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2015.02.10
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ウクライナの東部で殺された住民や兵士は約5万人だとドイツの情報機関は推定していると 同国のフランクフルター・アルゲマイネ紙

 これだけの人びとを殺すため、キエフ軍はクラスター爆弾や白リン弾も使ってきた。これは「人権擁護団体」ですら認めている。認めなければ自分たちの存在意義が問われてしまうほどの事実だということだろう。それだけ殺してもキエフ軍が劣勢だというのは、侵略軍で、 住民に支持されていない からだ。

 その事実を誤魔化すため、キエフ政権、アメリカ政府、NATOなどは「姿の見えないロシア軍」が存在していると主張せざるを得ない。実際にロシア軍が介入すれば、かつてアメリカやイスラエルの支援を受けたグルジア軍が南オセチアへ奇襲攻撃を仕掛けたときのように、短時間で粉砕されてしまうだろう。つまり、5万人どころか、数千人の住民が殺されることもなかった可能性が高い。アメリカはそれを前提にシナリオを書き、「ロシア軍の侵略」というプロパガンダの準備をし、国際的に孤立化させようとしていたと推測する人もいる。「予定稿」ができていたかもしれない。

 昨年2月23日にクーデターで追放されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領の地盤は東部や南部。その地域をキエフ政権は攻撃、施設や住宅を破壊し、住民を虐殺してきた。その犠牲者が5万人に達するとドイツの情報機関は推計しているわけだ。イスラエル建国のときと同じように恐怖から住民が難民化しても、ヤヌコビッチ派、あるいは反キエフ派を排除するという目的は達成できると考えたかもしれないが、抵抗は強く、実現していない。

 クーデターの幕が開いたのはユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)。2013年11月21日に約2000名の反ヤヌコビッチ派が広場に集まったところから始まるのだが、その前日、 議会で地域党のオレグ・ツァロフはクーデター計画の存在を指摘 していた。

 ツァロフによると、ウクライナを内戦状態にするプロジェクトをアメリカ大使館はジェオフリー・パイアット大使を中心に準備、その手先になっているのがNGO。アメリカは「アラブの春」と同じように、ソーシャル・ネットワーキングを使って世論を誘導し、組織的な政権打倒運動を展開しようと目論んでいるともツァロフは主張、11月14日から15日にかけて計画に関する会議が開かれたという。その後の展開は、ツァロフの伝えられていた情報が正しかったことを示している。

ネオコン/シオニストのビクトリア・ヌランド国務次官補がパイアット大使との電話で「次期政権」の閣僚人事について話し合っている 際、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたのはそのためだ。その中でヌランドが高く評価していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。

 この電話での会話がインターネット上に公開された直後、 キエフ入りしていたヌランドの下へ親米派の3名が訪問 している。ユリア・ティモシェンコの「祖国」に所属し、ヌランドに好かれているヤツェニュク、そのほか「UDAR」のビタリ・クリチコとネオ・ナチ政党の「スボボダ」に属するオレフ・チャフニボクだ。

Nuland and 3

 ウクライナでは2004年から05年にかけて「オレンジ革命」が実行され、西側資本の傀儡としてビクトル・ユシチェンコが大統領に就任、その政権で2007年から2010年にかけて首相を務めたのがティモシェンコ。当時、ティモシェンコに指示を出していたのが世界的な投機家として有名なジョージ・ソロスだった。

 親米派の3名がヌランドを訪れた頃からキエフの市街は加速度的に暴力化、2月18日頃からネオ・ナチはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどが持ち出され、中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。そうした中、 19日にバラク・オバマ米大統領はヤヌコビッチ大統領に対し、警官隊を引き揚げさせるべきだと要求 している。

 そして21日にヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派が平和協定に調印するのだが、これをアメリカが認めるはずはなく、22日から市民や警官が狙撃され、多くの死者が出始める。その一方、議会の議長を務めていたボロディミール・リバクを「EU派」が脅迫して辞任させ、アレクサンドル・トゥルチノフを新議長に据える。さらに憲法の規定を無視して議会はヤヌコビッチ大統領を解任、トゥルチノフを大統領代行に任命した。

 しかし、ウクライナの東部や南部ではクーデターを拒否する動きが広まる。最も動きの速かったのはクリミアで、3月16日にロシアへ加盟するかどうかを問う住民投票が実施された。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したという。棄権した人も含め、全住民の4分の3以上が賛成したということになる。これにドネツクやルガンスクが続いた。

 これに対し、キエフ政権がドニエプロペトロフスクの知事に任命したイゴール・コロモイスキーは4月に武装集団アゾフを組織した。この人物はウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つ「オリガルヒ」で、生活の拠点はスイスのジュネーブ。アゾフのメンバーは200名ほどで、ネオ・ナチの右派セクターから流れてきたという。約半数に犯罪歴があるとも言われている。コロモイスキーはアゾフのほか、アイダル、ドンバス、ドニエプルという武装集団も組織した。

 4月12日にジョン・ブレナンCIA長官はキエフを極秘訪問、その2日後にトゥルチノフ大統領代行が東部や南部の制圧作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪れ、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜してIMFの融資が決まった。

 バイデンのキエフ入りにタイミングを合わせるようにしてオデッサ制圧に関する会議がキエフで開かれている。出席者はトゥルチノフ大統領代行のほか、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行。オブザーバーとしてコロモイスキーもいたという。

オデッサでクーデター政権を拒否する住民が虐殺されたのはその10日後、5月2日のこと である。この時に労働組合会館で殺されたのは50名弱とメディアではされているが、これは上の階で死体が発見された数。多くは地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名と言われている。そのとき、現場にいながら何が起こっているかを理解できなかった日本人記者もいた。

 1945年5月8日にドイツは降伏してナチス体制は崩壊、その翌日、9日をソ連は戦勝記念日と定めて祝ってきた。その 9日にキエフ政権はドネツク州マリウポリ市に戦車などを突入させ、非武装の住民を殺害、警察署を攻撃 した。地元の警察は住民を撃てというキエフからの命令を拒否、多くの警官は拘束されていたものの、残った警官が警察署にバリケードを築いて立てこもったという。

 この後、アメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権は東部や南部での民族浄化を推進し、多くの住民を虐殺してきた。 侵略を受けている住民の現実 を西側の有力メディアは無視、ネオ・ナチを「民主勢力」として描いてきた。ユーゴスラビアやイラクを攻撃する前と同じように、ウクライナでも西側の政府やメディアは嘘をついているということだが、事実は隠しきれない。そこでイギリスのエコノミスト誌の編集長はロシアのメディアに取材させるなと叫んでいるようだ。嘘が発覚して焦っているのかもしれないが、落ちるところまで落ちたようにしか見えない。





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最終更新日  2015.02.11 05:56:35


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