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★フランコ・ファニリューロ (vm) Franco Fanigliulo

本名ジャン・フランコ・ファニリューロ (Gian Franco Fanigliulo) 1944 2 9 -1989 1 12 日ジェノヴァとピサの中間に位置するリグリア州最東部の港湾都市ラ・スペツィア (La Spezia) 生・没、自作自演歌手。

活動期間 1976 – 1989

所属レコード会社 Ascolto, Numero Uno, Bollicine

サンレモ音楽祭出場1回 1979 6 ,

 ジャン・フランコ・ファニリューロは1941年に軍港都市、港湾都市としてしられるラ・スペツィアで海軍の職業軍人マリア・メルカンティレ・ファニリューロ (Marina Mercantile Fanigliulo) を父に、とピアニストをしていた母の間に生まれました。

 若い頃から父の影響を受け海に憧れて船員となりましたが、数年後リュウマチ性疾患で船員を諦めざるを得ませんでした。その後木こり、店員、美容機器販売など色々な職種を経験しています。その頃母の影響で音楽に興味を持ち、趣味で作曲を始めました。

 やがて エキペ84 (Equipe 84) の設立メンバーで元ギタリスト (70 年脱退 ) だったフランコ・チェッカレッリ( Franco Ceccarelli )に見出され、カテリーナ・カセルリ (Caterina Caselli) の興したレコード会社アスコルト (Ascolto) と契約をすることが出来、本格的に自作自演歌手の道を歩み始めました。

 カテリーナ・カゼッリが才能を認めデビューさせただけあり、新人の場合リスクを少なくするため普通はシングル盤を出すのですが、ファニリューロはいきなりアルバムをリリースします。

 そのアルバムは非常に「演劇」的なシャンソンのようで、ジョルジョ・ガーベル (Giorgio Gaber) や歌手か俳優か迷ったあげく俳優になったルイジ・プロイェッティ (Luigi Proietti) の作風に似た出来上がりでした。

ASC-20007 (1977 Ascolto – CGD) Mi Ero Scordato Di Me

Legamento N° 1

.Domani

.Il Mio Mondo

.Voli

.Mi Ero Scordato Di Me

.Lasciatemi Andare

Legamento N° 2

.Nel Cammino Della Speranza

.Davanti A Me

. Legamento N° 3

.Il Cane E Il Gatto

.E Camminare

                  ASC-20007

 このデビュー・アルバムは長い時間をかけて作曲されたもので、次第に評論家たちの注意を引くようになります。この年にジュゼッペ・ベルトルッチ (Giuseppe Bertolucci) とロベルトベニーニ( Roberto Benigni )の原作デビュー作、かつジュゼッペ・ベルトルッチ監督デビュー作の映画「「ベルリンガー (Berlinguer Ti Voglio Bene) 」で、架空の音楽グループ、ロメオ&ロス・グリンゴス (Romeo e i Los Gringos) の歌手を演じています。

 これらの評価で79年サンレモ音楽祭の出場が決まり、その舞台では出場曲“殿様気取り”を歌いながら演技的ジェスチャーで演じ切りました。最終日にはファニリューロに優勝の噂も広まりましたが6位入賞となりました。

ASC-10142 (1979 Ascolto – CGD) A Me Mi Piace Vivere Alla Grande ( 殿様気取り )/Non Si Sa Mai

ASC-10142ASC-201239031-75239 2

ASC-20123 (1979 Ascolto – CGD) Io E Me

9031-75239 2 (1979 Ascolto – CGD) Io E Me

.L'Artista

.A Me Mi Piace Vivere Alla Grande ( 殿様気取り )

.Il Guerriero

.Marco E Giuditta

.Buffone

.Con Te

.Il Chirurgo

.Non Si Sa Mai

.La Giovanna

 サンレモ音楽祭出場曲“殿様気取り”が入ったセカンド・アルバム「 Io E Me 」が出ました。これも「演劇」的なシャンソンのような曲が集められています。

 79年後半サード・アルバム「 Ratatam Pum Pum 」が出ました。8曲目の“ Tutti Garibaldi ”はフランコ・ファニリューロとマウリツィオ・ボリオロ (Maurizio Boriolo) の二人で作っていますが、それ以外はフランコ・ファニリューロ自身とマウリツィオ・ボリオロ、 オスカー・アヴォガドロ (Oscar Avogadro) の共作です。今までのファニリューロから脱皮しようと模索しているように作風を変えたアルバムです。

ASC-20215 (1979 Ascolto – CGD) Ratatam Pum Pum

.Una Nave

.La Gramigna

.Monte Di Pietà

.Ratatam Pum Pum

.Lisa

.Cristo Però

.Balla Stella

.Tutti Garibaldi

ASC-20215  ASC-10270

ASC-10270 (1980 Ascolto – CGD) Ratatam Pum Pum/La Gramigna

 今までにない強烈なロック曲の“ Ratatam Pum Pum ”をシングル・カットしています。その後暫くレコードを制作していませんでしたが、82年シングル盤“ La Libertè ”を出しています。一般的人気はサンレモ音楽祭に出場した頃から薄れていきましたが、批評家など玄人受けする歌手でした。

ASC-10369 (1982 Ascolto – CGD) La Libertè /Con Tenerezza

ASC-10369

 83年元 ロークス (I Rokes) のリーダー、シェル・シャピロ (Shel Shapiro) の後ろ盾で、ルチオ・バッティステとモゴールが設立したヌメロ・ウーノに移籍をします。ヌメロ・ウーノは74年にRCAイタリアーナに譲渡されたレーベルでしたが、節理と当初の音楽性は維持されていました。

Q- ディスク というイタリア独特のミニ・アルバムで4曲の新曲を発表しました。一般受けしそうな曲が揃えられましたが、昔のフランコ・ファニリューロを特徴づけたものは消えてしまいました。

ZG-70057 (1983 Numero Uno – RCA Italiana) Q-Disc Benvenuti Nella Musica

82876-59941 2 (2004 Numero Uno – BMG Italy) Q Disc Benvenuti Nella Musica [0 828765 884125]

.Benvenuti Nella Musica

.Basta Con Questo Show

.Grande

.Dormi Bimbo Dormi

ZG-70057  82876-59941 2

 その後すぐに歌手活動を一時停止し、ヴェッターノ・リグレ (Vezzano Ligure) のプラティ (Prati) で農場を買い、牧場をを始めました。その間も曲作りはしていたようです。

 87年ファニリューロはヴァスコ・ロッシ (Vasco Rossi) とロッシのスタッフ幾人かのミュージシャンとコラヴォレーションする機会を得ています。その中で スタディオ (Stadio) のガエターノ・クッレリ (Gaetano Curreri) とスティーブ・ロジャースバンド (Steve Rogers Band) のマッシモ・リーヴァ (Massimo Riva) の協力で4年ぶりの新曲“ L'Acqua Minerale ”を出すことが出来ました。

 また87年にズッケロ (Zucchero Fornaciari) のアルバム「 Blue's 」の制作に大きくかかわりました。

BOS-101 (1987 Bollicine (Targa Italiana) Dischi Ricordi) L'Acqua Minerale /La Sposa Che Ride

BOS-101 BOS-102

BOS-102 (1988 Bollicine (Targa Italiana) – Dischi Ricordi) Napoli Che Fa ?/Mr. Wonderful

 88年フランコ・ファニリューロは脳出血で倒れ、翌89年1月12日故郷ラ・スペツィアで亡くなります。享年45才余りにも短い人生でした。

 彼は83年から作曲し、録音した音源で最新のアルバムを準備していました。その中からシングル盤“ Napoli Che Fa ? ”が発売され、アルバムは「 Goodbye Mai 」という題が付き、彼の遺作として89年にリリースされています。

BOL- 1103 (1989 Bollicine (Targa Italiana) – Dischi Ricordi) Goodbye Mai

.Mr Wonderful

.Sudo Ma Godo

.L'Acqua Minerale

.Fumi O Fumi

.Napoli Fa L'Onda

.Goodbye Mai

.Bambini Di La

.La Sposa Che Ride

BOL- 1103

フランコ・ファニリューロの国内盤

GP- 683 (1979 5 SEVEN SEAS - キング ) 30cm LP 第29回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1979)

. 殿様気取り (A ME MI PIACE VIVERE ALLA GRANDE)

GP- 683

フランコ・ファニリューロは以上です。

ウンベルト・ナポリターノ (vm) Umberto Napolitano

1947 3 25 日ミラノの東50 km にあるロンバルディア州の中都市ブレシア (Brescia) 生、歌手、作詞・作曲家。デビューから1972年までウンベルトの芸名を使った。

T-17403

活動期間 1964 – in attività

所属レコード会社 Vedette, Jolly, RCA Talent, RCA Milano, Durium, Warner Bros. Records, Why Records, Amiamoci, Fonit Cetra, Harmony, Esquire Records, NAR(Iperspazio), Dig-It, Fuego, D.V. More, Dielle Record

サンレモ音楽祭出品3回 1977 年参加、 79 年9位、 1981 年参加、

サンレモ音楽祭出品6曲 1967 年参加、 70 年参加、 76 年参加、自己出場曲

公式サイト https://myspace.com/umbinapolitano

 1960年代半ばにはフォークロックのカンタウトゥーリとして カルメン・ヴィラーニ (CarmenVillani) ロベルタ・マッツォーニ (RobertaMazzoni) などに楽曲を提供し、特に成功したのは67年サンレモ音楽祭で入賞出来なかったのですが、売り出し中の カテリーナ・カセルリ (CaterinaCaselli) の“風に消えた恋 (Il Cammino Di Ogni Speranza)” を作って彼の名が知られるようになりました。

 しかし歌手としての成功は新興WEAイタリアーナに移籍した後で、マイナー・ヒットを出し77年“コンテ・チ・スト (Con Te Ci Sto) ”でサンレモ音楽祭に出場しました。

 1年おいて79年再び新人歌手の多いサンレモ音楽祭にWEAイタリアーナの傘下イット・ホヮイ・レーベルからベテラン歌手として“私の少女”を歌い9位入賞をしています。

 “私の少女”は週間ヒット・ランク最高33位 ( 在位14週 ) のマイナー・ヒットで終わります。このサンレモ出場曲を入れたセカンド・アルバム「 Umberto Napolitano 」も発売されました。

T-17308 (1979 It Why ‎– WEA Italiana) Bimba Mia ( 私の少女 )/La Pazzia

T-17308 T-56611
T-56611 (1979 It Why ‎– WEA Italiana) Umberto Napolitano

.Artista

.Angeli

.Amiamoci

.Pioggia

.E Così

.Bimba Mia ( 私の少女 )

.Telegrammi E Fiori

.Mondogallinarock

.Senza Discutere

10.L'Ultimo Falò

11.Pazzia

 79年もう1枚シングル盤“ Pioggia ”を出しています。

T-17403 (1979 It Why ‎– WEA Italiana) Pioggia/Senza Discutere ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

 この後78年に出した曲“ Amiamoci” をレーベル名にした自分の会社を興して、シングル盤” Cantando E Fischiettando “と” Ma Con L'Amore No “を出しました。

AM-2001 (1979 Amiamoci ‎– WEA Italiana) Cantando E Fischiettando /Eco

AM-2001  AM-2006
AM-2006 (1980 Amiamoci ‎– WEA Italiana) Ma Con L'Amore No/Quante... Papà !

 81年最後のサンレモ音楽祭出場をします。

ウンベルト・ナポリターノの国内盤はありません、

ウンベルト・ナポリターノ  3は1981年サンレモ音楽祭の後に続きます






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Last updated  2020.01.16 08:40:05
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