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2016.04.16
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カテゴリ: 音楽全般
2冊目のGrumpyではお父さんが亡くなった詳しい経緯とか自分の病気の話とか、シリアスなエピソードもあって、やっと真面目な彼の一面を知ることができると思っていたのに、初めての手術前に自分で剃毛することになったら、突然“he”が出て来て、え、このheは誰?ナースは美人だって書いてたのにと思ったらリックってば自分の分身と脳内で会話してた(爆)。もおおリック~~中学生レベルの内容だよwリックかわいいよリック。

というわけで、前回も少し書いたけど、リックの70年代のアルバムを聴き始める。ウェイクマンファンの多くが、この時代が最も充実していたと語るし、その後の粗製乱造ぶりを見ると、創作意欲も発想力もこの時期がピークだったろうと私も思う。とりあえず文芸三部作は手元にあるので、それ以降のものを3作品聞いた。

リックはこの時期、お酒と煙草をガソリンにしていて、それで現在まで飯のタネになってる作品をつくった。でも85年頃、体を壊してから辞めてしまったのでガソリンが足りなくなったことに加え、80年代はプログレ衰退で、コンサートやライブをやってもお客がこなくて大変だったようだ。つまり収入が途絶えがちになる。今は余裕でベタなバラエティ番組とかテレビでも大活躍だけど、この時代はまだロックミュージシャンとしての自負もあっただろう。でも基本的にこの人は奥さんと別れるたびに家ごと置いて出て来るので、その時点で文無しだと思う。それでもいいといってくれる女性が次々現れるところがすごいんだけど、仕事人間なので、やりっぱなしみたいな散漫なアルバムを大量に制作しつつ、仕事があるところへはどこへでも出かけていく。その結果が150枚近い(今はもう超えているかも)アルバムにつながる(ライブも多い)。

えーっと、70年代の文芸もの以外のアルバムは邦題がさっぱり覚えられないので、原題で通す。
・No earthy connection(録音:’76.1-3、リリース76.4)
・White Rock(録音:76.7、リリース77.1.21)
・Criminal Record(録音:77.4-6、リリース'77.11.1)

70年代の開発途上にあるシンセのピロピロ音源があったからこそ、その後のテクノがあるわけで、存在は否定はしないが、私自身は電子音だけの音楽はどうも受け付けない(それでも中学当時、リリースされたばかりの富田勲のアルバムには夢中になった)。まあ音楽成分の8割がクラシックでできているから人工的に増幅されたり作りだされた音はもともとダメなんだ。むしろプログレを受け入れられている自分に驚いているぐらいだ。
でね、No earthy~はリックのロックなテイストが強調されていて、地底探検とアーサーのようにロック隊とロックヴォーカルがまざってた。ん~リックらしいクラシカルな旋律とロック隊が合わないよ。



サウンドトラックということは完全に委嘱作だよね。76年インスブルックオリンピック(オーストリー)。
フランシス・レイの「白い恋人たち」は68年グルノーヴるオリンピックか・・・。68年、72年は音楽の記憶も映像の記憶も、えらい大昔という気がするのに、ホワイトロックを聴いたら結構新しい感じがする。音は昔のシンセの音なんだけど、なんつうか音楽がロックテイストで若い。リック25歳くらいの作品だもんね。若々しいはずだわ。国家的・国際的行事の記録映画サウンドトラックなんて、普通大御所に委嘱しそうだけど、考えたら選手たちの年齢と近い若者に委嘱するほうが、選手の気持ちに沿った内容のも のができるからいいのかもしれない。それまでが大仰なオーケストラ音楽主流だったから、当時はさぞや軽快で刺激的な音楽にうつったことだろう。

Criminalはクリスやアランが参加していたり、シンセありアコピありオルガンありコーラスありロックヴォーカルありとにぎやかだけど、コン セプトアルバムという割には、元ネタを知らないと散漫な印象を受ける。これも私はもう聞かないかもしれない。


■経済状況を推測してみる
ホワイトロックの録音は76年7月とある。74年5月にイエスを辞めて(正式発表は6月)、その翌日だかに地底探検がチャート1位になって得意満面のリックは、一層ソロに力を入れていくことになる。レコードの印税すべてをぶっこんでも足が出るような、気の遠くなるような大掛かりなコンサートの計画。ここが何事もexcessなリックの面目躍如というか、止めても無視して進めるところがさすがだなー。
本にも当時の様子がリアルに再現されていた。アーサー王on iceの時のこと(75年)。
「リック、その会場はその時期は使えない。アイススケートリンクになっていてアイスショーをやっている」
「だったらスケータを雇って、氷の上でコンサートをやろう!」
「は?」と周囲は理解を示さない。普通そうだよなー。どうしてそういう発想になるかな? 予算が…とか考えていたら、絶対に思いつかない。人並みはずれた人の発想だよね。周囲からはすごい勢いで止められたけど、どこ吹く風である。さすがリックさま。アーサー王は日本にも来ていたらしいが、オケとコーラス雇ったら日本でのギャラなんて ふっとんじゃったんじゃないのかなあ。

で、76年ころというと、地底探検とアーサーの金のかかったコンサートのツケが回ってきて、首がまわらなかった頃だと思う。たしか家も抵当に入っていて破産している。究極のレコーディングに参加(同年秋)したのも「楽して金がもらえる」からだし(ユニオンのドキュメンタリー)、毎年1枚ソロアルバム作るのにも疲れて来てて、またバンドでツアーに行くのもいいかと思っていたかもしれない。
私生活では、ほとんど家に戻らず、オリヴァー、アダムの母親とは関係が終わっていた頃。ロズとの正式離婚は80年。家を出たリックはスイスに移住。移住中に父が心臓発作で亡くなっている。


30代になったリックはエンタテイメントの分野でアレンジャーやなんかで生きていくことも可能だったと思う。でも彼はロックにこだわった。自らのバンド、イングリッシュ・ロック・アンサンブルを率いて、世界中でドサ周りをしていたんである。その頃の悲喜こもごものエピソードは彼の2冊目のGrumpy~に詳しい。
80年代前半には、それまでのでたらめな飲酒生活から肝硬変になり、余命半年と告げられている。そして35歳の時に、完全断酒に成功。
そういえば、80年代は89年にABWHで結集するまで、イエスとのかかわりはない。イエスはイエスで、バブルスイエスがアルバム1枚で終わっ て、トレバ―・ラビンが加入し、ポップに変身して最大のヒットを生むものの、「これでいいのかイエス」と世界中から突っ込まれて(推測)方向が見えなくなっていた頃だ。そしてこの時代、イエスを問わず今見ると恥ずかしいPVが大量につくられる。まるでリックのアルバムのように。

90年代は、ABWH~ユニオン、Keys to~で、リックは都合3年くらいイエスに関わった。しかしもちろん、「こわれもの」や「危機」のような作品が生まれるはずもない。それどころか、ユニオンあたりですっかりやる気をなくし、自分のパートまで差し替えられたnot union butonionまでできてしまう。また往時のような作品を生み出す推進力はもう残っていなかった(リックがどこまで作曲に関わったかはわからないけれど、それでも「閃光」は時代に合ったちょっとチャラいプログレだったと思う)。
このころリックの私生活は84年に結婚したニナとの関係が安定。するとまた過去の作品をほじくり返し完全版を作ったり、コンサートを計画したりし 始める。なので、同窓会的なKeys to~の成功で復活を果たしたイエスの97年以降のツアーには参加を拒否。マネジメント(つまり金問題)がイエスはグズグズだからという理由もあったらし い。もちろんメンバーからは「リックまたかよ、いいかげんにしろよ」とハブられる。しかし自分のソロの予定が優先されるのは当然だろう。

でもまた彼に転機が訪れる。99年に一時は命まで脅かされる重病にかかる。献身的に看病してくれたはずだったニナとの関係が冷めていき、彼は有名 なスタジオももっていたマン島を後にする。
病気のためにキャンセルしたツアーなどもあり、ミレニアム~2002年頃のリックはかなり経済的に苦しかったはずだ。

■キーボードの進化と二人の貢献
えー、リックの初期のアルバムについてだった。
電子音楽とロックの出会いって60年代後半のサイケデリックロックの時代に、ハモンドオルガンやメロトロンが多用されたことから始まるんだろうけど、その後モーグ、シンセの時代になって(70年代)、シンセはさらにアナログ時代からデジタルへと変貌を遂げた(らしい)。

コンピュータテクノロジーと音楽が合体して、サンプリングだの打ち込みが登場し、楽器が弾けなくても、楽譜が読めなくても、もっとすごいのはパソコン一台で音楽が作れる時代になった。それが80年代後半くらいからかな。イエスのアルバムもトラックダウンを「マック一台でつくっちゃったぜ」と言った人がいたけど(誰とはいわないがかつてイエスに在籍していたマルチな人)、私的にはどんなに金がかかろうと、「生オケとコーラスも使いたい」「オーケストラにロックンロールを合わせたい」と人の力を信じるリックのやり方のほうが、音楽が生き残るためには好ましい方向性だと思う。思い通りにならないもの(他人)に敢えて信頼を託すってコミュニケーションの基本じゃん!とか思う。人を信じないで機械でつくった音楽はやっぱり伝わってこない(古い人間だからね)。
もちろん便利なテクノロジーは最大限に利用すべきだし、昔はスタジオに行って切ったりはったりしないとできなかったのが、遠くに住んでいてもデー タで送ってミックスダウン、みたいなことができるのはすごい時代だと思う。けど、みんなでつくる音楽って、そうじゃないような気がするよ。
こんなにテクノロジーが進んでも、クラシック音楽が衰退しないのも、音楽の可能性は本来テクノロジーの影響を受けない、というところにあると思う。

そういえばリックの本を読んでいたら、「ムーグ博士にコルグの創業者加藤さんを紹介できたことは存外の喜び」と2人ともが鬼籍に入ったからこその述懐があってしんみり。加藤会長とは親しかったようで、リックはコルグの開発のために何度か日本に来ているし、コルグUKのサイトには一般ユーザー向けデジピのデモ映像なんてものもあった。これ欲しい(笑)。たしかキース・エマーソンも加藤会長とは親しく、デモ用に「Katoh-san」なる曲まで書いているらしい。二人ともコルグとエンドースメント契約結んでいたと思うけど、同じロックキーボーディストでありながら、まったく方向性の異なる二人に協力してもらっていたというのはすごい武器になったと思う。
それにしてもLP-380、安くて多機能だな。コーラスやストリングスにピアノやギター音を混ぜる機能は欲しいなあ。一人フルオケ付きリサイタルができる。あとはタッチが好みかどうか だけど・・・。

電子音楽の発展は、そのまま楽器の進化とシンクロするから、メーカーの開発に貢献している2人は称えられるべきだと思う(一人は過去形にしないといけないのが悲しい)。ただしリックはエレクトロニクスには実は弱くて、アメリカのファンが、シンセの構造やら構成についていろいろ聞いてくるけど「ぶっちゃけ、俺よく知らないんだよな」みたいなことを書いていた。よくリックは音選びのセンスが悪いとかかかれているけど、そもそも自分でつくろうという気がないんだと思う。ほぼプリセットのまま(笑)。





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Last updated  2016.04.18 07:21:58
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