ビルはバンドに完璧なウリを見出そうと、バンドが実験性に傾倒していくのを助けた。ジェームズ・ブラウンの「アイ・フィール・グッド」に心酔したマイケルが書き上げたA面曲「キック・ザ・ドンキー(いかしたブリットポップ?)」の全体にソウル風味をドロリと塗したり、B面曲では趣を変えケイジャン風味を全体に施した。 Nightmares In Redはピーターが書いた曲で初めてレコード盤になったものだが、とても奇妙で不気味さを感じさせる。単純なピアノのコードに導かれ、「僕は目を閉じ、瞼の裏で探している。」と冒頭の歌詞が始まり、以下、間の抜けた声とディズニーのダンボから引用したカラス風のコーラスに、ビル・ル・セージ自身が鼻でいびきを鳴らし、そこへバンドの含み笑いや馬鹿笑いが混じってくる。決して十全な出来ではないが、いくつかの可能性を示していた。
言うまでもなく、Kick The Donkeyは、テレビ番組Juke Box Juryで何の賞賛も得られず、エアプレイの機会も失われ、初っ端からバンドは挫折する羽目となった。
ザ・ブレインはいずれ近い将来リリース出来る様にさらに4曲制作した。Nobody Knows The Game(いくつかイイハモニーもあるが、取るに足らないポップソング)、ボブ・ディラン楽曲Most Likely You Go YourWayのひらめきを感じさせるヴァージョン、それと二つのオリジナル曲であるOne In A MillionとMurder。