プロデビュー前のジャイルズ兄弟やフリップ離脱後のリーグ・オブ・ジェントルメン、そしてトニーヘッドに改名後はFleur De Lys(以下FDL)にも加入したりとクリムゾン以前の複雑に絡み合ったボーンマス人脈にちょいちょい名前が出てくるデイブ・アンソニー。
1965年末、ゴードン・ハスケルらとロンドンへ繰り出し自身のバンド、 Dave Anthony's Moodsを組みますが、ハスケルは早々にダウランズのツアーに加わってしまって離脱してしまいました。このダウランズ時代にたくさんのミュージシャンと関わりを持ったハスケルは、ベースの欠けたFDLのオーディションを受け、バンド加入しセカンドシングルのサークルでレコードデビューを果たします。(ハスケルが後の2ndソロでアラン・バリーをギターに起用したのもダウランズで共演してた縁があるのではないかと考えられます。)