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とーちゃんの病院へは最近夕方に行っている。とーちゃんの調子も良くなり、長時間いなくてもいいようになり始めている。夕方から行くと、朝はちなこと公園で遊んでやる事が出来るのもいい。。。。とはいえ、殆ど近所の同い年の子供がいるママに見てもらってるんだけど。夜の帰りが遅いので、朝は沢山の用事をしなくちゃいけないので、ちなこに付きっ切りになれない。「いいで、1人も2人も3人も一緒やから♪」と一緒に遊ばしてくれる。本当に助かっている。感謝してもし足りないくらい。夕方、とーちゃんの病室へ行くと誰もいなかった。会う看護婦さんや先生ににちなこが「とーたんは?とーたんは?」と聞いて回っていた。「CT室に行ったよ。」と教えてくれた。暫くしてとーちゃんは車椅子を押してもらい帰ってきた。今週の移動はずっと車椅子だ。ストレッチャーからの完全脱出やな。来週初めからとーちゃんはコバルト治療が始まる。片目が見えなくなっているのは、はるはずのない所にリンパ球が滲出してきているかららしい。キャッスルマン病と関連があるのかどうかは分からないそうだが、このままだとリンパが拡散し確実に失明は免れないらしい。コバルト治療をしても50/50の確立だそうだが、やらないとどうしようもない。それで今日は他の部分に放射線が当るのを防ぐため、お面を作る木型をとりにいったそう。コバルト治療が始まったら、発熱や嘔吐、抜毛等色々な事が起こるかもしれないが、とーちゃんにはどうか耐えてもらって、そして治療が上手く事を願います。悪い事ばかりではなく、最近は良いニュースも聞けるようになってきた。夜、股のところに入れてあった透析用のカテーテルを抜いた。透析が維持透析ではなくなったんだ!!一生透析と覚悟していたのが、自力でおしっこがだせるようになった。それが効いてるのかどうか解らないんだけど、2週間ほど前から、取り寄せた「鹿角霊芝」なるものを煎じて飲んでもらっている。利尿作用もあるそうだ。一生の維持透析と言われ、障害者申請も済ませ、諦めていたんだけど、やっぱり諦めきれないかーちゃんはその「鹿角霊芝」を駄目でもともとでとーちゃんに飲んで貰い始めた。時期を同じくして、とーちゃんの尿は急に出始め、クレアチニンの数値もどんどん下がり始め、高いときに9位あったのが、今日の時点では1.8に下がってると言う。慢性腎不全からの脱出だ!!先生も「嬉しい誤算です。」と喜んでくれた。やったーー!!とーちゃん、2ヶ月間の透析、ご苦労様でした。今日、帰りに久しぶりにいつもの病院前の食堂に寄った。お店の前に車を止めると、ちなこはおっちゃんを見つけ手を振る。おっちゃんはちなこを見つけ中から手を振りドアを開けて待っていてくれた。閉店時間を過ぎていたけど、お店の主人はいつものように快く迎えてくれた。2人できつねうどんを食べ(それも1つ)、ご馳走様をして帰る時、また、おっちゃんはドアを開けちなこが車で去るまで手を振ってくれていた。いつもいつも、安いものしか食べずにごめんなさい。そしていつもいつも元気をありがとう、おっちゃん!!
2004年06月17日
日記でございます。何故か最近、眠くて眠くて。。。寝不足と言うわけではないんやけど、何をしてても眠たくて仕方ないのです。用事以外は殆ど出来ましぇんでした。何で??今日、ちなこのカニューレ交換の日だったので、ついでに自分の血圧を計ったら、88-40でした。何ぼほど低いねん!!って感じ。高血圧は許容範囲外があるけど、低血圧は何処までだったらOKなのでしょう??ちなこはというと、今回もすごく賢かったです。とーちゃんが入院してから急に、カニューレ交換も暴れなくなって先生もしやすそうです。本人も楽やろうしね。交換前に、「今日も頑張るのん?」って聞いたら、両手をグーにして顎の下でギュッと合わせ、息を止めるというポーズをしてみせた。そうか。交換時は息を止めてるのか。。。確かに息は出来なくても(カニューレを交換すると言う事は、息をするための物を一度抜かれるということなので、上から息が出来ないちなこにとって、一瞬、窒息するのであります)、自分で止めるほうが楽やもんな。賢~い。なかなか、関心したよ、かーちゃん。そして、交換が終わってみんな済んだら、お楽しみのラムネ。ちなこはラムネが大好きなので、カニューレ交換をしたらラムネを買って貰えるというお楽しみをつけている。いつもいつも同じものを買う。今日も同じラムネを手に持ったのだけど、横の女の子が違うチョコレートを手にしてレジへ。一瞬、ちなこも同じチョコレートに手を出してみる。が、またいつものラムネを持ち直しレジで買った。今まで「我が道を行く」だったちなこも、最近少しお友達と一緒のが欲しいとか興味を持ってきたみたい。成長の証し???とはいっても、まだまだ「我が道を行く」なんやけどね。ちなこのカニューレ交換の予約時間が夕方だと言う事もあり、今日はとーちゃんの病院へ行かなかった。久々にゆっくりした時間。病院の帰りにお店を少しうろうろした。「あー、普通の時間!」って感じがした。帰ってきてからも今日はゆっくりと過ごせるので、近所の子供たちと一緒に夜の7時過ぎまで団地の下の公園で遊んだ。夜の7時と言ってもまだまだ明るいんやよね。ちなこはもちろん、子供達もまだ遊べるやんてなもんで、なかなか帰りませんです。親の方がお腹が空くで。いつもとーちゃんの病院へ行って帰りが10時を回ってしまう事が多いちなこ。ごはんも外食が多くなっている。「家帰ってから食べたい。」とちなこに言われるんやけど、病院からの帰る道中に食べないと、家に着くまでにちなこは確実に寝てしまう。今日は病院へ行かなかったから、かーちゃんと2人、ゆっくりお家でご飯を食べました。いくらご飯と、煮しめと、サラダ。みんなちゃんと食べました。
2004年06月16日
今日もちなこととーちゃんの病院へ。天気がよかったので、昼ご飯を食べてからゆっくり行こうと思っていた。けど、お昼に茶粥が食べたいと、とーちゃんから電話。げげっ!!天気がいいから、ちなこを昼まで公園で遊ばせてから行こうと思ってたのに。昼ご飯を届けなくちゃいけないとなると、朝から用事を済ませて、用意をして出なくちゃいけない。ちなこは当然、外で遊べなくなるわけだ。昼から病院に行って、帰ってくるのが夜も遅く11時過ぎ。お風呂だって朝に入ってるのに。これじゃ自分の時間はともかく、用事だって全く進みやしない。もう!!かーちゃん達にも「生活」ってもんがあんねんで!病院で寝たきりのとーちゃんに、それを解れって事は無理なのか???仕方ない。かーちゃんは怒れる頭を切り替えて茶粥を作る。そうだ。病院に茶粥を届けたら、ちなこを動物園に連れてってやろう。病院から、そう遠くはない。どうせ、長時間ちなこが病院に居る事にとーちゃんだって耐えれないんやから。病院に着き、とーちゃんが茶粥を食べ終わるのを見届けてから出発。動物園は5時に閉園。4時になると動物たちが餌の時間なため、獣舎にはいってしまう。病院を出たのは2時前。電車で行ってもすぐだけど、時間が勿体無いので、贅沢をしてタクシーで向かう。病院の玄関前から乗ったタクシー。運転手さんは裏道を通り近回りしてくれた。あまり遠くない距離なのに、本当なら表通りから廻って料金を稼ぎたいところなのにいい運転手さんだ。到着まで少し話をする。運転手さんは九死に一生を得たらしい。仕事中に電車のケーブルに感電したのだ。衝撃で飛ばされ、3日間の意識不明、ICU、1年半の入院生活を経て現在に至っている。「自分に負けたらアカン。苦しくて苦しくてもがいたけど、あの時僕も自分に負けてたら、どうなっていたか解れへん。」不自由はあるけど、今でもちゃんと動くんや、と切り落とさなければいけないと言われた、肘から手のひらにかけて、焼け爛れ縫い合わせた手を見せてくれた。「辛いけど、自分に負けたらアカンのや。」と。タクシーを降りる時、「これで何か買って貰い。」とちなこの小さな手に100円を握らせてくれた。100円には、おっちゃんの「頑張りや!!」っていう愛情がいっぱい入っていた。ありがとう!!かーちゃんの目は涙でいっぱいになった。動物園に入るのに券を買おうと券売機の前に立っていると、今度は見ず知らずのおじさんに声を掛けられた。「僕、今から入んねん。一緒に入り。付き添いって事で入ったらお金要らんし。勿体無いから券買わんとき。」と。おじさんは車椅子で障害者手帳を持ってはった。お言葉に甘えてそうさせて貰う事に。ちなこと共に「有難うございました。」とお礼を言い別れた。おじさんは何故私達に声を掛けてくれたんだろう。ありがとう、助かりました。本当に親切で優しい人がたくさんいる。こんな人たちがいっぱい、いっぱいならギスギスした世の中にはならないのに。かーちゃんの周りで助けてくれる、知ってる人、知らない人。みんなみんな、一つ一つが支えです。強くないかーちゃんを強くしてくれる人達。 ありがとう!!動物園に入ってから、閉園までたっぷりと時間があるわけではないので、ちなこの見たい動物から回るようにした。広い園内を一つ一つ見ているととてもじゃないけど時間がない。見たい動物のメインは象とキリンとライオン。キチンと見れました。ちなこは駱駝の所でもかなりの興味を示してた。まだまだちびっこなので、わかり易い動物がいいみたいだ。サルや亀も興味津々。サイやカバは水中でお尻を向けていたので、興味を示さずにいた。アシカの所に着いた時、ちょうど餌やりの時間で、沢山のアシカが魚をもらいに群がっていた。その中に1匹トドが居て、餌を貰おうと勢いよくやってくるたびに、バシャン、バシャン!!と水しぶきが飛ぶ。それが自分の身体にかかるものだから、ちなこは大喜び。閉園の時間がやって来て、みんながゲートに向かって歩いているのに、ちなこはなかなか帰ろうとしない。帰りたくないと大泣き。何とかゲートを抜けたものの暫く名残惜しく泣いていた。短い時間だったけど、楽しかったみたいでかーちゃんは良かったです。毎日、とーちゃんの所へ通っているから、ちなこの心を置き去りにしてるようで、かーちゃんも辛いのです。毎日、「大好き♪」と言ったり、ギューッと抱きしめたりしてはみるものの、ちなこ本当は淋しいやろなって気掛かりです。かーちゃんとちなこの楽しい時間。とーちゃんごめんね。でも、ちなこだって毎日頑張ってるんやもん。ご褒美だって必要よね。また行こな。今度は3人で一緒にね。
2004年06月05日
とーちゃんが散髪をした。こないだもしようと思ったんだけど、タイミングが合わず見送っていた。2時に病室に来て貰う事になっていたので、1時過ぎに病院へちなこと行った。いよいよ散髪屋さんが来てとーちゃんの髪を切る準備に掛かる。かーちゃんとちなこはお昼ご飯がまだだったので、あとは散髪屋さんにお任せして、デイルームで食事をした。暫くして部屋に戻ると、カットはもう終わって後はシャンプーをするだけになっていた。とーちゃんはというと。。。おおぉぉぉ!!見事な3分刈り!!とてもすっきり、何となく若返ってました。ちなこは初めて見るとーちゃんの姿に、すこしびっくり。最初何度も「とーたん?とーたん?」と確かめた後、何故だか、暫く恥ずかしそうにしてました。散髪屋さんがシャンプーをしてる時、とーちゃんは「男は一度は出家する夢を見るんや。」なんて言ってました。何かを考えてたのかな。とーちゃんは日増しに良くなってる。血小板の値も13万になってきた。黄疸の数値も3。値が良くなると、とーちゃんにも数字として入ってくるので、頑張る気力が沸いてくるらしい。良い事だ。しかし、全部が良い方向に。。。という訳には行かないのが実情。今日は部長回診の日で、透析のことについて聞いてみた。透析の離脱はもう無いと考えてくださいと言われる。一時透析から、生命を維持するための維持透析へ。腎臓は殆ど機能していないよう。退院しても週2、3回の透析。仕事のこと、生活のこと。色んな事を考えなくちゃいけない。奇跡は起きないのか。。。回診時には、とーちゃんの若さだと、後々を考えると「腎移植」を考えて見られてもいい。とも言われた。出来ることならかーちゃんの腎臓をとーちゃんにあげたい。けど、ネットで調べたところ、かーちゃんは血液型がA型。とーちゃんはO型。A-Oは不適合で移植は出来ないらしい。親子、兄弟が有力だけど、そんな事気軽に頼めることではない。身体にメスを入れ、腎臓を1つ取り出すんやから。。。けど、日増しに良くなってるとーちゃん。気持ちにも少しずつ、少しずつだけど余裕が出てきてると思う。病院からの帰り際、看護婦さんに声を掛けられた。『○○さん(とーちゃん)、2日ほど前の夜中に珍しく「今日は素直に寝るわ。」(闇に恐怖があるので、いつも明るくなるまで起きている)と仰って、テレビも電気も消されたんですよ。その時にこう仰ってました。「毎日、かーちゃん来てくれるのに感謝の気持ちが伝えられへん。憎まれ口ばっかり言ってしまう。ちなこにも冷たく当たってしまう。小さな心に付けてしまった傷が心配や。解っててもうまい事いけへん。。。ありがとう、ごめんな。そんな気持ちは一杯やのに。。。」と』そして付け加えてくれた。『いつも奥さんにきつい事言われてますが、そんな事仰ってましたよ。頑張ってはるのにこれ以上頑張れとは言いにくいですが、辛い時もこれで頑張れるかなと。ぜひ奥さんに伝えたくて。』この看護婦さんには前にも救われた。とーちゃんの意識がまだ混乱していた時、全てを先生や看護婦さんのせいにして、どうしようもない事を当り散らしてた時、この看護婦さんはとーちゃんの肩に優しく手を置いて、子供を宥める様に、とても優しい言葉でキチンと看護婦さんの事、先生の事を説明してくれ、そして至らないところがあったのなら謝ります。とまで言ってくれた。かーちゃんはその時、とても嬉しかった。何度も有難う有難うと言って、涙を流した。看護婦さんは「いいえ、いいえ。」と優しく笑ってくれた。とーちゃんも泣いていた。その看護婦さんはまだ2年生。仕事もとてもしっかりとこなして、患者さんに聞かれた事は調べてきてキチンと説明をしてくれる。何よりも心を看護してくれているような気がする。ずっとこの職業を天職として、みんなの心を癒しながらいい看護婦さんであり続けてほしい。看護婦さん、先生、ありがとう。毎日本当に感謝してます。
2004年06月03日
久々に偏頭痛に襲われた。朝起きようとしても、なかなか起き上がれなかった。何か変や?そう思っていた。今日はちなこのカニューレ交換に行かなくてはならない。寝ているわけにはいかないので、食事を取る。そうしているうちに、偏頭痛が起こる前に現れる予兆(目の前にモザイク模様が現れ視界が無くなる)が起こった。ヤバイなぁ。すぐに発作を抑える薬を飲んだ。これでのたうちわまる位の痛みに襲われる事はないだろう。30分後、偏頭痛が始まった。もう病院へ向けて出発しなければ。あまり車を運転できる状態じゃないのは解っていたけど、行かなくちゃ。それしか思い浮かばなかった。頭を冷やすと発作が軽くなる。そんな俗説があるので、アイスノンで冷やしながら出発した。あまり病院までどうやって行ったか覚えていない。ちなこを乗せているのに、危険極まりない行為だ。日を変えれば良かったのだけど、それも考えられなかった。薬のせいなのか、発作のせいなのか、ボーっとして病院でお友達に会ったのだけれど、あんまり話せなかった。様子が変やったやろうなぁ。。。沢山、お礼も言いたかったのに、まぁ坊かーちゃんごめんなさい!!一ヶ月に一回来るはずの偏頭痛が、先月はなかったので安心していたら、今回の偏頭痛はいつもより大きく時間も長かった。もう来ないのではなかったんやね。夜、とーちゃんから電話があった。「目」に関する事だ。こないだ目が見えにくいと眼科で見てもらった結果、左目の黄斑という視力をつかさどる部分に浸出物が出来ていると言っていた。それが治せるものかどうか、今日は返事を聞いている。CT、MRIを撮ったので、その結果、治せるようなものであれば手術を行うというものだった。手術?!少し怖いけど、不自由を感じていて治せる物ならばしていただいた方がいいのでは?と言うだけしか出来なかった。とーちゃん、また落ち込んでるやろうな。なんでこんなにいっぱい、とーちゃんの身体に向かって病気がやって来るのだろう。
2004年06月02日
お昼過ぎ、ちなこと2人、とーちゃんの病院へ。ちょうど家を出てすぐ位から激しい雨が降ってきた。あーつくづく自分って雨女やなぁと思う。今日は朝から透析の日。病室に着くととーちゃんはしんどそうにしていた。透析の日はいつもそうだ。お昼ごはんにサンドイッチを作っていった。昨日の晩、ハムが食べたいと電話があったから。メンチカツサンド、ハムとチーズ、ハムと卵サラダの3種類を作った。とーちゃんはメンチカツとハムとチーズを食べ、「美味しい」と言ってくれた。それで昼ごはんは終わり。もう少しキチンと食事が取れるようになれば身体のほうも回復が早くなるのではないかと思っている。調子の良くないときにとーちゃんにとって、来てほしくないのがちなこ。元気いっぱい声を出してはしゃぐ。今のとーちゃんにとって、そのちなこは苦痛以外の何者でもないらしい。早く「元気やな、可愛いな」と思える日が来てほしい。時間が遅くなるにつれ、とーちゃんのちなこに対する苛々は激しさを増す。かーちゃんも帰ったほうがいいなと思う。かーちゃんが病室のトイレに入ってすぐ、「しばきあげんど!!」と、とーちゃんのちなこに対する罵声が飛ぶ。何ぼしんどくても、イラついても、その言葉は無いんちゃう?トイレを出てすぐに、そんな風に子供に言うもんじゃないとキチンと言っておく。ちなこにも、悪いこと(小さなちなこには判りづらいだろうけど)はしてはいけないと教える。ちなこの散らかした物を片付けて、とーちゃんの手の届くところに使うものを置き、病室を後にした。時間はすでに夜の8時半。帰るまでにちなこは寝てしまうだろうと思ったので、病院の向かいにある前にも入った食堂でご飯を食べる。ここの食堂はほっとする。無口だけど、やさしそうな主人。明るいおかみさん。前にちなこが嘔吐してしまった時も、お店のご主人は何も言わずにポンと机にティッシュを置いてくれた。今日もちなこが余所見をしてうどんのお汁を全部溢してしまった時、すぐに拭いてくれた。「ちゃんと前向いて食べなあかんやんか!」とちなこに言ったら、ご主人は下を拭きながら「はい、やな。」とボソッと。ちなこも片手を高く上げて元気よく「はい!」って言えました。お汁入れよ。と新しい熱々のお汁を足してくれました。もううどんはあんまり残ってなかったんやけど。。。ありがとう。おっちゃん!!とーちゃんのちなこに対する態度に、かーちゃんも苛立ちを覚える時がたくさんある。そんな時ちなこが言うことを聞かないと、かーちゃんもちなこに厳しく当たってしまう事がある。ちなこは大好きな2人から厳しく当たられ、精神的にとても辛い思いをしていると思う。気をつけているんやけど、こんな苛々したかーちゃん、自分でも大嫌いや。そんな時、この食堂には癒される。ちなこと2人楽しい食事の時間。何度も訪れているわけではないけど、大好きな大好きな食堂だ。案の定、ちなこは家に着くまでに寝てしまった。家へ帰って布団を敷いて、気管切開口のガーゼ交換を済ませ、寝ているちなこを抱きしめた。 辛い思いさせてごめんね。精神的に自分でも弱くなっていると思う。負けたらダメ、かーちゃん自分に負けないように頑張るからね。
2004年05月31日
しばらく壊れていたパソコン、前にも何度も止まって動かなくなったことがあったので、今回思い切って新しいのを買った。とーちゃんにはまだ内緒だ。このお金が沢山いる時に!(医療費だけで月¥140万程。実際いくら掛かっているのか見当もつかない)ってな感じだけど、借金ついでに、かーちゃんのストレス解消も含めて買ってしまった。今回のはデスクトップ。前のはノートで人様の中古品だったので、なんだか新しくて嬉しい。たまにはいいよね。何か良いことあっても。掛かったお金の事を考えると後から怖くなるので自分に言い聞かせているかーちゃんであった。みなさん、書き込みなど沢山していただいて嬉しい限りです。とーちゃんの身体の様子も少しずつ良くなってきました。1万しかなかった血小板も、7万(普通の人は14万くらいらしい)と人様の半分まで上がってきました。黄疸の数値も下がりつつあります。輸血も10日に1回くらいのペースで行けそうです。ただ、薬を多量投与しているので肝臓が少しずつ回復してきた分、今度は腎臓がやられています。透析は入院中の一時的なものだけではなく、生命を繋ぐための維持透析となりそうです。身体が良くなり出した分、ベッド上のみに制限されている動きに苛立ちを覚えだしてます。とはいえ、まだ自力では身体を起こすことさえ出来ません。それがまた、ストレスになり、精神的にはかなり厳しいです。空いていた日記の分をまた少しずつ埋めて生きたいと思います。
2004年05月30日
<携帯より>とうとうコンピューターが壊れて、にっちもさっちも行かなくなりました。みんなと繋がれなくて、淋しい限りです。
2004年05月21日
<携帯より>ちなこのカニューレ交換を病院で済ませた後、ちなこと一緒にとーちゃんの病院へ。今、とーちゃんは自分の事で精一杯なんで、ちなこが部屋の中で喧しくするとかなりいらいらしてしまう。ちなこにも怒り散らしてしまうのだ。昨日は義兄さんが泊まっているので、今日はかーちゃんの番。しかもちなこと一緒。ちなこがいると苛々してしまうのなら、このさい、泊まり無しではどうか?と聞いてみた。すると。。。怒る怒る。自分一人では何も出来やしないと。確かにベッドから降りられないし、全てが不便である事は解っている。しかし、かーちゃんがいてると、薬さえ飲ませてもらおうとする。そんな事じゃしまいに手さえ使えなくなってしまう。してもらう事が当たり前、右といえば右、左といえば左、何でも思いのまま。そうなってきているのは誰もが認識し始めている。このままじゃいけない。どこかでとーちゃんを取り戻さなければ。それにこのままじゃ、これからの長い戦いはの乗り越えられない。周りの人達も潰れてしまう、って事をとーちゃんに話した。けど、やはり今のとーちゃんには自分の主張しかなく話は噛み合わない。とーちゃんの力になってあげたい。それは大前提なんやけど、私達には「ちなこ」という小さな子供もいる。かーちゃんに付いて回るちなこも、病院に来たらとーちゃんにどやされるのは解っているけど、かーちゃんと一緒にいるには病院に来るしかないんだ。少しでも病院に行く時間を短くしてちなこと一緒にいてあげたい。小さなちなこも、遊べず発散できず、少し様子がおかしい。結局、夜遅く、「ちなこ連れて帰ってくれ。」と言った。いい機会だから泊まり無しでやってみよう。4月20日から1ヶ月、毎日誰かが泊まってやってきた。まだまだ良くなって来ているとは言い難いが、ここ数日で錯乱するような様子を見せることが無くなった。ある程度とーちゃんにも頑張って貰わなければやっていけない。夜が長くて長くて恐い。淋しくて仕方が無い。とーちゃんの気持ちも理解しているつもりだが、ちなこだって我慢している。少しでも早く、とーちゃんが良くなって気持ちの余裕が出来て、落ち着いて欲しいと願わずにはおられない。 病気は恐い。身体だけでは物足らず、気持ちや色んな物、大事な物をたくさん壊していく。
2004年05月20日
今日はかーちゃんとちなこにも、オウム病の抗体が出来ているかの検査のための採血がある。夕方3時過ぎに地元の保健所の人が病院にやって来る。ちなこにはその話が決まった随分前の日から、注射プッツンするよ、と教えてある。「とーちゃんと同じ病気が無いか調べるねん、かーちゃんと一緒やからね。」と。嫌がるやろな、って思っていたが話をしたときにも「うん、がんばゆ!がんばったや、とーたん、かえってくゆねん。」って腕をまくり上げて頑張るのポーズ。かーちゃんの腕に引付けて一緒一緒って言ってた。いよいよ保健所の人達がやって来た。かーちゃん達は別室に呼ばれる。ちなこ、泣くやろな。ごめんな。部屋にはいると保健所から来た保健婦さん、役所の人、採血を行う小児科の先生の3人がいた。先生は注射器の用意をしていた。この時点で、今までのちなこだったら半泣きだ。けど、元気にこんちわ!と挨拶。そしてみんなに向かって「がんばゆ!」のポーズ。最初はかーちゃん、注射針が血管に刺さって、血が出ていくのをちなこはじっと見てた。そして一言、「ち、でてゆ。」次は自分の番、って思って見てたのかな。かーちゃん、終了。そしてちなこ。かーちゃんの膝の上に乗せ、右腕を出す。針が近づく。ここで大泣き!のはずが、針が刺さるまでじっと見ていた。いよいよ「チクッとするからね。」先生の言葉と共に針が血管の中へ。途端に、涙がポロポロポロ。。。。。。。。嫌で嫌で仕方ないはずのちなこ。よだれと涙が机の上を濡らす。肩を震わせ泣いている。けど、暴れずにじっと我慢していたよ。採血なので時間が長い。かーちゃんの「頑張れ頑張れ、もう終わるよ。」の言葉と一緒に頑張ったちなこ。最後はわーん!って声を出したけど、本当に頑張った。嫌々ーー!ってしなかったね。ちなこに何で暴れなかったん?って聞いてみた。ちなこは言った。「がんばったや、とーたん、かえってくゆ。」って。そっかぁ。泣いたらアカン注射頑張らなアカン、とーちゃんが帰ってくるために!って自分に言い聞かせてたんやね、きっと。保健婦さんも「まだ2才やのに。頑張ったね、本当に頑張った。嫌なことしてごめんね。」って涙がポロリ。部屋を出て行くときには、腕で涙を拭って、きちんとみんなに「ありやとう。」って言えたね。役所の人に「嫌な事したのに、ありがとうって言ってくれて、ありがとう。」と言って貰えました。部屋を出て、偉かった。本当に偉かった!ってギュギューーッッと抱きしめてあげました。とーちゃんの部屋に帰る途中、ナースステーションの前を通る。丁度とーちゃんの主治医の先生がいて声を掛けてくれる。「痛い痛い(採血)終わった?」ちなこは腕を上げて頑張ったのポーズ。先生は「偉いね~」ってニコニコ。そうさ!自慢していいよ。今日のちなこの出来事、自慢していいさ!とーちゃんが早く帰れますように、いつもそう言ってみんなが送ってくれた神様に手を合わせているちなこ。とーちゃんが帰って来れると思って、大嫌いな採血だって頑張った。肩を震わせ涙を流しても、じっとじっと我慢した。 かーちゃんの誇り!やで。本当は嫌やったよね。嫌に決まってる。「たった2才」のちなこは強かったよ。今日のこと、ずっとずっと忘れない。頑張ってるのはとーちゃんだけじゃない。今のとーちゃんには病気のせいで、こんな出来事も理解が出来ないけど、とーちゃんがとーちゃんに戻ったとき、話してあげよう。「ちなこも一緒に頑張ってたんやで。」って。きっと勇気を貰えるに違いない。
2004年05月14日
雨の日だった。何処にも行けないから、かーちゃんばぁばん家へ行って遊んだ。我が家は団地だけど、ばぁばん家は一軒家だから走り回っても怒られない。今日はかーちゃんも一緒で嬉しさ一杯のちなこ。かーちゃんも嬉しいよ。ちなこと一緒でとっても嬉しい。今日は実家でゆっくりとしよう。大丈夫とは言っても、疲れているのは確かだ。身体的よりも、精神的な疲れが出て来てるようにも自分でも思う。とーちゃんに何か言われる度に、考える度に胸が苦しくなり、咳が止まらなくなる。やばい。しっかりしなくちゃ!「おかーちゃん」やろ!!今晩は自分ちへ帰ってちなこと2人で寝よう。ばぁばには2日も続けてちなこを見て貰った。二晩もかーちゃんなしに泊まったのは初めてだ。カニューレが何かの拍子に抜けやしないかと、ばぁばも気が気でなかったやろう。何もない子と違って吸引だって大変だ。本当に助かりました、ありがとうばぁば。明日は病院に行かなければならない。元気な顔してとーちゃんに会わなくちゃね。
2004年05月13日
朝、とーちゃんは静かに目覚めた。夕べ睡眠薬は半錠しか飲まなかった。眠りは浅かったが静かだった。回復の兆し、そう思いたい。今晩から義姉に泊まりを1週間ほど変わって貰うことにした。それがとーちゃんにとって良い。そうかーちゃんは判断した。かーちゃんはやっぱり、とーちゃんにしっかりして欲しいから「いけないことは、いけない。」と言ってしまう。それが今のとーちゃんにとってはしんどいのかも。とーちゃんが看護婦さんに対して、偉そうに子供用な頑固を言った時にも、義姉さんは「そうや、向こうは仕事やねんから言ったり。」と頭をなでなで。とうていかーちゃんには出来やしない。病気は気からと言うが、今はまた違った意味で気持ちを好なようにした方が病気にも良いのかも知れない。とーちゃんの事は心配だが、「あんたの好きなようにしたらいい。姉ちゃん、ずっといたる。なんやったらもう1週間仕事休んでもいいから(今回は1週間休んでくれている)。」と言ってくれてる事やし、少しお任せしよう。ちなこのこともずっとほったらかしやし、良い機会だから一緒に遊んであげよう。とーちゃんの所にはまた一緒に面会に行こうね。かーちゃんの力が足りなくて悔しくて寂しいけど、とーちゃんが楽なのが一番やから。
2004年05月12日
とーちゃんは今日も朝から透析とビリルビン吸着を行った。かーちゃんは透析中も、いつ何時もとーちゃんの側を離れられない。離れるととーちゃんが探すからだ。透析後の睡眠から目が覚めたとーちゃんは、少しいつものとーちゃんに戻っているような感じがした。黄疸の要素が少しでもましになったからかな。少し色んな事を話せた。けれど会話が楽しい物にはならない。とーちゃんの記憶は昔の事に思いを寄せてるみたいで、かーちゃんやちなこの事はあまり話さない。それどころか、かーちゃんを何故か否定するようなことばかり。悲しくなって堪えきれず涙が出る。かーちゃんやちなことの生活は何やったんかな?とーちゃんにとって楽しい物ではなかったん?とーちゃんにとって一番の家族とは私達ではなく、結婚する前のみんな血の繋がった人達なん?とーちゃんの病気が言わせるものやとは解ってる。けどやっぱり、とーちゃんの心のドコカでかーちゃんの事否定する、そんな思ってるのかな。そんなこと考えて、胸がギューッと苦しくなる。毎日神経が張りつめていたこともあり、「かーちゃん」を否定されて自分自身が壊れそう。苦しいよ。夜はあまり眠れそうにないとーちゃんだけど、一昨日のような様子はなく、静かにすごせそうだ。とーちゃんの気分や身体に負担のない夜が過ごせますように。
2004年05月11日
<5/10携帯より>昨晩、とーちゃんはとーちゃんで無くなった。睡眠薬を2錠、安定剤を2錠、痛み止め1錠と1本。結局薬はそれだけ使った。夜中2時頃から覚醒し始め、意味不明な事を口走り、静脈点滴も抜いてしまった。様子がとてもおかしかったので、かーちゃんは注意をとーちゃんに向けていた。尿菅や透析の為の管、あらゆるものを抜こうとする。点滴を抜いたその時も、かーちゃんはとーちゃんの手を押さえていたんやけど、力で押し切られてしまった。とーちゃん何で?!涙が出た。血が止まりにくいねんで!バタバタと看護婦さん達がやってきた。ただならぬ様子にちなこも目が覚める。手を押さえておきながら止められなかった無力感と脱力感、大量の出血。色んなものが圧し寄せて、くらっときた。看護婦さんが処置をしている時、少し横になった。ちなこはしっかりと、とーちゃんの出血口を見て、「とーちゃん、ち、でてゆ。」そして「かーたん、だいじょうぶよ、とーたん、だいじょうぶ、かんごふさん、きれいきれい、してくれてゆ。」とかーちゃんに口づけしてくれた。ちなこをギュッと抱き締めた。それからも、とーちゃんは奇行を止めなかった。とうとう、他の管も抜く危険があるからと両手をベッドに縛られた。涙が出た。とーちゃんごめんね、朝までやから。こんな事してごめん。ちなこはそのとーちゃんの縛られた右手をぎゅっと握っていた。いつもの様子でないとーちゃんは、触られると嫌なので、ちなこの小さな手を跳ね退け、大切な人工鼻も跳ね飛ばす勢いだった。それでも離れた手を探し、一生懸命手を握り直していたちなこ。「だいじょび、だいじょびよ(大丈夫)、とーたん」って話かけていた。錯乱し続けたとーちゃんも朝6時頃には眠りについた。ちなこも安心したのか、後を追って眠った。お昼は透析だったとーちゃん。夜まで一日中、ぼんやりした状態だった。今日の先生からの話は、貧血の度合いが激しく、普通の人でも命の危険に関わる数字が出ています。というものだった。血が止まりにくいので、少しの出血でも大変な事になりかねない。血小板輸血もあった。黄疸の要素が進み続けている為、止まるのをまっている余裕が無いので、明日血漿交換をまた行い、次回の透析から「ビリルビン吸着」をするらしい。黄疸の要素を血中から取り除く作業だ。何でもいい。良くして欲しい。とーちゃんはまるで、とーちゃんでは無いようで、もう何日もとーちゃんと話していないような気がする。目の前のそのままがとーちゃんなのにね。今晩は、ばぁばん家へ連れて行かれたちなこ。少し「かーたんもいこ。」と愚図ったけど最後は笑って手を振って行きました。ごめんね、ちなこだってかーちゃんと一緒にいたいに決まってる。寂しい思いさせてごめん。ちなこ、とてめ強くなったね。それだけ我慢もいっぱいしてるんや。かーちゃん、沢山生きてるけど、2才のあなたに励まされてます。頼もしいです。嬉しいです。ちなこ、かーちゃんの子供でいてくれて、ありがとう。かーちゃんの所に、生まれて来てくれてありがとう!
2004年05月10日
<5/9携帯より>金曜日からお義姉さんが泊まっているので、今日は夕方帰る事にしていた。昼とーちゃんから、「ばぁばにカーネーションを今日中に渡して」と電話があった。実は昨夜も意味不明の留守電が入っていた。夕方4時過ぎ、家を出たその時、とーちゃんから電話。「かーちゃんがおらんと抑制でけへん。回りにも当たり散らしてしまう」と。病院に着いて直ぐ、とーちゃんはこう言った。「ノイローゼになると思う。もう、どうしようもない。自分は大丈夫だと思ってたけど。」とーちゃんは起きているのか寝ているのか解らない状態。片目は開いて片目は閉じている。睡眠薬も効かないので、別の種類のものに変わった。ちなこは2日ぶりのとーちゃん&病院に大興奮。電話が入っているといけないので、とーちゃんの携帯をチェックすると、金曜日から何度も。。。 かーちゃん、かーちゃん、かーちゃん。かーちゃんに電話していた。寂しかったんやね。今日はかーちゃん戻って来たけど、とーちゃん、静かに眠れるかな。
2004年05月09日
今日はちなこのカニューレ交換。今週は連休が入ったこともあり、病院は沢山の人だった。待合いに行くとお友達の顔が見えた。お友達もちなこを見つけ、お互い喜んでいた。混んでいて、待つ時間が長くなると他の色んなお友達にも会えた。かーちゃんも、久々にお母さん達とお喋り。何だかホッとした時間だった。帰り際、勇気をくれる素敵なママにも会えたよ。とーちゃんの看病を肩肘張ってやっているわけでもないと思う。けど自分の能力以上にフル回転で、走ってるのかな。家に帰ってきて、大きなお風呂にばぁばと3人で行った。マンスリーマンションは、トイレとバスが一緒になったユニットバスなのでゆっくりと入ることが出来ない。足を伸ばして入った久々の浴槽。気持ちよかった~。夜はじぃじと焼き肉屋へ。とーちゃんが頑張ってるのに不謹慎だけど、命の洗濯。今晩、久々に家に寝るんだけど、何だかワクワクしてしまった。自分の家なのにね。見慣れた物に囲まれている安心感、自分の家はいいな。かーちゃん。 (PM 09:59)<携帯より>金曜日からお義姉さんが泊まっているので、今日は夕方帰る事にしていた。昼とーちゃんから、「ばぁばにカーネーションを今日中に渡して」と電話があった。実は昨夜も意味不明の留守電が入っていた。夕方4時過ぎ、家を出たその時、とーちゃんから電話。「かーちゃんがおらんと抑制でけへん。回りにも当たり散らしてしまう」と。病院に着いて直ぐ、とーちゃんはこう言った。「ノイローゼになると思う。もう、どうしようもない。自分は大丈夫だと思ってたけど。」とーちゃんは起きているのか寝ているのか解らない状態。片目は開いて片目は閉じている。睡眠薬も効かないので、別の種類のものに変わった。ちなこは2日ぶりのとーちゃん&病院に大興奮。電話が入っているといけないので、とーちゃんの携帯をチェックすると、金曜日から何度も。。。 かーちゃん、かーちゃん、かーちゃん。かーちゃんに電話していた。寂しかったんやね。今日はかーちゃん戻って来たけど、とーちゃん、静かに眠れるかな。
2004年05月08日
昨夜のとーちゃんはとても、とーちゃん本人では無いようだった。意識が錯乱し睡眠薬を飲んでも全く寝れなかった。とーちゃんもかーちゃんも辛かった。朝、先生が来て、黄疸の要素がどんどん進んでいるので、透析中に血漿交換します、と仰った。それで、意識が少しはっきりすると、本人もとても楽になるやろう。夕べ、看護婦さんに、「明日から2日、かーちゃんがおれへんねん。だから何するか解らん。こんなに呆けてしまった。」というようなことを言っていた。自分でも何をしてしまうか言ってしまうか解らない不安が、かなりの恐怖なんだと思う。明日はちなこの病院なので、かーちゃんは帰らなければならない。その替わり義姉が今晩、明日と泊まってくれる。義姉は前から泊まりたくて仕方なかったので、ちょうどいい機会だと思う。今日は朝から、レントゲン、透析、血漿交換、エコー、血小板輸血と色々忙しい。とーちゃんの側を離れるのはやはり不安なので、先生に今本当にどういった状況なのかもう一度訪ねてみた。答えは「黄疸がドンドン進み、このまま行くと駄目になってしまう。けれど、他の炎症反応や血液、腎臓その他もろもろは良くなっている。なので何でこんなに黄疸が進むのか解らない。何かもう一つ違う物が潜んでいる。打開策が見つかれば、何とかなるかも知れない。」というものだった。未来が無いわけやない。けど、でもこのままでは。。。。私達に出来ることは信じて待つことしかないんやろうか。とーちゃんにしてあげられること。。。
2004年05月07日
今日は、夕方からとーちゃんの病院へ向かおうと思ったので、少し実家でゆっくりしていた。夕方一度家に帰り、用事を済ませてちなこを迎えに実家へ向かうその時、病院から電話が鳴った。ドキドキして出てみると、看護婦さんからだった。「奥さん今日来られますか?本人さん(とーちゃん)が、来て欲しいので電話して欲しいと言われました。」と言う事。長い時間、空けてしまったから不安になってしまったのかな。病院に着くと、とーちゃんは泊まって欲しいという。精神的に参ってしまってるのだそう。夜も眠れず、時間が経つのが恐いと。かーちゃんとちなこは今晩から少しの間お泊まりすることに。それでとーちゃんの不安が少しでも和らぐなら。。。腹の立つことを沢山言うけど、それでかーちゃんが一々怒っていたら、どちらの身も持たないんかな。とーちゃんが変なことを沢山いうのも、肝機能が低下しているせいもあるんやし。。。(肝機能が低下すると色んなところが蝕まれる。脳の機能もその一つ)もう、入院してから1ヶ月経つ。劇的な進展も見られず、身体は動かなくなり、頭も働かなくなり、とーちゃんは不安で一杯なんだと思う。とてもとても辛いところだけど、精神的な部分を乗り切って欲しい。気持ちが潰れると、身体にも良くないよ。とーちゃん。。。
2004年05月02日
<携帯より>2日ほど前からまた、とーちゃんがしんどそうなので、今日は病院へはゆっくりと行こうと思った。昼前から、マンスリーマンションの近くの公園にちなこを連れて行った。久々の公園でちなこは大はしゃぎ。ごめんね。文句も言えず、毎日かーちゃんに付き合わせて。滑り台をしたり、ブランコをしたり、自分ちにいる時なら、いつでも団地の下の公園に行けるのにね。他の子と直ぐに仲良くなって滑り台で滑り合っこ。ストレス発散!って感じだったのかな。夕方、とーちゃんの所へ行くと、やはりシンドそうだった。少しづつではあるが、黄疸の要素が緩やかに上昇しているのだそう。酸素もまたついていた。自分の身体が、どうしようも行かない苛立ちと、しんどくて辛いので、とーちゃんは最近直ぐに我が儘になる。かーちゃんにしかぶつけられない苛立ち。今は我慢我慢、と思ってはいるけど、かーちゃん、少しストレスです。今日は、帰ってから、「お酒飲んで酔っ払いた~い!」なんて思った、出来てないかーちゃんでした。明日からまた心機一転、心を入れ換えなきゃね!かーちゃん。
2004年04月30日
<携帯より>とーちゃんの病院に、嬉しい来客があった。ちなこと同じ病院で知り合った、お友達とそのお母さん達。とーちゃんの事を心配して、そしてかーちゃんに会いに来てくれたんだ。少しだけみんなと違う特長を持って生まれて来た特別なお友達達。だからママ達もとびっきり素敵に特別なんだ。そんな人達が、ビョーンと飛んで来てくれた。顔を見た。それだけで嬉しいんだ。しっかり手を繋いで貰ってる、ココロがグン!と強くなったよ。特別素敵な子供達の特別なママ達。うちも入ってるかな?特別素敵なママ達の中に。。。きっとちょっぴりでも入ってるよね。特別可愛いちなこのかーちゃんやもん。 自身持と!特別なかーちゃんが信じれば、必ずとーちゃんは元気になる!来てくれた、みんな、お手紙をくれたママ。いつも頑張れ!って応援してくれる人達。言葉が足りないけど、 ありがとう!!
2004年04月29日
<携帯より>今日のとーちゃんは、朝の透析で疲れたのかしんどそうやった。しかし、そんなとーちゃんとは裏腹に、先生からの採血の結果報告は、白血球、CRP共に下がってきているという嬉しいものやった。白血球20000、CRP6.5とまだまだ高い数値ではあるが、一時に比べたら数段に下がっている。とーちゃんも「よっしゃ。」って喜んでた。夜、保健所の方がやって来た。私達の住んでいる同じ市内で、オウム病が数件発生してるという。感染源を特定したいらしい。とーちゃんのしんどくなり始めた状況を詳しく聞いていた。しかし、とーちゃんは鳥と接触した覚えは無く、保健所の人も首をひねっていた。オウム病はその名の通り、オウムから感染もするが、他にもインコや鳩などからうつる物らしい。人からの感染は無いので、感染した人からうつるというのは、有り得ないのだそうだ。今度、かーちゃんとちなこの採血も行って、抗体が無いか検査する。結果が陽性ならば、感染源は家の近所である可能性もあるようだ。抗体が出来てても、健康な人なら発症しないらしい。発症しても、病気自体は風邪と同じような物で、オウム病に効く薬で直ぐに治るものだそう。とーちゃん、後はどんな病気が残っているのやろう。。。保健所の方が来られたのが遅かったので、ちなこは眠たくなってしまった。ご飯はまだやのに。帰る途中、きっと寝てしまうと思ったので、病院の前にある食堂に入った。閉店時間を聞くと9時やと言う。もう9時前やった。けど、おばちゃんは「どうぞ、入り」と優しく入れてくれた。うどん定食550を一つちなこと分けた。予想に反して、お盆には沢山乗っていた。きつねうどん、ご飯、漬物、出巻卵、れんこんとちくわの天ぷら。こんな値段でいいんかいな?!って感じだった。日替定食700に、出巻卵、れんこんとちくわの天ぷらとあったので、もしかして閉店前でサービスしてくれたのかな?と少し嬉しくなった。何だか小さな事でも直ぐに嬉しくなる、かーちゃん。帰りは少し寒かったけど、気持ちはポッカポカやった。(サービスしてくれたと信じてる、幸せなヤツ)ちなこは予想通り、家に着く前にぐっすりお寝むでした
2004年04月28日
<携帯より>とーちゃんが二進一退というように、やはり後退する日もあるのが現実。今日は先生から、また黄疸の数値が上がって来ている事、輸血しないと直ぐに血小板が減少してしまう事を聞かされた。黄疸の数値は心配だ。また肝臓が悪くなり始めてるんやろうか。しかし、二進一退(造語やけど)。一進一退のように止まってるわけではないと思わなきゃ。「信じる力、祈りの力」は大きい!って心底学んだんやもん。とーちゃんは少し、自分の思うように身体が動かない事に苛立ちを覚えている。もう1ヶ月も寝たきりなのだから、仕方のない事だ。その苛立ちのはけ口はかーちゃんに向けられる。動けない辛さは計り知れないものやと理解してても、時々ムッとする事もある。そんな時かーちゃんは、大人げなくツンケンしてしまう。あかんな~。苛立ちをぶつけるという事は、それだけ何でも言えるという事やのに。とーちゃんも「解ってはいるんやけど」って所があるみたいで、今日は帰りに「我が儘ばっかりでゴメンな」とぼそっと言った。とーちゃんにそんな事を言わせるなんて、ダメかーちゃんや。広いココロが欲しいです。
2004年04月27日
<携帯より>昨日とは違い、少ししんどそうなとーちゃん。呼吸も苦しいようだ。一進一退。危篤までいった状態が直ぐに善くなる筈はない。頭では解っているんやけど、良くない状態のとーちゃんを見るとまたとても心配になる。今日も血小板輸血をしている。ステロイドの投与も、まだ続いている。大量投与が長過ぎて、少し副作用が心配だ。しかし、とーちゃん曰く、二進一退だそう。前向きに考えるとーちゃん、恰好良いぞ!応援してくれた皆さん、本当に有難うございました。先生からはまだ「もう大丈夫」の言葉が聞けたわけではありません。肝臓もかなり悪く、全身に黄疸の症状が強く出ています。けれど、とーちゃんはもう大丈夫!何の確信がある訳では無いのですが、かーちゃんはそう思うのです。とーちゃんは「死」を宣告されながらも頑張りました。「とーちゃん、がんばるからな」の言葉を守ってくれました。みんなの祈りが届きました!もう、消えちゃうなんて絶対ない!だって、とーちゃん、生きてるよ!これから普通に生活が出来るまで長い長い道則になるかもしれません。とーちゃんと、かーちゃんとちなこ。3人で支えあって頑張りたいと思ってます。そして、その周りでは、いつも応援してくれて、支えていてくれる大事な人達がいる事を忘れずにいます。支えてくれて、本当にありがとう。いつの日かお返しの出来る日が来る事を信じています。勝手ではありますが、これからも見守っていて下さい。
2004年04月25日
今日はとーちゃんの命の期限日。ちなこと昨日、ばぁばの家へ泊まったかーちゃん。昼から電車に乗ってとーちゃんの病院へ。とーちゃんは病名を聞いてから、頑張ろうと思う気持ちにも張りが出て来たのか、ほんの少しだが食べ物を口にし出した。かーちゃんもとても嬉しい。相変わらず血小板は減り続けるので、輸血は欠かせない。昨日、とーちゃんと少し話した。数日前の記憶は全く無いらしい。昏睡状態になっていた訳では無いが、かなり危ない状態だったのは確かだ。とーちゃん自身も「このままいなくなってしまう」と考えていたらしい。いなくなってしまわないで、本当に良かった!辛かったね。。。自分が「無くなってしまう」って考えるなんて、どんなに苦しかったやろう。どんだけ色んな事考えたんやろう。とーちゃん、きっともう大丈夫!一人で逝くなんて早過ぎるもん。きっとこれから善くなるよ!かーちゃんもちなこもついてる。そして皆んなミンナみんな!とーちゃんの無事を願って、祈りを捧げてくれたみんながいる!今日の命の期限は無事に乗り越えられたよ!
2004年04月24日
朝が来た。とーちゃんは夕べ、時々起きてはおかしな事を口走っていた。色んな事が頭を駆け巡っているようだった。朝は静かに起きていた。何だか、様子も良いように見えた。「3人で寝たなんて久しぶり」と、とーちゃんも嬉しそうだった。本当に静かな朝を迎えた。昼過ぎ、先生がやって来た。病名が解りそうだと言う。この間のリンパ節生検の分を培養していたら、特長のある結果が出て来たらしい。病名はこうだ。 「キャッスルマン病」転院前の病院でも可能性があるとされていた。けれど、確定出来なかったんだ。今回も専門機関に確定して貰わなければ、確実にその病気であるとは言い切れないらしいが、ほぼ間違いないだろうとの事。先生は続けた。「しかし、キャッスルマン病だけでここまで重症化する報告例はありません。まだ何か他の病気が隠されている可能性は大きいです。」けれど、先生の顔はいつもより穏やかやった。「治療の行方は見えてきました。頑張りましょう!」先生が病室を出た後、とーちゃんを抱き抱え、初めてとーちゃんの前でわんわん泣いた。とーちゃんも一緒にわんわん泣いた。良かったな、良かった。頑張った、とーちゃん頑張った!一歩前進や!全体を見ると小さな小さな一歩かもしれない。けど、私達ににとっては大きな大きな第一歩だ!腎臓、肝臓、血液の状態がかなり善くなく、まだ厳しい状況は抜け出ていないので、透析や血小板輸血をしながら治療を受けていきます。
2004年04月20日
<携帯より>今日は遅くにとーちゃんの病院へ行った。様子はあまり良くない。かーちゃんが来るのを待っていたのか、直ぐに先生が病室を訪れた。いつもは部屋の中で話をしてくれるのに、今日は部屋の外に呼び出された。面談室に歩いて行く間、先生から「お父さんの様子はどうですか?奥さんから見てどんな感じですか?」と聞かれた。かーちゃんから見たとーちゃんの様子。ぼーっとして、何を話してるか解らず、理解してあげられない。面談室に入って、先生からの返事はこうだった。「記憶がおかしくなり、錯乱しているようです。」そして聞きたくない言葉が続けられた。「残念ですが、もって今週いっぱいでしょう。」先生も辛そうだった。かーちゃんは少し涙が出たが、ぼーっとして何が起こっているか理解できず、何も言えなかった。外部に出してる検査の結果が来るまで何とか身体を持たしたいとの先生の意向で、今晩からステロイドの大量投与が始まる。先生が仰るには、本当なら夜からの投与は避けたいが、一刻を争うので始めるらしい。「暫く付き添えますか?」と聞かれた。夜間は看護婦さんが少なくなるので、何かあった時に直ぐ対応できるように。もちろんだよ。とーちゃん、1人になんかしない。今日からちなことかーちゃんが一緒やからね!頑張ろな、3人一緒やったら絶対大丈夫!3人一緒でちなこの家やで。誰かが欠けてなるもんか!ステロイドが効きますように!「ちなちゃん、まっててな、とーちゃん、ふっかつする」回らない口で言ったとーちゃんの言葉、3人でしっかり握った手の温もり、信じてるから!<終>
2004年04月19日
<携帯より>とーちゃんの様子がおかしい。記憶がとんだり、してもいない事を言ったりする。さっきの事が思い出せない。痛い思いをして検査したことも忘れて、「そんなんしてない。」って言う。恐い。呼吸も苦しそう。主治医の先生からの説明も相変わらず、結果が解らず。先生も色んな外部にも血液を出したりして手を尽くしてくれているんだけど。。。ちなこはばぁばん家でお留守番。だんだんお留守番も嫌になってきている。「かーたんといっしょ。とーたん、びぉーいん、いく。」って言う。とーちゃんが入院して2週間と5日。寂しさが募ってきたよね。ちなこなりに頑張っているけど、まだまだちっちゃな2才児やもん。<終>
2004年04月18日
今日は夕方からちなこと一緒にとーちゃんの病院へ行った。久しぶりに朝はちなこと団地の公園で遊んだ。とても嬉しそうだったちなこ。みんなと遊ぶ、これがしたかったんやね。最近よく何事をするにも「みんないっしょいっしょ」って言うもんね。何だかかーちゃんも「いっしょ」に遊べて楽しかったよ。病院へ着くととーちゃんは腹水を抜き始めたところだった。お腹に大きな針が刺さってるのでちなこが触って抜けたら大変!かーちゃんとちなこは近くの百貨店へ一時退散。5時をまわっていた事もあって、ちなこはお腹が空いていたよう。丁度、四国物産展が開催中だったので行ってみた。食べる食べる。ちなこは試食のうどんを2杯。芋ようかんに餃子。乾燥納豆にエビ天、ウインナー、その他もろもろ。納豆茶なんて6杯もおかわりした。羨ましい~(?)子供って。かーちゃんもお腹は空いてたけど、いくらなんでもそんな。。。お腹が一杯になったのか、とーちゃんの病室に戻ったときはすっかり熟睡でした。帰ったらとーちゃんは腹水を抜き終わってた。寝たきりなので身体を動かすと吐き気がするらしい。床ずれも出来てきたようだ。でも、かーちゃんが見ても今日は少し呼吸状態が良さそうだった。自分でも少し楽だと言っていた。昨日のリンパ節生検では結局、何も出なかったそうだ。先生は国立の専門機関に血液を出して検査をしてもらう準備をしていると仰った。あらゆる手を使って病名を特定して欲しい。早く処置を始めてもらうためにも。。。ちなこは病室を出るまで熟睡だったけど、帰りに起きました。家へ着いてからかーちゃんが地獄を見たのは言うまでもありません。(結局寝てくれたのは深夜1時を過ぎてました)かーちゃんの勝手な考察では今日、とーちゃんはかなり楽になってたような気がしました。何が処置されたと言うわけではないので、明日はまた、とても悪い状態になってるかもしれません。けど、少しでも楽そうなとーちゃんを見るのはとっても嬉しいです。少しずつでも、確実に元気な前のとーちゃんになって欲しいです
2004年04月17日
まず、いつもこの日記を見てくれてる皆さん、有り難うございます。とーちゃんは毎日、頑張ってます。なかなか掲示板に返事を書き込めずにいますが、ちゃんと読ませて貰ってます。私の支えの一つでもあります。本当にありがとう。。。!今日は朝からとーちゃんの病院へ。リンパ節生検をするために首のリンパ腺を採取するのに少しの外科手術を行う。昨日、動脈カテーテルの入れ直しで出血が止まらなかったので心配だ。11時手術室へ向かったとーちゃん。12時過ぎに部屋へ帰ってきた。その前に看護婦さんが部屋を訪ねてきてくれて、「お父さん上手くいったみたいよ。」と教えてくれた。先生からも説明があり、リンパ節の採取は出血もなく、上手く取れましたと言われる。良かった!!今日は血小板も少し増加しているようだ。輸血もなしで行けたみたい。本当に良かった。あとはこれで病気がなんであるか解ってくれたら。。。昼からは透析があった。今日は色々と検査があったようで、とーちゃんは疲労していた。かーちゃんも早めに帰った。かーちゃんも何だか気は張っているのの、疲れが溜ってきているよう。今週は二回も偏頭痛に襲われた。発作の兆候が現れて直ぐに薬を飲んだので、だいぶ苦しまずに済んだ。今日は、ついでにかーちゃんの血圧も計ってもらったら、88-68だった。何だか上と下が接近してるなぁ。病院から帰って、ちなこをばぁばん家へ迎えに行った。久しぶりにばぁばん家でかーちゃんも晩御飯を食べた。作ってもらって楽だったな。やっぱり親は有り難い。ちなこも沢山食べたよ。最近いつも遊んでやれなくてゴメンネちなこ。とーちゃんが元気になったら3人でいっぱい遊ぼうね!!
2004年04月16日
昨日の夜に、今日は胃カメラを飲むという先生からの説明があったので早めに病院へ行った。ちなこは今日もかーちゃんばぁばの家でお留守番だ。病院へ行ってとーちゃんに聞くと、胃カメラは中止になったらしい。呼吸状態が良くないので胃カメラの検査をする先生からストップがかかったらしい。今日もとーちゃんは息苦しさが続いている。久々に誰もいなかったのでゆっくりと2人でなんと言うことのない話をした。先生からの説明は相変わらず進展は掴めずだった。熱は下がりつつあるが、白血球や炎症反応は下がらないどころか上がってきているという。夕方、ブラッドアクセスのカテーテル入れ直し(前の病院の接続口が今回の透析の機械の接続口に合わないため)があった。その前にまた血小板が減っているので、輸血を行う。輸血が終わったら股の動脈の所に長いカテーテルを入れて留置しておくらしい。かーちゃんは病室を出たその間に、近くの不動産屋へ。実は病院の近くにマンスリーマンションを借りようと思っている。何かあったとき、すぐに病院に来れるようなるべく近くにと思っている。病院から自転車で10分位の所に来週から入れるマンションがあったのでそこに決めた。来週から1ルームの狭いお部屋で、ちなこと2人暫く過ごそう。いつでも病院に来れるもんね。病室を出てから1時間後位に戻ったら、今カテーテルの入れ直しが終わったとこだという。エライ長いこと時間が掛かったんやね、と聞くと、刺したときに出血が暫く止まらなかったらしい。血小板が減少しているので止血されないのだ。とても恐い。とーちゃんは、かーちゃんが病室を出る前よりかなり苦しそうだった。頑張れ、頑張れとーちゃん。かなりしんどそうだったので今日は早く帰った。辛くてゆっくり出来ないだろうけど、静かになったら少しは寝れるかもね。夜、先生から電話がある。「リンパ節の生体検査をするので明日昼前からリンパ節を切り取る外科手術をします。血小板が減少しているので血が止まらなくなり全輸血をする可能性がありますので、同意書にサインを願います。」と。なので明日は術前に言って説明書を読んでサインをしなくては。切ったときに血が上手く止まること、そしてこれでもう原因が何であるかが解り、それに対する治療を始めることが出来ること、どうかこれが最後でありますように!早く原因が解らないと、とーちゃん検査で潰れてしまう。可哀想だけど明日もちなこは、ばぁばに預ける予定。昨日、帰り際とーちゃんのベッドに乗って、「とーちゃん頑張ってお家へ帰るから、帰ったら3人で一緒にポンポン(我が家では回る寿司のことを言う)行こな。だから少しいい子にして待っててな、とーちゃん頑張るわな。」ととーちゃんから言われ、両手を挙げて「やったーー♪」と叫んだちなこ。とーちゃん、「むっちゃ嬉しいわぁ。こんなに喜んでくれて嬉しい。とーちゃん頑張らなアカンな。待っててなちなこ。」って目に涙をためて喜んでた。元気になって本当に一緒に行こうね。元気百倍!ちなっこパワーよ、とーちゃんの病気を追い出して!!
2004年04月15日
昨日の嬉しさは朝の電話で飛んでしまった。お姉さんがとーちゃんの所へ行ったらしく、酸素吸入が鼻チューブからではなくマスクに変わっていると連絡があった。かーちゃんは何があったのか確かめるため病院へ電話した。主治医の先生が出て下さり、「呼吸状態が良くありませんので、効率の良いマスクへ変更しました。気管支拡張剤も使います。黄疸も出て来ているので、今度は肝臓機能が低下してきてるのでしょう。」という話だった。何で??昨日はとても喜んでたのに!かーちゃんも昨日帰るとき、実は白目が黄色くなっていることに嫌な感じを受けていた。やはりそうだったのか。。。けどまだまだ!とーちゃんは頑張ってくれるよね!!今日も朝から必要な手続きや用事で走り回っていたので今から病院へ向かう。今はきっと3時頃まで透析を行ってるだろう。今日はちなこも一緒だ。吸引機や荷物を持って動き回るので、ついついじっとしていないちなこを怒鳴りつける事が多くなってきた。かーちゃん、恐いね。ダメダメかーちゃんだ。ごめんね、ちなこ。
2004年04月14日
今日は朝から色々用事があって、とーちゃん所へ行くのは夕方になった。ちなこは今日はかーちゃんばぁばん家でお留守番だ。日増しにしんどそうなとーちゃん。かーちゃんが行った時は腹水を抜いている最中だった。針を横腹から直接お腹の中に刺し、そこから溜った水を抜く。2リットルの水を抜くのに約5時間。それだけでもかなりの体力消耗だ。夜、主治医の先生が部屋を訪れた。少し嬉しいお知らせ。血小板が2万から6万へと上昇しているという。普通の人は12万とかだけど、やっと半分まで回復してきた。まだまだ予断は許さないらしいが。とーちゃんはその話を聞いてとても嬉しそうだった。「悪い方に考えてしまうけど、そんな話を聞いたらがぜん頑張る気が出てきた!」って嬉しいかーちゃんもとても嬉しい!!何か一つでもいい少しでも楽になって欲しい。いいところが出て来て欲しい。帰り際かーちゃんが買ってきたアイスクリームを3口だけ食べたとーちゃん。明日はまた一つ進むといいな。
2004年04月13日
とーちゃんは今日、いよいよ救急車に乗って朝から転院だ。主治医の先生が付いてくれる。救急車は狭く、家族は乗れないようだったが、かーちゃんとちなこは半ば無理矢理一緒に乗った。ちなこが泣くんだ。「とーたん、ひとい(1人)ひといになったう!」今はもちろんとーちゃんが大事。けどちなこの気持ちも大事。救急車に乗ったちなこ。とーちゃんの手をしっかり握っていた。病院についてすぐ、前処置をしているときも「がんばえ、がんばえ!とーたんがんばえ!!」て両手を叩いて応援していた。ちびっこちなこ、何だかすっごい大きく見えた。新しい病室に落ち着いて、新しい主治医の先生がやって来た。かーちゃんは転院前に外来を訪れたときに会っているので面識があった。一通りの説明。主治医の先生はとーちゃんにハッキリ、良くない状態です。と仰った。兎に角前の病院でまだやっていなかったこと、順々に検査等々行っていきましょうと。早速、昼一で骨髄と骨の一部を採取した。あと、血液、腹水を採取しての検査。胸水も行う予定やったけど、転院の当日にあまりにもの負担だろうと、検査の結果を見ながら、後日必要であれば採取するようだ。とーちゃん、今日はしんどいと言っていた。息も少し苦しいと。日に日に痩せていくのに、お腹だけは腹水が溜りパンパンに張っている。それがまた横隔膜を圧迫して、呼吸を苦しくさせている。けれど、今日は何も食べなくなってから初めて、小さな本当に小さなドーナツだけど口にした。それ以上は無理やったけど、小さな小さな進歩かなと思った。ちなこはというと、新しい病院に少し興奮。そして大はしゃぎ。小さいから仕方ないよな、と思いつつも、ちょっとは大人しくなれよ~と思うハハである。阪神タイガースの服を着せていったので、みんなから「タイガースや♪」と言われまた調子に乗る。けれどそのおかげで、看護婦さん達にはすぐに覚えてもらえた。男の子やと思われてるけどね。そして看護婦さん達は次に気管切開をしていると言うことに目がいくらしく、(とーちゃんと同じ階の病棟には「耳鼻咽喉科」があり気切している大人の方が数人いらっしゃる)気になる存在みたい。新しい看護婦さんが入ってくるたびに「あ、ほんまやぁ」とかなんとか仰っている。煩いのも手伝ってちなこの事は少し詰所でも話題なのかな。ちなこ効果でとーちゃんにも良くしてくれるといいな、看護婦さん達。下の世話とかもしてもらわなくちゃいけないので、看護婦さんには仲良く接していたいと思うかーちゃんです。転院でバタバタして疲れたのか、ちなこは帰りの迎えの車の中でぐっすりでした。今日から、環境が変わってとーちゃんの身体にもいい変化が起こるといいなと心から思います。最近とーちゃんの前で涙が出そうになり、困りますが、「アカン、アカン!!」と言い聞かせ頑張ってます。弱気なかーちゃん見て、弱気になってしまったらいけないもんな、とーちゃん。かーちゃんはいつでも元気で口喧しくないと!
2004年04月12日
今日はお昼、40分程かけてかーちゃんじぃじが自転車でやってきた。じぃじはかーちゃんの事が心配だったらしい。「焼肉食べに行こか。」かーちゃんが倒れんようにと心配してくれた。かーちゃんの父親やもんな。義理息子のとーちゃんの事も勿論心配なんやけど、やっぱりかーちゃんの事が一番気がかりらしい。じぃじに心配かけんように頑張らなきゃ。ご飯を食べに言った帰り、一度病院へ寄った。とーちゃん、今日は透析が無かったらしく、顔色が悪い。おしっこは殆ど出ていない。腎臓が全くと言っていいほど機能してないらしい。とーちゃんには言ってないが、言葉も少し出にくくなっているような気がする。お水とスポーツドリンクを置いて、一旦家に帰りまたちなこと2人、病院へ戻った。夕方まではあまり来客もなく、3人でゆっくり過ごすことが出来た。のどかな時間やった。とーちゃんも「今日はゆっくりとしてるな。」って言って目を細めてた。ほんの1時間ほどやったけど、3人で家にいてもそんなにゆっくりと時間が流れる事ってなかったな。明日はいよいよ別の病院へ転院する。とーちゃんは、「長引くようやったら家に帰んで。」って言った。そんなん治れへんかったら帰られへんやん、って返事をしたものの、とーちゃん何か感じてるんやろな。はよ帰りたいな、とーちゃん。かーちゃんは信じてるよ、元気できっと帰ってこれる!!夕方、人が来た時に話をするとーちゃん。酸素をしてても息があがっていた。けど「はよ帰って、バーベキューもちなことも遊んだらなあかん。」って言ってた。そうや、良くなってみんなで遊ぼな。今からいい季節やで。病院から帰り際、3人で手をつないで「頑張ろ」って言った。ちなこと2人、家で晩ご飯を食べるのはとても寂しいので外で済ませて帰った。ちなこは寝る間際、「とーたんあいたい、びぉーいんでまってゆ。」って寝言のように言った。ちなこも寂しいんだ。明日からの新しい展開。かーちゃんもちなこもとーちゃんも、みんなみんな信じてる!!
2004年04月11日
昨日とーちゃんは透析をし、血小板輸血をした。病院から電話があり、透析で血中水分を抜かないと、心臓が肥大してきているので、肺を圧迫し、危険な状態になると。透析はなるべくやりたくないと先生が仰っていた。とーちゃんの身体が今、出血傾向にあるのが、ますます出血傾向が強くなり、針を刺しただけでも血が止まらなくなる可能性が大きくなるから。けど、透析をしざるを得ないところまで来てるから行います。と説明があった。それと血小板が普通なら14万あるところ、とーちゃんの場合今、2万しかなく輸血を行いますと。 何でもいい。兎に角助けて!!今日の朝食中、「かーちゃんに何が出来るやろか。。」と独り言を呟いた時、ちなこから「だいじょびよ。かえってくゆ。とーたんかえってくゆ。」って言われた。涙をためてた。胸に刺さった。そうや、帰ってくる。信じなきゃ何も始まらない。いつもそう思ってるハズなのに、知りすぎた大人は信じ切れない。でも信じなきゃ、とーちゃん帰ってくる!!ありがとうちなこ。ぎゅっと抱きしめた。小さな小さなちなこ。かーちゃんよりずっとずっと、頑張ってるちなこ。そんなちなこから、かーちゃん頑張る気持ちを貰いました。かーちゃんしっかりしないとね。涙を流すかーちゃんの涙をぬぐい、そして我慢しても出て来てしまった自分の涙を片手でぬぐったちなこ。泣いたらアカン。泣いちゃってごめんね、ちなこ。小さな胸でいっぱい考えてるんだ。いてくれてありがとう、ちなこ。勇気が沸いて信じる気持ちがもう一度生まれました。かーちゃんの大きな支えです。とーちゃんもちなこも、他のたくさんの大切な人もみんなみんな失いたくない。いなくならないで!ずーっと一緒にいたいよ!誰か助けて!とーちゃんをたすけてください。。。--------------------------------------------------------夕方から病院へ行った。今日も透析と血小板輸血を行った。とーちゃんには言えなかったけど、とても痩せている。とても入院前からは考えられない。まだ、11日しか経っていない。最近はとーちゃんの姉妹なども頻繁に病院に訪れ、なかなかゆっくりした時間が取れない。かーちゃんにとって大切なとーちゃん。けど、親兄弟にとっても大切なとーちゃんなんだな。夜、ちなこととーちゃん&かーちゃんの3人の時がやって来た。少し色んなコト話した。ちなこの話の時、とーちゃんの目に涙が。。。帰ってきて欲しい、早く一日でも早く良くなって!!とーちゃんは、自分の身体の状態がどういった物であるか知らない。知っているかも知れないが、私達や先生からは知らされていない。1ヶ月したら治って帰れるって信じてる。最後までそう信じていて欲しい。だから、とーちゃんの前では涙は禁物だ。とーちゃんが信じるようにきっと帰れる!!ちなこは疲れたのか、帰りの自転車の後ろでぐっすり寝てた。家に入り寝ているちなこの顔を見たらポロポロ涙が。。。初めてわんわん大泣きをしたよ。声を上げて泣くなんてこれが最後。明後日の月曜日には転院が待っている。どうか好転しますように。。。
2004年04月10日
とーちゃんが入院している病院から夜の9時頃、かーちゃんの実家の方に電話があり呼び出された。ちなこは今日、高槻の方でカニューレ交換だったので、そのまま実家に寄り道していたのだ。かーちゃんも少し疲れているかなと思ったので、今日はとーちゃんの病院へ行かないでおこうと思っていた。電話があり、ちなこはばぁばに預けてすぐに病院へ行った。先生からのお話で、とーちゃんはもう殆ど尿が出ていないらしい。思うよりかなりの様態の悪さで、急変して最悪の場合になりうることがあると言うこと、覚悟をしておいて下さいと言われた。昨日のとーちゃんはしんどそうではあったが、別段、悪くも見えなかった。かーちゃんは先生に転院を申し出た。何処に行ってもおなじかもしれないが、この最悪の事態をとにかく早く抜け出したい。もしかすると他の病院では、病名の判断が出来るかもしれない。かーちゃんは、賭けてみたい。先生は、勿論OKです。もしそうなさりたいのなら、早めの転院の方がいい。僕はただ、おとうさんが治ってくれることが一番です。と仰って下さった。早ければ明日、別の病院に行って外来で診察を受けることになろう。とーちゃん怒るやろな。転院したくないって言ってたもんな。ちなこに解らないかもしれないと思いながらも、キチンととーちゃんがどんな状態であるか話した。ちなこも少しの間、言うこと聞いて頑張ろな。こないだから何度もばぁばに預けられていたので少し寂しくなったのか、うるうるしながら、「うんがんばる。とーたん、おうちかえってきてほちい」って言った。かーちゃんと、ちなこ。ばぁばん家からの車中で手を握りあって泣きました。吸引が必要なちなこ。かーちゃんの実家は建築関係の商売をしているので忙しく、いつもいつも頼るわけにもいかない。けど、家族の他に吸引ができるのは、かーちゃんのばぁばしかいない。これから最悪の事態へと進みそうになったとき、ちなこはもしかしたら1人で病院に預けられるかもしれない。ごめんね。とーちゃん、辛いけど頑張ってね。ちなことかーちゃんも一緒に頑張るよ。早く良くなって一緒にゴハン食べようね。
2004年04月07日
とーちゃんは今日腹水を抜いたらしいが、先生は忙しいらしく、お会いして話を聞くことが出来なかった。結果は明日へ持ち越しだ。相変わらず、しんどそうなとーちゃん。ちなこは病院に慣れているので、病院に行く度に廊下を走ったり大はしゃぎ。とーちゃんのベッドの上に乗ったりもする。とーちゃんは身体が痛いので、そのちなこの行動はかなりキツイみたいだ。かーちゃんも、ちなこの行動の悪さには大弱り。けど、吸引が必要なちなこ。長い時間誰かに預けるわけにいかず、かーちゃんが病院へ行くとなったら、必然的にちなこもペアだ。とーちゃんが苦しいのも解る。けどちなこのとーちゃんであることも事実だ。最後にはいつもとーちゃんが堪りかねて、「はよ帰ってくれ。」となる。ちなこはまだちっちゃい。かーちゃんも説明をしてるけど、理解するには限界がある。そんなとーちゃんにかーちゃんは、ついつい苛立ちを覚える。どーしたらいいのか解らんよ、かーちゃん。
2004年04月05日
とーちゃんの病気はまだ何なのか解っていない。今日は胸からお腹まで、輪切りのCTを撮った。相変わらずしんどさは変わっていない。酸素をしていても、spo2(酸素飽和濃度)は97~98%だ。毎日数時間熱が出て大量の汗をかく。食事も全く取れず、点滴に頼っている毎日。とーちゃんもかなり気弱になっている。昨年末、義父を肺ガンで亡くした。自分も。。。と考えずにはいられないらしい。「とーちゃん、もっとしっかりしてや!」と喝を入れてみるが、とーちゃんの辛さの様子からそれは無理なのかな、とも思う。夜、主治医の先生からCTについて話があった。結果から言うと、やはりまだ「?」だそうだ。胸水、腹水、心のう(心臓を包む膜)水と体中に水が沢山溜っている。何故こんなにも大量の水があるのかも疑問だそうだ。それともう3週間も続く熱。キツイ抗生剤を投与しても駄目らしい。来週、身体の水を抜いて検査をするそうだ。かーちゃんは悩んでいる。来週検査の結果だ出なかったら、もっと違う病院で診て貰ったほうがいいんやろうか。けど、転院を薦めたらとーちゃん、不思議というか不安になるやろうな。あー何だかどうしていいのかワカラナイ。
2004年04月02日
今日、とーちゃんの病室に会社の人が来たらしい。そして、転勤は延期ではなく、「破棄」になったと。そんなぁ~!!かーちゃんはやっと高槻に行けると喜んでいた。もう気分は高槻住民(どんなんや??)やった。それがそれが、白紙だなんて。。。あんまりやーーーーーー!!!!!1日から赴任なのでどうなるのか気にはなっていた。それが転勤無しですか。あーいくら考えてもショックは大きい。これは立ち直るのに(かーちゃんが)時間がかかるじょ。かーちゃんとは裏腹にとーちゃんは何だかホッとしている様子。ちなこの病院に近くなるとはいえ、今回の転勤は気がハッキリと進まなかったみたい。「ちなこの病院のちかくにやっと行けるな。」という言葉とは反対に、行きたくないのは解っていた。今回の病気も半分は精神的にマイッテたところもあるんや、きっと。とーちゃんの身体が一番。とは思ってみても、もう2度と高槻への転勤は無いと思うと、やりきれないのね~、かーちゃん。
2004年03月31日
朝から雨だ。お外で遊べないので今日は近所のお友達の所でお昼から遊ぶ約束をした。昼ご飯を食べて行こうかと思っていたら、とーちゃんからの電話。「あかんわ、入院とや。。。」と弱気な声。とーちゃんはずーっと調子が悪いので、今日は朝から病院へ行ってから出勤する予定やった。それがまさかの入院。未だ部屋も決まっていないし、詳しいことが解り次第また電話するというので、とりあえずちなこを納得さすためにお友達の所へ。何せ、約束をしてたから、お友達の所へ行く気満々でどうしようもない。しばらくすると病院から電話。来て下さいと。ちなこに「とーちゃん入院したから病院へ行こう。」と言っても、嫌や!!の一点張り。暴れる暴れる。その様子を見たお友達のお母さん2人が、「吸引できるかなぁ?練習してみよか、出来るようやったらちなっちゃん、置いていき。あかんかったらすぐに車で病院に連れて行くわ。」と言ってくれた。吸引は医療行為にあたるし、少しの不安はあったが、いつもちなこの吸引を見ているお母さん達でもあったし、ここはえいっ!っと任せてみることにした。(病院関係の方、見てたらごめんなさい!)雨も激しいし、吸引機とちなこと荷物を持って病院へ行くのはかなり厳しいと思ったから。病院へ行ってみると、とーちゃんは点滴の他に酸素もされていた。昼、夜と2回の検査の結果、肺炎を起こしており、腎臓の機能も弱っていて、腹水、胸水が見られる。そして脱水の症状もあると。あー、悪いことのデパートみたい。ずーっとしんどいしんどい、って言い続けてたのは肺炎のせい、痛い痛いと言っていたのは腹、胸に水がたまっていたかららしい。ま、入院してゆっくり治療してもらった方がいい。いつまでも痛い痛いと家にいてては大変だ。あとはお医者さんに任せよう。お友達の家にちなこを迎えに行ったら、全然本人はケロッとしていた。2人のママで1回ずつ吸引を行ったらしい。「吸引したらまた沢山遊べるね、っていったら大人しく吸引させてくれたよ。」と言っていた。かーちゃんやないと嫌!って吸引を嫌がるかなと心配やったけど、大丈夫やったみたい。迎えに来たことにも気づかず遊んでたもんな。「とーちゃん入院やで。」と言ったら、「かーいそ。」とあっさりしたもんやった。おいおいそれだけ?吸引があると言うことで、かーちゃんばぁば(唯一家族以外で吸引が出来る)意外には預けたことが無かったちなこ。今日は初めてのみんなで一緒のお留守番。かしこかったね。かーちゃん、心配したけど大丈夫やったんやね。事故があっては双方に気まずい思いが残るので、なるべく預けないようにするけれど、今日は本当に助かりました。家の近くにはとーちゃん側の実家や兄弟、親戚がいるけど誰も吸引を出来ないもんな。覚えようともしてくれないし。仕方ないことだけど。だから今日みたいに「やってみる。」と言ってもらえたのはとても嬉しかった。「遠くの(遠かないけど)親戚より近くの他人」とはよく言ったもんだ。いつもお砂場でちなこの事見ててくれてるもんね。ありがとう感謝感謝です。お友達っていいなぁ。
2004年03月30日
今日は特別いい天気。お昼なんて半袖でも十分やった。とーちゃんは休みだったけど、用事があったので家からじぃじ&ばぁばとかーちゃんちなこで、鶴見緑地まで自転車で出かけた。鶴見緑地はまだ桜は早かったけど、可愛いお花がたくさん咲いていた。ちなこはずっと「さいた、さいた、ちゅりっぷのはなが♪」って歌っていた。実際チューリップは少ししか咲いてなかったけど、ちなこにとって何だって花が咲いてりゃ「チューリップ」らしい。途中、何度も転けたりしたけど、頑張って最後まで歩いたよ。ちなこは歩くの大好き♪踊るのだって大好き♪公園内の露店で、カラオケやみたいなのがあるんやけど、ちなこはいちいち止まって反応する。音楽に合わせて勝手踊りをしたりするもんやから、チョッピリ注目。(^_^)v帰りはばぁばの後ろに乗せて貰って、お家までぐっすりおねむでした。また雨の日がやって来るようやけど、日に日に暖かくなっていくんやね。嬉しいね♪ちなこ。
2004年03月28日
今日からとーちゃんは他局へ2日間の研修。お昼、とーちゃんから電話があった。「転勤になった」と。勤務先は高槻。ちなこの病院のあるところだ。家から通うのは時間的に少し辛いと言うことで、引っ越しになりそうだ。4月1日からの勤務なので、すぐには動けないので、取りあえずとーちゃんだけ単身で先に行くこととする。また、部屋とかも決めに行かなくちゃいけない。ちなこが生まれて病気が解ったとき、近くの病院では対応してもらえなく何度も救急車で走り入退院を繰り返してたとき、とーちゃんは転勤を考えた。家族で病院の近くに住もうと。それからもうすぐ3年。ちなこは見違えるほど強くなった。入院もしなくなった。今の家でも十分かなと考え始めたときの転勤。とーちゃんは本当は今の役職から変わりたくなかった。けど、研修を受けて少し上の役になると希望の地に転勤が出来るかもしれないと、進まない気持ちを押して研修に参加した。そして転勤。かーちゃんとしては、ちなこの病院が近くなるのはやっぱり安心。けどとーちゃんは、ちなこの為になると思ってはいるものの、次に付く役職には心が重いらしい。「俺はいい方や。自分の希望する地へ赴けたんやから。。。」と自分に言い聞かすように呟いている。とーちゃんは少し、精神的にまいってるらしく、研修中から食欲もなく原因の解らない痛みに襲われている。かーちゃんとしても、ちなこがあまり入院しなくなった今、転勤するのが本当に良いのかどうか解らなくなっている。いつどうなるか解らないちなこのためには、病院が近くだときっといいはずなんだけど、とーちゃんがこのままでは。。。何を言ったって転勤はもう決まった事なんやから、前向きに考えて行くしかないな。とーちゃんもきっと職場に慣れたら、今の状態も抜け出てくれると信じていよう。一応公舎を申し込むつもりでいるので、早く当たってみんな一緒に高槻で住めたらいいね。それまでは1人になるけど、頑張ってねとーちゃん。2、3ヶ月後には高槻に引っ越すと思うので、病院仲間の皆さん、これから宜しくお願いします。高槻の皆さん、高槻のこと教えて下さいね!
2004年03月25日
毎日、お天気が悪い。なかなかお外で遊べないちなこ。お彼岸も少し過ぎたが、今日は一心寺にお参りに行ってきた。ちなこの、とーちゃんの方はお参りに行くお墓がない。なので、春と秋の彼岸前後にいつも我が家は一心寺へお参りに行くことにしている。あいにくの雨やったけど、お出掛けのちなこは上機嫌。小さな傘をさして、黄色い長靴を履いて。。。ちなこはお寺など、お参りできるところが大好き。賽銭箱にお金を入れ手を合わす、何でかちなこにとってそれは大変興味の惹かれる事らしい。昼からはカニューレ交換交換だったので病院へ。今日は家の近くの病院。この病院では先生のカニューレの交換が遅いので、ちなこはいつも泣いて暴れるのだけど、今日は何故か大人しく頑張っていた。それが先生もやりやすかったのか、今日の交換はいつもよりスムーズだった。だんだんと成長していくんだ、ちなこ。寝る前まで普通だったのが、眠たくなってからいつもより愚図るちなこ。抱っこしたら、身体が熱い。熱を計ってみた。39.7度。高熱だ。息もあまり苦しそうではなかったので様子を見る。夜中、2時頃には熱も下がる。雨が続いたり、季節の変わり目はやっぱり苦手なちなこ。けど、熱が出てもすぐに下がる事が多くなった。大きくなると共に身体も強くなっていくんやね。そんな、ちなことは裏腹に、とーちゃんはここ2週間ほどずーっと調子の悪いまんま。ご飯も食べれないで居る。何でやろ?かーちゃんが思うに、精神的なこと。今、とーちゃんは仕事で精神的に大変な時期。もう少ししたら病気もきっとよくなるやろう。解っているけど、色んな葛藤があり優しくできないかーちゃん。もっと、人に優しくできたらな。。。ごめんね、とーちゃん。早く、暖かい日の続く春よこ~い。
2004年03月24日
かーちゃんは生協を取っている。火曜日が共同購入の日だ。いつも生協さんは朝10時半頃に来るのだが、いったん下に(我が家は団地の3階)降りたちなこは、まっしぐらに公園(団地内の)に行き、昼過ぎまでお家には戻らない。また、同じような子供がたくさんいるんやな、団地内には。今日は少し寒かったし、団地の公園の砂場やブランコの下には昨日の雨で水たまりが出来ているので、生協が終わるとかーちゃんとしてはお家へ帰って欲しかったんやけど、聞くはずも無し。ちなこはお友達達と、ブランコの下の水たまりの水を汲み出して、砂場に掘った穴にその水を入れることに夢中。あーあ、と思いながらも仕方ないと諦める。けど、ちょっと見ないうちに、何とちなこはお砂場に作った水たまりの中に浸かっていた。ゲゲーー!!他のお友達誰もそんなことしてへんやん!!たまらんわぁ~ほんまに。。。ちなこのおむつはオシッコが溜っているのか、水溜まりの水が浸み込んだのかパンパンになって下がっていた。風邪ひくっちゅうねん!お昼過ぎまでどろどろになって遊んだちなこ。さすがに1時半頃には「お腹すいた」と自らお家へ帰りました。帰って暖かいシャワーを浴び、お昼ご飯を食べました。このごろ毎日思うけど、早く春になって夏になってくれ~!!水遊びの大好きなちなこ。冬でも水溜まりに頭を突っ込んで、「シャワシャワ♪」って喜んでる。よく肺炎にならないもんや。。。(^_^;)水が大好き♪は全然OKやけど、泥のついた服は洗ってもなかなか汚れが落ちないんやで。ちなこ。
2004年03月23日

はぁぁ~。かなり日記の更新に間が空いてしまいました。続けるって今更ながら難しい~!!反省。。。 さて結婚式に家族揃って行ってきました。場所は帝国ホテル。一流ホテルだということで、いつもは水垢タレタレの我が家の車もピカピカに洗車して、とーちゃんはスーツ、かーちゃんはチャイナドレス、ちなこは普段絶対!!に着ない可愛い服を着て(靴も買ったよ、ストラップの付いた可愛い黒の靴)のお出掛けでした。チャペルでの式では、とーちゃんが「俺の時もこんなんやったんかなぁ。何や、精一杯で自分の時は覚えてないわ。」と自分の時のことに思いを馳せてました。ちなこは大人しくするはずもなく、何や訳のわからない事をたくさんお喋りしてました。純白のドレスを着たお嫁さんは綺麗だった~。式が終わって披露宴。というか、会費制で「披露パーティ」と言った感じかな。200人程いてはったように思います。2人で\3万円。共通の知り合いとはいえ、貧乏我が家にとって厳しい出費でありました。(^_^;)披露宴でのちなこはというと、途中のピンクレディの仮装で歌を歌ってはった時は、前まで行って自分も踊りながら楽しみ、マジシャンの方が出し物をしてるときは、目をまんまるくして驚いてました。あとは、新郎新婦のひな壇の上をちょろちょろと。。。パーティ自体、堅苦しい挨拶も少なく、知人は白蓮会館の空手の先生であり、その弟子の方や知人が楽しい出し物をしてくれたので、ちなこも楽しむことが出来きたみたい。パーティの間どないやろ?と思ってたのでちなこも楽しめて良かった♪です。ちなみに司会進行は、「おはよう朝日です」土曜に出ている柴田アナでした。ちなこも一緒に写真を撮って貰いました。(上の写真がその時の物)家に帰ってから、いつもはかーちゃんとお口とお口でチュ♪をするちなこがホッペにチュ♪をしてくれた。「お嫁さんしてた」と。そっか、チャペルの式の時、誓いのキスをホッペにしてたな。よく見てんねんな~。かーちゃんは久々に飲んだ多めのビールに気分を良くしてオヤスミしました。
2004年03月21日
昨日の夜中、やはりまた吐いて吐いて吐き続けた。朝、高槻病院へ行く。診断の結果、「腸炎」になってます。との事。菌をどっかで貰ったらしい。レントゲンを撮ったら、大腸が腫れていた。吐いて食べないのに、お腹が膨れていると思ったのはそのせいやったんだ。先生が診ても私達両親が診ても比較的元気だったので、入院はせず点滴だけを受け(何も食べていないのでブドウ糖を入れてもらった)帰宅。帰ってもやはりまだ吐き気は襲ってくるらしく、何度か戻したけど、吐き止めの座薬をもらっていたのでそれを入れてから少し吐く回数が減った。夜、まだご飯は食べないけど、身体が楽になったのか普段のちなこにかなり戻ってきた。一応ポカリを飲んで水分補給も出来るようになったし、少しは安心。あとは時間が経てばちょっとずつ食欲も戻ってくるやろう。1歳の時、入院中に腸炎になったときは(どうしても貰っちゃうんやな、悪い菌)もっとしんどかったと思うけど、今回は入院も無しで頑張ったね。ほんま、1年1年、丈夫に強くなってます。
2004年03月13日
何だか元気がないちなこ。食欲が全くなく何も受け付けない。夕べから、吐いて吐いて吐き続けている。当然の如く吸引も多い。けれど、吐き気が治まったら少し元気になりテレビを見たりする。病院に行こうかどうしようか。。。火曜日からとーちゃんが研修に行き家を空けている。今日の夜にはいったん帰ってくるのでそれからにしようか。。。夕方、近くの病院で見て貰えるかどうか確認の電話をしてみた。返事は「NO」だ。1人なので離れた高槻病院(ちなこのメイン病院)へはちなこを連れては行けない。様子を見ることにした。夜、とーちゃんが帰ってきた。ちなこは喜んで遊んでいた。元気そうなので大丈夫かなと思っていたら熱が出て来た。やっぱり、辛そう。明日、とーちゃんと一緒に高槻病院へ行って診て貰おうね。
2004年03月12日
いつものカニューレ交換。月一の高槻病院へ。昨日からとーちゃんは研修でいてないので、今日はばぁばに付いてきて貰った。診察が予約制&電子カルテになって2回目。今までは、小児外科にはお昼前なんてほとんど患者さんが居なかったのに、今日は11時過ぎても患者さんがわんさか待っていた。今までは待ち時間もそんなになかったのに。。。予約時間を過ぎてもう1時間以上も待っているという、気切をした男の子のママが言っていた。(ゆうちゃんってお名前でした。初めましてのお友達だったな)便利が良くなったのか、悪くなったのか、ワカンナイデス。早く、電子カルテ云々に病院側の体制も慣れて整って欲しいもんです。ちなこは今回、座って交換が出来ました。それも、先生に触られててもニッコリ笑顔なんて見せて。。。かーちゃん、ビックリ!けど、おとなしく座って交換できたら本人もきっと楽やろな。泣かへん分、痰もあがってこないし。外来では、お友達の拓ちゃんと会うことが出来ました。ちなこも会えて喜んでました♪拓ちゃんにあげんねん、とチョコレートのお菓子を買ったもんね。相変わらず可愛い拓ちゃん。同い年なのに、何だかお兄ちゃんなんだよなぁ。ちなこん家はハハも揃って幼いもんなぁ。(もちろん、精神年齢がね。年はくってるけど(^_^;))入院時の支払いが残ってたので、6階の病棟にあがると、何とジュンセイくん&ママと初めましてが出来ちゃいました!ちなこがちょうど、詰所の横の吸入コーナーで、「あたちもやるーー!(吸入を)」ダダをこねてたとこでした。入院してへんからでけへん!っちゅーてんのに。吸入フェチやからなぁ。声を掛けてくれてありがとうね!ジュンちゃんママ。立派なジュンセイくんとキュートなママでした♪その他にも、あやねちゃんや、久々の優ちゃんなんかに会えて嬉しかった♪何だかみんな、少し見ないうちにお姉ちゃんお兄ちゃんになってるんやもん。病棟で会うなんて、良くないことなんやけど、嬉しくなっちゃうんです。いけないハハ。そうそう、今回から人工鼻が違うメーカーに変わってびっくり!カニューレに差し込みにくいし、かーちゃんは前の人工鼻の方が使いやすかったな。それに、ミルトン消毒して使い回ししにくそう。使い回し出来ないと、残りは実費で買うことになるやんか~。そんなんありえへん!!やっぱり、何でも使い慣れた方がいいもんです。そのうち新しいのにも慣れるんやろうけどね。
2004年03月10日
昨日の夕方から、ちなことかーちゃん&ばぁばの3人で、ばぁばのばーちゃん、つまりちなこのひぃばぁばん家へ来ている。目的は、ばぁばのいつもお参りしている観音様のお祭りがあるからだ。観音様は和歌山の白浜にあり、ひぃばぁばん家はそこから少し離れたところにあるので、夕べ来て泊まっていた。朝は、ひぃばぁばが作っている八朔を取りに出かけた。ちなこも木になっている八朔をもぎもぎして嬉しそう。それから大根と人参を抜きに畑へ。うんしょこらしょ、ズボッ!っと、ちなこ初めての経験。どてで、みかん袋を下にひいて草の上を滑ったりもしたよ。ちなこは、もいっかい!もいっかい!と大興奮!!猿や鹿、猪も出たりするんだけど、今回は会えなかったね。昼から目的の観音様へ。夕方3時から餅まきがあるというので人がたくさん集まっていた。3時が近づくと人はドンドン増えていく。そうするうちに3時になり、餅まきは始まった。祠のある岩の上、組まれた櫓の上、2ヶ所で行われた餅まきは、少しでも多く観音様の福を頂こうという人達でもみ合いへし合いになっていた。ちなこも少し離れたところでそれをばぁばと共に見物。ひぃばぁばとかーちゃんは必死で飛んでくるお餅を拾う。けど、鈍くさいかーちゃんは、10個ほどしか拾えませんでした。餅まきが終わりちなこの所へ行くと、「拾ったよ♪」と自慢げにお持ちを2つもった小さな手がありました。どうやら、自分の近くに飛んできたのをばぁばと一緒に拾ったらしい。良かったね。ちなこも餅まきに参加できたね。ひぃばぁばをお家へ送り、その足で私達は一路大阪へ。1泊2日でゆっくりする間もなく、少し強行軍だったかな?と思ったけど、ちなこは疲れた様子も見せず、元気に帰れたので良かったな。今度はもっとゆっくりと行こうね。もっといっぱい、田舎っ子遊びをかーちゃんが教えてあげるよ!
2004年03月07日
久々にパソコンの前に座ってます。みなさん、ご心配おかけしました。かーちゃんはスコブル元気です。ただ、花粉症が本格的に始まってズルズル状態なのですが。。。こないだ頭痛内科へ診察に行ったところ、「典型的な偏頭痛」と診断されました。どうも、頭部の血管が萎縮膨張して起こる病気らしいです。詳しくはこちらをご覧下さい。↓http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/Medical/200210/07-1.html頭痛の発作が治ってしまえば、昨日のは何やったん???!と思うほど普段と何ら変わりないのですが、起こってしまうともう立ち上がることも出来ないです。発作が起こったときに薬で抑えるしかないらしく、予防のため毎日飲み続ける薬もあるらしいですが、それは頻回に起こる患者さん用であり、月一程度でで起こる私のような発作の場合、それは服用しない方が身体のためにも良いでしょうと医者から言われました。そりゃ、薬はなるべく飲みたくないもんね。必要以上には。。。子供がもっと大きくなり、色んな意味で少しでも手がかからないようになれば少しは楽になるかも、とも言われました。夜、吸引で睡眠が十分に取れないこと。色んな意味でまだ気が抜けないこと。そんな事も関係あったのかな?今まで、いや今からも苦痛に思ったことや、ストレスを感じたことは無いと思うんやけど。。。もう、無理の利かない年やってこと???(←まだ早いよね!ね?ね?)でも「片頭痛」と病名が解っただけでも少し安心しました。あとは、このなってしまって治る事のない病気と上手く付き合っていく手段を少しずつ勉強していきます。ご心配おかけしました!&ありがとうございました!
2004年03月03日
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