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★ プロフェーティ、 { イ } (compl) I Profeti,{I}
1964年レナート・ブリオスキがミラノで結成したビートニック・バンドで、後にメロディック・ポップ・バンドに変わる。

活動期間 : 1964 – 1977; 1999 – 2006
所属レコード会社 : CBS, DV More Record, On Sale Music
サンレモ音楽祭出場 1 回 :1976 年 17 位
設立メンバー ( 太字はサンレモ音楽祭出場メンバー )
・レナート・ブリオスキ (Renato Brioschi) ヴォーカル、ギター ( 在籍 1964-1970)
・ナッザレノ・ラ・ロヴェーレ (Nazareno La Rovere) ギター ( 在籍 1964-1968; 1970-1977)
・ドラート・チレッティ ( Donato Ciletti) ベース ( 在籍 1964-1966; 1969-1977)
・オズヴァルド・べルナスコーニ (Osvaldo Bernasconi) ドラムス ( 在籍 1964-1967; 1968-1972; 1974-1977)
途中交代メンバー
・ダニー・ベスケット (Danny Besquet) ベース ( 在籍 1966-1967) 本名 Daniele Baima Besquet
・ロベルト・マルガリア (Roberto Margaria) ベース、ギター ( 在籍 1967-1969-1970)
・フランコ・ドノフリオ (Franco D'Onofrio) ドラムス ( 在籍 1967-1968)
・ラファエレ・ファヴェーロ (Raffaele Favero) ドラムス、フルート ( 在籍 1967-1968)
・クラウディオ・ベッローリ (Claudio Belloli) ドラムス ( 在籍 1972-1974)
・マウリツィオ・ベッリーニ (Maurizio Bellini) ハモンド・オルガン ( 在籍 1969-1973)
・ ベッペ・ティランゾーニ (Beppe Tiranzoni) ハモンド・オルガン、キー・ボード ( 在籍 1974 – 1977)
1964年ミラノの彫刻家の息子、レナート・ブリオスキは流行っていたビートニック・バンドを結成します。彼がヴォーカルとギター、他はギターのナッザレノ・ラ・ロヴェーレ、ベースがドラート・チレッティ、ドラムはオズヴァルド・べルナスコーニの4人でイ・プロフェーティ、預言者達というバンド名にしました。
地元ミラノで数公演した後、リコルディからCGDに提携先を替えたばかりのCBS関係者と接触出来て契約をしました。
CBSからのデビューはA面がグラスルーツ (Grass Roots) の“ユーアー・ア・ロンリー・ガール”のイタリア語カヴァー、B面が歌手デビュー前の ルチオ・バッティスティ (Lucio Battisti) の作った“ Le Ombre Della Sera ”でした。
バンド内部でのいざこざで66年にベースのドラート・チレッティが脱退します。代わりに色々なバンドに関わるダニー・ベスケットが加入しました。
1892(CBS) (1966 年 6 月 CBS - CGD) Bambina Sola (You’re A Lonely Girl) ( ユーアー・ア・ロンリー・ガール )/Le Ombre Della Sera
1892(CBS)
2650(CBS) 
2650(CBS) (1967 年 3 月 CBS - CGD) Rubacuori (Ruby Tuesday) ( ルビー・テューズディ )/Sole Nero (Call My Name) ( コール・マイ・ネーム )
彼らの成功は意外な所にありました。CGD - CBSが企画したイタリア軍慰問団にプロッフェーティも参加し、基地の兵隊たちに歌ったローリング・ストーンズ (Rolling Stones) の“ルビー・テューズディ”やゼム (Them) の“コール・マイ・ネーム”が大受けし、早速シングル盤が発売されます。
なんとデビュー2作目でファースト・アルバムが発売されました。ただ彼らに対する認識は便利なカヴァー・バンドだったかもしれません。
52436(CBS) (1967 年 4 月 CBS - CGD) Bambina Sola
52 ・ OSM-077 (2006 年 On Sale Music- On Sale Music) CD Bambina sola [*]
1 .Bambina Sola (You’re A Lonely Girl) ( ユーアー・ア・ロンリー・ガール )
2 .Sunny ( 演奏 ) ( サニー )
3 .Le Ombre Della Sera
4 .Mirell
5 .The Bells of Rhymney (Arr. The Byrds)
6 .Asciuga Le Tue Lacrime
7 .Rubacuori (Ruby Tuesday) ( ルビー・テューズディ )
8 .Per Fare Un Uomo ( 男であるには )
9 .Fa-fa-fa-fa ( 演奏 )
10.Lasciate Qualcosa Per Noi
11.Mr. Zero
12.Sole Nero (Call My Name) ( コール・マイ・ネーム )
*13 Era Uno Come Noi
*14.Ho Difeso Il Mio Amore (Nights In White Satin) ( サテンの夜 )
*15.Gli Occhi Verdi Dell'Amore (Angel Of The Morning) ( 朝の天使 )
*16 La Tua Voce ( あなたの声 )
*17.La Mia Vita Con Te(Reputation)
*18 Non Si Muore Per Amore (Take Me To The Mountains)
52436(CBS)
52
・
OSM-077
しかしバンド・メンバーの定着が悪く、67年今度はドラムスのオズヴァルド・べルナスコーニと入ったばかりのベースのダニー・ベスケットが辞め、ドラムスのフランコ・ドノフリオとドラムスとフルートのラファエレ・ファヴェーロが入りましたが二人とも翌68年に出ています。一方ベスケットの代わりにベースとギターで医学生のロベルト・マルガリアが加入しています。
当時イタリアには軍隊の兵役があり、あの ジャンニ・モランディ (Gianni Morandi) も兵役期間 には休業をしなければなりませんでしたので、彼らも兵役期間、他のメンバーが代替したとも考えられます。
やっとオリジナル曲が出せます、RAI2のTV推理ドラマ番組「 Il Triangolo Rosso 」のテーマ“ Era Uno Come No ”でした。B面はファースト・アルバムに収録されている人気バンド、 ノマーティ (Nomadi) の“男であるには”のカヴァーでした。
2849(CBS) (1967 年 7 月 CBS - CGD) Era Uno Come Noi/Per Fare Un Uomo ( 男であるには )
2849(CBS)
FG-5038 
FG-5038 (1968 年 2 月 CGD - CGD) SAN REMO '68
5 .La Tramontana ( 茫然自失 )
11.Le Opere Di Bartoromeo ( バルトロメオの想い出 )
新人のお仕事として各社が毎年作っているサンレモ音楽祭出場曲のコンピ・アルバム用のカヴァー曲を吹込みます。彼らは2曲 ジャンニ・ペッテナーティ (Gianni Pettenati) の“茫然自失”と ロークス (The Rokes) の“バルトロメオの想い出”を収録しています。
68年最初のシングルは当時世界的にヒットした“青い影 (A Whiter Shade Of Pale) ”で有名になったムーディー・ブルース (Moody Blues) の“サテンの夜”をカヴァーし、ノマーディと競作になりました。ノマーディは68年年間ヒット・ランク82位に入るヒットとなりました。
3340(CBS) (1968 年 3 月 CBS - CGD) Ho Difeso Il Mio Amore (Nights In White Satin) ( サテンの夜 )/Una Rondine Va [Toto Savio Franco Califano]
3340(CBS)
3761(CBS)

3761(CBS) (1968 年 10 月 CBS - CGD) Gli Occhi Verdi Dell'Amore (Angel Of The Morning) ( 朝の天使 )/L'Amore Ha Il Tuo Volto
68年10月にはエヴィー・サンズ (Evie Sands) やマリリン・ラッシュ (Merrilee Rush) が歌った“朝の天使”をカヴァーします。
この頃になると結成時メンバーとして残っていたギターのナッザレノ・ラ・ロヴェーレも出ていき、途中加入のフランコ・ドノフリオ、ラファエレ・ファヴェーロも脱退、残るはリーダーのレナート・ブリオスキだけになってしまいます。代わりに69年オズヴァルド・べルナスコーニが復帰しますが、ゴタゴタの原因がどこにあるかは直ぐにお判りでしょう。
69年サンレモ音楽祭入賞曲コンピ・アルバムで ディク・ディク (I Dik Dik) と リタ・パヴォーネ (Rita Pavone) が歌った“ズッケロ”をカヴァーします。
FGS-5049 (1969 年 2 月 CGD - CGD) SAN REMO '69
6 .I Profeti Zucchero ( 恋のズッケロ )
FGS-5049
4113(CBS)

4113(CBS) (1969 年 4 月 CBS - CGD) La Tua Voce ( あなたの声 )/Lontano Dal Mondo
69年4月やっと普通のバンドらしくオリジナル曲でカンタジーロ・ジローネB ( 新人部門 ) に“あなたの声”で出場しました。結果は10位でした。 B 面はバルダン・ベンボ (Alberto Baldan Bembo) 、トト・サヴィオ (Toto Savio) 、フランコ・カリファーノ (Franco Califano) と一流どころが作っています。しかしバンド内で内紛が起き毎年のようにメンバーが変わることをレコード会社も放置することもできず、CBSはリーダーのブリオスキを独立させソロ歌手としてリスク回避を図ります。
69年10月ブリオスキがリーダーでの最後のシングル盤はシャイ・リムス (Shy Limbs) の“ Reputation ”のイタリア語カヴァー、B面がトト・サヴィオとアルマンド・アンブロシノ (Armando Ambrosino) でした。
レナートがプロフェーティから距離を置くのが分かってか結成時メンバーのベース、ドラート・チレッティがバンドに戻ってきます。
4577(CBS) (1969 年 10 月 CBS - CGD) La Mia Vita Con Te(Reputation) /Ci Vuole Un Cuore
4577(CBS)
マウリツィオ (Maurizio) の69年夏のディスク出場曲“エリザベス” をカヴァーしました。
FGS-5058 (1969 年 CGD - CGD) Le Canzoni Del Disco Per L'Estate
3 .Elisabeth ( エリザベス )
FGS-5058
FGS-5062 
FGS-5062 (1970 年 2 月 CGD – CBS Sugar) Sanremo '70
6 .La Spada Nel Cuore ( 心の剱 )
70年サンレモ音楽祭入賞曲コンピ・アルバムで パティー・プラヴォー (Patty Pravo) と リトル・トニー (Little Tony) の歌った“心の剱”をカヴァーしています。普通ならリーダーでフロントマンのレナートが独立するとバンドは解散するのですが、どっこいプロフェーティはそんな軟なバンドではありませんでした。
70年「彼奴さえいなければ」と言ったかどうかは知りませんが、結成時メンバーのギタリスト、ナッザレノ・ラ・ロヴェーレも復帰しますが、医学生であったロベルト・マルガリアは医学の道に進みたいという希望でバンドを止めました。そしてハモンド・オルガンのマウリツィオ・ベッリーニ (Maurizio Bellini) が参加し、新生プロフェーティが出発します ( 結成メンバー3人が戻ってきたと言う事です ) 。
レナート・ブリオスキは70年夏のディスク・フェスティヴァルに “レディ・バルバラ (Lady Barbara) ” で 出場、優勝し大成功を収めます。と言う事でソロ歌手となった彼のことは後で纏めてすることにして、プロフェーティの話を次回に進めましょう。
カプロフェーティの国内盤
GW-73 ~ 4 (1970 年 4 月 20 日 SEVEN SEAS - キング ) 30cm 2LP 第20回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1970)
1- 5 . 心の剱 (LA SPADA NEL CUORE)
GW-73 ~
4

プロフェーティ 2は次回に続きます
サンレモの歌手たち 651 ミーナ 14 & … 2023.07.25
サンレモの歌手たち 650 ジャンニ・ベッ… 2023.07.20
サンレモの歌手たち 649 フィオレッラ・… 2023.07.15