「働き方改革関連法」が参議院本会議で自民党、公明党、日本維新の会などの賛成で可決、成立した。安倍晋三政権が成立を目指していた法案で、成立のためにデータを捏造、隠蔽したことが発覚している。この法律は国民の大多数を占める庶民から基本的人権を奪う一環として持ち出されたもので、巨大資本に国を上回る権力を与えるTPP11(環太平洋経済連携協定)と目的は同じだ。
安倍政権は「強者総取り」の新自由主義に基づく政策を推進している。このイデオロギーの教祖的な存在はシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授。「朕は国家なり」とフラン国王ルイ14世は言ったそうだが、「巨大資本は世界なり」が新自由主義。巨大資本のカネ儲けにとって障害になる法律は認められない。「普遍的な法の強力な支配」を前提にしているという主張は誤解、あるいは嘘だ。
フリードマンの師にあたるフリードリッヒ・フォン・ハイエクはジョン・メイナード・ケインズのライバル的な存在。そのケインズの理論に基づく政策を掲げていたのがフランクリン・ルーズベルトが率いていたニューディール派だ。
ニューディール派は大企業の活動を制限し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対、植民地にも否定的な立場を示していたことからウォール街は危険視、1932年の大統領選挙では大企業/富裕層を優遇する政策を進めていた現職のハーバート・フーバーを支援していたが、フーバーは再選されなかった。
ちなみに、フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)
そのルーズベルトは就任式の前にフロリダ州マイアミで開かれた集会で銃撃事件に巻き込まれている。ジュゼッペ・ザンガラなる人物が32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射、弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴのアントン・セルマック市長に命中、市長は死亡した。
ルーズベルトが大統領に就任した後、1933年から34年にかけてウォール街の住人たちが反ニューディール派のクーデターを計画している。これはアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将がアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で告発し、発覚した。クーデター派はイタリア、ドイツ、フランスのファシスト団体の活動に興味を持ち、特にフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)に注目していたという。
バトラーと親しかったジャーナリストのポール・フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという証言を得ている。
ウォール街の住人たちは国の政策や法律によって拘束されることを嫌い、ファシズムを望んだ。これが彼らにとっての自由。フランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて次のように語っている。
「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる。本質的に、個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
しかし、ニューディール派の政策は司法など支配システムによって妨害されたこともあり、不十分なものだった。当初はルーズベルトを支持していたヒューイ・ロング上院議員も不満をもったひとりで、純資産税の導入を主張する。1936年の大統領選挙に出馬する意向で、当選する可能性もあったのだが、その夢は1935年9月10日に砕け散る。暗殺されたのだ。
新自由主義は1973年、チリで初めて導入される。ヘンリー・キッシンジャーがCIAを動かし、オーグスト・ピノチェトに軍事クーデターを実行させてサルバドール・アジェンデ政権を倒す。同年9月11日のことだ。チリは外国巨大資本の食い物になる。そのときの経済政策を作成したのが新自由主義者だ。それは日本にも波及する。中曽根康弘政権はそのために誕生したとも言える。国鉄の私有化はその幕開けを告げる出来事だった。