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Apr 23, 2008
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<丸ごと和田選手>明大落ち東北福祉大へ


98年7月、フレッシュオールスター戦のミーティングに参加する和田(左)=富山市民球場で

 竜戦士の足跡や素顔を紹介する「丸ごと○○」。西武からフリーエージェント(FA)移籍した和田一浩外野手(35)は「ベンちゃん」の愛称で、愛されるキャラクター。岐阜市出身で球界を代表する右打者に成長し、竜の地元に帰ってきた大砲は打率2割4分6厘ながら、4本塁打、14打点をマーク(21日現在)。ドラゴンズの快進撃を支える5番打者の野球人生をもっと知りたい。(構成&聞き手・生駒泰大)

◆少年時代
 ごく自然に、竜戦士“予備軍”に入っていた。「まわりがみんな野球をやっていたし、気が付いたら自分も野球をやっている…という感じでしたね。きっかけというものはないですね」

 岐阜市で自営業を営んでいた和田家。きょうだいは4人。男の子は1人だけだった。元気いっぱいの和田少年は外へ遊びに出ると、友だちと一緒に遊んだ。空き地に集まると、始まるのは野球。野球といえば、地元ドラゴンズだった。

 ナゴヤ球場にも応援に行った。中学時代もテレビ、ラジオと中継をハシゴして最後までゲームの行方に夢中になった。

 岐阜市の鷺山小では3年生のときに学校のスポーツ少年団に入った。青山中では学校の野球部。ごく一般的なステップで普通に軟式野球を続けた。硬式のクラブチームなどエリートコースではなかったが、「プロ野球選手」という夢を抱き続けた。

 本人は投手希望だったそうだが、いつも回ってくるポジションは捕手。そんな野球少年時代、背景にはいつもドラゴンズがあった。


 野球一筋の中学時代を過ごし、高校は名門・県岐阜商を目指した。ただ、希望したからといって入れる学校ではなかった。「私立と違って公立ですからね。普通に勉強して受験しましたよ」。特待制度がなく、野球がうまくても入れない。

 希望がかない、県岐阜商の野球部に入ると、ひとつの夢が実現する。2年の春、夏と甲子園に出場。2年生ながら背番号「12」、控え捕手としてベンチ入りした。出場は2打席、無安打。活躍はできなかったが、甲子園という大舞台を肌で感じる機会となった。

 正捕手となった3年のとき、あと一歩のところで甲子園を逃した。最後の夏、決勝まで進みながら美濃加茂に敗れた。

 全国区の活躍が少なかっただけに、進路は簡単には開けなかった。再び“受験”の日々が始まる。目指したのは東京六大学リーグの明大。「あのころは明治がよかったんでしょうね。勉強して、一般受験もしましたよ。明治は全部で3回受けました。で、3回落ちました」

 その年、スポーツ推薦入学のための野球部の実技テスト(通称セレクション)、一般入試を含めて計3度の明大“受験”はすべて落ちた。第1志望への道が閉ざされた後、誘ってくれたのが東北福祉大だった。当時は全国区の強豪として、その名が売れ始めたころだった。

◆大学時代
 岐阜を離れ、仙台にある東北福祉大に進んだ和田を待っていたのは「すごい先輩たち」だった。入部間もない1年生の初夏、東北福祉大は全日本大学選手権を初制覇。初の日本一を成し遂げた。

 「影響を受けるというより、ただ、すごいと思って見ていました。プロに入った先輩が5人もいましたからね」。その年の秋、4年生は金本(広島-現阪神)、斎藤隆(横浜-現ドジャース)、浜名(元ダイエー)、作山(元ダイエー、現ソフトバンクスカウト)、伊藤(元巨人)と5人がドラフト指名を受けてプロ入り。黄金時代だった。

 偉大な先輩として、尊敬の念で見ていた1人に鉄人・金本がいる。「日が落ちて暗くなったあと、トレーニング室からガシャガシャ音がするなと思ったら金本さんがウエート(トレーニング)をしていたり、球が遅い投手と対戦する試合では重いマスコットバットを使ったりしていた」。ハイレベルな刺激を受けられる環境だった。

 大学、社会人の神戸製鋼で地道に成長を続けた。96年秋、複数球団のドラフト指名候補となった和田は西武の4位指名を受けた。幼いころから「夢」だったプロへ。強打の捕手としてプロでの生活が始まった。

◆西武時代


 ポジションは同じ捕手。本来なら追う側と追われる側。ライバルとなるところだ。和田は「あまりにも力の差があったからじゃないですかね」と、話すが、伊東は惜しげもなく和田にいろんなことを教えてくれた。

 教わったものは技術だけではない。プロとしてイロハから伝授された。「とにかくゲームに出る、ということを学んだのは伊東さんからですね」。今年はいきなり4月5日のヤクルト戦で左ひざを負傷した。翌日は足を引きずりながら球場入りしたほどだったが、休まず出続けている。

 2年目からは伊東とともに佐賀県の武雄温泉で自主トレを始めた。中日に移籍した今年も武雄温泉で始動。「プロに入って11年、ずっと武雄でお世話になっているので」と、義理を通している。

この記事を読んで初めて知ったことも多かったです

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Last updated  Apr 24, 2008 01:36:56 AM
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