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自分は毎日「どうして」という言葉を何十回も言ってる気がする。子どもの頃には、親戚から「おまえはどちて坊やみたいだ」と言われていた。どちて坊やとは、アニメ『一休さん』に出て来るキャラクターで四六時中、周りの人に「どちて(どうして)?」と問いかけている子ども。可愛くないキャラクターだったので似てると言われてがっかりだった。こんな私を周囲の人々は、うるさがった。面倒くさいのと、答えられないのと、半々だったのだろう。母は「知らないよ!どうでもいいよ、そんなことは! そんなことより部屋の掃除をしたらどうなんだ」と、いかに私の部屋が散らかっているかについて語りだすのが常で、華麗なるやぶへび展開、まっしぐら。父は「自分で調べろ」と言った。そのうち私は人に聞かずにさっさと自分で調べるようになった。しかしインターネットもない時代、しかも粗末な図書室しかないような学校、自分で調べるには限界があり、多くの疑問が不完全なまま流れて行った。どっちにしろ、日々、疑問だらけだったし、私は浮気性だったから、そんなに気にしていなかったけど、身近に博識な人はいたら手っ取り早いのに・・・ということは、よく思った。わからなくても一緒に考えてくれる人がいたら、どんなに楽しいことだろう・・・ということは、もっといっぱい思った。私は答えを知りたい欲望もあったけど、それ以上に、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと考えることが好きだった。一人で考えるのも面白いけどたまに誰かと一緒に考えることができた時にもっと面白かったから、そういう人がいたらなーと思っていたのだった。しかし残念なことに私の周りにはこういうことが好きな人はいなかった。時々、付き合ってくれはするけれど、基本的には興味ない様子で、こっちがまだまだ喋り足りないのに「知らないよ。考えたって無駄だよ。それよりさー」と他の話に持ってってしまう。「しつこいよ」とか言われてしまう。私の「どうして?」は、人に対して向かうことも多かった。(現在はおもにこっち方向になってるし)友達の話を聞きながら「ねえ、どうしてそうしたの?」「どうしてそう思うの?」「どうしてそれが良くてこれは駄目なの?」「どうして?どうして?」噂話や悪口を聞きながら「どうしてその人はそうなんだろうね?」「どうしてみんなはその人がいやなの?」「どうしてそれが駄目なの?これはどうなの?」「どうして?どうして?」一緒に考えられる相手が欲しい・・・と願っていた私だったが、それ以前に、友達関係すら危うい空気になることも多々あった。うるさがられて。大人になった今も私は「どうして?」という言葉を毎日、毎日、発し続けている。でも今は、一緒に考えてくれる人がいる。多くないけど何人か。彼らとの会話が私はすごく楽しい。笑いを織り交ぜながら、脱線しながら、ぶつかりあったりしながら、すごく楽しい。生きてきて良かったなーと思う。別に死にたいと思ったことないけど。世の中広いから、どこかにきっと自分と同じことを楽しいと感じる人っているはずだと思っていたことは、やっぱり間違いじゃなかったんだなーと、しみじみしたり。今、まだ、そういう相手に巡り会えてない人ってたぶんいると思うけど、生きてればいつかは会えると思うよ、うん。あなたが待っているようにその人もあなたを待っている。 今日の一曲『Stand By Me』oasis
2008年01月30日
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私は素敵なものとか面白いものとかすごいものとか、とにかく魅力的なものが好き。魅力的な人も好き。接することで得られる良い気持ちに喜び感じるし、第三者的に眺めてるだけでも充分に良い気持ちになるし。魅力的なものや人や、そういう人が作り出すものは世の中の共有財産といっていいほど価値があると思う。せっかくの魅力を汚したり壊したり輝くことの邪魔をしたりする人を見ると腹が立つ。たとえば何かの才能を持ってる人に対してそれを嫉んで妨害したり足を引っ張ったりする人。純粋な人、繊細な人、優しい人を、「気に食わない」「面白くない」などの魅力のカケラもない個人的感情でむやみに汚したり傷つけたりする人。なんてことしやがる、と思う。戦争も大嫌いだ。どのくらい多くの魅力的な人が巻き込まれて死んでいったことだろう。もし生きてたら生み出された魅力的なものがどのくらいあったことだろう。まったく、はかりしれない損失だ。 今日の一曲『人魚』NOKKO
2008年01月29日
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職場の先輩たちはなににせよ「みんなで」にこだわる。個人プレーをずるいと言う。自分だけ点数稼ごうとしてさ、みたいに足を引っ張りたがる。私はみんなでした方がいいことはみんなですればいいし、個人でした方がいいことは個人ですればいいと思う。そうじゃなくてもみんながみんなでしたいならみんなですればいいしみんなでしたくない人の方が多いならやめればいい。みんなですると、太くなる。三本の矢のお話みたいに。でも、みんなですると、個人が薄くなるのも事実。どっちを選ぶのかはお好み次第、状況や目的次第。先輩に「なんでそんなに『みんなで』にこだわるんですか?」って聞いた時、「子どもの頃から学校でずっとそうだったからかも」と苦笑していた。日本全体もそうだったですよねと思った。ついでに、私の時もまだそういう時代が続いてましたよと思った。っていうか、今もまだ続いているのでは?濃淡の度合いの差はあるので時代の影響がないとは言わないけど、それ以上に、「みんなで」の記憶に幸福感が伴っているか、不快感が伴っているのかの違いなのかも・・・という気がする。もしくは、場合による感(←私はこれ)それはそれとして、個人プレーはずるいからやめろって考え方、嫌いだ。個人プレーを禁じることは文化や文明の発展を塞ぐことに繋がる、と、やけに大きなことを考えてしまうくらい嫌いだ(笑)だからといっていつでもどこでもみんな個人プレーすべきなのだという考え方なわけじゃない。0か100かの問題じゃないだろうと思う。というか、0か100かにしてしまうことを変だと思う。 今日の一曲『From A Distance』BETTE MIDLER
2008年01月28日
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仕事中によく感じる。人と自分との、何か言われた時の受け取り方の違い。同じことを言われても私ならなんとも思わないことで傷ついたり腹を立てたりしている。簡単に言っちゃうと悪く解釈している。言葉そのままの意味で受け取るならなんでもないことなのに他意を加えてしまう、悪い他意をね。皮肉とか、あてつけとか、いやがらせとか、責められてるとか。こういうことに関して私は「楽天的過ぎる」と言われてしまうことが多い奴なので、自分の方が間違った解釈なのか?読みが足りないのか?と検証したりするんだけど、やっぱり悪く解釈してるとしか思えない場合が多い。なんで悪く解釈しがちなのか?実は、私にも、悪く解釈しがちな事柄がある。それは人間関係における、相手にとっての自分の必要性・関係性なんだけど、相手はそんなこと何も言ってないのに「いらないよね、私」「関係ないよね、私」と退いてしまう。私はなんでそうなってしまうのか。それは自信がないからの一言につきる。相手にとっての自分の必要性・関係性に、自信がないの(笑)また、今は違うけど、前は「責められている」「いやがらせ」と解釈してしまうことも結構あった。そのわけは、自分は人から嫌われてしまうタイプなのだと思い込んでいたからで、さらに、他人は私にいやなことを言う、してくるものなのだと、慢性的被害者意識と性悪説的思考を抱えていたからでもある。実際問題、人のいやがることをして楽しい人っていうのはそんなにいない。むしろ大部分の人は、人を喜ばせることができたら自分も嬉しくなり、人を困らせたり傷つけたりしてしまったなら自分もいやな気分になっている。(そうじゃない人もいるけどね、 割合で行くと、そうじゃない人の方が少ないと思う)さらにもう一つの「なんで」今、私はなんで悪く解釈することが少ないのか。それは、自信があるから。もしくは、別に自信なくないから。そんなこんなで、人の言うことを悪く解釈しがちになることの理由って、自分に自信がない、被害者意識を抱えてる、性悪説的思考になってる、自分自身が他意をこめてものを言うタイプだから、他意をこめてものを言うタイプが現実に近くにいる、中途半端にプライドが高いから、のうちのどれかにあるんだと思う。一個とは限らなくて複数、あるいは全部かもしれないけど。でも、他意のない人に対して他意があると決め付けて「ひどい」とか思うのは失礼なことなのだ。きみの方がひどいよ?ってことなのだ。第三者の人たちからしても、結構、困っちゃうことなのだ。全体の仕事の流れに支障をきたす場合もあるしね。だから瞬間的にそう受け取っちゃうのは仕方ないにしても、しばらくしたら冷静に検証するようにしたらいいと思う。私もそうしてる(笑) 今日の一曲『Shine On』JET
2008年01月27日
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『今日の日はさようなら』だっけ。いつの日もーたえることなくーって歌。遠い昔、小学生の頃に習ったんだけど、いまだに誰かとどこかに行った帰り道なんかにふと口づさんでいたりする。今日の日はさようなら また会う日までー♪前にここの日記に「さよならっていやなんです」って書いたけど、本当は私、むしろ好きなのかも(笑)というか、言葉自体は、間違いなく好きだ。さよならって言葉の出て来る歌に強く惹かれてしまうのだ。 今日の一曲『SAYONARA』Mary MacGregor 映画「さよなら銀河鉄道999」の主題歌だった曲。 この歌もまた今もよく口づさむ。 サヨーナラ、イッツ・ア・グッバイ~ って所だけね。 考えてみたら変な歌詞・・・。
2008年01月24日
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どうしようもないことって実はそんなに多くないと思う。どうしようもなくないのにどうしようもないって決めつけてること、自分もあるし人もあると思う。どうしようもないって決めちゃったら本当にどうしようもなくなるのにね。本心では、どうもしたくないから、どうしようもないってことにしておきたくなっちゃうのかもね。 今日の一曲『すべての歌に懺悔しな』桑田佳祐
2008年01月23日
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人のこと、嫌いになることは、ほとんどなくて、私が離れたくなる時は大抵、「付き合い続けることがストレスになる」というのが理由。相手に非はないです。どこまでも私の側の問題。私は人との間にある程度の距離が必要。くっつかれるのが駄目。満員バスなら仕方ないけどせめて顔だけは息のかからない距離間を保ちたい。何かと体に触ってこられるの駄目。不意に触られないように手を伸ばしても届かないくらいの距離が欲しい。いっつも連絡し合うとか無理。何するんでも一緒とかいうのも無理。いきなり家に来られるの嫌い。自分のものを勝手に見られるの嫌い。自分のことに勝手に手を出されるのも嫌い。一回、二回、三回くらいなら、まあいいやって感じなんだけど、「私、こういうの駄目なんだよねー」って何度か言っても変わりなかったり、他人との境界線が基本的に曖昧な人なんだなーと思わざるを得ない時には、しょうがないので付き合いやめる方向に行く。拒むのは悲しいけれど、相性合わなかった、ということで。お互い、その方がいいだろうし。境界線が曖昧・・・そうして、境界線なんてなくしたいって人は、私と付き合っても寂しくなったり傷ついたりするだけだと思うし。それでも一緒にいたいと言うなら止めないけど私は合わせる気はないよと。でも、それだと本人、きついみたいで、結局、去ってく、だんだんと。去られたら悲しい。嫌いなわけじゃないんだし。っていうか、私は、好きな人じゃないと顔見知り以上の付き合いをしない奴なので、好きなんだし。好きなら無理して合わせたりすべきよねって思ったことは何度も何度もある。実際、「こういうの駄目なんだよな、自分」って思いつつも、相手の期待に応えようとして無理したことだって何度もあるし。でも続かなかった。無理は続かない。それは相手にも言えることだと思う。だからこれは受けなくてはならない悲しみなんだと思ってる。せめて相手を傷つけなくてもいいように私をいやになってもらいたい。でも、こんなこと願うのは、ちょっと自分勝手過ぎるよな。互いに無理せずに自然なままで続いて行ける関係が理想です。 今日の一曲『冷たい雨』 荒井由実
2008年01月22日
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札幌はすっかり雪の町です。それにしても積もったばかりの雪景色ってなんてきれいなんだろう。除雪車が間に合っていない、膝までの雪の道を歩きながら、何度も「きれいだなあ」って、うっとりしてしまった。雪はいろいろたいへんだけどそのかわり、とってもきれい。たいへんだけどきれいな贈り物。いらないなんて、やっぱり思えない。 今日の一曲『冬の翼』スネオヘアー
2008年01月21日
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仕事していてめんどくさいなーと思うのは、「変にプライドの高い人」人から注意されたくない。間違いとか忘れてることとか指摘されたくない。言ったこと否定されたくない。そういうことされると、不機嫌になってしまうのさ。気持ちはわからないでもない。だけど、仕事なんだから、だったら言われない自分になれ、と思う。彼らは人に対して変に気をつかう。自分がされたくないことは人にしない、ってやつ。「注意されたくないだろうから」「指摘されたくないだろうから」って、いろんなことを飲み込んでしまう。してくれよ、普通に。しようよ、もっと普通に。仕事なんだから、それじゃ、逆に困るんだよ。 今日の一曲『胸のチャイム』フライングキッズ
2008年01月17日
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子どもの頃、よく、父から、「俺の△△が見当たらない。探せ、探せ」と命令されていた。イヤだった。私は知らないよ、自分がなくしたんだから自分が一番わかってるでしょ。それ言うと、父、怒る。ふてくされる。母はといえば、毎日、毎日、不満や愚痴をこぼしてた。長々と語るのを私はいつも聞いていたけれど反応が冷たいよと、よくなじられた。「娘なら母親の絶対の味方になるのが普通なのに あんたときたら・・・」いくら娘と母でも無条件で肯定なんてできないよ。それ言うと、母、怒る。ふてくされる。親の方が私より子どもみたいだなーって思うこと、多かった。気にくわないことがあるとすぐふてくされるし、ちやほやされたがってるし、肯定されたがってるし、いろんなことをされたがる。味方になってくれないって怒るし、私の友達にやきもちやくし私の気持ちを試したがるし思い通りにいかないと黙り込んだり怒鳴りまくったり大騒ぎ。役割的にこれじゃあ、まるで、私が大人で、親が子ども。子どもの頃は自分の家がすこぶる特殊なんでしょうと思っていたのだけれど、いろいろな本とか人の話とか聞くとそうでもないみたい。というか、親子の役割逆転って、日本では、ありがちなことらしい。子ども時代、親のお守りをしていて、大人になって自分が親になったら昔自分の親がしていたみたいに子どもに甘える、みたいな。大人になって二人とも愛情に飢えてたことを知った。砂漠みたいに貪欲に。私には満足させることはできなかった。だって私は子どもだったんだ。 今日の一曲『クロニック・ラヴ』中谷美紀
2008年01月16日
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よく思う。「これはこれでいいや」たとえばコーヒー。ブラックでもミルク入りでも砂糖入りでも薄くても濃くてもなんでもいい。これはこれでいいやと思いながら飲む。音楽でも本でもそう。これはこれでいいや。人に対しても物事に対しても。だからあんまり不満とか要望とかないんだよね。なさすぎるのもなんだかなーと思うんだけど、でも、これもまた個性かもという気もする。自己肯定(笑) 今日の一曲『命果てるまで』ユニコーン
2008年01月15日
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朝の情報番組ってどれも「今日の運勢」をやるね。たいてい、星占い。たまに血液型占い。天気予報とセットになってる感じ。似たような扱いってことか。なんか面白い。外国でもこうなんだろうか。星占いは星の動きで占うからまだしも、血液型でなんで今日の運勢がわかるんだ。私はこういうのは、見た時に「1位か、幸先いいね」「ビリか、どうせ当たんないからいいや」とか思うだけで、すぐ忘れる。あ、でも、ちょっとした話題にできるから便利かも。「今日の魚座は絶好調らしいですよ」「え、そうなの?やったー。でもどうせ当たんないよね」「いやいや、そうでもないかも。 信じる者は救われるって言いますしねー」「そういえば前に当たったことが」「え、ほんとに?どんなどんな?」みたいな感じで。結構みんな、そういうふうに使ってるのかもね。 今日の一曲『乙女座宮』山口百恵
2008年01月14日
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今、私は、自己嫌悪中。職場の人間関係でちょっとね。あーあ、ルール違反(←自分ルール)しちゃった。どうしようもないことなので反省します。相手からしたら私が反省しようがしまいがどうでもいいと思う。今回の場合、私も相手の気持ちはどうでもいい。すごく腹が立ってのことだしね。ただ、怒りの表現方法が、自分的に嫌いなやり方だったのでした。で、自己嫌悪。あーあ。好きな自分でい続けるのは本当に難しい。 今日の一曲『フィルター』スネオヘアー この曲の 「好きな自分であり続けてくのは 抱き合うことよりずっと難しい」 という歌詞が今日はずっと頭の中を流れてる。
2008年01月11日
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物事の悪い面から目をそらしては駄目、という台詞をよく聞くけれど、私はむしろ、良い面から目をそらすべきじゃないと思うことの方が多い。意外と世の中には、悪い面ばかりに目がいっている人の方が多いようだし、良いことと悪いこと、どっちのことを考えた方が素敵な未来に繋がるかといえば良いことの方だと思うから。理想は両面を見ることだけど、たとえ悪い面から目をそらしたとしても良い面からは目をそらすべきじゃない。甘い考え方だって笑われそう。だけど私は、そんな気がするんだ。 今日の一曲『太陽』槙原敬之
2008年01月08日
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自分なんて生きてる価値があるのかなーって悩んでいる人を時々見かけるけれど、生まれてから今までの間に一度でも誰かから「ありがとう」って言われたことがあるならば、生きてる価値のない人間なんかじゃないよ。たいがい、言われたことがあるはずだし、仮にないとしても、これから先、言われる自分になることはそんなに難しいことじゃないと思う。その気になれば今すぐにでもそうなれる。 今日の一曲『君にありがとう』つじあやの
2008年01月06日
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私がユーミンを好きになったのは自分だけのラジカセを買ってもらった小学校の高学年の頃。『守ってあげたい』がヒットしてた。すごく好きだなって思った。それからずっとユーミンが好き。ユーミンの歌詞に自分を重ね合わせて切なくなったり、勇気や元気ももらったり。自分にとって大切過ぎる、ユーミンの歌詞。そんなわけで歌詞ばかりを褒めてしまいがちな自分なのだけど、改めて言うまでもなく、音自体、すっごく好きだったりする。もしかしてユーミンの曲や声ってなんとか波みたいなものが出てるんじゃないのかな。全部で350曲くらいあるはずなんだけど、ほとんど好きだよ(笑) 今日の一曲『ダイアモンドの街角』松任谷由実
2008年01月04日
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心の中の或る同じ何かが過剰に多い人と少ない人は反対なのにもかかわらず表面上は似た感じのものが現われがち。似た者同士なのに何かが違う、しかもそれは根本的な何かのような気がする、なんとなく・・・なんてふうな、ぼんやりした違和感を感じる時はそういう時なのかも。磁石のように似過ぎていて反発し合うってこともあるけどね。 今日の一曲『SORAMIMI』斉藤由貴
2008年01月02日
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欲しいものは本気で求めないと手に入らないってふうになってるんじゃないかなーと思う時がある。全然求めてないのに容易に手に入っちゃうものってあるでしょ。それ、たいてい、そんな欲しかったものじゃないんだよね(笑)私なんかでもね、人から羨ましがられたりするようなものをいくつか持ってたりするわけさ。生まれつき持ってたものとかね、自然に身についちゃっていたものとかね。でも自分的にありがたみがないんだな、これが。普通に、持ってるからさ。持ってない人からすると羨ましいんだろうけど、自分としては別に。ないものねだりとかじゃなくて、もっと透き通った気持ちで私が欲しかったものはこれじゃないんだけどね・・・って思う。今まで生きて来た中ですごく少ないけど、でも、何回かは、本当に欲しかったものを手に入れたことがある。で、その時を振り返ると、本気で求めてた自分がいるのさ。欲しいなあ、手に入ったらいいなあ・・・って、ふわふわ思ってたんじゃなくて、「絶対、手に入れる」みたいな、なんかそういう強くて現実的な思いでね、求めてたっていうか。そんなわけで、欲しいものであればあるほど、本気で求めないと手に入らないふうになってるのかもなーって。 今日の一曲『A HAPPY NEW YEAR』松任谷由実 毎年、元旦はこの曲にしてる気がする。
2008年01月01日
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