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カテゴリ: サンレモ音楽祭
前年はエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)に代わりプロデューサー権限を出演する歌手の芸術監督に限定、また開催主体をサンレモ観光協会からサンレモ市の変更する大改革をしました。これも不景気で大物プロデューサーがお金を集めることが出来なくなり、自治体予算に頼らざるを得なくなったとも考えられます。

 1973年はサンレモ観光協会とフェスティバル・バールの発案者で司会者のヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)が共同主催することになり、その下で芸術助監督としてサンレモ音楽祭出場歌手で、その後作詞家、レコード・プロデューサーとなった ブルーノ・パルレージ( Bruno Pallesi が就きました。

 1972年サンレモ音楽祭から始まった1曲1歌手が歌うシングルキャスト制(ただし56年は新人コンテスト形式のためにシングル・キャスト)が引継がれます。この方法を補うため前年はフランク・プゥルセルを再演奏楽団指揮者として招きましたが、今回は同じくフランスのレーモン・ルフェーヴル(Raymond Lefe'vre)にその任を委ねました。


ジルダ・ジュリアーニ (ARISTON) ドゥルピ (RICORDI)     レーモン・ルフェーヴル (SIF/Riviera)

第23回 1973年3月8日(木)~10日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。

前年はこのため歌手の労働組合が反発し、退会寸前までストライキをして実施が危ぶまれましたが、73年は歌手組合のストライキはなかったものの、サンレモ市内部の問題で、国営放送のRAIとの紛争紛争が起こり、予選の第1夜、第2夜が放送できず、決勝戦の最終夜のみしか生放送できなかったという事態になりました。

 出場歌手は30歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場17歌手(内外人歌手は2歌手)、出場レコード会社17社で初出場3社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内リコルディ・グループに属するレコード会社が3社、フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が3社、CBSシュガー・グループに属するレコード会社とフォノグラム・グループに属するレコード会社が各1社含まれています。

   
        ジェット (DURIUM)     アルベルト・フェーリ (RCA Italiana)

リコルディは前年3歌手から、73年は傘下の会社を含め9歌手(内外人1を含)、反対に前年最多6歌手だったRCAイタリアーナ・グループは新人歌手1名のみ、前年6だったフォニット・チェトラ・グループは7、フォノグラムもシデットがグループに入り3から4に各1増え、CBSシュガーは総数で変わらず、アリストンが1名増え2に、前年出場時代組のドゥリウムが2名で復活、サン・マルタンは自社歌手が出場し総数は変わらず1、EMIイタリアーナ、リフィ、サールは出場せず3社で4名減となりました。

[数]は外人歌手数
RICORDI 9[1] (RICORDI 4[0]); ARCOBALENO 1[0], ; SIF 2[1] ; CAR JUKE BOX2[0])

PHONOGRAM 4[0] (POLYDOR 2[0] ; PHILIPS1[0] ;SIDET1[0])
CBS SUGAR 4[3] (CGD 1[0]; CBS 2[0] ; SPLASH1[0])
ARISTON 2[0]
DURIUM 2[0]
SAINT MARTIN 1[0]





<優勝> 失われた愛を求めて Un grande amore e niente più  (F.Califano - G.Wright - G.Faiella - C.Mattone) 出版社 RCA - SPLASH <1710> ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri (SPLASH – CBS Sugar) SPH-1014 [45]

SPH-1014 HIT-2100


<2位> 夢に消えた詩 Come un ragazzino (G.Amendola - P.Gagliardi) 出版社 INDIOS <1482>  ペピ-ノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi (King universal – Fonit Cetra) NSP-56139 [45]

NSP-56139 HIT-2099


<3位> 愛遥かに Da troppo tempo  (L.Albertelli - G.Colonnello) 出版社JUBAL < 1463 >  ミルバ (vf) Milva (RICORDI – Dischi RICORDI) SRL-10・687 [45]

SRL-10・687 CM-  241


<入賞曲>
4位 愛の果実 Dolce frutto (P.Minellono - U.Balsamo) 出版社出版社ILLER - USIGNOLO < 1430> リッキとポーヴェリ (coro) Ricchi e Poveri (CETRA – FONIT CETRA) PM-3637 [45]

SP-1507  HIT-2098


5位 待ちわびて Serena (V.Pallavicini - Musikus - G.Mescoli) 出版社 ARISTON < 1413> ジルダ・ジュリアーニ (vf) Gilda Giuliani (ARISTON – ARISTON)AR-0587 [45]

AR-0587  HIT-2101


6位 二つの恋と一つの涙 Tu nella mia vita (Lubiak - P.Minellono - U.Balsamo - Arfemo) 出版社 FAMA - DURIUM < 1295> ウェスとドリ・ゲッツィ (duo) Wess & Dori Ghezzi (CIRCUS – DURIUM)CN・A-9335 [45]

CN・A-9335  JET-2187


7位 さいころに生きる男 L'uomo che si gioca il cielo a dadi (R.Vecchioni) 出版社 CHAPPELL <1246> ロベルト・ヴェッキオ-ニ (vm) Roberto Vecchioni  (DUCALE – FONIT CETRA) DUC- 240 [45]

DUC- 240  6025-085

8位 太陽の旗 La bandiera di sole (F.Leali - V.Pallavicini) 出版社 ESEDRA - VITTORIA <1226> ファウスト・レアーリ (vm) Fausto Leali (PHILIPS – PHONOGRAM) 6025-085 [45]


9位 アモーレ・ミオ Amore mio (P.Minellono - U.Balsamo) 出版社 PEGASO <1224> ウンベルト・バルサモ (vm) Umberto Balsamo (POLYDOR – PHONOGRAM)) 2060-048 [45]

2060-048  AR-0585

10位 ふたりだけの旅 Mi son chiesta tante volte (P.P.Preti - G.Guarnieri) 出版社出版社ARISTON <1197> アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici (ARISTON – ARISTON) AR-0585 [45]


次回の入賞曲に続きます

 73年初参加のレコード会社は2社アルコバレーノ(Arcobaleno)、サン・マルタン(Saint Martin)です、S.I.F.は訂正・追補で再度掲載します。まずアルコバレーノから紹介していきましょう。

 アルコバレーノとは虹のことで、1960年にナポリで設立された小さな会社です。設立間もなく販路拡大のためにミラノに支店を出しました。


60年代前半       60年代後半      70年代

 この60年代前半はナポリ地元の音楽を出しています。主な歌手は64年(第12回)ナポリ音楽祭で“無益に(INUTILMENTE)”、65年(第13回)ナポリ音楽祭で“あなたを愛するひと(UNO A TE VO' BENE)”で入賞したニーノ・ソプラノ(Nino Soprano)、他社所属時代に4度ナポリ音楽祭に出場したルチアーノ・ルアルディ(Luciano Lualdi)、ニーノ・マルレッティ(Nino Marletti)、ジャンニ・レストゥッチ(Gianni Restucci)、65年代後半になるとエンツォ・ヴィターレ(Enzo Vitale)が、そしてナポリ以外の歌手はエンリコ・ムジアーニ(Enrico Musiani)がいました。

 60年代末にはナポリの本社を閉め、ミラノに本拠地を移しました。アリストンがディストリビューターにしていた71年に、イヴァン・グラツィアーニ(Ivan Graziani)たちが結成したアノニマー・サウンド(Anonima Sound)がCBS、ヌメロ・ウーノを経て移籍し、シングルとアルバムを作りました。

 72年、60年代半ばサン・マルタンからデビューし中堅レーベルを渡り歩いていたリオネッロ(Franco Lionello)が移籍してきて、これを機にディストリビューターをリコルディに変更、73年サンレモ音楽祭の出場権を得ました。リオネッロの歌った“異国の女(Straniera straniera)”は15位ながら入賞を果たしました。メジャー・レーベルの寡占状態のなかマイナーが入賞を果たすことは、珍しいことでした。

 私の持つ資料も少ないのですが、このサンレモ音楽祭出場の事以降ネット上でもアルコバレーノに関する情報が無くなります。

  
               リオネッロ (ARCOBALENO)       風の娘達 (CAR JUKE BOX)



・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。





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Last updated  2017.07.01 09:50:34
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