《櫻井ジャーナル》

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2016.06.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 参議院選挙が迫ってきたが、投票率が劇的に高くなるようには思えない。投票しても庶民の意思は反映されないという雰囲気が日本にはあり、それが投票率を低くする一因になっているのだろう。「民意」が反映されない状況を政策として作ってきたということもある。

 少なからぬ人が引用しているが、2014年4月に発表されたプリンストン大学とノースウエスタン大学の研究結果によると、 アメリカは民主主義でなく、「経済エリート」に動かされている「寡頭政治」にすぎない としている。常識を学者も認めたわけだ。

 アメリカでは富が0.01%のグループに集中、そこに属す富豪たちの影響力は強くなり続けてきた。19世紀にも不公正な手段で先住民や国民の財産を手に入れ、巨万の富を築く人びと、例えば石油業界を支配したジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが現れて「泥棒男爵」と呼ばれた。

 このときは富の集中が問題視されて反トラスト法につながるが、蓄積された富は実業の世界へ投入され、生産活動の基盤を築かれたことも事実。結果として工業を盛んにすることになったが、富の集中が進めば経済活動は破綻、それを誤魔化すために投機が盛んになる。その結果が1929年10月24日の株式相場暴落。いわゆる「暗黒の木曜日」だ。投機で経済破綻を隠すことができなくなったのである。

 この経験から投機が規制されたのだが、第2次世界大戦後、こうした規制は緩和され続け、今では消滅したに等しい。オフショア市場/タックス・ヘイブンも整備され、アメリカがその先頭を走っている。生産に回される資金は大幅に減少、巨大資本は宿主を死滅させる寄生動物になった。

 しかし、「暗黒の木曜日」当時はまだ選挙システムが機能、1932年の大統領選挙で巨大資本に支援されていたハーバート・フーバー大統領の再選をニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが阻止、巨大企業の活動を規制して労働者の権利を認めようと試み、ファシズムや植民地に反対する姿勢を見せた。

 アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言によると、大統領選挙の後、JPモルガンを含むウォール街の大物たちは反ルーズベルトのクーデターを目論んでいる。

 バトラーから話を聞き、関係者を取材したジャーナリストのポール・フレンチは議会で金融資本側の本音を聞き出している。「コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要がある」と主張していたというのだ。



 この後、ルーズベルト大統領は内乱を恐れたのか、クーデター派を追及していないが、第2次世界大戦の終盤、ドイツや日本が占領地で略奪した財宝の回収を目的としたにセイフヘブン作戦に絡め、巨大資本とファシストとの関係を明らかにしようとしていたと言われている。1945年4月12日にルーズベルト大統領が急死しなければ、巨大資本は戦争責任を問われることになったはずだ。大統領急死の翌月、ドイツは連合国に降伏した。

 1961年にアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディも巨大資本との関係は悪く、イスラエルの核兵器開発にも厳しい姿勢で臨んでいた。本ブログでは何度も書いてきたように軍や情報機関の好戦派は疲弊していたソ連に対する先制核攻撃を目論んでいたが、それを阻止、ソ連との平和共存を主張していた。その過程で好戦派の中心的な存在で、巨大資本の代理人だったアレン・ダレスをCIA長官の座から引きずり下ろし、ライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長の再任を拒否してNATOへ追放している。このままケネディ政権が続けばベトナム戦争へ本格介入することもなかっただろうが、1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。それ以降、アメリカに真の大統領は存在しないと言う人もいる。

 アメリカの場合、民主党も共和党も巨大資本の支配下にあり、事実上の一党独裁。おそらく中選挙区制時代の自民党に存在していた派閥より両党の関係は近い。当時の自民党は政党連合に近かったとも言えるだろう。そのシステムを破壊したのが小選挙区制と政党助成金の導入だ。衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制が導入され、政党助成法が成立したのは1994年のことだった。ジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、日本を戦争マシーンへ組み込む動きが本格化したのは、その翌年のことだった。

 政権交代を口実にして小選挙区制が導入されて大量の「死票」が発生、つまり民意が反映されにくくなり、企業や団体の政治献金を制限(あるいは禁止)するとして政党助成法が成立してから資金の流れが一本化され、政党内で権力の集中が起こって、過半数の有権者の意思が政策に反映されにくくなった。

 比較的少ない得票率で圧倒的な議席を獲得できるのが小選挙区制で、「レジーム・チェンジ」には適した選挙制度だが、日米支配層の意に沿わない結果もありえる。2009年9月に鳩山由紀夫政権ができたときがそれだ。

 その前に自民党政権への批判が高まり、小沢一郎が首相になりそうな雲行きだったが、2006年から東京地検特捜部とマスコミが小沢攻撃を始めた。この攻撃は鳩山が首相の座を降りる2010年6月まで続く。その後の民主党政権、つまり菅直人や野田佳彦は安倍晋三を登場させる露払いにすぎなかった。アメリカと同じように、日本も民主主義国家ではない。





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最終更新日  2016.06.05 20:52:29


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