《櫻井ジャーナル》

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2015.02.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
イラク西部にあるアル-バグダディをIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)が攻撃 その基地にも8名のIS戦闘員が攻撃を仕掛けた が、全員が殺されたという。イラク兵を訓練するために派遣されているアメリカの軍事顧問弾は攻撃された場所から数キロメートル離れた場所にいて、危険な状態ではないとも伝えられている。

 基地の攻撃は宣伝が目的だろうとする見方があるが、攻撃部隊の規模から考えると、その可能性は高い。IS側にとっては「実績作り」になるのだろうが、中東への軍事介入に積極的なアメリカの勢力にとっても本格的な介入を正当化する理由にもなる。

 本ブログでは繰り返し書いているように、ISを作り上げたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国連合。リビアの体制転覆プロジェクトでNATOとアル・カイダとの連携が明らかになったあと、アル・カイダ系のAQIを中心に編成されたのがISで、やはりアル・カイダ系と言えるのだが、名前から「アル・カイダ」を消すことで誤魔化そうとしているように見える。

 アル・カイダにしろ、ISにしろ、その背後にいるのはCIAと国務省だと言われている。CIAには特殊部隊は存在するが、地上軍と呼べるものはない。そうした地上軍としての役割をアル・カイダ/ISは果たしている。

 アメリカにはふたつの戦闘機構が存在する。ひとつは正規軍、もうひとつはCIA/特殊部隊で、例えば、ベトナム戦争でもアメリカはふたつの戦争を戦っている。1964年1月にリンドン・ジョンソン大統領はOPLAN34Aを承認し、陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALs、そして空軍特殊部隊からメンバーを集めて編成されたのがSOG。

 1964年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島を攻撃、翌日にSEALsの隊員に率いられた南ベトナム兵がハイフォンに近いレーダー施設を襲撃した。この報復として、北ベトナムは8月2日に情報収集活動をしていたアメリカ海軍のマドックスを攻撃したと言われている。アメリカ議会が「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決したのは、その5日後だった。SOGの作戦でアメリカはベトナム戦争へ引きずり込まれたと言える。

 1965年2月からアメリカは北ベトナムに対する本格的な空爆「ローリング・サンダー作戦」を始めるが、戦争は泥沼化する。1966年4月にポーランドの外交官がハノイへ入って和平の道を探ろうとしているが、そこでアメリカ軍はハイフォンに停泊中のポーランド船の近くに爆弾を投下し、ミサイルも撃ち込んだ。



 このプログラムはCIAが指揮、1967年のうちに「フェニックス・プログラム」と呼ばれるようなった。その目的はベトコンの村システムの基盤を崩壊させることにあると言われ、実働部隊として組織されたPRUのメンバーは殺人やレイプ、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが中心の傭兵。1968年3月に「ミ・ライ(ソンミ村)事件」が起こるが、これもフェニックス・プログラムの一環だった。その8カ月後、コマーの後任としてサイゴンへやって来たのがウィリアム・コルビー。

 1973年9月にリチャード・ニクソン大統領はコルビーをCIA長官に任命するが、その2年後に上院では「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」が設置され、情報機関による秘密工作の調査が始まる。委員長がフランク・チャーチ議員だったことから一般に「チャーチ委員会」と呼ばれている。ただ、日本の場合は上院外交委員会の「多国籍企業小委員会」を「チャーチ委員会」と呼ぶことが多い。

 チャーチ委員会でコルビーはチリでの秘密工作(ヘンリー・キッシンジャーを中心として実行された軍事クーデター)などを詳しく説明、「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と証言した。

 コルビーはアレン・ダレスの側近で、第2次世界大戦中はOSSの破壊工作部隊、ジェドバラで活動、ベトナム戦争ではフェニックス・プログラムを指揮していた人物。破壊活動(テロ工作)の人脈は仲間だと考えていたのだろうが、自分たちの悪事の一端を暴露してしまった。

 ニクソンがウォーターゲート事件で失脚した後にできたジェラルド・フォード政権ではデタント派が粛清され、ネオコンなど好戦派が台頭してくるが、このときにコルビーも解任され、後任長官になったのがジョージ・H・W・ブッシュだ。当時、「情報の素人」だと日本のマスコミは伝えていたが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた非公然オフィサーだった可能性が高い。

 1979年7月にエルサレムでアメリカとイスラエルの情報機関に関係者した人物が集まって「国際テロリズム」に関する会議が開かれた。そこで全てのテロリズムはソ連が黒幕だと断定、反ソ連キャンペーンが始まる。その会議にアメリカ側から出席したメンバーの中にはネオコンのリチャード・パイプスやジョージ・H・W・ブッシュも含まれていた。

 「フェニックス人脈」は現在でも生きていて、イタリアのグラディオなど「NATOの秘密部隊」や1980年代に始まった戒厳令プロジェクトCOGとも深く結びついている。中東/北アフリカやウクライナでのプロジェクトにも関係している可能性が高い。





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最終更新日  2015.02.14 19:20:34


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