2005.05.31
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カテゴリ: 論調
今、靖国神社に首相が参拝するかどうかで、日中、あるいは日韓の間に、大きな波風が立っている。神社というのは、日本の古来の尊形を祀る考えが具現化されたもので、「産土神(うぶすながみ)、天神地祇(ちぎ)、皇室や氏族の祖神、国家に功労のあった者、偉人・義士などの霊を神として祀(まつ)った所」(「大事林」より)とある。なかんづく、靖国神社は、国事に殉じた者を祀るとして、明治維新から第二次大戦に至る戦死者が対象となっている。その中に、第二次大戦におけるA級戦犯が合祀されているところに、中国、韓国との摩擦の種がある。先方にしてみれば、中国を蹂躙し、韓国に迷惑を掛けた戦争の当事者たちが、尊ぶべき“神”として祀られ、今なお、時の国の責任者がそれを尊ぶとなれば、文字通りからして、看過できないのが人間の心情に違いないのである。
今年、第二次大戦、日本にしてみれば、太平洋戦争終結60周年を迎える。ここに思うに、果たして、戦死者だけが国家が尊重するべき対象なのであろうか。太平洋戦争は、戦死者にしても、銃後の被災者にしても、いずれも戦争の犠牲者なのだ。私の身内にも、いっぱい犠牲者がいる。戦死者以外の犠牲者の魂はいったいどう扱われるのであろうか。この大きな節目に、戦争の悲惨さが身に降りかかった人々がまだ、健在のうちに、かの戦争による犠牲者のすべてを慰霊する印こそ、必要ではないだろうか。
戦争への道は世界の趨勢であったし、また、明治以来の富国強兵路線の延長線の姿ともいえる。ついこの前の話なので、記憶に新しいから、こうして隣国から注文も付くのだが、歴史を紐解けば、世界中が戦争の歴史そのものである。ローマが大帝国をつくり、元が大国となり、日本にも襲来したこと、先住民を凌駕して南北アメリカの新天地が切り開かれたこと、いずれも力に訴えた戦争の産物ではなかったか。もう、人類は、この地上から、暴力に訴えるべき時代を終結させねばならない。
いま、ここに、戦争の時代の終結を宣する意味でも、戦争の永遠終結の慰霊碑を建ててもらいたいと願うものである。国家が尊ぶべきものは、その国を形成する人々なのである。
特にわが国は、人類の生み出した最凶悪兵器たる、核爆弾の被災国である。その日本が、世界の先頭に立ち、戦争絶滅の旗を振らずして、誰が振るのかと言いたい。この、戦争永遠絶滅の精神を持って、国連にも臨むのでなければ、世界は了とせず、それこそ、日本の使命を放棄したものと言わざるを得ない。





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Last updated  2005.05.31 13:41:57
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