亡くなったゴードン・ハスケルがバンド活動を始めたのは1961年のロバート・フリップらとのレイヴンズでしたが、その系統のザ・リーグ・オブ・ジェントルメンが1965年夏、フリップが学業のために脱退し、メンバー補充のかいもなく秋には解散してしまいました。ハスケルは病院で働いてた母の願いで、正業に就くために警察に就職しますが、3日と持たずに辞めてしまいました。 その後、かってジャイルズ兄弟もバックバンドにいた「ダウランズ」にツアーメンバーとして加入しロードに出ていた際、見に来ていた観客から「The Fleur De Lysからベースが抜けてメンバー探してるよ」と聞き、すぐに出向き後釜の座を得ました。1965年の年末のことだったそうです。