アメリカにジョー・バイデン政権が誕生したのは2021年1月。それ以来、アメリカ/NATOはウクライナへ武器/兵器を含む軍事物資を運び込む一方、ウクライナ周辺で軍事的な挑発を繰り返してきたことは本ブログでも繰り返し書いてきたが、その一方でCIAが2015年からネオ・ナチに対する軍事訓練を行っていたとも伝えられている。
それに対し、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は2月21日にドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ドンバスにおける「特殊軍事作戦」を実施すると発表した。その後の展開を見ると、アメリカが作り上げた、より正確に言うならCIAが組織したネオ・ナチを主体とする親衛隊がロシア軍と戦っているようだ。
ウクライナにおけるネオ・ナチのリーダー、 ドミトロ・ヤロシュ は昨年11月から参謀長の顧問を務めていると伝えられている。ヤロシュが率いる「右派セクター」は2014年2月のクーデターで住民に対し、特に残虐な行為をしていた。
ヤロシュは2007年頃からNATOの秘密部隊ネットワークに参加しているとも言われ、西側の有力メディアが売り出している「アゾフ大隊(またはアゾフ連隊)」を率いている人物はヤロシュの部下。つまりウクライナにおける戦闘の背後にはNATOの秘密部隊ネットワークが存在している可能性が高い。
外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」に掲載された ダグラス・ロンドン の記事によると、ロシアが東部や南部での軍事作戦で終わらせようと考えてもウクライナ側が戦闘をやめないとしている。
ウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領は2月24日にウクライナが孤立していると発言、25日にはロシア政府と中立化について話し合う用意があると発言、ロシア政府は代表団をベラルーシのミンスクへ派遣する用意があると応じた。
こうした動きはアメリカ側の作戦を揺るがすことになる。26日にゼレンスキー大統領のミハイル・ポドリャク顧問が交渉を拒否しすると発言したが、これはアメリカやネオ・ナチの意向だろう。アメリカ政府はゼレンスキーに対して「避難」させると提案、ゼレンスキーはキエフからルボフへ飛行機で向かったと伝えられているが、拉致だったとしても驚かない。
バラク・オバマ大統領の命令で2015年からCIAの「グラウンド・ブランチ(現在はグラウンド・デパートメント)」がウクライナ軍の特殊部隊員などをアメリカの南部などで秘密裏に訓練 しているとする情報も伝えられている。ウクライナでアメリカ政府がネオ・ナチを使ったクーデターを成功させたものの、クリミアとドンバス(ドネツクやルガンスク)の制圧に失敗したことから始められたという。つまり目的はクリミアやドンバスの制圧だ。
ダグラス・ロンドンはCIAの秘密工作部門に所属していたというが、この部門の歴史は第2次世界大戦の終盤までさかのぼることができる。
第2次世界大戦においてヨーロッパでドイツと戦った国は事実上、ソ連だけである。ドイツ軍は1941年6月にソ連へ向かって軍事侵攻を始める。バルバロッサ作戦だが、この作戦に投入した戦力は約310万人。西側には約90万人を残すだけだった。これだけ西側を手薄にする行為は非常識といえるが、軍の意見を無視して命令したのはアドルフ・ヒトラーだった。
ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達、10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていた。
ところが年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北、8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北し、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。
慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、1943年7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。
ダレスはアメリカの戦時情報機関OSSの幹部だったが、ウォール街の大物弁護士でもあった。ナチスを資金面から支えていたのはウォール街やシティ、つまりアメリカやイギリスの巨大金融資本である。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどがそうしたパイプだった。
ウォール街とファシストとの関係を明らかにする出来事が1933年から34年にかけてアメリカで引き起こされている。ウォール街の傀儡だったハーバート・フーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北、ウォール街は在郷軍人会を利用してクーデターを行おうと計画したのだ。
計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかける。このバトラーは憲法を遵守するタイプの人物だったため、計画内容を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言し、議会で詳細を明らかにしている。その証言は議会の公式記録として残っているので、誰でも確認できる。
大戦中、西ヨーロッパで誰もドイツ軍と戦わなかったわけではない。レジスタンスだが、その主力はコミュニストだった。そのレジスタンス対策として大戦の終盤にアメリカやイギリスの情報機関はゲリラ戦部隊を編成した。それが「ジェドバラ」だ。
戦争が終わった後、その部隊を基盤にしてアメリカでは特殊部隊や極秘の破壊工作部隊OPCが組織され、OPCが核になってCIAの秘密工作部門は編成された。
その一方、ヨーロッパでもアメリカやイギリスの情報機関人脈が秘密部隊を組織している。1949年に北大西洋条約が締結されてNATOが登場すると、秘密部隊はNATOへ入り込みむ。1957年からはCPC(秘密計画委員会)の下部組織ACC(連合軍秘密委員会)を通じてアメリカやイギリスの情報機関がNATOの秘密部隊ネットワークを操っているともいう。
全てのNATO加盟国に秘密部隊は設置されているが、イタリアのグラディオは特に有名だ。1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返していた。左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することが狙いだ。その間、クーデターも計画している。 こうしたNATOの秘密部隊ネットワークにドミトロ・ヤロシュ
は組み込まれている可能性がある。
2014年のクーデター当時、ポーランドで伝えられていた情報によると、クーデターの主体になったネオ・ナチは2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けていたという。2013年9月にはポーランド外務省がクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたとも伝えられている。ネオ・ナチのグループにはシリアやチェチェンでの実戦経験のある人物も含まれていた。
今後、アメリカ/NATOはウクライナの親衛隊へ武器や資金を供給、特殊部隊や傭兵も送り込み、ロシアを泥沼へと引きずりこもうと考えているだろうが、これはロシアも想定していたはずだ。それでも軍事作戦を決断しなければならない状況にあったと言うことだろう。少なくともプーチン政権はそう判断した。ロシア政府がネオ・ナチの排除を目標に掲げているのも、単に危険な存在だというだけでなく、そうしないと地域の安定は望めないと考えたのだろう。