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今まで、発霊をするときに魂とのシンクロを意識していましたが、具体的に「魂のお部屋」は何も無い空間のみをイメージして、部屋らしい部屋のイメージが出来ていないまま寝る直前の状態に意識をもっていくようにしていました。夢か現か、いろいろな考えや映像が写っては消え。。。。を繰り返していたのですが、殆ど夢に近い。。。というか寝てるのかも。そこで、具体的にお部屋をきっちりとイメージして見ることにしました。ちゃんとイメージできるまで結構時間がかかったのですが何とか具体的なイメージのつく、プラネタリウムのような部屋が出来上がりました。それをイメージするので昨日は精一杯で終わってしまいました。今までの日記でもそうなのですが、私は何かと考えすぎる傾向があるようです。考え過ぎるのは良くないし、自分でもあまり気分のいいことではないときもあるのですが、どうしてもそれが悪いことだと思えない部分がありました。なんでだろう。。。。と考えてみたところ、一遍の言葉を思い出したのです。「力を尽して狭き門より入れ。 滅びにいたる門は大きく、 その路は広く、 之より入る者おおし。 生命にいたる門は狭く、 その路は細く、 之を見いだす者すくなし。 ――ルカ伝第13章24節」私の父は本を読むのがとても好きで家にはたくさんの本がありました。前にも坂口安吾の話を書いたかと思うのですが、この一節も叱られるときよく引用されました。父はジッドの「狭き門」から取ってきたようですが・・・つまり、楽しい方へ楽しい方へと流されてしまうと結局は何も出来ず「人」としてどうしようもない人間になってしまう。だから敢えて自分を高めるためには狭き門を見出しそれを選び、広い門から入ったのではするはずのない苦労を甘受しなさい。。。。というのがお説教の趣旨でした。上記の引用のせいだけではないですが私の中に『苦労しないと自分を高めることが出来ない』=『ただしいことは苦労するものだ』という図式が無意識の中で出来上がってしまったようです。無意識とはいえ、今でも何か選択するときには「これは狭き門に続いているのか?」と自問自答することがあります。ですから、楽な方・心地の良い方へ流される自分に罪悪感を感じ、自分を律したいと思うのかも知れません。ただ、私の惰性は本当に地の底まで落ちることが出来るくらいだと思うので、ある程度の規律は自分の中に設けなければなりませんが、これが過度になってはいけない気がしましたというか、何が怠惰なのか・なにが快楽なのか、どれが闇でどれが光なのかの判別がついていなかったのだと思います。この一節を改めて眺めてみると今までと違うイメージがありました。この『滅びにいたる門』とは、快楽や怠惰などのいわゆる大罪を指しているのでしょうが、『生命にいたる門』が狭いというのは必ずしも苦労しなければ見出せないものなのではなく、必死に目を凝らして探そうとしていないと見落としてしまうということのような気がしました。第三の目がちゃんと開いていないので、私はちゃんとまだ見えるはずのものが見えているとわからないのですが、その目で見よう、探そうとすると見出せるもののような気がしました。(そのためには第三の目を開くために浄化や発霊が不可欠ですが。)また、『狭き門』を見出すために、また、その狭い道を通るために本来『生きる』という行為が持っている喜び、楽しみを犠牲にしてストイックにならないと通ることが出来ないものでもない気がしてきました。『生きる』ということの喜びを享受しながら一歩一歩を着実に歩んでいくことこそ、今の私で言うところの「魂」と「神秘」に近づく最短の道なのだと思いました。
2006.01.31
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新月になってから8時間以内に願い事を書いてそれを箱に入れていると願い事が実現するという記事がいくつかのブログに書いてあったので、実践してみました。私の場合、新月にお願いするだけでなく、レイキボックスとして作りました。家族のことを思い浮かべながら願い事を一枚ずつ書いていき、レイキをかけていきました。でも、私はどういうわけか完了形の文章を書きづらかったので、現在形で願い事を書きました。今、この本を遅ればせながら読んでいるのですが、これを読んでみてアファーメーションがなぜ有効なのか、なんとなく理解できた気がします。といってもまたほんの最初の部分しか読んでいないのですが。もし、この本が言うとおり、人間が神の一部であり、神の持つ創造力も本来持っているのであれば、無意識に封印しているその創造力をアファーメーションによって呼び覚ますだけのことなのではないかと思います。ただ、この本を読んでいてとても怖さ、寂しさを感じました。それは、もし、人間が神と同様の創造力をもって、魂の目的である「体験する」ことを実践しようとしているならば、その目的達成のために自分の世界を創造しているのではないか。。。。ということです。すなわち、自分が他者と交わっていると感じている、その他者さえも自分自身の創造した世界の産物だったら?他者の魂がそこにあると思い込んでいるだけで、その幻影をただ追いかけているだけだったとしたら?自分の今、経験していることが、他の魂と交わることなく、己の作った箱庭のなかだけでの『体験』ではないと、どうやっていいきれるのでしょう。アファーメーションの実現によって様々な影響が世界に出てくるはずです。たとえば,「ある人(夫)がお金持ちになる」このアファーメーションの実現によってアファーメーションする以前の状態に影響が出てくるのです。夫がお金持ちになることにより当然妻や子供の経済状態にも影響が出てきます。ひいてはその夫の両親、仕事で出会う人間、様々な人に影響が出てくるのです。ですが、アファーメーションはそれをただ単に潜在意識に宣言することにより実現させます。本当にこの世にある人間の数分魂があるのだとすると一つのアファーメーションによって無数の魂が影響を受けるのです。『経験』という目的は同じでも経験したいことは複数の魂があればその数分異なっています。自分の作った箱庭の世界の中の自分の作った登場人物なら、『夫の魂に経験をさせる』という目的の元に生まれた幻影なのですから、問題は無いと思いますが、全く別の魂があるのだとしたら、どうなのだろう?私が恐れているのは、この自分の魂が見ている世界全ては自分の中で作り上げたもので、本当は全く他者の魂とは触れ合っていない、完全なる孤独の中で『体験』しようと自分だけが存在する世界であがいていることです。他者の魂は私の世界と交わることなく、また別の世界を構築し、その中で体験を繰り返し、魂の目的を達していく・・・昔、ドラえもんの噂話に「ドラえもんの話は実は植物人間状態になったのび太くんが夢の中のお話で、のび太くんの死と共にドラえもんがおわる」などといういやーーーーーーな話を聞いたことがありました。まさに自身が魂のレベルでそののび太くんと同じなのではないかという感覚がとても孤独で寂しいのです。世界からはなれて己の魂を俯瞰すると、実際には自分以外の魂があるかないか、確認すら出来ずに『無』の中にただぽつんと一つ漂っているだけ・・・・逆をいえば、もちろん、他者の魂がそこに無いとは言い切れません。人間ごとに分割されていても、魂の大元は一つのものであるため、一つの魂の望みは全ての魂の望みと同じだから実現するともいえると思います。魂の大元が一つだったときに作り上げたこの世界の中で、複数に分割された魂がそれぞれが経験するために、また、互いの魂が経験するために『生きる』ということを繰り返している。。。。魂は一つだけで経験するために自分の作った幻影を見ながら生きている・・・魂は分割された他者とともに経験という目的をもって生きている・・・どちらが正しいとか正しくないとかという判別は出来ないかと思います。が、私自身は後者の考え方をしたほうが、毎日が暖かい気持ちで過ごせるような気がするので、堂堂巡りをした結果、そう考えていきたいと思いました。
2006.01.30
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とうとう浄化期間が二桁になりました。ちょうど折り返し地点です。レイキの浄化は私の場合、特に感情のほうに強く出ているのですがバッチフラワーレメディは体の方に浄化作用が強く出ています。とにかく眠くてしょうがない感じでした。レイキもフラワーレメディをとった後に自己ヒーリングをしたせいで途中で寝てしまいました。もう少し事故ヒーリングをやっていても寝ずにいられる体勢で行うように注意しないといけないと思いました。(昨日日記が書けなかったので思い出した分のみ記録しています)
2006.01.29
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この前のお話を受けて、とりあえず気になっているところの掃除をしてみました。「怠惰が闇」これは本当に私には強烈なおまじないのように効いています。ある程度、「今日はうごいたな~」という実感があると発霊や、寝る前に行っている自己ヒーリングがより心地よく出来るような気がしています。気のせいかもしれませんが。一日の発霊やヒーリングの密度を濃くすることが出来るようで得した気がします。ただ、私はどうもグラウンディングが得意じゃないようです。どうしても上の方に意識が言ってしまい、地球と結びつく感じを上手く体感できていません。発霊のときに、もう少しグラウンディングを実感できるまで時間を咲く必要がある気がしてきました。(週末に日記が書けなかったので覚えている分のみ記録しています。)
2006.01.28
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昨日は発霊をやった後、自己ヒーリングを行ったのですが、ベッドの中でヒーリングしていたため、いつのまにか寝てしまっていました。私自身、感情の浄化はある程度、初めてレイキをしていただいた時にだいぶ出来たんではないかと思っていたのですが、甘かった。思いもかけないところからいろいろと出てくるものですね。でも前に比べてほんの少しずつですが楽になってきている気がします。昨日のナップルさんのコメント『怠惰』が闇であるというお話はとても身につまされました。元来物凄い怠け者の私はやっぱり本質的に闇に近いのかなぁ…と思います。近いというより闇に埋もれているといったところでしょうか。努力の継続などからずーっと逃げてきた結果、今があると思うので。闇というと負の感情、嫉妬や怒り、絶望などを考えていましたが、『怠惰』が含まれているとは全く気が付きませんでした。どちらかというと『怠惰』は絶望の結果、あきらめの結果だと思っていたのでそこが闇と間接的には関与しているものの、直接闇に結びつくものとは思っていませんでした。その全く逆で『怠惰』に陥ることで絶望したり、あきらめたりするのかもしれません。まずは絶対評価を自分自身に築き上げることが大事だと思っていたのですが、『怠惰』は私の中での観点から抜けていました。でも、絶対評価を持とうとする中で確かに『怠惰』は足かせになってしまいますし、何よりもまず一番先に捨てなければいけないものだったと気が付きました。でも今まで『怠惰』で埋め尽くされていたとしても、今この瞬間から切り替えて、捨てる作業に勤しめばいいことだと思います。ただ、本当に心底怠け者なので、怠けないことを習慣付けるまでが辛いだろうなぁ…今まで『怠惰』であることに目をつぶって、『怠惰』を捨てるという覚悟をしていなかったので「どんなに辛いことだろう・・・」とちょっと腰が引けています。昔、若いころジャズダンスをやっていた時期があったのですが、そこで正しい姿勢で立つ練習をたくさんしました。背骨をまっすぐにすることを習慣付けると今度は猫背になるのが辛く感じてしまったのがとても驚きでした。確かに最初のうちは背中は筋肉痛になったり、長時間正しい姿勢をキープするのが辛かったりしたけど、「上手く踊りたい!!」という一心で、電車に乗っているとき、座っているとき、家でテレビを見ているときふと思い出したときに気をつけるようにしていると、案外無意識に出来るようになってくるんだな~と感じたのを覚えています。結局、怠惰な自分を律するのも結局は習慣付ければいいだけなのかなと思います。その辛い思いをするのに二の足を踏んでしまうけど、一度習慣付けてしまえばこっちのもの。きっと怠惰な日常を過ごすことが苦痛になるに違いない。。。。と自分に言い聞かせています。。。。。アフォーメーションって習慣付けのためにもあるのかな?これは私の怠け者癖だけでなく、他のこと全般にも言える気がしています。物事をとても悪く考えたり、批判的になったり。思考の癖も結局は習慣付けでどうにでもなるのかなぁ。。。。私も割と物事の最悪の事態を想定して動くことが多いです。(仕事柄必要だったりしているので)特に仕事に関しては必ずBプランを即座に出せるようにしています。そのため、自分に対しても最悪の事態を想定してそうならないためにどう動くか、また実際最悪の事態になったときにどう動くか、それを中心に考えてしまいます。これって、自分を信じる、ハイヤーセルフとシンクロするにはものすごい障害になっている気がしてきました。もともとものすごいオプティミストだったので、最悪を想定すること自体すごく辛かったです。社会人になりたてのころは大変でしたが、今では習慣付いてしまい、全く苦になりません。でも実生活と仕事とはきちんと切り分けて、思考方法を変えていかなければいけないと感じています。一度に全部正そうとしてもあまりの重荷にまた逃げたくなるかもしれません。そうするとまた『怠惰』に飲み込まれるだけなので、とりあえず、毎日の生活で「今日はやらなくていいや」と思ったことを一つでもいいから無理矢理実践してみようと思います。
2006.01.27
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今日書いた日記のコメントについて、さらに考えてみたところをコメントの返信には書ききれないので自分の記録用としてまとめました。どんな人間、連続殺人犯でも強盗でも神父さんでもお坊さんでもOLさんでも社長さんでも小学生でもニートさんでも、その人がどのような仕事をしているか、どのように生きているかに関わらず最低限の「良心(光)」というものが、人間の形をして生まれた以上、備わっていると思います。ただ、それにどれだけ従うか否かの問題です。私が夢の中で見ていた世界はもちろん「良心」もありました。実践している人もいました。修道院の尼さんが浮浪者のためにご飯の炊き出しをしていました。独りっきりで。炊き出しを終わった後の片付けているところを通りかかったのですが尼さんはくたくたに疲れ果てていました。だけどその傍を行き交う人は皆「無関心」。私自身とて例外ではなく手伝おうとはしてませんでした。むしろその姿を見て思ったのは「慈善事業も称えられるところはほんのわずかで、残りの大半は厳しい作業だけが残る現実がある」ということでした。いつもいつも脚光を浴びるわけじゃないし、感謝もされない仕事が大半を占めているのでは?炊き出しの準備をし、運搬し、食い散らかされた後を片付ける…人に尽くしたいと行動したときに感謝されることを望んでしまってはただの偽善事業になってしまうのです。「私に慈善事業は無理だ」 夢の中の私はそう思っていました。今日の日記にも書いたのですが、その闇の世界で生活する私自身は、全く「闇に染まった」とか「邪悪な生きかただ」とか言う自覚はありませんでした。現実に生きているよりもほんのちょっぴりだけいらいらしやすくなっているかな~位。感情全体を10とすると良心4.5対そうでないもの5.5くらいの割合です。本当にちょっとしたものでした。ちょっと体調が悪かったり嫌なことがあったときに落ち込んだり怒ったり嫌な気分になる、ほんとにそんな程度でした。「周りが全部そうだからいいや」とか「自分はコレで不満が無いからいいや」とかそういうちょっとした気持ちが積もり積もると、社会全体に蔓延して、蔓延したその大きなうねりが「闇」として形成されるのかもしれません。個人の責任は本当に小さなものなのです。だけれどもほんの少しだけ、傾いたものがどんどん社会に属する人間の数分溜まっていくと、あの汚い薄汚れた世界が広がることになるのかも。「闇」ってそれだけそばにあって、お風呂場のカビのようにほんのちょっと気をつけてないと出てきてしまうものかもしれません。また、闇の胞子もカビの胞子と同様、常日頃無意識に空気と一緒に吸い込んでいるくらい身近なものなのだと思うのです。そうすると、逆に言えばみんな良心をほんのすこしだけ、5あるべきところを5.5にするだけで全然違う世界が広がるのかもしれません。実際にはどのくらい美しいのか、想像つきませんが。ライトワーカーさんとかヒーラーさんとかそういう言葉を最近はよく耳にしますがその人たちの使命は光(良心)のバランスをほんのちょっとでもいいから中心に近づける、できることならば多い方に傾けるということなのかもしれませんね。夢の中に出てきた尼さんのやっていたことだけを慈善事業だと思っていたので私がそれをやろうとするとどうしても偽善事業になってしまうから手を出せないと思っていました。ですが、ほんのちょっとバランスを変える手伝いをするだけで役に立てるのかもしれないと思うと、私の伝授していただいたレイキが活かせるかせるかもしれないと少し希望が湧いてきました。
2006.01.26
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ずっと伝授を受けてから気になっていたことがあります。初めてレイキマスターさんにレイキを流していただいて、ガイドさんからのメッセージを伝えていただいたときにはいろいろと思い出してしまい、感情の波が押し寄せてきた感じでした。ですが、それも今はだいぶ落ち着いています。伝授を受けてからとてもさわやかに目がさめるし、発霊しても流してみても心地いいのですが、如何せん、夢見がものすごく悪くなりました。夢の中では自分自身の感情はたいして今生活しているときとさほど変わらないのです。特にいい人になっているわけでもなく、特にものすごく邪悪になっているわけでもなく。強いて言えばちょっと嫌な部分がでているかしら・・・ぐらい。だけど、その夢で見る環境があまりにも劣悪・・・というか不潔。今のところニオイを感じることはないのですが、たぶんニオイを感じたらあまりのショックで目がさめるくらいだと思います。新橋のガード下のお店の裏口やそのお店の換気扇の傍みたいなところばっかり。もしくは、アジアの地元の方々が利用する、旅行者があまり行かないようなファーストフード店のトイレとか。ふるーい地下鉄の駅とか。瓦礫の山だったり。『世界の汚い場所博覧会』が開けそうなくらいバッチイところばかりです。当然、出てくる人たちもまぁあまり裕福ではない人たちばかりです。宿無しさんだったり、働いていても全然収入にならなかったり。私もその一員で普通に仕事したりして生活しています。でも、そのこと自体は全く苦にはなっていません。だって周りが皆そうですし。ただいつも「あーあ、汚いなぁ…なんでここまで掃除しないでほっといちゃったんだろう…」と思っているだけです。「じゃあ私が少しでも掃除してあげよう!」などと思える状態じゃないです。チラッと見ただけでもうこれは手の施しようの無い汚さだとわかるくらいなので。それに自分の家じゃくて公共の場所だったりしているのでそんなことに手を出す義務も無いし…などと夢の中で感じています。その夢の中では、私自身が親を無くした男の子だったり、なにか今の仕事以外のことを仕事として走り回っていたりしています。でも別に夢の中でそれもなんとも思っていません。ただ、「汚いなぁ…」だけ。目がさめて家の天井を見て「なーんてきれいなところなんだろう。。。。」と思ってしまう始末です。ずーっとこんな感じの夢ばかりなので、眠るのが怖いというのはないんですが、朝のさわやかな日差しでスッキリした体調とあまりにもマッチしない映像を直前まで見つづけているため、「ちょっといいかげんにしてくださいよ!」と誰か(といっても他ならぬ自分自身ですが)に言いたくなっています(五戒に反していますね…)。最初は「伝授で緊張したせいかな~」とか「まあこんな夢を見るときもあるさ」くらいに気にしてなかったんですが、こうも毎日続いてくるとちょっと…。気持ちのいい目覚めを早く体感したいです。それとも、夢の中で腹をくくって、デッキブラシとバケツで掃除し始めたらちょっとはよくなるのかなぁ。。。。
2006.01.26
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昨日はばたばたしてしまって発霊のみになってしまいました。今回は発霊についてではなく、実生活で使っているレイキについて書いてみます。ペットに上げる水は普通のものなので、第一シンボルをかけてから与えるようにしています。というのも、初めてアチューメントしていただいた後、自分ではじめて実践してみたのがお茶にレイキをかけてみたことでした。なんとなく渋みがなくなった気がしました。一番最初に私の中で現実的に効果が実感できたので、飲みものにレイキをかけるのは一番やりやすい気がしていました。それ以来ネコの水を替えるたびに第一シンボルをかけて「ネコが飲みやすくなる」とアフォーメントするようにしていました。気のせいかもしれませんが、水の減り方が早い気もします。ネコは病気にならないためにも多く水を飲ませる必要があるのでこれはとてもいい活用法だと思っています。レイキはネコ本体にも効くらしいので、ネコにもやってみようと手を当ててみるのですが逃げられます。。。。なんで???レイキを手に感じると必ずすっと身をよじって逃げます。普段はいつも膝に乗りたがるのに。いろいろなHPを見ていると、「レイキは動物も気持ちいいらしく、ずーーーっとじっとしている」とか「他の家族よりもレイキをあてる自分に一番慣れてきました」とか、喜ぶようなことが書いてあるんですが・・・ネコを病院に連れて行く前などにはバッチフラワーレメディの『レスキューレメディ』を飲ませたのですが、あまり興奮せずにぐっすり寝てくれたりしていました。だから決してうちのネコが特に鈍感なわけじゃないと思うのですが、あからさまに毎回逃げられると結構悲しいです。第1シンボルだけだと強すぎるのかな~と思ったので第2シンボル⇒第1シンボルとかけてみているのですがやっぱり逃げられてしまいます。なんとなく私の様子がちょっと違うし、いつものように撫でてないから居心地悪くて逃げてしまうのかもしれませんが・・・
2006.01.25
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家族がどうもおなかの調子が良くないらしく、万が一好転反応かもしれないので昨日は発霊&自己ヒーリングのみで、家族への遠隔はやめておきました。日を追うごとに、自己ヒーリングの手順も頭に入ってきてだいぶ以前よりはスムーズに手を移動させられるようになってきました。ですが自己ヒーリングを行う際にレイキのCDをかけながらやっているのですが、其れは3分毎に曲が変わるだけでチャイム等が入っていないので、音楽が終わるかどうかを気にしてしまっている部分があります。なんとなく、発霊は気が済むまでひざの上に手を置いたり合わせたりできるのですが、自己ヒーリングは全体の時間がかかる分、どうしても一回一回の時間が気になってしまいました。昨日はその前の日と違ってちょっとレイキを感じにくくなっていました。手が全く暖かくならなかったせいもあるかも知れません。日によって感じ方は違うそうなので、今日は感じられるかどうかはあまり気にせずにやりたいと思います。ハイヤーセルフとのシンクロについてはレイキを感じようとするので精一杯で、魂のお部屋を作るように意識をできるところまで小さくする状態に自分を持っていけなかったので全然できませんでした。レイキのCDをかけて私が発霊をしていると、さすがはヒーリングミュージック、家族が眠くなってしまったみたいでコタツからいびきが聞こえてきました。まだ、それだけだったらわかるんですが。。。。家で飼っている猫二匹も、ご飯を食べて一休みして、ドシンバタンとそろそろ遊び始めるはずの時間だったのですが、レイキのCDの音が心地いいのか、私の傍から離れずにぐっすりと眠りこけていました。一匹は家族と同様、高イビキです。猫もヒーリングミュージックで癒されるのかなぁ?発霊が終わって目を開けるとそんな状況だったのでおもわずぷぷぷと笑ってしまいました。
2006.01.24
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昨日は発霊、自己ヒーリング(家族への遠隔をしつつ)を行いました。発霊するとレイキがとても感じられました。自分の日記はかけなかったのですが、伝授してくださったレイキマスターさんの日記にシンクロ率を上げる方法として、自我の意識を上に追いやって魂のお部屋を作るというお話があり、イメージがとても伝わってきたので魂の部屋を作ることを念頭にいれて、発霊をしてみました。私にとって、発霊自体も自己ヒーリングになっている気がします。レイキにつつまれて、レイキを体一杯に受けて循環させている感じでとても心地いいのです。また、発霊をしながら、意識をなるべく追いやって魂のお部屋を作るようにするとシンクロするという意味がさらに具体的に、ですがほんの少しだけ体感できてきたような気がしました。今まで私がハイヤーセルフとシンクロするというと、幽霊モノの番組に出てくるように何やらかが覆い被さるようになってボンノクボからシュルシュルと体に入ってきて酩酊状態になるようなイメージだったのですが、どうもそうではないのかな・・・と感じました。(テレビの見すぎですね^^;)というか、既に自分の中でつながっているのを再確認するような感覚に近い気がしました。本当はつながっているんだけど普段の生活で見落としていたり、シャッターを閉じていたり。忘れている何かを思い出す作業に似ているような。未知のものを知るというよりも自己に見つけ、気づくような。「どうして自分の負の感情を『負』だと認識できるんだろう」「その判断基準はどこから湧いてきたんだろう」「感情の『正』『負』の(環境や宗教で学んできたのではない)判定基準は己の中にそもそもあるのではないか」そんなことを考えていたときがありました。なんとなく、ハイヤーセルフとのシンクロとはその自分の中にあるもの(精神?こころ?)を通じて再確認する。その「正負の判断基準」だとかいうものは、自分の中に意識とは別に根付くもの、人類としてみんなが持っているもので、DNAに深く刻み込まれたそのコモンセンスと一体となることのような気がしました。表層意識をなるべく小さくすることでよりその何かを強く感じられるようにする方法なのかしらん?ぜんぜんシンクロなんてできていない自分がハイヤーセルフとのシンクロについてあれこれ言うのもおこがましいというか大変畏れ多いというか、できる人から見ると「ぜんぜんちがうよ~!」ということになるのかもしれません。こうやっていろいろぶつかりながらたんこぶ作りつつ探していくのもそれはそれで楽しみな気がしています。もしも少しでもシンクロできている方がこの日記をみていたらシンクロのイメージが「ぜんぜんちがうよ~」とか「近からず遠からず」とか一言でも結構ですので教えていただけると本当に嬉しいです。私はイメージがないとどうしても駄目みたいなので・・・(^^;
2006.01.23
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土曜日はしっかり発霊と自己ヒーリングができました。自己ヒーリングだけではなく、コタツで寝ている家族にも了解を取って自己ヒーリングを兼ねた遠隔法を使ってやってみました。自己ヒーリングの基本12ポジションがこれまた頭の中に入っておらず、薄目でテキストを確認しながらのものだったので自分でもあまりちゃんとできていないと思います。ただ、発霊については気が付いたときにおさらいしていたのでだいぶ自然にできるようになりました。でもそのような中、遠隔で家族のこともやっているとどうも家族の体の調子が自分のことのように伝わってくる気がしました。というのも、その家族は片方の耳の鼓膜が小さいころに破れてしまって本当は聞こえなくなっているはずなのです。ですが、会社で毎年受ける健康診断の聴力検査でも別に異常も無く、耳鼻科の先生には「この状態で音を感じ取れるなんてありえない!」とびっくりされるほど左右の耳の状態に違和感が無く、普通に生活を送っています。別にどちらから話し掛けられてもちゃんとわかるし。ただ、たまにこそこそとした声は聞き取りにくいようで聞き返すことがある程度。ですから私自身家族の耳について別段意識せずに暮らしていました。遠隔をやっている間、耳に手を当てているときにどうも右の耳が聞こえない気がしたのです。ただ、どちらの耳の鼓膜が破れているか私も思い出せなかった(ひどいはなしですが^^;)ので、最初は気のせいかな~と思いました。ですが左の耳の聴覚がとても鋭くなり、右耳で聞こえるはずの音も左耳で聞いているような気分になりました。左耳で聞き取っても上手い具合に脳みそで「これは右の音、これは左の音」と判断しているような感じです。夢うつつの状態になりながら、「この人は耳のためにものすごい能力を使っているんだなぁ。。。。」などと感じていたのです。それを家族に話すと「ええええっ?!そうなのかなぁ~」と自覚が無かったようです。ちなみに、その前に小さなスピーカーを猫が倒してしまい、家族の頭に倒れてきてたんこぶを作っていたのですが、それは感じられませんでした。^^;遠隔をするとその当人の物理的な体の状態を自分のことのように感じるモノなのかどうかはわからないのですが、たとえそれが遠隔のためでなく、自分の思い込みによるものだったとしても家族の普段の体の状態を体感することができたようでとても嬉しいです。また、今まで普通にしていた家族が実はこんな思いをして暮らしていたのをわかっていなかったんだというのが少し申し訳なく思いました。(週末に日記をつけられなかったので今覚えている限りを記録しようと思います)
2006.01.22
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結局、金曜日は家に帰ってから発霊法を実施したのみで自己ヒーリングはできませんでした。ただ、発霊法を実施しているときに気が付いたのですが、一日目にとても私のレイキは微弱に感じたのですが、それは第3シンボル~第1シンボルしかつかってなかったためだとわかりました。なんとなく、マスターシンボルや第5シンボルは畏れ多い気がしてちょっと使うのがためらわれていたせいもあるかと思います。ですが思い切って金曜日に全部のシンボルを使って行った発霊はしっかりとレイキを感じることができました。毎日、五戒を夜寝る前と朝起きたときに言っているのですが、何しろ物覚えが最近は特に悪くなってしまい、思い出し思い出し唱えています。もっとすらすらといえるようにしなければなぁと思いました。(週末に日記をつけられなかったので、今覚えている限りの記録を残しておこうと思います。)
2006.01.21
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伝授していただく日を待つ間、amazonで注文していたレイキのCDがちょうど昨日とどきました。3分毎の曲が20曲入って、自己ヒーリングにとてもいいというので購入したのですが、家にはヒーリングミュージックなるものは一つも無かったのでと手も新鮮に感じました。瞑想というか、宇宙に想いを馳せるにはぴったりな音楽でした。コレをきいていてちょうど小さいころを思い出しました。小さいころ、とても星が好きでした。父がそのころ天体望遠鏡を買ってきたので土星の輪だとか、月のクレーターだとかを見せてくれたのもあって、いつも読んでいるのは宇宙の図鑑、どこへ行くときも星が見られなくても星座早見表をいつももって出かけていました。宇宙の図鑑はほとんど暗記するくらい飽きずに読んだり眺めていたりしていました。(今はすっかり忘れてしまいましたが^^;)小さいころ、女の子はピンクだとか赤色が大好きな子も多いと思うのですが、宇宙を連想させるからか私の大好きな色は青色でした。だから身の回りのものは結構男の子向けのものばかりそろえてもらっていた気がします。将来の夢はテンモンガクシャでした。小学校にあがってから私の住む最寄駅にプラネタリウムができ、毎月のテーマが変わるたび連れて行ってもらいました。星の生死や宇宙の広がり、星座の話、それぞれの惑星の話など本当に毎回楽しかったです。でも一番好きだったのはいろいろなお話が終わってから最後に音楽を流しながら、時間を進めて太陽が昇るまでの時間でした。誰の声にも邪魔されないでひたすら星を見つめていたり、宇宙の果てはどうなっているのか、当時、宇宙が広がる以前の空間は「無」だと聞いたので、それははどういう空間だろうなどと想像するのが本当に心地よかったです。そのときに流していたのが今のヒーリングミュージックに近いものだったと思います。ふとこの音楽を聴いていて思い出したのでまた近いうちにプラネタリウムへ行きたくなりました。昨日の発霊&自己ヒーリングではマスターさんにレイキを流してもらった時に比べてかなり微弱ではありますがなんとなくビリビリした感じを味わうことができました。ですが一生懸命目を閉じてみたのですが特に何も見えてませんでした。でも手から伝わる感覚、体を通過する感覚は明らかに何かが流れているような気がしてとても満ち足りた気分になっていました。マスターさんの日記を読んでみるとどうもこのビリビリも第三の目が働いているようなのでほっとしました。今はとりあえずビリビリ感を満喫し、見ることに執着しないようにしていこうと思います。疑ってしまうと出ていてもわからなくなってしまうとマスターさんは仰っていましたが、本当に疑ってしまうと見失いそうなくらい私のビリビリ感は微弱なものでした。だから「出ていてあたりまえ!感じなければ私がその日は鈍感なだけだから」くらいの気持ちで臨んだ方が今のうちはいいのかなぁ。。。と感じています。今日も夜に発霊&自己ヒーリングを行うのですが早くやりたくてウズウズしています。
2006.01.20
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昨日、とうとう伝授をしていただきました。マスターさんはいろいろとレイキの歴史や使い方、シンボルについて本当に丁寧に教えてくださいました。特に臼井先生のお話を伺ったときには、「こんなに徳のある人の見つけたものを授かることができて本当にありがたい」と思いました。レイキを最初に送っていただいた時には、はじめのうち「自分のものではない何かがきた!!!」という違和感があってブルブルと感じていましたが、そのうち暖かくなるにつれて脱力していきました。その直前、チャクラのお話をお聞きしていたのでそちらに気持ちが集中してチャクラのありそうな辺りに特に力を感じていました。気持ちよいという感覚が一番強かったのですがその裏では、ちょっと吐き気を催すような気持ち悪さも多少はありました。(マスターさんにはお伝えできませんでしたが・・・)あと、丸いものというか六角形をつぶしたような形や丸い左回りの形ががみえてきた気がするのですがそれもマスターさんの日記を読んで「こういうものが見えるに違いない」と念じていたせいのような気がします。伝授としてレイキを体に固定していただくときに感じたのは緑色でした。それとこれもマスターさんにはちゃんとお伝えしてなかったのですが左右に光の筋が流れていたような気がします。それと何とはなしに虹色が見えていました。とくに形らしい形はわからなくて、本当に自分がみているのかすらわからなかったのですが見えていた気がします。もうひとつ、ガラスの破片のようなきらきらとした強烈な光を感じました。ほそく、鋭くて細かい光です。中にヒビのある水晶が強烈に光に照らされてきらきらと反射している感じ。その細かい光はもう少しで全体が見えそうだったんですが断片的にしか見えていませんでした。でもなによりも一番はっきりと見えた気がします。これは最初にレイキをおくっていただいたときにも見えていました。私自身とても思い込みが強いというか、すぐに念じてしまう癖があるので「見たい」と思って見えたと認識しているものなのか、「見えてしまって」見えたと認識しているものなのかよくわかりません。でも伝授していただいた後にとても強く感じるのは今まで流していただいたレイキが体の中にとどまっている感じです。ブルブルとした感じは寝付くまで続いていました。また、今日朝起きても体の中心がほかほかとしている気がしていますし、会社に行くときにとても世の中の色、景色や人間一人一人の色がとても美しく感じました。第6チャクラなのか、眉間のあたりが少しむずむずして痒いのですが、それもレイキのおかげかな~と思うときいているのが実感できて嬉しいです。とりあえず、自分に目一杯ヒーリングして、家族にもたくさん流してレイキを満喫する21日間を過ごしたいと思います。
2006.01.19
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ある人のブログに霊能力を持っている、見えると言っている人を批判している記事がありました。そもそも、霊能力自体解明されていませんし、見えると言う人が見えると言うんだからきっといるに違いない、私はその程度の認識です。でも本来自分の認識で確認できることなんてほんのわずかです。高校で習う元素記号、あれ、授業で目で見て確認した人はいませんよね。だけれども、そうなんだと信じている。また、地球がまるいというのと一緒だと思うのです。地球が丸く写っている写真はいくらでもありますが、写真なんて所詮は単なる絵です。地球が丸いのを実際に目で見て確かめた人はいないのに絵があるために信じている。それが事実だって。「水平線(地平線)を見渡すとなんとなく丸みを帯びてるよ!だから地球は丸いよ!!」って言うかもしれません。だけど、まだ科学では解明されていないけど、そもそも人間の目がひろーーーーーい視野の端っこがゆがんで見えるような構造になっているとしたら?丸いと思うと丸く見えてしまうものだとしたら?地動説がまかり通っていた時代の方が今の私達よりよっぽど水平線や地平線を眺めることができたと思います。が、それでも地球はマッ平だと信じていたら、水平線はどこまでも直線と人々の目には映ったのです。霊が見える見えない、高次元のものとチャネリングしたしないも同じだと思うのです。その人にとってそれが真実ならばそれは実在したし、実際に行われた。それでいいのではないか。それに対するいい悪い、正しい正しくない、存在するしないは誰にも判断できないのです。本人以外は。だって、本人の意識の中なんて誰も左右の眼球で直接見ることはできないでしょうから。存在することとはその人に意識の中で、もしくは目で直接見て「ある」と認識したらすべて存在することになるのかと思います。五感で感じようが意識で感じようが優劣があるということではなく、どちらも「ある」のです。もし、私の目の前に水の塊が浮いているとイメージしたとすると、私のこの瞬間のこの意識、脳のどこかではその水を認識しているのです。そこの私の時空だけを切り取ってみたら目の前の水は確かに存在しています。目で見て確かめられるもの、触って確かめられるものの「正確さ」なんてたいしたものではないと思います。その私の中のイメージした水の塊となんらかわりがありません。「認識しよう」と意識を傾けなくても触覚や視覚などの五感は使えているのでそちらに依存している人が圧倒的に多いだけです。ちょっと思い浮かべたことも実存すると考えると、人類の人数分だけ、さらにはその一分一秒ごとにものすごい数の、ものすごい種類の「存在」があることになってしまいます。自分が満員の通勤電車に揺られていたらその車両に乗っている全ての人の考えたこと、イメージしたことの数だけ、さらには全ての瞬間ごとに物事は実存するのです。レイキマスターさんから「魂には時間と距離の概念が無い」とお聞きしましたが存在するということも魂と同じく時間や距離の概念が無いことなのかもしれません。でも五感で感じるとほんのわずかな空間を共有しているだけ。五感で認識できる三次元の世界で言ってしまえばそこには何も無いのです。五感については意識しようとしなくても他者と共感しやすいのでそれこそが、またそれのみが唯一絶対の「事実」だと勘違いしやすいだけな気がします。ですからその人の感じた「存在」という事実については何人たりとも否定できないのかな~と思います。但し、それを主張することで人の財産を奪ったり、人を意のままに動かそうとしたりという邪気にまみれた行為の道具にするのには私も賛同できません。また、地球がまるかったのと同様に科学の進歩によってどんどん事実として認識されていることが変わっていくことも否定しません。地動説は私も「違う」と認識していますし。こんなこと、スピリチュアルな生活を送っている方々にはあたりまえのことなのかもしれませんね。。。。(^^;
2006.01.18
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とうとう、レイキ伝授の日が明日に迫ってきました。マスターさんとお話してからのこの一週間は自分自身の中でいろいろとざわめきがおこりました。でも、伝授されたからといって多分私自身すぐに変化するわけじゃないと思います。というよりも、あまり過度の期待をもたないようにしたいと思っています。それは、マスターさんへの不信とか、レイキへの不信ではなくて、レイキにすがろうとする自分を律したいためです。もともと、なぜレイキを伝授していただこうと思ったかというと初めて飼った猫が体調を崩しやすいため、薬ばかり飲ませる方法よりももっと自然療法のような代替医療はないだろうかと探したことからです。それによりフラワーレメディやレイキを知るチャンスを得ました。レイキを調べるうちに「私自身にも」「家族にも」とどんどんと期待は膨らみ最終的には他の人を癒すようなボランティア的活動もできればと考えるようになっていました。でも自分自身を内省するうち、その希望も今は萎んでとりあえず自分自身で精一杯の状態になっています。誰しも自分が特別であると思いたいと思います。「私のこの能力はとても優れている」「私には特別な能力がある」特別でありたいという気持ちに「他者」という相対的な基準が入ってしまった時点でそれは虚栄心・優越感などの負の感情となってしまいます。「私は他の人よりこの能力はとても優れている」「私には他人と違って特別な能力がある」自分を絶対評価できるようになるためには、自分の中にその基準を確立しなければならず、そのためには心のあらゆるものを一度捨て、また心の中にあらゆるものを吸収しなければなりません。とても辛い作業だと思います。ですのでそれができていない自分にとって少しでも虚栄心や優越感をくすぐるような言葉は辛い作業をしなければならないことを忘れさせ、心地よく酔いしれてしまう麻薬なのです。マスターさんにリーディングをしていただいた際、私が今までの生活で「見えたような気がする」「感じたような気がする」⇒絶対に気のせいと片付けていたことは全て憑依体質のためだとおっしゃっていただいたとき、ほっとすると同時に私の中で「特別な能力をもっているのかも♪」という優越感がむくむくと湧きあがってきたことは否めません。ですから伝授を明日に控えた今、少しでも自分自身を客観視し、冷静に判断する必要があると強く感じています。明日の伝授をしていただいたときに特になにも無かったとしても、レイキに関わったことで今までおろそかになっていた内省のきっかけをつかめたのは、本当に感謝すべきことだと思っています。心静かに明日を迎えたいと思います。
2006.01.17
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スピリチュアル系のものを読んでると、「愛」という感情が至高のものだと表現しているものが多いですよね。何で愛なんだろう。。。。。きっと、私達が想像された元の元、というか宇宙の法則とか力とか、そういうものの本質が「愛」なんだろうなぁとは思います。これが、愛じゃなくて邪悪が本質の世界だったらどうなるんだろう。そういうのを想像するときに私にまず浮かんでくるのはなぜか映画の「エイリアン」。その中のエイリアンは邪悪なものとして描かれていますが邪悪が本質だったとしたらあのような生物に満ち溢れているのだろうか。自分の生存のために他のものを抹殺し、他との共存を許さないモノで埋め尽くされるのかしら?でも、そうだとすると繁殖し種の存続を図ることすらものすごく困難です。生物の進化は雌雄に分かれたところから爆発的に広がったそうですがその雌雄が共存を許さないわけですから。繁殖なんてありえないわけです。そうすると、極論ではありますがあの映画のエイリアンも結局は人間と同じ本質を元に生れ出でてきた、人間とと同じ本質を持っているといえますよね。邪悪が本質の世界ではそもそも生物などという存在もありえないのかも知れません。物質同士が自分の存続のために他を排斥する。。。もっと物質が拡散する世界。。。。たとえば炭素一つにとっても電子や陽子などで成り立っていますが、それら自体も反発し合えば炭素自体も炭素として存在することはできない。電子自体も今は良くわかっていませんが、何がしかが「一つのもの」として統合してなければ電子として存在できない。結局、物質自体が何がしかの「統合」の上に成り立つわけですから、それを拒否する世界だとすると物質の存在もありえない?とにもかくにも私がこの世界にたんぱく質や水分やその他いろいろな物質を持って人間として存続する以上、「生きている」という観念を持っている以上、「愛」に従順になるべきなのかもしれません。
2006.01.13
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いろいろと癒しやスピリチュアルに関する本を読んだり見たりすると感じるのが「白さ」です。純粋さというのでしょうか。私の中にはそれはない気がします。生まれたばかりのときなどは覚えていませんがきっと純粋だったのでしょうけど、いろいろと経験し、感じ、もがいてのたうちまわっているうちに「白さ」とは無縁の存在になった気がします。というよりも。この人が嫌だと思ったときには必ずその嫌な部分は自己投影されたものだし、ふとした瞬間に自分の怒りや妬み嫉みにハッとする。汚れたというよりはもともと持っている暗い部分をことをただ単に生きて経験することで認識できてきたというほうが合っているかもしれません。生まれたときから罪を背負っているという意味はそういうことなんじゃないか・・・。「穢れの無い存在」って。そもそもあるのかどうか・・・と思います。光も闇があるからこそ認識できるように、「穢れがない」ということも「穢れ」があるから認識できるのであって、単独では存在できません。共依存の関係とも言えるのでは?お話くださったレイキマスターさんは闇があるから光があると仰っていた気がします。(気持ちが興奮していてメモもとらずにいたので定かではないのですが・・・)自分自身を掘り下げていくと、どんどんと黒いタールのような闇が出てきてしまい、それに圧倒され、自分の汚らわしさに吐き気がします。それでもなお生きつづけ、生きることに執着しつづける自分にまたさらに吐き気を催す。。。。そういう私のような闇に塗りつぶされているニンゲンがレイキの伝授を受けていいのだろうかとはじめは思いました。ですが、今度伝授を受けるレイキマスターさんは私の守護霊と話をし、その許可を得てから伝授をするとのことだったので、もし駄目ならその時点で許可は下りないだろうからとまずはご連絡したのです。結果、伝授していただけることになりました。昔読んだ、坂口安吾の「堕落論」では人間は堕ちるところまで堕ちないと這い上がれないというようなことがあったように思います。坂口安吾は父の愛読書で、子供のころ父に叱られるとき、父はそれを引用していた記憶があります。その意味するところは、「堕ちるということ」の本質を知らなければ自分の堕落を止めることはできないし、ましてや這い上がれないということだったと思います。自分自身の闇、汚らわしさはまだまだ探求し尽くしておらず、今後も想像以上のものがたくさん出てくることと思います。ですが今はそれを知ること、自分の中に見つけることを恐れる必要はないかと感じています。なぜなら、それを知ることによって自分自身をその闇から救うこと、さらには癒すことができるから。レイキを求めたその理由は自分も含めた身の回りの人間に役立ちたいと思ったからなのですが、まずは自分の闇を知り、そこから自分を救い出せなければ、他人のことなど救うべくも無いと今は思っています。私は、他人を癒すなんてことはできず、自分の闇を追求し、そこから這い上がるだけで一生が終わってしまうかもしれません。だとすると、自分の天命は何だろう。何のために生まれて、生きているのだろう。。。。また堂堂巡りが始まりです。(^^;
2006.01.12
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レイキを伝授していただくにあたり、月曜日に遠隔レイキヒーリングとガイドさんからのメッセージをレイキマスターさんから伝えていただきました。昨日も今日もいろいろなことで気づくことがたくさん!それを書きとめていこうと思います。まず、私の喉のチャクラが詰っているそうでそれは言いたいことを言っていないからだそうでした。なんでかな?それは理解されないとか、コミュニケーションが上手く取れないからだそうです。私はどうも憑依体質で守護霊の魂がかなり古い奴らしいです。。。そのため、感受性が鋭くなって直感力があるため、上手くコミュニケーションが取れないそうです。だから、言霊を上手く使っての表現が必要だそうです。それを伺ったとき、私の気性の激しさから人のクリティカルポイントを的確に一番効果的につついてしまうことを仰っているのかと思いました。そのせいで結構痛い思いをさせたこともありましたし、自分自身もしてました。ですけれど。。。。今日、ある霊能者さんのブログをみてて、思い出しちゃったんです。その方は、それがお仕事のようなのでぜんぜんレベルは違うかと思うのですが。 『小さい頃からこの感覚を持って人と接していると、 人が心と違う言葉を発しているのを見て、人間不信になったり、 人も自分の心を読めるのではないかと、自分を隠す訓練を 知らない内にしたり・・・』 。。。思い出したんです。小さいころというよりも多感な高校生だったんですけれど。うちの高校はいわゆる進学校で、とても頭のいい子達がたくさん集まってました。皆さん、頭がいいからそれなりに社交的。だけれども、どうしても私はなじめませんでした。だって、みんな表の顔とおなかの中で考えていることと全然違うんですもん。私はそれがとてもなにか裏切っているようで、それがバレちゃったときにはちょっとまずいな~と思って、子供のときに人の陰口は言わない、もし文句をいうんだったら直接本人にいおう!と思って暮らしてました。それは別の人から言わせれば、『ただの馬鹿正直』なんだろうけど。そのせいでそこの学校の人たちが信じることができなくて結局思っていることを口にしないまま、とりあえず笑顔で乗り切ろうと3年間を過ごしました。だからとくにクラスから浮くことも無く、誰と波風を立てることも無く、卒業までこぎつけました。だけど、本当に辛かった。大学を出て、社会人になって結婚しても、本当にくたくたに疲れたときなどに高校時代の夢を見てうなされます。特にコレといった内容じゃないんだけど。一番、自分の一生の中で戻りたくない時期かな。今の大人の自分だったらどうしただろうと良く考えてみるのですが、いまだ乗り越えられていない気がしていました。だからまだまだ未熟なのかなぁと。。。。レイキマスターさんの首を締めてまで(!)私のガイドさんは伝えようとしたらしいけど、本当に首が絞まるくらいの苦しさでした。自分を押し殺す、自分を消すというのはああいうことだと思います。大学を滑ってから予備校に通いだし、他の学校の友達ができてから自分の高校時代のすごし方に、私が勘ぐりすぎて駄目だったからちゃんと過ごせなかったんだという罪悪感や他の子達みたいに楽しく過ごすべきだったという後悔があったのですが。。。。。。。。。やっぱり無理だったんだ!できんモンはできん。嫌なモンは嫌だ。そう感じることを大切にして良いといわれたことで、何だか肩の荷がまた一つおりたような気がします。でも読み返してみると、たいしたことじゃないですよね。。。。辛いといっても。もっと世の中には苦しんでる人がたっくさんいるのに。。。。。ちょっと恥ずかしいです。だけど、記録なので残しときます(^^;
2006.01.11
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テストです
2006.01.06
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