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前年1979年第29回大会で「サンレモ音楽祭の復活」でその名の通り『サンレモ男』のジャンニ・ラヴェーラが総責任者として復活しましたが、この年80年のオーガナイザーはプブリスペイ (Publispei) 社と言う会社に変更になったのが大きな特徴です。
また日本においては61年(第11回)から75年(第25回)を除いて毎年どこかのレコード会社がその年の出場曲を集めたオムニバス(コンピレーション)盤を出していたのですが、ついに79年を最後に発売されなくなりました。不定期に85年にLP、89年にCDをして発売されましたが、それ以外は個人の歌手のアルバムかシングル盤に入るか、カンツォーネやサンレモのコンピレーション盤に収録される以外は国内盤が出ることは無くなりました。
第30回 1980年2月7日 ( 木 ) ~9日 ( 土 ) サンレモ市アリストン劇場 (Teatro Ariston di Sanremo)
司会 :クラウディオ・チェッキート (Claudio Cecchetto) 、ロベルト・ベニーニ (Roberto Benigni) 、オリンピア・カリージ (Olimpia Carlisi)
オーガナイザー: プブリスペイ (Publispei) 社 [ オーナーはジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)]
芸術監督: ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
芸術助監督: ジャンニ・ナーソ (Gianni Naso)
[ 数 ] は外人歌手数、1980年の外人の出場は4歌手
・ Dischi Ricordi 8[1] ( Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1] )
・ CGD 6 [1] ( CGD 1[0] ; Derby 1[1] ) , Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0] )
・ RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0] ))
・ EMI Italiana 4[1]
・ Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0] ); Philips 2[1] ) )
・ Fonit Cetra 1 [0]
・ Ri Fi 1 [0]
・ CBS Dischi1[0] (CBS 1[0])
それに比例して日本でのサンレモ音楽祭の認知度は低くなっていきます。出場曲リストで 太文字 にしているのが国内盤が出た曲ですが、優勝したトト・クトゥ-ニの“ソロ・ノイ”の1曲のみです。それも89年に出た3枚組CD「カンツォ-ネのすべて~栄光のサンレモ (STRIA DELLA FESTIVA DI SANREMO) 」に収録という状態になりました。また邦題も決まっていない(私が知らないだけかも)出場曲も増えていきます。


サリ - ・オールドフィールド (Bronze) デチベル (Spaghetti) トト・クトゥーニョ (Carosello)
< 優勝曲 >
ソロ・ノイ Solo Noi (Salvatore Cutugno) 出版社 NUMBER TWO <B> トト・クトゥーニョ (vm) Toto Cutugno (Carosello - Dischi Ricordi ) CI-20483 [45]
CI-20483
第2位 君は元気かい Ti Voglio Bene ( Depsa - Enzo Malepasso ) 出版社 Intersong Italiana - Editions 23<A> エンツォ・マレパッソ (vm) Enzo Malepasso ( Polydor – Polygram Dischi ) 2060-218 [45]
2060-218
BR-5020

第3位 恋人たち Su Di Noi ( Paolo Barabani - Enzo Ghinazz - Donatella Milanii ) 出版社 Televis <B> プーポ (vm) Pupo ( Baby - CGD ) BR-50209 [45]
< 入賞曲 >
( 4位 ) マリウ Mariù ( Francesco De Gregori - Rosalino Cellamare ) 出版社 RCA Mus. B> ジャンニ・モランディ (vm) Gianni Morandi ( RCA – RCA Italiana ) PB-6416 [45]
PB-6416
3C ・
006-18464
( 5位 ) 歌ある限り Più Di Una Canzone ( Piero Calabrese - Romano Musumarra ) 出版社 -<B> ボッテガ・デッラルテ (compl) Bottega Dell'Arte ( EMI – EMI Italiana ) 3C ・ 006-18464[45]
( 6位 ) あなたへのうた I Sing For You (Alberto Salerno - Maurizio Fabrizio) 出版社 Come Il Vento – SIAE <B> サリー・オールドフィールド (vf=er) Sally Oldfield ( Bronze - Dischi Ricordi ) BRO-90 [45]
BRO-90
CIAO-508 
( 7位 ) イタリアーノ L'Italiano ( Stefano Rosso ) 出版社 Itaca - SIAE<B> ステファーノ・ロッソ (vm) Stefano Rosso ( Ciao – CGD ) CIAO-508 [45]
( 8位 ) 君のいない日々 Tu Mi Manchi Dentro (Popi Minellono - Renato Brioschi) 出版社 Intersong Italiana - Akila<B> リロイ・ゴメス (vm=fr) Leroy Gomez ( Philips - Polygram Dischi ) 6025-249 [45]
6025-249
YEP-00726 
( 9位 ) 白馬 Cavallo Bianco ( Vania Magelli - Riccardo Aglietti ) 出版社 Gabric <A> パオロ・リヴィエラ (vm) Paolo Riviera ( Yep – Dischi Ricordi ) YEP-00726 [45]
(10 位 ) ジェロシア Gelosia ( Danilo Ciotti- Roberto Satti ) 出版社 Belrive<B> ボビー・ソロ (vm) Bobby Solo ( EMI – EMI Italiana ) 3C ・ 006-18471 [45]
3C ・
006-18471 
入賞曲の残り10曲は次回です
オーガナイザーとなったプブリスペイのことをもう少し説明しておきましょう。72年ローマに ジャンニ・ラヴェーラがTVドラマを中心とした番組制作、音楽ショーの制作、イベント制作を目的とした会社を設立しました。80年初頭イタリア音楽業界の老舗でビクシオ( Bixio )家が株式の50%を引受け、多くのTVドラマを制作し、サンレモ音楽祭は第38回までと42回、43回のオーガナイザーをしています。前年の彼自身は今回芸術監督となり、前年の芸術監督ジャンニ・ナーソを芸術助監督にすえて、第30回の全権を握り開催しました。
プブリスペイはサンレモ音楽祭の他にも夏のディスクや、91年にホスト国となりローマのチネチッタ開催されたユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(80年、90年サンレモ音楽祭優勝者に優勝したトト・クトゥーニョとジリオラ・チンクェッティが司会)もプロデュースをしています。
パオロ・リヴィエラ (Yep) アルベルト・ケリ (CGD) アルベルト・ベルトラミ (Una)
80年初出場レコード会社はCiao、Cinevox、Lupus、Unaの4社です。
それでは日本で一番なじみのあるチネヴォックス(Cinevox)から紹介していきましょう。
チネヴォックス・レコード (Cinevox Record)
日本では“マンマ (Mamma,) ”、“夜のヴァイオリン (Violino Tzigano) ”、“マリウ、愛の言葉を (Parlami D'Amore Mariù) ”の作者として知られ、第二次大戦前からイタリアを代表する作詞・作曲、チェザーレ・アンドレア・ビクシオ (Cesare Andrea Bixio) が1920年に設立した音楽出版 C.A. ビクシオ (La Casa Editrice C.A. Bixio) の子会社とし60年に作られたレコード会社です。
チェザーレ・アンドレア・ビクシオは生涯で500曲以上の楽曲を作り、150本以上の映画に音楽を付けました。作ったレコード会社は映画のサウンドトラック盤を本業とし、社名もチネヴォックス( Cinevox Record )と名付けられました。
多くのイタリア系大資本のレコード会社は、世界資本(主にアメリカ系)に呑み込まれていきましたが、チネヴォックスは今も創業以来の姿勢を貫き活動を続けています。
チネヴォックスのホームページ https://it.wikipedia.org/wiki/Cinevox
多分単独でチネヴォックスとクレジットされた国内盤が出たのはブルーノ・ニコライ楽団演奏の“悲しみは星影と共に”のサントラ盤ではないでしょうか?
FON- 1058 (1966 年 10 月 5 日 FONTANA - 日本ビクター ) 悲しみは星影と共に (OLTRE LA NOTTE) /悲しみは星影と共に~愛のテ-マ (LOTRE LA NOTTE TEMA D'AMORE) [ オリジナル・サウンドトラック ]
FON- 1058
EOR-20474 
EOR-20474 (1975 年 8 月 20 日 ODEON - 東芝EMI ) サスペリア2のテーマ (PROFONDO ROSSO) /死の滅亡 (DEATH DIES) ゴブリン (GOBLIN) [ オリジナル・サウンドトラック ]
何といってもチネヴォックスの名前が知れるようになったのは、ほぼ10年後の70年代半ばに流行っていたホラー映画のお陰でした。全編イタリアのプロ・グレ・バンド、ゴブリンが付けた映画「サスペリア2」がヒットします。77年には映画「サスペリア」で同じくゴブリンのサントラ盤、79年の同映画「ゾンビ」サントラ盤と続き、ゴブリンは日本でもイタリアのプロ・グレ・バンドが注目されていきました。
一方90年代に入りCDでの映画サントラ盤ブーム、次にそのサントラ音源を使ったラウンジ系ミュージックが流行っていきます。こうして日本の市場はチネヴォックスの繁栄を支える一助となります。
またこのブログの項の最初に書いた、サンレモ音楽祭ヲプロデュースする会社プブリスペイの株式の50%を取得し、音楽イベントに大きくかかわっていきます。
特に90年代半ばまでサンレモ音楽祭にほぼ毎年のように歌手を出場させるレコード会社へと変貌をとげ、翌81年にはオリエッタ・ベルティ (Orietta Berti) が入賞、82年は参加、83年はマルコ・アルマーニ (Marco Armani) が“人生”で入賞、翌84年彼は新人部門第2位、86年入賞、85年マルコ・アルメニーゼ (Marco Armenise) 、ベビー・レコードから移籍してきたリッキとポーヴェリ (Ricchi E Poveri) が88年“イエスが生まれ“で入賞しており、第2のベビー・レコード的存在として注目されました。

ジョルジョ・ジト と ヂ - ゼル (Lupus) コスカレッラ と ポリメノ (CBS)
サンレモ音楽祭 ( FESTVAL DI SANREMO )1980年 2は次回に続きます
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には " ◇ " を、参加曲の頭には " ◆ " を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方は You-Tube を探してください。見つかることもあります。
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