ぷろぐれ者がゆく!

ぷろぐれ者がゆく!

PR

Profile

chop100

chop100

Archives

Jul , 2024
Jun , 2024
May , 2024
Apr , 2024
Mar , 2024

Favorite Blog

しびれるプロ野球~… New! ken_wettonさん

ANA ユニフォーム … 誓願2006さん

【重要なお知らせ】I… 楽天ブログスタッフさん

ねこさんのしっぽ ☆ねこさん☆さん
夢を紡ぐ徒然日記 ボナペチさん
sinのプログレ試聴室 sin@横浜さん
英国音楽(60・70年代… ♪Clear Day♪さん
ぱそこん屋 パソコン屋さん
たるにゃん tarunyammさん
みーはーくらぶwonder CHEMISTRYさん

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Nov 16, 2015
XML
前回 に続きキース・ガスター氏が60年代FDLでの活動を振り返ったインタビューからの抜粋です。

「1966年中頃、私とゴードンらは当時のマネージャー、ニッキー・ジェイムズに家賃を借りてバラムに住んでいたのですが、そこに一緒に住んでた太った女の子(訳注、当時自分はジョン・レノンの愛人だと自称していた追っかけで大変ブサイクな人物で有名だったらしい)から逃げ出しました。
(※12/4追記、この当時の二代目FDLマネージャーが前身バンド4HITS&MISS時代の女性ヴォーカリスト、ニッキーだったのには驚きました。下記画像参照、隣はダニー・チャーチル)
Nicky.JPG

 ニッキーはジ・アニマルズとも知り合いでしたし、彼らがアメリカツアーの最中ではありましたが、アニマルズの住んでいたケンジントン、クランリーガ-デンズにある応接間が6つもある大邸宅を世話してくれました。オーナーがリンゴ・スター。

 アニマルズが帰国するとチャス・チャンドラーが少し変わった男を隣の部屋に住まわせました。ある日、その男はゴードンに「ギターショップに連れてってくれないか」と頼みました。そこで私達はチャリングクロスロードやティンパン・アレー等へと彼のギター探しに付き合ったんです。この時ギターを買ったのかどうかまでは覚えてないですね。
jimi&eric.jpg
 2週間後、チャスが『このすげえギタリストのギグにベーシストとドラマーを探してんだ』と言ってたので、丁度お金が無かった私たちにも仕事の機会があるかもとゴードンと話してました。

 その数週間後にはチャスからジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスのギグをクラブに観にくる様、我々は誘われたんです。アレにはぶっ飛ばされましたね。

 ジミはブリンのプレイスタイルが好きだと言ってて、スピークイージーでの我々のギグを観に着てくれて、ステージで40分間我々とジャムをしました。



質問者「ジョン・ブロムリーのアルバムSINGセッションについて思い出はありますか?」 (訳注、発売は1969年だがセッションは68年の年頭からの3ヶ月)

「ポリドールがバックアップしてた様々な作曲家の曲を契約まで持ち込むまでのスタジオバンドとしてたくさん仕事をしてる中で、ジョン・ブロムリーと出会いすぐに打ち解けて親友になりました。彼はとても才能に溢れたソングライターであり、人懐っこい男でした。彼のアルバム『SING』を手伝うよう頼まれた際は是非も無かったです。

 その後は久しく会っていませんでしたが。2009年11月の100クラブでのリユニオンギグの打ち上げパーティで顔を合わせました。」

質問者「あなた方は米国ソウル歌手ドニー・エルバートとどの位レコーディングしましたか?」

「ポリドールから68年出だされたシングルの In Between The Heartaches / Too Far Gone (I'm A Fool)の両面、

 そしてLPで出されたTribute To A Kingというアルバムを彼と一緒に作りました。」

質問者「ゴードン・ハスケルはブッカーT&MGsの様な黒人バンドに指導されたと述べてますが」

「いや、彼らから直接指導されたというわけじゃなく、ドニー・エルバートとの毎日スタジオで過ごした中でゴードンや私は多くを学びました。(訳注、ドニー本人の作品だけではなく、シャロン・タンディ等他のアーチスト作品もドニーのプロデュースで手掛けていた為だと思われる。)

 しかし、その後アトランティックのマネージメントが彼の英国での活動を終わらせてしまった為、私達は非常に落胆してしまいました。」

質問者「ルパーツピープルでシングルが出てしまったのはクリス・アンドリュースのせいでしょうか?」

「クリスは当時我々FDLの看板メインポ-カルでした。このシングルをFDL名義にして欲しくなかったのでEMIに伝えました。ルパートと言うのはゴードンを呼ぶ時に私が使ってたあだ名なんですw クリスの為に他の三人を集めてルパーツ・ピープルというグループを作ったという訳です。」



「Stop crossing the bridge、I forgive you、Two can make it togetherとかたくさんあるけどね。


 私自身が特に気に入ってるのはBrick by brick。」


質問者「FDLは結局何時解散したのでしょうか?」

「シャロンとトニー・ヘッド名義で出したシングルTwo can make it togetherがチャートに入り、1969年5月トップ・オブ・ザ・ポップスに出演した時期、ブリンとシャロンの長い交際関係が終わりを迎えていたというのがあります。シャロンの薬物服用が余りに多く、その後の計画が立たなくなっていたのです。彼女無しでライブ活動するに至り、バンド内部にも摩擦が生じてしまいました。彼女に余りにもプレッシャーを負わせ過ぎた我々の責任なんです。



 一年前に抜けたゴードンに続いてブリンまでも。二人の大事な友人を失い私は荒んでしまったのでした。グレアム・メイトランドがその後加入しましたが、何もかも上手く行かなくなりました。」

質問者「あなたが好きなFDLのラインナップは?」

「セカンドシングルのサークルを出した時期は素晴らしかったですね。あと、ルパーツ・ピープルの茶番劇の後、ブリンとゴードンと私の三人だけになった時も好きでした。」
Brynfzikazj.jpg

======
以上。

 毎度毎度のなんちゃって意訳ですが、わかりうるバンドの活動の背景をガスター氏ご本人が丁寧に解説する内容がとても貴重でしたので掲載いたしました。原文中ではドニー・エルバートとのセッション作品は無くしてしまい長年聞いてないような件もあったのですが、昨年ハスケル氏にアルバムを贈った所ガスター氏宅で一緒に聞いたよとお便りを頂いたので久々に耳にされたのではないかと思います。謎が多いFleur De Lysという英国初のアトランティック契約アーチストでもあった彼ら。その歴史の一部が少しでも読み取れて面白いと感じました。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Dec 4, 2015 08:54:34 PMコメント(0) | コメントを書く
[キングクリムゾンメンバーズワーク] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Comments

誓願2006 @ Re:ELP写真集10月末発売!(08/01) 情報ありがとうございます。 おかげさまで…
chop100 @ Re:先週土曜日に退院できましたので(05/13) 誓願2006 さん ありがとうございます。 ま…
誓願2006 @ Re:先週土曜日に退院できましたので(05/13) ご無沙汰いたしております。 退院なさって…
chop100 @ Re[1]:150万アクセスありがとうございます♪(01/23) Midge大佐さんへ ありがとうございます。…
Midge大佐 @ Re:150万アクセスありがとうございます♪(01/23) おめでとうございます! これからも楽しみ…
chop100 @ Re:70年代にゴードン・ハスケルは来日してた?(02/16) 追加情報 1977年のJOE来日については日本…
chop100 @ Re[1]:しばらくおやすみをいただきます(10/15) Midge大佐さんへ ありがとうございます。…
Midge大佐 @ Re:しばらくおやすみをいただきます(10/15) ご無沙汰しております。 被害に合われたと…
chop100 @ Re:The Martyn Ford Orchestra - Smoovin (1976)(11/29) 2017年の事、マーティン・フォード氏と少…
chop100 @ Re[1]:プログレ女子4コマ その205(04/02) Midge大佐さんへ うちも家宝ですw

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: