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リーダーのチロ・ダッミッコの経歴だけ見るとフローラ・ファウナ・チェメントの後、ビゾンティに言っているので、フローラの方を先に書いた方が良かったかもしれません。
★ ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble
1974年にチロ・ダッミコ (Ciro Dammicco) にヴィンチェ・テンペラ (Vince Tempera) が協力して卓越したミュージシャンとヴォーカリストで結成した音楽集団。。80年に解散、多くのミュージシャンを輩出しました。
活動期間 : 1974 年 –80 年;再結成 - 現在
所属レコード会社 : EMI Italiana, Harmony, ( 再結成後 ) Pretty Cat's Records
サンレモ音楽祭出場2回 :1976年8位、77年9位
多くのミュージシャンが関わっているので、サブ項目も設け説明します。
74年結成時メンバー構成
・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ヴォーカル:元ビゾンティ (I Bisonti) 、元ゾーナ・ヴェルディ (Zona Verde)
・マラ・クエッドゥ (Mara Cubeddu) 女声ヴォーカル ( 在籍 1979 年まで ) : 元フローラル・ファウナ・チェメント (I Flora Fauna Cemento)
・ロザンナ・バルビエリ (Rossana Barbieri) 女声ヴォーカル:別名リンダ·リー (Linda Lee)
・ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ (Gianni Minuti Muffolini) ヴォーカル、ギター:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ
・ブルーノ・サントーリ (Bruno Santori) キー・ボード ( 在籍 1976 年まで ) :元ラミンゲッティ (I Raminghetti)
・アンジェロ・サントーリ (Angelo Santori) キー・ボード ( 在籍 1974 年まで ) :元ラミンギ (I Raminghi)
・ステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco) キー・ボード:チロの弟
・ジャンニ・カラブリア (Gianni Calabria) ドラムス:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ
・サヴーノ・グリエコ (Savino Grieco) ベース、ヴォーカル
前回書いたビゾンティに移籍する前にチロ・ダッミッコが一時所属し、また女性ヴォーカルのマラ・クエッドウがいたバンドのフローラル・ファウナ・チェメントの事を書きましょう。
☆フローラル・ファウナ・チェメント (I Flora Fauna Cemento)
1970年 カマレオンティ (Camaleonti ) の元ギタリストのマリオ・ラヴェッツィと前年(ヌメロ・ウーノが設立される69年)までルチオ・バッティスティのベーシストをしていたダミアーノ・ダットリ (Damiano Dattoli) 主導で結成したポップ・ロック・バンド。
活動期間 : 1970-1978年
所属レコード会社 : Numero Uno, CBS, Fonit Cetra
サンレモ音楽祭出場0回 :?1972年デリリウム (Delirium) が歌った“ジェザエル (Jesahel) ”のバック・コーラス( Coro Hippy Durante il Festival di Sanremo )に オスカー・プルデンテ (Oscar Prudente) と共に歌った可能性は否定できませんが、私の単なる想像で確証はありません。
結成時構成メンバー
・マリオ・ラヴェッツィ (Mario Lavezzi) ヴォーカル、ギター ( 在籍 1970- 1975 年 )
・ダミアーノ・ダットリ (Damiano Dattoli) ヴォーカル、ベース ( 在籍 1970- 1972 年 )
・セルジョ・ポッジ (Sergio Poggi) ドラムス ( 在籍 1970- 1974 年 )
・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ハモンド・オルガン ( 在籍 1970 年 )
・バルバラ・ミケリーニ (Barbara Michelin) 女性ヴォーカル
・マヌエラ・マンテガッツァ (Manuela Mantegazza) 女性ヴォーカル ( 在籍 1970- 1971 年 )
チロ・ダッミッコ は結成間もなくビゾンティに移籍しフローラル・ファウナ・チェメントがレコード・デビューまで在籍していません。またマヌエラ・マンテガッツァが休み、代わりに女性ヴォーカルとしてバベル・ダグラスが代替をしています。
70年9月サイモン&ガーファンクル( Simon & Garfunkel )の“明日に架ける橋”とロック・オペラの“ジーザス・クライスト・スーパースター”のカヴァーでヌメロ・ウーノからレコード・デビューしました。
レコード・デビュー時メンバー
・マリオ・ラヴェッツィ
・ダミアーノ・ダットリ
・セルジョ・ポッジ
・バルバラ・ミケリーニ
・バベル・ダグラス (Babelle Douglas) 女性ヴォーカル ( 在籍 1970- 1972 年 )
ZN-50030 (1970 年 9 月 Numero Uno – RCA Italiana) Il Ponte (Bridge Over Trouble Water) ( 明日に架ける橋 )/Superstar ( ジーザス・クライスト・スーパースター )
ZN-50030
ZN-50122
ZN-50122 (1971 年 5 月 Numero Uno – RCA Italiana) Un Papavero/In America (Le Particelle)
71年2枚目のシングルを出します。B面は同型の音楽集団 パルティチェッレ( Le Particelle ) の唯一のアルバム「 Azimut 1 」に収録された“ In America ”をカヴァーしています。休んでいたマヌエラ・マンテガッツァが復帰しています。
72年3枚目のシングル盤を出しました。A面“ Mondo Blu ”がヌメロ・ウーノのオーナーでもある作詞家モゴール (Mogol) とルチオ・バッティスティ (Lucio Battisti) 作曲で、彼らの中では一番売れたシングルでした。
女性ヴォーカルの内一人はマヌエラ・マンテガッツァからバベル・ダグラスに変わっています。どう見てもメンバーが固定していないのか、柔軟に対応しているのかどちらなんでしょうか?
ZN-50147 (1972 年
5 月
Numero Uno – RCA Italiana) Mondo Blu/ Fuori Piove, Riscaldami Tu
ZN-50147
ZN-50301
ZN-50301 (1973 年 4 月 Numero Uno – RCA Italiana) La Nostra Piccola Canzone/Forse Domani
73年4月4枚目のシングル“ La Nostra Piccola Canzone ”が発売されました。これはジャケット写真の大胆さ?で話題になりました。このバニー・ガールはディナ・カスティリャーゴ (Dina Castigliego) という女優さんです。グループ名を Flora Fauna e Cemento と表記しています。
結成時の主要メンバーでギタリストのダミアーノ・ダットリがライターの仕事に専念するため、ブルーノ・ロンギ (Bruno Longhi) に代わります。また女性ヴォーカルがダニエル・センタクルス・アンサンブル結成時女性ヴォーカリストの マラ・クエッドゥ に交代しました。
3作目の“ Mondo Blu” がヒットしたのでファースト・アルバムが製作されました。ジャケットはシングル盤で好評の女優ディナ・カスティリャーゴが扮するバニー・ガールが使われ、タイトルを「 Flora Fauna e Cemento – Rock 」とし、収録曲は” La Nostra Piccola Canzone “のみ入り、その他のシングル曲は1曲も収録されていません。
正確に言えばファースト・アルバムはコンセプト・アルバムでその中からシングル・カットされたということだと思われます。
ZSLN-55653 (1973 年 Numero Uno – RCA Italiana) LP Flora Fauna e Cemento – Rock
ND-74859 (199? 年 Numero Uno – BMG Ariola) CD Flora Fauna e Cemento – Rock
1 .La Nostra Piccola Canzone
2 .Come Bambini
3 .Morena
4 .Magia Nera
5 .Forse Domani
6 .Libertà Nell'Amore
7 .Maria Teresa Rigamonti
8 .È L'Ora
ZSLN-55653
ND-74859 
ダットリの作った曲“ Congresso Di Filosofia ”で74年夏のディスク・フェスティヴァルに出場しました。結果は予選敗退でした。73年に入った女声ヴォーカルの マラ・クエッドゥ は74年チロ・ダッミッコ達が結成したダニエル・センタクルス・アンサンブルのメンバーに参加するため脱退しました。その後任は後にイタリアを代表する女性ロッカーとなるジャンナ・ナンニーニ (Gianna Nannini) が入ります。ナンニーニはサンレモ未出場大物歌手の一人なので、何時か『サンレモに出なかった歌手たち』で書かなければなりません。唯一ジャンナ・ナンニーニがフローラル・ファウナ・チェメントで歌ったレコードです。
ZN-50329 (1974 年 Numero Uno – RCA Italiana) Congresso Di Filosofia/Stereotipati Noi
ZN-50329 
74年中にドラムスのセルジョ・ポッジとジャンナ・ナンニーニが脱退し、75年新たなドラマーとしてシルヴァーノ・ボルゾーリ (Silvano Bolzoni) 、女声ヴォーカルにチンツィア・エスポジート (Cinzia Esposito) が加わります。
さらにマリオ・ラヴェッツィはイル・ヴォーロ (Il Volo) を結成するためバンドを去り、交代にスパヴェンタパッセリ (Gli Spaventapasseri) のギタリスト、アルベルト・ヴァッリ (Alberto Valli) とジャンボ (Jumbo) の元キー・ボード奏者のセルジョ・コンテ (Sergio Conte) が入り、グループは75年年古巣のヌメロ・ウーノからCBSに移籍しました。
移籍先のCBSでは、女声ヴォーカルのバルバラ・ミケリーニ以外は全てメンバー・チェンジした。グループ名をフローラル・ファウナ&チェメント (Flora Fauna & Cemento) に 変え、セカンド・アルバム「 Disamore 」をマリオ・ラヴェッツィがプロデュースし、その中から“ Eri Bella ”をシングル・カットしています。
CBS-69114 (1975 年 CBS - CBS Sugar) LP Disamore
1 .Visionario No!
2 .Eri Bella
3 .Il Benpensante
4 .Corri Uomo Uomo Corri
5 .Sorella Speranza
6 .Quando Noi
7 .Sei Di Prima
8 .Le Ricreazioni
9 .Il Re Del Rock
10.Sensazione Notte
CBS-69114
3465(CBS) 
3465(CBS) (1975 年 CBS - CBS Sugar) Eri Bella/Sensazione Notte
76年フォニット・チェトラに移籍します。“ Visionario no ”をセルフ・カヴァーしたシングル盤を出しました。
SP-1614 (1976 年 4 月 Cetra - Fonit Cetra) Visionario No/L'Orizzonte
SP-1614
SP-1652 
SP-1652 (1977 年 Cetra - Fonit Cetra) Io Sono Mia/Mia Dolce Amante
77年フォニット・チェトラから2枚目のシングル“ Io Sono Mia ”を出ます。これが彼らの最後のレコードとなり、翌78年解散をしました。
彼らは再結成することもなく、再生編集ベスト盤業者のDV . モア、ダック・レコード等が出したCDは見かけません。
ダニエル・センタクルス・アンサンブル3 は次回に続きます
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