考レベル・思っただけの何かでは無く。 あるいは自分をごまかしたゆえの偽の願望でも無く。 誰かに刷り込まれた本当は自分のものでは無い願望でも無く。 恐怖や自己保身に基づいた仮面の願望でも無く。 自己顕示欲や独裁欲をただ満たし、エゴに一時の満足を与えて安心するための願望でも無く。 ただただ純粋に、ただただあり、ただただ自然な自分自身の願いなのか。 本当の自分自身の願いを選択する時。 それは最もその人を幸せにし、最も喜びにあふれ、最も自然で、最も他人をも幸せにする願いの選択となる。 その選択が現実化した時。 その人は知る。 自分は真実の選択をしたことを。 自分に最もふさわしい選択をしたことを。 「生きる」という意味そのものを選び取ったことを・・・知る。
2019年02月09日
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必要なものは平安。 例え焼け野原でも。 例えがれきの山でも。 その場ですくっと立ち。 心の中心に平安をたずさえ。 透徹したまなざしですべてを見すえ。 勇気と言う名の歩を進め。 安らぎと言う名の自分を生きる。 分かたれることの無い我。 すべてが私。 すべてが愛。 道は目の前にあり。 たどった道には触れ合いが残る。 慈しみと言う名の人生を送り。 やさしさという答えを得る。 今ここに。 私はある。
2019年02月04日
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今いるこちら。 望んだあちら。 こちらとあちらが意識の中で同一となる時。 こちらはあちらとなる。 こちらとあちらが心の中で一緒となる時。 こちらはあちらとなる。 こちらとあちらが一つとなった時。 望んだ場所にその人はいる。 願いがかなった場所にその人はいる。 こちらとあちらはもはや分かたれること無く。 同じ一つの場所となり。 今こことなる。
2019年02月04日
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今ここにある自分の姿。 今ここにある自分の状況。 他人にやられたこともあるし、理不尽で不条理なこともあるけれども。 それらすらすべてをひっくるめて、今ここにある。 すべて自分というレンズを通して投影され焦点を結んだ上での「像」なのだ。 「現実」という名の「虚像」。 「虚像」と言ってもそれを体験している者に取ってはリアルな「現実」。 「大地」に手を当て、すべてを感じてみる。 世界すべてが自分自身であることを感じる。 さて、どうしよう。 様々な事象そのものに手を加え、物事を変えていくのも一つの手だ。 レンズの方の焦点を変えてみて、結ぶ「像」を変えてみるのもの一つの手だ。 極端な話だが、深く傷を負ったとして、その傷を一瞬で奇跡的に治すことも、 逆にその傷跡と痛みを背負いながら生きることも宇宙的には等価値なのだ。 その体験から何を得、どうするのか。 その人の「自由」でそれだけなのだ。 それだけの完全な受容性を持ってこの多次元宇宙は存在しているのだ。 さて、どうしよう? 「虚像」と言う名の「実像」をどう体験しよう。 投影された「現実」と呼ばれているものをどう体験しよう。 すべては「自由」。 「自由」なのだから・・・。
2019年02月02日
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その人の波動(周波数)が世界を決める。 その人の時空間構造体が世界を決める。 その人を構成している分離された神の視点の集合体の重心が世界を決める。 その人の意識の焦点の最も合っている所が世界を決める。 その人の本当の心が世界を決める。
2019年02月01日
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宇宙の仕組みについて・No1の続きです。 それでは前回に引き続き、宇宙の仕組みについて述べていきます。 前回は主に「ワンネス」について述べました。 今回は、いかに「絶対」の「ワンネス」から、私達の経験している「相対」の「多次元宇宙にまたがる宇宙のすべて」が展開していくのかを説明していきたいと思います。 それではこの絶対不変の「ワンネス」から、どのようにして私達から経験している多次元宇宙が生まれたのでしょうか? 何のために? どういうプロセスで? 何の目的で? そして、この経験をしている主体である私達に何の意味があるのか? 実はですね、その答えを人間の思考プロセスで答えることは、正確にはできないのです。 人の持っている概念の枠内で説明なんかできないものなのです。 多くの人がここで引っかかったり、あるいは間違ってしまっているように見えます。 でも、不可知論をここで論じているわけでも無いのです。 どうせ理解できないし、知覚もできないから、論じるだけ不要・無用だと言っているわけでは無いのです(そう言って切り捨てている人もいます「しょせん、わからないことを考えるより日常に目を向けましょう」とか) 私は「理解」をしていますし、「実感」もしていますし、「わかっています」が、人の言葉や概念で説明することはとても困難です。 でも、それでは不親切というものですので、やれる範囲でできるだけやってみます。 太古の昔より、このことに気が付いた人々、それもおぼろげに気が付いた人から、完全把握した人まで、多種多様な人が多くのことを伝え残してきました。 例えば古代インドの古典ではこんな風にいいます「無限であるがゆえに有限を望み、永遠であるがゆえに)(限られた)刹那の時を望んだ」。 そう言えなくも無いでしょう。 古代インド思想でも、イスラム神秘主義のアラビアでも、同じようなことが書き残されています。 「じゃあ、なんでこの完全で完璧で神であるものがわざわざこんな分離された世界を作ったのか?」そして「また完全で完璧で神であるものにまた戻らなければならないような奇妙なことをしてるのだ?」。 言いえて妙かもしれません。 「完全で完璧なものが、そうではないことを経験してみたかった」と言う人もいます。 それも一理あるかもしれません。 でも私が実感として答えるなら(人の言葉や思考形態や概念で説明できないという前提で聞いてくださいね)こんな感じになります。 「答えはワンネスじゃなく、私達にあります」。 「ワンネスからの分離のドラマを、どれだけ最初にワンネスがあってそれからこんな風になったと説明しても無駄です。そういうものじゃないですから。ワンネス自体はまったく不変の実態で動きませんし、変化しませんから。そもそも時間も空間も無いのですから」。 あの、最初にあったのはワンネスじゃなくて、私達にとっては、私達の方なのです。 最初というものも実は無いのですが。 わかっていただけますか? 絶対不変の「ワンネス」から、どのようにして私達から経験している多次元宇宙が生まれたのでしょうか? 何のために? どういうプロセスで? 何の目的で? その答えは「私達自身」の方にあります。 そしてその「答え」を付与するのも最終的に私達自身なのです。 あなたにとってはあなたが。 真に実感するものが「答え」です。 わかりにくいでしょう。ですから宇宙の仕組みの方から述べてみましょう。 宇宙にある真の実態が「ワンネス」しかないのなら、私達が経験している世界って何でしょう? 宇宙にある真の実態が「ワンネス」しかないのなら、地球と言う3次元の惑星でこんな人類の一員たる人間としての体験なんてしようもないでしょう。 これを成り立たせている宇宙の仕組みの真髄は実は「錯覚」なのです。 色々な言葉で表現はできると思います「錯覚」、「投影」、「絶対に対する相対」、「反射意識」、その他諸々。 これから先に述べることは前にも例えとして似たようなことを書いたことがあると思います。 いわゆるアナロジー、例え、比喩、類似のもので述べるものではあるのですが、ただすべての記述の中で一番正確でないものであることだけは覚えていて下さい。 人の思考法や概念では理解できないことを、何とか理解の一助となるように無理やり疑似イメージ化して述べているのです。 さて、完全で完璧でそれしかないものを材料に、無限にして永遠の多種多様なものを経験しようとしたら、どういうからくりを用意しますか? 決してできないことをしようとしたら。 例えですが、こんなことをしたのです。 「それ」しかないものを、それ以外のものもあるように知覚するようにするのに、錯覚を利用する。 説明してみましょう。 宇宙の仕組みについて・No3に続く。
2019年02月01日
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それでは、これからシリーズで宇宙の仕組みについて述べていきたいと思います。 ここで言う宇宙とは、いわゆる銀河系とかの3次元の物質的な宇宙だけを指すのでは無く、多次元にまでわたる宇宙構造とその仕組みのすべてを指しています。 まず、宇宙の根源・根本について述べてみましょう。 ここではこの宇宙の根源・根本であるものを「ワンネス」と呼んでおきます。 「一つなるもの」とでも言った意味になりますが、何かしら名称が無いと不便ですので便宜上、そう呼んでおきます。 ここで「ワンネス」と表現している宇宙の根源・根本は様々な名で呼ばれています。 根源、根本、第一原理、それ、神、等々。 この「ワンネス」のことを説明し語ることは、一般的に言って非常に難しいのです。 と、言うのも人の思考や理解には、なかなか収まってくれない代物だからです。 理由はあります。 難しいと言っていますが、実際には難しいのでは無く、私達がそれを理解し実感しないようにして、世界が成り立っているからなのです。 難しいどころか逆のもの。 複雑怪奇どころか、これ以上無い単純なもの(でも単純という言葉すら本当は当てはまらないもの)。 だって宇宙には本当は「それ」しか無いのですから。 宇宙の実態は「それ」しか無いのです。 この理解し難いものを、それでも何とか説明してみましょう。 まずは完全なものを思い浮かべてみて下さい。 完璧なものを思い浮かべてみて下さい。 「ワンネス」とはそういったものでもあるのですが、でも完全とか完璧とか言うと普通、欠けの無いものを想像しませんか? 欠けが無いと言えば、確かに欠けが無いのですが、欠けるということは、欠けるに足る実態がまずあるわけです。 その実態すら無いのです。 「ワンネスとは無のようなものか?」と何人かの別々の人に聞かれました。 「そういう風に思うんだ」という感想と、複数の人に判で押したようにこの同じ質問をされましたので「皆、同じような疑問を抱くんだ」という感想を持ち、とても興味深く感じましたが、答えは「違います」というものです。 「無」の逆です。 「ある」という感覚が強いて表現するなら近いものです。 それも圧倒的な「ある」という感覚。 でも「圧倒的」と言うと「量」があることになるわけです。 その「量」もありません。 「質」も無いです。 「時間」もありません。 「空間」もありません。 「次元」もありません。 「感情」もありません。 「思考」もありません。 「意志」もありません。 「意識」もありません。 「動き」もありません。 まったく分かたれていないのです。 分離が一切ありません。 でも分かれるとか分離とかいうと、その分かれたり分離したりする元があるように思いますが、その分かれる元自体が無いのです。 で、「じゃあ、無のようなものか?」という質問が出てくるのでしょうが、「違います」。 むしろ「逆」です。 ちなみに本当の「無」というものは宇宙に存在しません。 本当の「無」ということがあるのなら、それは究極の錯覚状態のことを指します。 また、「分離の果て」というものも本当はありません。 「分離」というものも本当は宇宙に存在しないのです。 本当に宇宙にある実態は「それ」のみ、「ワンネス」のみなのです。 「ワンネス」とは「絶対」です。 でも普通、何となく「絶対」というと「強固な信念」とか、「それだけで強化したもの」とか、「それだけで純化したもの」とか、「特化したもの」とか、その他そんな風な感じで受け止めませんか? そういうものでは無いのです。 ここで言う「ワンネス」の「絶対」とは、「質」も「量」も「その他のもの」もありません。 「絶対」とは結構、言い得て妙の言葉で、文字通り「対になるものが絶っした(絶無)」の状態なのです。 反対語が「相対」です。 これも言い得て妙の言葉で、私達が経験する宇宙はすべてこの「相対」で成り立っています。 「ワンネス」。 もしかしたら、「高次元超精神生命融合体」のようなものを想像してもらえると、ちょっとだけ「ワンネス」のイメージの理解に近いかも知れませんが、本当に「高次元超精神生命融合体」というものがいたら、それは相対の多次元宇宙の中の一存在に過ぎませんので、根源たる「ワンネス」そのもののことではありえません。 「ワンネス」は、精神でもなければ、融合体でもなく、高次元の存在ですらありません。 次元という幻影を作り出している本体でもあるからです。 「ワンネス」。 存在そのものであり、生命そのものであり、絶対そのものであり、神そのものであるもの。 宇宙の唯一の実態。 すべてのものの本当の正体。 そして私達の究極の正体でもあります。 ちなみに「神」と言っても「ワンネス」は、これをしろとか、あれをするなとか、これが神の意志だとか、神の計画だとか、一切言いません。 「意識」とか、「意志」とか、持っていないです。 よく「神」がこう言ったとか、「神」の意思だとか、「神」の法則だとか言いますが、本当の宇宙の唯一の実在である「神」=「ワンネス」には一切そんなものは無いです。 「ただある」それだけです。 「存在」そのもの。 そういうものです。 ある意味でですが(便宜上の説明ですが)究極の喜びとは、「ワンネス」のことです。 神への回帰、あるいは神人合一とは、「ワンネス」のことです。 ニルバーナ(涅槃・悟り)もまた、本来は「ワンネス」のことです。 他にも「仙道」の方の還虚合道とかも本来「ワンネス」のことです。 ある人が、人とかすべてのものの究極の目的は「ワンネス」になることだというようなことを言っていたのですが、「違います」。 正直、「よくわかってない人だな」と思います。 あの、「ワンネス」ってなるものじゃあないんです。 なるもくそも、最初から「ワンネス」以外のものって無いんです。 人の目的もワンネスになることではありません。 ある個人、一人のある人が自分で決めた人生の目的が、自分の正体がワンネスであることを完全に思い出すということはあり得ます(これも便宜的表現ですが)。 でも人の目的、人類の目的、すべての存在の目的がワンネスになることなんてことは無いです。 なぜなら、逆に私達はワンネスである実態から、わざわざ芸術的なまでに錯覚に錯覚を重ねて今ここで人間としての個人の意識を持って、わざわざ人生を送っているからです。 じゃあ、人生の目的って何でしょう? その人が決めた目的以上のものなんてありません。 その人が人生の目的を変えれば、文字通り人生の目的は変わります。 また、別の表現をさせてもらえれば、人であることがあなたの目的です。 あなたがあなたであることが、人生の目的です。 あなたの人生を生きることが、あなたの目的です。 そういう言い方もできます。 例えばあなたが個人として、自分の究極の正体がワンネスであることを思い出し完全に実感するとします。 そうするとどうなるかと言うと、あなたは消えます。 投影をやめてしまいます。 相対をやめて、絶対に戻ってしまいます。 錯覚をやめます。 「ワンネス」であることを完全に思い出し実感するとは、「ワンネス」そのもののこと。 あなたという幻は消え、ワンネスだけがそこにあることになります。 言っちゃあ、何ですが、私達はわざわざ錯覚を起こし、幻である人間の「私」を生きています。 すべての「人」がです。 「人」どころか、すべてのもの、すべての存在がそうなのです。 人生の目的とは何か? あなた自身が目的です。 そしてあなたが決め選択したことが目的です。 それは「奇跡」と言えば「奇跡」なのですよ。 私が多次元宇宙の探求を経て、何が一番驚嘆したって、この「制限」を作り出すほうが大変なんだという事実です。 例えばですが、この制限だらけのいやになる物質世界をわざわざ作り出すために、どれだけの芸術的な技術の極みとでもいうべきものを駆使して、錯覚に錯覚に錯覚を重ね、投影に投影に投影を重ね、幻影に幻影に幻影を重ねて、わざわざ作り出されているか。 まさに究極の芸術、技術の粋と極み、そんなものでわざわざできているのです制限って。 人間であるって、ある意味、すごいことなんですよ。 あなたがあなたであるって、ある意味、すごいことなんですよ。 あなたが「神」なんです。本当に。 ああ、でも私なりの助言です。 あなた以外の人も「神」なのです。 あなた以外のすべても「神」なのです。 だから軽々しく犯しに行かないで下さいね。 他人を自分に貢ぐための道具にしたり、他人を自分を崇拝させて自分の優越感を感じるための道具にしたり、他人を貶めて自分の価値を感じるための道具にしたり、他人にやらせても自分がやったと盗んだり、その他もろもろ、まったくおすすめしません。 そんな必要が無い人生をおすすめします。 それでも上記のことをどうしてもやるというなら、別に止められませんし、ある意味で止めません。 でも、責任も自分で背負うことになります。 逆もそうです。 自分で自分を犯すような、自分で自分を傷つけるようなことも止めることをおすすめします。 自分自身を不当に傷つけたり、また、不当に搾取される所に自分を置いたり、自分への虐待を許したり。 そういったものも、まったくおすすめしません。 ガラにも無く何か偉そうなことを言っちゃいましたが・・・。 あなたの人生をあなたが彩ってみて下さい。 それは「可能」です。 また、他の人と共同創造で何かをやってみたいなら、それもありです(ただ、相手や仲間は、自分と共同創造するに本当にふさわしい人を選んだ方がよいとは思いますが・・・例えばあくまで一例ですが、搾取もせず、搾取もさせぬ相手を)。 「自由」。 あなたは本来「自由」なのです。 制限だらけの嫌になっちゃうこともあるだろうこの世界で、本当はあなたは「自由」です。 その「自由」の本源は、「あなたは神だ」という紛れもない事実なのです。 あなたが本当に持っているもの、それは幻で制限を作り出し、その自分縛りの中でいかに自分の創造性や独自性を発揮し、自分自身の生きがいを生きるかという、制限というものを自分に課す自由すら自分に駆使した「自分で作ったゲーム」の「主人公」だという事実なのです。 次回は、この唯一の実態である「ワンネス」から、言わば「絶対」からどのようにして「相対」の世界が作られ、多次元世界が作られ、私達の生きる物質世界が作られていったのか、そういった話をしたいと思います。 <宇宙の仕組みについて・No2に続く>
2019年02月01日
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このブログ、1012年に諸々の理由があってアメブロへお引越ししていました。 そして引っ越し先で数年書かれた後、これまた理由があって数年お休みしていました。 そして2018年の暮れに、またまた理由あって再開しました。 同時に今回、こちらでも引っ越し先のアメブロで掲載しているものと同じものをミラーリングブログとして載せようと思い立ちました。 同じものを載せているのでどちらが本家とも言えませんが、そういう体制でやっていこうと思っています。 それで・・・遅ればせながら再開です。 (アメブロのアドレス http://ameblo.jp/channelcosmos/)
2019年02月01日
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