《櫻井ジャーナル》

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2015.08.28
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 中国は9月3日に「抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」を祝う記念式典を開催する。1945年9月2日に政府全権の重光葵と軍全権の梅津美治郎が東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦、ミズーリ号で降伏文書に調印、つまり日本の敗北が正式に決まった翌日を戦勝記念日としているわけで、「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれている声明の朗読が放送された8月15日を「終戦記念日」とか「終戦の日」と呼ぶ日本よりは理にかなっている。

 本ブログでは何度も書いていることだが、1945年9月3日の時点でアメリカやイギリスの一部支配層はソ連との戦争を始めていた。この年の4月12日にフランクリン・ルーズベルト米大統領が執務中に急死、ホワイトハウスではニューディール派の力が急速に弱まってウォール街が実権を握ったことが大きいだろう。

 5月7日にドイツ国防軍作戦部長だったアルフレート・ヨードル大将が降伏文書に調印すると、ウィンストン・チャーチル英首相は合同作戦本部(JPS)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出されている。この作戦によると、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団はソ連を奇襲攻撃、「第3次世界大戦」を始めることになっていた。これは参謀本部の反対で実行されていない。

 中国ではコミュニストの紅軍と国民党軍が日本軍と戦っていたが、1944年9月の段階でソ連はコミュニストを支援しないと語っていた。1945年4月の段階でもヨシフ・スターリンらは蒋介石に好意を寄せていることを隠していない。その年の8月に結ばれた中ソ友好同盟条約に付属した覚書で、ソ連は精神的な支持と軍事的な援助を「中国の中央政府たる国民政府」に対してのみに与えると約束している。コミュニストに近かったのはルーズベルトだったが、そのルーズベルトは4月に急死している。

 第2次世界大戦が終わって間もない時点における国民党軍と紅軍の兵力を比較すると、前者が430万人だったのに対し、後者は120万人強にすぎない。しかもアメリカは国民党軍に対して20億ドルの援助をするだけでなく、軍事顧問団も派遣していた。装備は国民党軍が最新装備だったのに対し、紅軍は日本軍から奪った旧式のもの。圧倒的に国民党軍が優勢だ。

 ところが、1947年の夏になると、農民の支持を背景として人民解放軍(1947年3月に紅軍から改称)が勢力を拡大、兵力は国民党軍365万人に対して人民解放軍は280万人になっていた。1948年後半になると人民解放軍が国民党軍を圧倒、49年1月には解放軍が北京へ無血入城し、10月には中華人民共和国が成立する。

 この間、アメリカは破壊工作部隊のOPC(この組織については何度も書いているので、今回は割愛する)が上海などを拠点にして活動していたが、人民解放軍が北京入りする前に拠点を日本へ移動させている。その中心がアメリカ海軍の厚木基地だった。ちなみに、1949年に日本では国鉄を舞台にした「怪事件」が起こり、左翼陣営に決定的なダメージを与えている。その事件とは、7月5日に発生した下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。

 1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発するが、その年の春先からアメリカは朝鮮半島で挑発作戦を実行していたと元特務機関員で戦後はCIAのエージェントだった中島辰次郎が証言している。

 また、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というもので、「開戦」の2日前から韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領している。



 アメリカ軍の内部にも好戦派はいて、1948年に「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)、その翌年に出された統合参謀本部の研究報告ではソ連の70都市へ133発の原爆を落とす(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)ことになっていた。

 テキサス大学の ジェームズ・ガルブレイス教授によると 、こうしたグループは1957年初頭、ソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせ、1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定するつもりだった。そのころ、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。ソ連は中距離ミサイルで対抗するしかなく、そのためにアメリカとソ連はキューバに目をつけた。こうした計画を阻止したジョン・F・ケネディ大統領は好戦派が開戦を予定していた1963年の後半、11月22日にテキサス州ダラスで暗殺される。

 勿論、今、アメリカがロシアや中国と戦争を始めたなら「大変なこと」になるが、だからといって、そうした戦争が起こらないことは意味しない。局地戦しか起こらないと考えるのは「希望的観測」だ。例えば、2006年にキール・リーバーとダリル・プレスは、 ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとする論文 をフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に書いている。





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最終更新日  2015.08.29 11:47:19


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